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August.17 『涼やかかな、かんざらし』

 小夜時雨さよしぐれに到着して気付く。今日は仕事着のワンピースを持っていないことに。

 学校の時はロッカーなどに入れておき、雨が降れば着替えて行ったりしていたけれど、今日は出かけ先からの出勤だったので、私服のままとなっていた。

 でも、ブラウスに長いスカートだから、ギリギリ大丈夫かな?

 そう思ってエプロンを身に着けてみる。

 全身鏡で見てみたが、なんだかカフェの店員には見えない。

 一応、オーナーに聞いてみたら、問題ないとのこと。

 ただの主婦っぽい感じは否めないけれど、まあいいかと思うことにした。

 本日のメニューの打ち合わせをしたのちに、café 小夜時雨はオープンとなる。

 雨の勢いはさらに強くなっていた。

 開店して十分と経たずに、お客さんがやって来る。


「いらっしゃいませ……あら、こんばんは」

「どうも、お久しぶりです」

「雨、凄いですね」

「ええ、本当に。今日もやられましたよ」


 お客さんはすっかり常連となった、銀行営業マンの飯田さん。

 折りたたみ傘しか持っておらず、両肩を濡らした状態だったので、お店のタオルを貸す。


 席まで案内をしていたら、またしてもお店の扉が開く音が。

 飯田さんにメニューの紹介をしたあと、急いで出迎えに行く。


「いらっしゃいませ~、あ、諒子ちゃん」

「……酷い目に遭った」

「あらら」


 二人目のお客さんはバイト帰りの諒子ちゃん。学校に忘れ物を取りにいっていた帰りに、雨に遭遇してしまったようだ。

 折りたたみ傘は持っていたみたいだけれど、この勢いなのであまり意味はなかった模様。

 諒子ちゃんは濡れた長袖パーカーを脱いで、Tシャツ姿になる。


「下は濡れてなくて良かったね」

「不幸中の幸いって感じだけど」


 諒子ちゃんにもタオルを渡し、席まで案内をした。


「ん~、今日のメニューは、『かんざらしとお抹茶』? かんざらしってなんだろう」


 本日のメニューは、長崎出身の諒子ちゃんも知らない物らしい。

 かんざらしは長崎県南東部にある島原市の銘菓だとオーナーが教えてくれた。


「凍り蕎麦ではないですよね?」

「はい。甘味ですね」

「へえ~、気になるなあ」


 当然ながら、東京からやって来た飯田さんも知らない。

 蕎麦のかんざらしとは、茹でた蕎麦を冬の凍える夜に外に出し、凍った物をそのまま乾燥させる工程を繰り返し、最後に天日干しをする物だとか。完成するまで二ヶ月をかかる、天然のフリーズドライ製法だという。香りが大変豊かで、特別な日に食べられていたごちそうだとか。

 長野県の郷土料理で、話を聞いていたら食べたくなってきた。お取り寄せが出来ないか、あとで調べようと決意を固める。


「それよりも、今日の日高さんは雰囲気が違いますね~」

「すみません、突然の雨で、こんな恰好に……」

「いえいえ、素敵ですよ。若奥様みたいで!」

「ありがとうございます」


 ここ最近、オバちゃん呼ばわりされていたので、若奥様は嬉しい!

 でも、諒子ちゃんは十代の女子大生を若奥様と呼ぶなと怒っていた。

 相変わらず、大人の男性相手でも容赦ないなと思う。飯田さんが気にしていないのが救いだろう。


 二人のやりとりを見ている暇はない。

 抹茶を点てなければならないので、厨房に戻った。


 オーナーは二名分のかんざらしを用意している。

 それは、水の都とも呼ばれる島原の湧き水で作った白玉を冷水にさらし、蜂蜜と中双糖きざらというザラメ砂糖で作った蜜をかけたもので、百年以上前に中国より伝わった伝統的な甘味なのだ。

