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April.3 『勘違いの、シースケーキ』

 Café 小夜時雨さよしぐれでの主な勤務内容は接客。

 お店で出すお菓子は、お兄さんの知り合いの店から仕入れているもので、調理は必要としないらしい。ただ、飲み物には自分で淹れていると言っていた。

 コーヒーに紅茶、ココア、薬草茶にジュースなど、本格的な機材を取り入れて、お客様に提供しているとのこと。


「茶葉の扱いは?」

「緑茶を嗜む程度に」


 とは言っても、緑茶の正しい淹れ方なんてここ数年やっていない。茶葉を入れてお湯をどばっと注いで終了。

 それを言ったら、茶葉に対する冒涜ぼうとくだと言われてしまった。

 どうやら飲み物関係に情熱を注いでいる御方のようだ。


「あ、あと、昔茶道を習っていたので、抹茶をたてることが出来ます」

「そっちを先に言え」

「すみません、忘れていました」


 抹茶があれば、和菓子の品目を取り入れられると呟くお兄さん。

 お菓子と飲み物の組み合わせも、いろいろ考えてから出しているとのこと。

 こんな私にもお役に立てる要素があるようで、何よりだと思った。


「他は経験がないので、上手く出来るか不安ですが」

「まあ、その辺はおいおい教えるとして」

「はい、よろしくお願いいたします、先生!」


 そんな返事をすれば、ぎょっとした顔をするお兄さん。

 確か、さきほどの女性のお客さんが「先生」と呼んでいたような気がしたけれど。


「先生ではないのですか?」

「それは――」


 学校の先生、弁護士、会計士、神社の宮司、栄養士、医者、政治家、いろいろ挙げてみたけれど、どれも違うと言う。

 私は唸りながら周囲を見渡す。

 すると、目に飛び込んで来たのは、本日の品目メニューが書かれた半紙。


 ――本日の品目、シースケーキ、ダージリン


 片仮名なのに絶妙なバランスで書かれている綺麗な習字を見て、ピンと閃いた。


「あっ、分かりました、書道の先生です!!」

「……いや、まあ……そう、だな」


 やった、正解!

 お兄さんは書道の先生と喫茶店の経営者を兼業で行っているようだ。

 本業が忙しいので、雨の夜にだけ営業をしているのかもしれない。


「それよりも、シースケーキってなんですか? チーズケーキではなくて?」

「チーズケーキではなく、シースケーキだ」

「なんと、気になります」


 これも、長崎のお菓子らしい。

 興味があるので注文していいかと聞けば、そこで待っているように言われた。

 数分後、この前と同様に、お兄さんが手押し車の上にお菓子と飲み物を載せてやって来る。

 シースケーキとは、はたしてどんなケーキなのか。期待が高まる。


「――おお!」


 机の上に置かれたケーキは、長方形で上に桃とパイナップルが載った物。普通のフルーツケーキに見えるけれど、これがシースケーキと呼ばれるものらしい。

 続いて、ソーサーとカップが置かれ、紅茶が注がれる。砂糖の数も聞かれたので、一つと答えれば、可愛らしい花柄の壺に入った角砂糖を一つだけ、カップの中に落としてくれた。

