october.22 『魔王と甘菓子』
月日は巡り、あっという間に十月となる。
文化祭の準備やレポートの提出など忙しくしている中で、café 小夜時雨での勤務は癒しの時間となっていた。
最近はお客さんも増えつつある。
銀行営業マンの飯田さんが、各所で宣伝してくれているからだ。
来てくれるのは主に近所の方々で、両親と同世代のお客さんと交流も深めている。
驚くべきは、彼らの郷土愛だろう。
長崎の地を誇りに思い、伝統的な食べ物や風習を大切にする心は見習いたいなと思った。
変わりゆく環境だったけれど、オーナーだけは相変わらず。お店の中では無愛想。
けれど、仕事がある日は送り迎えしてくれるし、食事にも何度か行った。約束した夜景も見に行って、静かな中、堪能させてもらう。
諒子ちゃん曰く、これで付き合っていないというのはおかしいとのこと。
男性とお付き合いをしたことがないので、その辺は理解しかねる。
お付き合いと言えば、オーナーのことを気にしていた駒田さん。あのあとすぐに彼氏が出来たようで、そのあと追及をされることはなかった。ホッと一安心。
でも、反感を買ってしまったからか、あの日以降話をしていない。
それはまあ、仕方がないお話で。
オーナーと小夜時雨に興味をなくしたことへの代償だと思うようにしていた。
本日も雨。
秋口に入り、夜になれば若干冷えつつある。雨が降っているので、余計にそう感じていた。
営業中の札を持ち、傘を差して外にかけにいけば、男性の人影が。
「いらっしゃいませ――あ、飯田さん」
「日高さん、こんばんは~」
お店の門の前に立っていたのは飯田さんだった。
「もしかして、待っていました?」
「いえ~、今来たばかりで」
「だったら良かったです」
雨の勢いが急に強くなったので、すぐさまお店の中へ案内する。
本日のメニューはチョコレートのカステラとホットミルク。
飯田さんが空腹だと言っていた旨をオーナーに伝えれば、分厚く切ったカステラを三切れ、お皿に乗せていた。甘党なので、喜んでくれるだろう。
「うわ~、チョコレートのカステラ、初めて食べます」
飯田さんは嬉しそうに言いながら、フォークをカステラに滑らせていた。
「うん、美味しい」
思わず「ですよね~」と返したくなった。
オーナーの知り合いのパティシエールさんの焼き菓子は絶品。開店前に試食させてもらった。皮部分の、中双糖のザクザクとした触感と、ふんわりとした生地、濃厚なチョコレートの風味が口の中を楽しませてくれる。
「カステラ、好きでたまに食べたくなるんですけれど、一人暮らしで一本消費するのがなかなか厳しいなと思ってしまって」
「すごく分かります!」
スーパーとかコンビニとかに、食べきりサイズが売っているけれど、やっぱり熟練の職人が作るこだわりの味には勝てない。
もちろん、素朴な味のカステラも好きだけど、たまに贅沢な味わいのカステラが恋しくなるのだ。
「カステラはポルトガルから伝わったお菓子でしたっけ?」
「そうですね」
驚くべきことに、カステラはポルトガルのお菓子ではない。
カステラが生まれたのは十五世紀末、スペインの前身であるカスティーリア王国。
そこからやって来たお菓子という意味で、カステラと呼ばれるようになったとか。
当時はビスケットなどの硬いお菓子しかなく、メレンゲを使ったフワフワのお菓子は画期的なものだったらしい。
「カスティーリアをポルトガル語の発音で読んだのがカステラで、これが語源であると言うのが有力だそうです」
「他にも由来があるのですか?」
「はい、いくつか」
卵白を角が立つまで泡立て、その様子が城のように見えたことからお城のようなお菓子と呼ぶようになり、それを言いやすいように『かすていら』と表した、とか。
他にも、面白いなと思ったものもある。製造工程の中の卵白を泡立てる際に、空気を極限まで含ませよと説明した言葉、「バーテル・アス・クラークス・カステロ」の最後の単語が日本人の耳の残り、そこからカステラと呼ばれるようになったとか。