 大寒の日に、材料となるもち米を水にさらすことから、『かんざらし』と呼ばれるようになったらしい。

 現在は、涼やかな見た目から『夏の冷菓』と呼ばれ、夏季限定で食べられる店も数多くあるとか。


 なんと、オーナーはわざわざ島原から湧き水を取り寄せ、白玉団子を作ったらしい。特製の蜜とトッピングの餡も、お手製だとか。


 そうそう。かんざらしに気を取られている暇はない。抹茶を点てなければ。

 二人分の薄茶の準備が終了したのと同時に、かんざらしが完成していた。

 澄んだ蜜に白玉団子が浮かぶ姿は大変涼やか。中心に盛られた餡も、彩りを美しくしている。

 抹茶とかんざらし、木のスプーンを漆器の盆に置き、手押し車で運ぶ。

 飯田さんと諒子ちゃんは、運ばれたかんざらしを見て、驚いた顔を見せていた。


「なんか、乾燥した物が出てくると思ってた!」

「私もです」


 乾燥の乾ではなく、寒気とかの寒でした!

 私もまだ食べていないので、どんなものかと興味がある。

 二人が食べる様子を、じっと見守ることにした。


「あ、美味しい!」

「すごく、上品なお味がしますね」


 ひんやりとした蜜とモチモチの白玉、丁寧に炊いた餡の相性は抜群らしい。

 ほどよい甘さで、白玉のツルリとしたのど越しも素晴らしいとか。


 二人はあっという間に完食してしまった。


「いやはや、今日も大変美味しゅうございました」

「ありがとうございます。オーナーにも伝えておきますね」


 飯田さんは島原に行くようなことがあれば、絶対に食べに行きたいと言っていた。

 営業で、各地方を回っているらしい。


「そういえば、飯田さん、随分とお肌が焼けていますね」

「そうなんです。実は営業焼けで――と言いたいところなんですが、釣りをしてこんな風になってしまいました」


 なんでも、お休みの日はレンタカーを借りて、釣りに出かけているらしい。


「長崎の海は良いですよね~。今の時季は黒鯛チヌアジ……。太刀魚タチウオが釣れるところもあるみたいで」

「いいですね~、新鮮なお魚」

「はい。刺身に煮付け、塩焼き、どれも美味しいですよ。明日、大島に行くんです」

「――大島!?」


 大島に食いついたのは諒子ちゃん。

 なんでも、有名な海水浴場がある場所らしい。


「海、行きたい!」

「でしたら、一緒に行きますか?」

「二人は嫌!」

「ははは。でしたら、日高さん、オーナーさんとご一緒してはいかがでしょう?」

「私はバイトも休みですし、ぜひとも行きたいのですが、オーナーは、どうですかね~~」


 海とオーナー。まったく合わないような気がする。行くのは明日と突然だし、インドア派にも見えるので、誘っても来ないような気がした。


「いや、乙ちゃんが行くって言ったら、オーナーさんも来ると思うよ」

「それはどうだか」


 一応、オーナーを読んで話を聞いてみることに。


 フロアに顔を出したオーナーは賑やかな飯田さんと諒子ちゃんを、目を細めながら見ている。今日もコンタクトはしていないようだった。

 大島に海水浴に行かないかと誘ってみれば、衝撃の一言が。


「盆を過ぎれば、海はクラゲが出る」

「えっ、そんな!」


 衝撃を受ける諒子ちゃん。クラゲ事情は知らなかったらしい。海水浴には十年ほど行っていなかったとか。

 そんなわけで、海水浴は勧められないと言うオーナー。

 若干お出かけ気分になっていたので、私もがっかりしてしまう。

 だが、飯田さんがさらなる情報を教えてくれた。


「でしたら、キャンプ場でバーベキューをしたり、カレー作ったりとかするのはどうでしょうか? 見どころなどもございまして、展望台からサスペンスドラマに出てきそうな立派な崖とかも望めるそうですよ」

「サスペンスドラマ並みの崖?」


 突然、崖に食いつくオーナー。

 バーベキューとかカレーじゃないんだと、突っ込みを入れる諒子ちゃん。


「いつ行く?」

「明日ですね」


 急過ぎると言いながらも、オーナーはお尻のポケットから手帳を取り出し、予定を確認している。

 しばしの沈黙のあと、「まあ、行けなくもない」と尊大な態度で参加を表明していた。


「だったら決まりですね!」


 大島は長崎県の中部にある西彼杵半島の近くにある島で、橋が架かっているので車でも行けるらしい。

 当日はオーナーが車を出してくれることになった。

 まさかのお出かけに心が躍る。

 明日を楽しみに、このあとのお仕事を頑張ろうと思った。


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