january.29 『金銭餅と、食べられないお餅』
「え、それだけ?」
驚き顔で私を見る駒田さん。
オーナーとお付き合いするようになって早一ヶ月。どんなことをしていたのかと聞かれ、佐賀の大きな稲荷神社に行ったと答えれば、信じられないという目で見られた。
若干恥ずかしかったけれど、途中で手を繋ぐこともあったよと言えば、「それだけ?」と言われる始末。
「もっと、あるでしょう? 高級レストランに行ったとか、ブランドのバッグを買ってもらったとか」
「それは、ないかな」
「嘘! 社会人の男と付き合っているのに?」
コクリと頷けば、信じられないと叫ぶ駒田さん。
私とオーナーは、普通のお付き合いはしていないらしい。でも、幸せだし楽しいからいいのだ。
「でも、手を繋いだだけで喜ぶとか、高校生カップルの登下校じゃあるまいし」
そんなコメントをする駒田さんに、隣に座っている諒子ちゃんが不機嫌そうな顔で言う。
「乙ちゃんの彼氏は乙ちゃんを大切にしているの。とっかえひっかえ男を変えている駒田には分からないことだろうけれど!」
「そうなの?」
「そうに決まっている!」
「でも~デートに神社とか、じじくさい」
「あ、神社に行きたいって言ったの私なんだけど」
オーナーの名誉(?)のため、一応訂正しておく。
佐賀にある稲荷神社は日本三大稲荷の一つと言われていて(※諸説あり!)、ずっと気になっていたのだ。
「あ、そうなんだ。ふうん、つまんないの」
駒田さんの発言を聞いた諒子ちゃんが突然バンと机を叩く。そして、叫んだ。
「あ~~、駒田、めっちゃ嫌い~~!!」
「どこが?」
「全部!」
「え、酷い」
「酷いのは駒田の方。もう、あっちに行って! 私達は住む世界が違うから!」
住む世界が違う。確かに、それは思う。
イケイケな恋をする駒田さんと、亀の歩みで恋をする私とは、まるで感覚が違っている。
幸せのベクトルも、大きく異なっているのではと思った。それに、肉食獣と草食獣では価値観もかけ離れているのだろう。
けれど、駒田さんの恋愛観を聞いたおかげで、私は一歩踏み出すことが出来たのだ。
何も知らなかったらきっと、オーナーの特別なふるまいになんか気付くことなく、途中で諦めていたかもしれない。
駒田さんの言葉はきついけれど、嘘がないというか、正直者なので、嫌いではないかなとも思ったりする。諒子ちゃんとは合わないみたいだけど。
◇◇◇
本日も雨。
冬に振る雨粒は鋭く尖ったように冷たくて、突き刺さるよう。
けれど、今はそんな雨も嬉しく思う。café 小夜時雨の営業日だからだ。
夕方、オーナーは大学まで迎えに来てくれた。
彼氏がいる友達は、雨の日は相合傘が出来るからいいよねと言うけれど、私とオーナーは各々傘を差して坂を下る。
相合傘、響きは良いけれど、片方の肩が濡れてしまうのはどうかと思われる。
友達の前ではこんな空気が読めない発言は出来ないけれど。
小夜時雨に辿り着けば、オーナーと二人、開店前のミーティングを行う。
本日のお菓子は、金銭餅とコーヒーと半紙に書かれている。相変わらず、惚れ惚れしてしまうような達筆な文字だ。
机の上に置かれた金銭餅を見る。一口大で、ごまがまぶされていた。
「お金の形をしたお餅ですか」
「金を模していることは正解だが、餅ではない」
「え~!」
オーナーは金銭餅を一つ摘まみ、私の口の中へと放り込む。
「――んん?」
餅じゃないという言葉の通り、食感はモチではなくサクだった。
これは――クッキー! 金銭餅とは、ごまの香ばしい風味が効いた焼き菓子だった。
「これは、中国古来の貨幣を模した菓子で、三千年前、中国の皇帝へ献上されていた物でもある」
「ほうほう!」
この地に伝わったのは四百年前――戦国時代かな?
