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november.26 『及ばぬ鯉の滝登り?』

 季節は巡り、すっかり冬となる。

 長崎は雪などめったに降らないけれど、東京よりも冷えるような気がする。日本海側だからかな?

 雨も思ったよりも降らない。

 天気は曇天が多いけれど、期待の雨粒は降りてこなかった。


 そんな中、久々の雨が!

 大学が終わったのは四時過ぎだったけれど、オーナーに連絡をして早く行ってもいいかと聞いてみる。返事はすぐにきて、好きにすればいいと言ってくれた。


 雨のオランダ坂を上っていると、見たことのある後ろ姿を発見する。

 あれはもしや――


「七瀬さんだ!」


 小走りであとを追い、声をかける。

 すると、振り返った七瀬さんは驚いた顔を見せたあと、綺麗な微笑みを浮かべながら私の名前を呼んでくれた。


「あら、日高さん、お久しぶりね。そんなに息を切らして、走って来たの?」

「はい!」

「若いなあ~」

「七瀬さんも十分若いですよ」

「嬉しい。四十前のおばさんに、そんなことを言ってくれるなんて」


 ……四十前!? 七瀬さんが??


 びっくりしたけれど、声をあげるのを我慢した。

 七瀬さん、三十前後かと思っていたので、かなり驚いた。これが、美魔女という生き物なのか。


「同期からは若作りだって、言われるの」

「いえいえ、そんなことは……ですが、なんと言えばいいものか」


 七瀬さんは「ふふふ」と意味ありげな笑みを浮かべ、歩き出す。


 私達の目的地は一緒だった。もちろん、café 小夜時雨である。

 息を切らしながら坂を上り、やっとのことで辿り着いた。


 玄関前で「ごめんください」と声をかければ、すぐに扉が開かれた。

 私を見てオーナーは頬を緩めていたけれど、七瀬さんに気付いてぎょっとしていた。


「先生、そんなに驚かなくても」

「明日来るんじゃなかったのか?」

「暇が出来たので」


 なんだか二人で密な会話をしていて、若干居心地悪く思ってしまった。


「それにしても、日高さんが声をかけたら、すぐに出てくるのですね。私が呼んでも、なかなか出てこないのに」

「それは――」


 七瀬さんみたいな美人に呼ばれたら、緊張してなかなか迎えに行く勇気が出ないのかもしれない。気持ちはよく分かる。

 オーナーは困った顔で、突然来られてもとぼやいていた。七瀬さんは笑顔で「いいじゃないですか」と言う。


「あの、立ち話もなんなので~~」


 話が盛り上がって来そうだったのでオーナーのお店だけれど、中で休んではいかがですかと提案する。七瀬さんも坂を上ってきて、若干疲れているように見えた。


 オーナーは扉を引き、私達を迎え入れてくれた。


 七瀬さんをフロアの席まで案内する。

 メニュー表などはまだ準備されていなかった。


「オーナー、コーヒーか何か、淹れましょうか?」

「いや、いい。ここにいろ」

「分かりました」


 こうして、七瀬さんと二人きりになる。

 向かい合った席を勧められたので、お言葉に甘えて座らせてもらった。


「日高さん、大学は楽しい?」

「はい、とても!」

「いいわねえ~」


 七瀬さんはさぞかし華々しいキャンパスライフを送っているのかと思いきや、学生時代は本に夢中で、学生らしい青春は何もなかったと話す。


「昔から本が好き過ぎて、親からは病気なんだって言われていたの」

「一途な思いは素敵だと思います」

「ありがとう」


 そんな本好きが高じて、出版者の編集さんになったのだから、好きの力は偉大だなと思う。


「原稿もね、いち早く見たいと思って、作家の家まで押しかけて、取りに行くの」

「昔の編集さんみたいですね」

「そう。それにも、ちょっと憧れていたのかも」


 よく、昭和の小説とかアニメとかで、編集さんが作家さんの家に行き、原稿を待っているという状況が描かれているのを見たことがあった。


「七瀬さんの担当作家さんが、長崎にいらっしゃるのですね」

「ええ、まあね」


 話の途中で、オーナーが飲み物を持ってやって来た。

 盆の上には甘い香りを漂わせる、ホットチョコレートが。物音一つも鳴らないような丁寧な動作で、目の前に置いてくれた。


「わあ、ありがとうございます!」


 七瀬さんにはコーヒーを用意していた。

 相変わらず、オーナーは席に着かずにこちらを見下ろしていた。


 カップを両手で持てば、雨で冷えた指先がじんわりと温かくなる。