「バーテル・アス・クラークス・カステロ、なんだか魔法の呪文みたいですね。カッコイイです」
「確かに、声に出して読みたい感じはします」
飯田さんも面白い由来だと言ってくれた。
話が盛り上がっていたら、オーナーがやって来る。
湯のみが載っている盆を持っていた。
「ああ、向井オーナー、こんばんは」
オーナーは無表情でどうもと返し、湯のみを飯田さんの前に置く。
梅昆布茶を淹れてきてくれたようだ。
「甘いもののあとにしょっぱいもの、たまりませんね」
一口啜り、ホッとしたように呟く飯田さん。
疲れているのだろうか、いつもより表情に陰があるように見えた。
オーナーも気付いたようで、どうかしたのかと訊ねる。
「実は、明後日に重要なお取引があって、成立する可能性が低く、憂鬱になっているわけです」
いつも飄々としている飯田さんでも、こんな風になってしまう日があるようだ。
なんでも、数回取引を持ちかけている相手で、誰も陥落出来ていないとか。
「本部からの左遷かと思われているのかもしれませんが、実は長崎支店の営業不振が続いていたので、昇進とともにこちらに来ることになって」
「栄転だったのか」
「実は、そうなんです」
期待を背負ってやって来ているので、失敗は出来ないと飯田さんは言う。
「手土産にカステラは単純過ぎますよね?」
「土産は気持ちだろう」
「そうは思うのですが」
長崎らしく、少しでも会話が盛り上がるような品を贈りたいと飯田さんは言う。
何度取引を持ちかけても応じない相手。
とても頑固な人なのか。
そういう人の心を一日やそこらで解すのは、難しいだろうなと思う。
オーナーは腕を組み、眉間に皺を寄せて考えごとをしていた。
長崎名物――カステラに五山焼き、よりよりにシースケーキ、パンドウス。
甘菊は珍しくて喜ばれそうだと思ったけれど、あのお菓子は予約販売が主で、数ヶ月待ちは当たり前。簡単に手に入る品物ではないと諒子ちゃんが言っていた。
「……コンフェイトス」
「はい?」
謎の言葉を呟くオーナー。
飯田さんが、それも南蛮菓子ですかと質問していた。
「三大南蛮菓子の一つと言われている」
一つは言わずもがな、カステラ。
もう一つは、現在は佐賀の銘菓として有名な丸ぼうろ。
そして最後の一つ、コンフェイトスとは――
「金平糖のことだ」
コンフェイトスとは、ポルトガル語で『糖菓』を意味する言葉らしい。
小さな糖の粒を格として、糖衣を繰り返した角のある砂糖菓子、金平糖。これも室町時代に伝わった物だとオーナーが教えてくれた。
「なんでも、宣教師のルイス・フロイスが織田信長に献上したお菓子とも伝えられている」
織田信長にも渡したお菓子だと言えば、もらった方も嬉しいのではとオーナーは話す。
「ダイアモンド彫りの硝子壺に入った金平糖は、かの第六天魔王の心も掴んだ――のかもしれない」
「それは、素晴らしい!」
オーナーの話を聞きながら、飯田さんの表情がだんだんと晴れていくのが分かった。
金平糖が有名なお店も、紹介してもらっている。
「まあ、重要なのは土産ではなく、自身の交渉力」
「それは――そうですね。ですが、金平糖に勇気づけられました」
早速、明日にでも買いに行くと決心を表明する飯田さん。オーナーは検討を祈っていると言う。
「今日はありがとうございました。カステラは美味しかったですし、貴重なお話も聞けて、本当にここに来て良かったなあと」
深々と頭を下げ、また来ますと笑顔で話していた。後日、結果を報告しますとも。
「それでは、また」
「はい。またのご来店を、お待ちしております」
手を振る飯田さんをオーナーと二人で門まで見送る。
雨はいつの間にか止み、それに気付いたのと同時にcafé 小夜時雨は営業を終了させた。




