december.27 『堂留多、長崎の味?』
今日も雨。café 小夜時雨は、人通りがほとんどないオランダ坂で、ひっそりと開店する。
本日のお客様は常連の山下ご夫妻。共に七十代で雨の夜に小夜時雨に来店することを、夜遊びだと言っているお茶目なご夫婦だ。
ご近所に住んでいて、ここへは飯田さんの紹介で通ってくれるようになった。
不愛想なオーナーも、山下さんご夫妻が来ればフロアにやって来て、会話を楽しんでいる。
会話もひと段落し、オーナーが注文の品を用意するために厨房へと行けば、山下さんの旦那さんが「あんひとはじげもんげな」と言っていた。
じげもん、最近知った長崎弁で、地元の人という意味。
長崎弁、ほとんど分からなくて、山下さんの喋ることも聞き返してしまう時がある。そういう時は奥さんが標準語に言い直してくれるのだ。
オーナーはそんなことは一度もなくて、普段使わない長崎弁で山下さんと楽しそうにお話をしていた。
たまに、諒子ちゃんも長崎弁が出るときがある。
突然バイトに来るように言われた時、「ばりやぜか!」と叫んだ時は、「おっとそれはどういう意味ですか?」と訊ねてしまった。
「ばり」はとてもとか凄くという意味で、「やぜか」はめんどくさいとか、鬱陶しいとかいう意味の若者が使う方言だとか。
凄くめんどくさいという意味ですねと言えば、冷静に通訳するなと怒られてしまった。
長崎弁は地方によっても違うようで、分かる人が聞けば喋っただけで出身が分かるとか。
興味深い文化だなと思う。
そろそろ準備ができている頃だろうと思い、私も厨房へと向かう。
本日のメニューは『堂留多にほうじ茶』。
堂留多は伝統菓子みたいだけれど、山下さんご夫婦は知らないと言っていた。
出てきてからのお楽しみにしたいというので、詳細は聞かなかった。
堂留多とは、ポルトガル語でケーキを意味する。カステラにジャムが巻かれたお菓子。お皿の上には、餡が巻かれた物もあった。
「あ、これ、知っています。四国のお土産ですよね?」
「ああ。長崎から伝わって、四国――愛媛県の松山市の銘菓となったらしい」
「シュガーロードを通って伝わったんですね」
「だろうな」
餡巻きのカステラは江戸時代の大名様が考案したものだとか。その当時、贅を尽くした味はしばらく外に出ることはなかったが、明治時代に菓子職人へと伝えられ、松山市の銘菓になったらしい。
山下ご夫婦に堂留多を紹介する。
すると、新婚旅行が松山だったらしく、懐かしいと言って喜んでくれた。
仲睦まじく、思い出話に花を咲かせるご夫妻を見ていれば、素敵だな~と思ってしまう。
理想の夫婦像がそこにはあった。
山下さん夫婦は「また来るけん」と言って帰って行った。
外に出てみれば、雨も止んでいたので、小夜時雨は閉店となる。
時刻は八時前。いつもより早い店じまいとなった。
店内の掃除をして、部屋の灯りを消して回る。
エプロンを取り、畳んで鞄に入れた。帰る支度は十秒で完了。
オーナーは今日も家まで送ってくれると言う。
「オーナー、毎回毎回、私を送っていくのやぜくないですか?」
「……やぜくない」
そう言って、私のおでこを指先で突いてきた。
「やぜか」をどこで覚えてきたのだと、怒られてしまった。
◇◇◇
オーナーの車はマンションまでの道のりから大いに逸れていた。
また、どこかへと連れて行ってくれる模様。
辿り着いた先はオシャレな喫茶店。手捏ねのハンバーグとキッシュが有名らしい。
どちらにしようか悩んでいたら、ハンバーグのセットを頼んで、キッシュは単品で食べるといいとオーナーが勧めてくれた。
「うわ~~、そんなにたくさん――」
「食べられるだろう?」
「ハイ」
育ち盛りだということにしておいた。
「そう言えば、山下さんの旦那さんが、オーナーは正真正銘の地元の人ですねと言っていました」
「生まれも育ちも長崎だから当たり前だろう」