 ふんわりと湯気が立つホットチョコレートを、ふうふうと冷ましてから一口。

 甘くて、ほっとするような優しい味がした。

 七瀬さんは砂糖も何も入れないまま、コーヒーを啜っている。

 優雅な手つきでソーサーにカップを置く仕草に見とれていたら、突然話しかけられた。


「そうだ、日高さん、探偵中島薫子シリーズの新作読んだ?」

「もちろんです!」


 今月の初めに発売された、『探偵中島薫子』シリーズの最新刊! 当然ながら、書店で予約をして、届いたその日に読んでしまった。


「どうだった?」

「もう、最高に面白かったです! ラストの崖のシーンがすごく迫力があって!」

「東雲先生、実際に崖を見に行ったそうよ」

「へえ、そうなのですね。物語も書きつつ、臨場感を出すために取材もして、作家さんって大変ですよね」

「え、ええ……」


 私があまりにも興奮して話すものだから、七瀬さんに笑われてしまった。

 何故かオーナーが咳払いをすれば、「日高さん、ごめんなさいね」と謝ってくる。とんでもないと、首を横に振ることになった。


「そうだ、今日はいいものを持って来たの」

「?」


 オーナーにではなく、私への『いいもの』だと言う。

 一体なんなのか。

 差し出された茶色い包みを、私に進呈してくれた。

 ずっしりと重量のあるそれは、ハードカバーの本だと分かる。

 開封をすれば、ドキリと胸が高鳴った。


「こ、これは――!」


 包みの中に入っていたのは、月末に発売される予定の、東雲先生の最新刊!!

 今月は二冊発売で、とても楽しみにしていたのに、それを発売日前に手にしているなんて――


「他の人には内緒ね。まだ、関係者にしか出回っていないの」

「そ、そんな、私が手にしていい物では」

「いいの。日高さん、東雲先生の歴代担当者の中では有名人だから」

「え……、それは、どうしてでしょう?」

「十年もファンレターを送ってくれる人なんて、なかなかいないから」

「あ、そ、そういえば」


 東雲先生の本が出るたびに、私は感想を書いた手紙を送っていた。

 まさか、編集さんに存在が把握されているなんて。


「だから、それはお礼なのですって」

「あ、ありがとうございます。すごく光栄で、嬉しいです」


 私は本をぎゅっと抱きしめる。

 なんだか泣きそうになってしまった。


「本当は、サイン本を渡そうって話があったらしいんだけど、東雲先生が恥ずかしがって」

「いえいえ、そんな……!」

「先生も、きっと感謝をしていると思うの」

「私なんて、たくさんいるファンの一人ですし」

「そうだけど、やっぱり昔からのファンは特別だと思うわ」

「恐縮です」

「向井先生も、そう思いますよね?」


 急に蚊帳の外にいたオーナーに話を振る七瀬さん。

 返事がないので、私もオーナーを見る。

 すると、目が合った。


「オーナー?」


 すぐに視線を逸らされたので、どうかしたのかと近づく。

 顔が赤い気がしたのだ。


「大丈夫ですか? 顔色が」

「なんでもない」

「ですが」

「なんでもないと言っている!」


 不機嫌なように見える表情で肩をぐいっと押され、接近拒否をされてしまった。

 若干ショックを受ける。

 何故か七瀬さんが慌てながら、間に割って入った。


「ごめんなさい! 私が揶揄からかったから」


 私に頭を下げる七瀬さん。

 何やら二人にしか分からない冗談を言っていた模様。

 疎外感を覚えてしまったのは考えるまでもない。


 その後、七瀬さんは申し訳なさそうにホテルに戻ると言っていなくなった。

 オーナーと二人きりになり、微妙に気まずくなる。

 使った食器類を洗っていれば、雨はいつの間にか止んでいた。

 ネットで情報を調べれば、今夜はもう降らないことが判明する。


「えーっと、そういうわけなので、私も帰ろうかな~っと」


 オーナーに一礼をし、踵を返したが、すぐに腕を掴まれてしまった。


「送っていく」

「いえ、悪いです。顔色も良くないですし」

「気にするな」


 ここまで言われてしまっては、断ることも出来ない。

 まだ若干明るいのに、オーナーは七瀬さんではなく、私を家まで送ってくれると言った。


 それが、逆になんだかなと思ってしまう。

 私のことを何も想っていないのに、優しくされるのは辛い。


 雨に濡れた長崎の坂道をオーナーの車で下りながら、そんなことを考えていた。

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