縁起の良いお菓子で、おくんちと呼ばれる長崎の有名な祭では、おひねりの中身として選ばれているとか。
お掃除を終え、十八時前に開店となった。
営業中の木札をかけて数分後に、お客さんが来店する。
「いらっしゃいませ!」
「どうも、こんばんは」
やって来たのは飯田さん。「今日も雨にやられてしまいましたよ~」と言いながらも、その様子はどこか嬉しそう。何か良いことがあったのだろうか。
オーナーもフロアで飯田さんを出迎える。
「本日はお二人にご報告があって――」
何かと思えば、なんと、以前話をしていた困難を極める契約が無事に成立したそうな。
「うわ、おめでとうございます!!」
「ありがとうございます!」
頑張りが実ったのですねと言えば、自分の力だけではないという謙虚な飯田さん。
「以前、教えていただいた金平糖のおかげですよ。あの手土産で、心を掴んだ気がします」
契約を持ちかけた方は、織田信長のファンだったらしい。金平糖を献上した逸話は知らなかったようで、話が大いに盛り上がったとか。
そんなおめでたい飯田さんに、本日のお菓子を紹介する。
「ほう、金銭餅ですか。良い響きの名前ですね」
「はい。縁起の良いお菓子だそうで」
「どんなお餅なんでしょうか?」
「それは――お楽しみに!」
さっそく、オーナーの淹れてくれたコーヒーと共に、金銭餅を持っていった。
飯田さんは「いただきます」と言い、一口大のごまクッキーを食べる。
想定外の口当たりだったからか、軽く噎せていた。
「だ、大丈夫ですか?」
「はい、平気です。餅ではなくて、クッキーだったのですね」
「すみません、言えば良かったですね」
「いえいえ、意外性があって良かったです」
飯田さんも食べてからのお楽しみが好きな人なので、言わずにいたら大変なことになった。
オーナーがやってきて、中国の餅についての説明をしてくれた。
「そもそも、日本と中国では餅の認識が違う」
日本の餅は餅米を蒸し、突いたものだけど、中国の餅は小麦粉から作られた品全般を示すらしい。そういえば、中華菓子の月餅とかもお餅ではない。
「月餅、営業先のお客さんの家で戴いたことがあります。確かに、あれも小麦菓子でした」
月餅とは木の実が入った白餡のお菓子。
中華菓子には餅がついた名前が多かったなと振り返る。
「いやはや、向井オーナーのお話は、勉強になります」
うんうんと、私も同意してしまった。
飯田さんはこれから飲み会があるらしい。忙しいところ、時間を作って報告にきてくれたようだ。
「では、また来ますね」
「はい、またのご来店をお待ちしております」
外に出て、オーナーと共に飯田さんを見送る。
飯田さんは手を大きく振って、オランダ坂を下って行った。
雨はいつの間にか止んでいたので、営業中の札を回収する。
机の上には飯田さんがくれたお菓子があった。
お礼にと、わざわざ買ってきてくれたのだ。
可愛らしい花柄の包装紙をじっと見ていたら、オーナーが突然取り上げる。
「別に、ただの焼き菓子だ」
「そうなんですね」
包装紙を見ただけで中身が分かる模様。さすが、お菓子博士!
「食べたいのか?」
「強いて言えば」
そう答えれば、眉間に皺を寄せるオーナー。
食い意地が張っていると思われたのだろうか。恥ずかしくなる。
「何を照れている?」
「いえ、食いしん坊だと思われたのかなって」
「違う」
はて、違うとは?
首を傾げていたら、お菓子の箱を机に置いたオーナーがずんずんとこちらへ迫って来た。
顔が怖かったので、じりじりと後ろに後退してしまう。
腕を伸ばしてきたので、寸前で避けた。危ない!
肉を摘まみ、太っていないかのチェックをする気だろう。オーナーとの食べ歩きのおかげで、最近また体重が増えていたのだ。
肉を掴ませるわけにはいかないと、必死になって逃げる。
けれど、すぐに捕獲されてしまった。
壁際に追い詰められ、後ろから腰に腕を回される。
「いや~~!」
「何が嫌だ、だ!」
抵抗してもきっと敵わないので、大人しくお縄についていた。
だがしかし、一向にお肉チェックは始まらない。
もしかして、太ったかの確認ではない?
分からなかったので聞いてみることにした。
「あ、あの~~、どうかしましたか?」
「お前が他の男が持って来たお菓子を食べるのは、面白くないから」
「ああ~~」
そういうことだったのかと納得。
あれ、これって焼き餅というものですか?
それに気付けば、一連の行動も愛い奴め! となる。
「オーナーのお菓子が世界で一番ですよ」
そんな風に言えば、さらにぎゅっと抱きしめられた。
言葉もなく、そんなことをしてくるので、余計にドキドキしてしまった。
幸せな時間を堪能していれば、突然お店の扉がバンと音をたて、勢いよく開かれる。
「――鍵をかけていなかったのか?」
「すみません、オーナーがかけたとばかり」
互いに施錠をしていたと思い込んでいたようだ。
気を付けなければと話をしていれば、小走りで近寄ってくる足音が聞こえた。
オーナーは私を背に隠すようにして、やって来た人物と対峙する。
「――東雲先生、おめでとうございます! 探偵中島薫子シリーズ一作目、ドラマ化決定です!!」
やって来たのは七瀬さんだった。
ホッとしたのと同時に、疑問符が頭の上に浮かぶ。
「それと、シリーズ全巻大重版で――あら、先生、嬉しくないのですか?」
私がひょっこりとオーナーの背から顔を覗かせれば、「あ!」と驚く七瀬さん。
え~っと、これは、どういうことなのかな?