「でも、長崎弁を今まで使わなかったので、もしかしたら違うのかな~と思っていました」
「大学の時から数年、東京にいたから、その時に抜けきってしまった」
「へえ、そうだったのですね」
方言を方言と知らずに使い、相手に伝わらなかったことが何度もあり、数年は苦労をしたとか。
「直すとか、向こうの人と意味が違っていて、混乱した」
「長崎で直すはどういう意味なんですか?」
「収納するとか、片付けるとか」
「修理するとかの直すじゃないんですね」
「困ったことにな」
分かりやすい方言は使わないようにしていたけれど、直すみたいな標準的な言葉が実は方言だったみたいなことが多々あったらしい。
大変だなと思いつつも、なかなか興味深いことだと思う。
そんな話をしていれば、料理が運ばれて来た。
デミグラスソースのハンバーグは、肉汁じゅわっと溢れる。ふんわりジューシーで、レストランで出しているような本格的なハンバーグだった。
キッシュは野菜たっぷりで、根菜類がホクホクで美味しい。一切れで大満足。
料理はどれも美味しくって、幸せな気分になった。
食後のコーヒーを飲みながらふと思う。これってデートだよね? と。
だけど、すぐに頭の中で否定した。
オーナーのことだから、私のことを食べ歩き仲間に思っている可能性がある。
なんという小悪魔!
こんな風に連れ回してくれたら、恋愛経験のない私は勘違いをしてしまう。
すぐさま悲しくなってしまった。
でも一応、確認をしてみる。
「オーナー」
「なんだ?」
「オーナーのご趣味は食べ歩きですか?」
「なんでそうなる?」
「いえ、いろいろと食べ物に詳しいですし、こうして美味しいお店に連れて行ってくれるので」
「一人では行かない。……誰かを連れても、行かない」
「七瀬さんも?」
「どうして七瀬さんが出てくる」
「え~っと、仲がよろしいように見えたので」
「普通だろう」
「普通ですか」
なんだろうか。七瀬さんに対する淡泊な反応。
山下さんご夫婦の話をしている時は優しい表情を見せていたのに、今はなんの感情も見せていなかった。
照れ隠し、にも見えない。
もしかして、オーナーの好きな人は別のようこさん?
ああ、気になる。
「どうかしたのか?」
「あ、えっと……」
先ほどから質問ばかりしていた。これ以上聞くのはあまりよくないことだと思う。
オーナーは誰でも食事に誘っているわけでもないし、好きな相手は七瀬さんではない。
これだけ分かれば情報の豊作だろう。
でも、勇気を出してここから一歩踏み出さないと、ずっと私達は従業員と雇い主という関係だよねと思ってしまう。
駒田さんが言っていた、お付き合いは重たく考えなくてもいいという言葉が頭を過った。
ぼんやりしていたら、席を外していたオーナーがそろそろ帰ると言ってくる。
どうやら会計をしに行っていたらしい。慌ててお金を出そうとしたけれど、今日も受け取ってくれない。
給料から天引きでとお願いし、分かったと返事をしていたが、一度もそうなっていたことはない。今回も、多分天引きしてくれないだろう。申し訳なさすぎると、恐縮しきってしまった。
車に乗り、夜の街を走っていく。
あっという間にマンションまで到着した。
車を降りる前に、この先三十年分くらいの勇気を出して、オーナーに話があると言った。
私はついに、気持ちを伝える決心を固めたのだ。
オーナーは改まってなんだと、訝しげな視線を向けてくる。
ここでひるんではいけないと、自らを奮い立たせた。
きっと、こんなに緊張しながら告白するのは人生の中で一度きりなんだろうなと思う。
砕け散っても、仕方がない。
初恋なんて、叶うことの方が少ないと言われているのだから。
ドクドクと激しい鼓動を打つ胸を押さえ、私はオーナーをまっすぐにみながら言う。
「――私、オーナーのことが好きなんです!」