 その一連の動作を、ぼんやりと眺めてしまう。


「どうした、食べないのか?」

「あ、はい。いただきます!」


 なんていうか、イケメンのお兄さんに丁寧な給仕をされるとドキドキする。

 営業時間がお昼とかだったら、ご近所の主婦や女子大生に人気が出そうだと思った。

 気を取り直して、シースケーキを戴くことにする。

 フォークを生地に滑らせたら、ふんわりとしているのが分かった。

 口に入れてからも、驚くことになる。

 なんといっても、生クリームがきめ細かい。その味はあっさりしている。

 そして、驚くべきことに、スポンジの間に濃厚なカスタードクリームが挟まっていた。

 二つの甘さが互いに喧嘩しないように、上手いこと調整されているのかもしれない。

 黄桃とパイナップルのシロップ煮、生クリームとカスタードクリーム、スポンジとすべての素材が合わさって、上品な味わいとなっていた。


「これ、すごく好きです!」


 またしても近くにお兄さんが居たので、感想を言ってみる。無反応だった。別にいいけれど。


 そして、品のある甘さのシースケーキと香り高くほろ苦いダージリンはとても相性が良い。思わず優雅な気分に浸ってしまう。


 ケーキと紅茶は溶けるようになくなっていった。


 食べ終わたあとで、今回も疑問が浮かんでくる。


「そういえば、これ、なんでシースケーキって言うのでしょうか?」


 今回は手帳とペンを手にした状態でお兄さんに質問をする。

 ご存知ですかと聞けば、コクリと頷いて、説明をしてくれた。


「初期のシースケーキは豆のさやに似た形をしていたが、英語にする際に刀を差すさやと勘違いをしてしまって、シースケーキとなった」


 莢のPodと鞘のSheathを間違って付けてしまったと。

 けれど、ポッドケーキよりもシースケーキの方が「なんだそれ!」となる響きのような気もしないでもない。


「面白いですね」

「最初に作った人も、数年前に間違いに気付いたらしい」

「へえ~~」


 現在は誤解のないよう、鞘という意味のSheathから、意味のないCeece という綴りに変えていると言う。


 シースケーキはその昔、苺が高価で仕入れることが出来なかった時代に作られた、長崎の人達にとっては馴染み深いケーキなのだとか。


「美味しかったです。それから、貴重なお話もありがとうございました」


 お代を支払おうとすれば、今回も500円ワンコインを請求するお兄さん。


「あの~、つかぬことをお伺いしますが、この金額設定でお店はやっていけているのでしょうか?」

「ここは利益を求めてやっている店ではない」

「そ、そうなのですね」


 人にはいろんな事情があるのだろう。

 私は千円札を取り出し、支払いをする。おつりは先ほど渡した百円玉五枚が返ってきた。

 鞄を肩に掛け立ち上がって一礼。それから、先ほどの提案についての話をする。


「ここで雇って頂けるお話しは、本当でしょうか?」

「冗談に聞こえたか?」

「ちょっぴり」


 だって、会って二回目なのに、その場で採用してもらえるなんて、今までのバイト面接連敗を考えれば、ありえないことだった。


「どうして、私を採用しようと思ったのでしょうか?」

「言っただろう。人を探していたと」

「ええ、ですが、面接も何もしていないので」

「採用するのは、人とそれなりに接することが出来る者ならば誰でも良かった」

「なるほど」


 偶然迷い込んだお店で働けるなんて、不思議な縁だと思う。夢のようだと思った。

 私はもう一度、お兄さんに向かって頭を下げた。


「これからよろしくお願いいたします、お兄さん!」

「……お兄さん?」

「あ!」


 心の中で呼んでいた「お兄さん」を思わず口にしてしまった。

 それ以前に、自己紹介などもきちんとしていなかったことに気付く。


「すみません、名乗り遅れました。私は日高乙女ひだかおとめと申します」

「知っている」


 一回目に来た時、名前と電話番号を渡したのでお兄さん側は私の情報を把握していた。

 逆に、こちらはお兄さんについて何も知らない。


「えーっと、なんとお呼びすればいいのか」


 先生?  店主さん? オーナー?


 聞けば、懐から名刺入れを取り出すお兄さん。

 名刺を一枚取ってこちらに差し出そうとしていたけれど、掴もうとした寸前でその手は宙に浮いた。


「――え?」


 突然「やっぱりあ~げない」をされて、ポカンとしてしまう。お堅い感じなのに、実は小悪魔なのか?

 顔を見上げれば、意地悪をした表情ではなくて、焦っているように見えた。


「あ、あの~~」

「ち、違う、これは本業の名刺で……」


 本業用の名刺は関係者にしか渡していないとのこと。

 お兄さんはポケットに入っていた領収書を一枚取り、同じくポケットの中にあった筆ペンで何かをさらさら書き始める。

 筆ペンを携帯している辺り、書道の先生ぽいなと思った。

 領収書の裏に書かれていたのは、お兄さんの名前と電話番号。


 ――向井恂 電話番号 ****-**-****


向井むかいじゅんさん、ですね?」

「見れば分かるだろう」


 読み方の確認もさせてもらえないようだ。なんとも厳しい人だと思う。


「では、向井オーナーを呼ばせていただきます」

「好きにしろ」


 仕事については雨の夜に教えてくれるらしい。

 お客さんはあまり来ないと言う。


 それならば、私を雇う理由は一体……?


 まあ、いいかと思って、バイト先が決まったことを喜ぶことにした。


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