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August.16 『なつやすみの思い出』

 楽しい夏休み!

 だけど、今までのように能天気に過ごすわけにはいかなかった。

 課題はあるし、夏休みの半ばにある集中講義や、それについてのレポートも提出しなければならない。

 一番重要なことと言えば、アルバイトだった。

 当然ながら、夏なので雨があまり降らない。なので、小夜時雨さよしぐれでのお仕事はほとんど入らないだろう。

 しかしながら、収入の予定はないのに、欲しい物は山のようにある。お洋服に、アクセサリー、鞄に化粧品、靴など。挙げればきりがない。

 なので、物欲を解消するためかつ、何事も挑戦だと思い、朝から昼間のバイトを一件入れてみることにした。


 新しいアルバイトについて、オーナーには言っていない。別にかけ持ち禁止とか言われているわけではないけれど、なんだか浮気をいているようか気がして。

 でも、そういうことを考えるのも自意識過剰なので、余計に言えないでいる。


 諒子ちゃんには話をしていた。とは言っても、市民プールの駐車場でアイスを売っていることしか言っていないけれど。


 今日も朝の八時からお昼の十二時まで、頑張らなければならない。

 気合を入れて、熱中症と日焼け対策をする。


 売っているのはシャリシャリしていて、さっぱりとした味わいのアイス。

 長崎の人達に昔から愛されているものらしい。観光地やスポーツ観戦場、果ては車通りの多い道路の脇など、様々な場所で売られている。

 このアイスは、ヘラでお花の形を作って売るのだ。最初は時間がかかって大変だったけれど、毎日するうちに慣れてきた。

 小学生の男の子達にババアと呼ばれても、凹まずに頑張っている。


 お店は屋根付きの台車みたいなもの。販売をする時は、上にパラソルを差すのだ。


 ちなみに、装備は先輩から頂いた農作業で使うつばが広くて、後ろに日除けの布が付いている帽子に、首元はタオルを巻き、割烹着のような長袖の白衣を着る。下は長ズボン。


 アイスは百円とお手頃良心価格なので、飛ぶように売れる。

 小さな子ども達が笑顔で受け取ってくれて、お花綺麗ねと言ってくれたり、美味しいと言ってくれたりするのは本当に嬉しい。やりがいのあるお仕事だった。


 さきほど十一時のプール休憩を知らせる放送が聞こえた。もうすぐ勤務時間も終わりとなる。

 もう汗だくなので、一刻も早く家に帰ってシャワーを浴び、冷気の効いた部屋で読書をしたい。けれど、昼間からクーラーを入れていたら電気代が大変なことになる。親の脛を齧っている以上、なるべく負担はかけたくない。

 我慢をすれば熱中症になってしまうので、オシャレをしてお買い物に出かけるのもいいかなと思っている。お店はどこも涼しいし。

 昨日、母から誕生日のお祝いに、服が届いていたのだ。

 リボン付きのブラウスに、プリーツのロングスカート。

 スカートが薄いピンクで、他に合う服を店員さんと一緒に選ぼうかなとも考えている。


 プールの十分休憩が終わる放送が聞こえた。

 残りの勤務時間は十五分! 気合を入れ直し、お客さんが来たのでヘラを握って挨拶をする。


「いらっしゃいませ、こんにち……は?」


 お客さんは男女二人組だった。

 デートですか、いいですねと内心思いながら声をかけると、思考が停止してしまった。

 何故かと言えば、目の前に立っていたのが、諒子ちゃんとオーナーだったから。


「――あ、やっぱ乙ちゃんだったんだ! あはは、なんでオバちゃんみたいな服装してんの?」


 諒子ちゃんは完全防備な私を見て、大笑いをしていた。遠目で見て、私ではなくおばさんだと思っていたらしい。一方で、オーナーは私で間違いないと言っていたという。


 今日はコンタクトレンズでもつけているのか。よく見たら目が真っ赤。コンタクトを入れるのが苦手だから、いつも裸眼だとか? 普段眼鏡をかけていないことといい、謎が増える一方であった。


 いやいや、それよりも、このアイス売りの正装を見られたことは大変照れる。

 遠くからはもちろんのこと、近くで見てもババアとかオバちゃんとか呼ばれるので、なんとも言えない気分に。


 二人共、全国チェーン店のアイスクリームを、オシャレなユニホームで売っていると思っていたとか。

 長崎といえば、花のアイスではないのかと聞きたくなった。


「それはそうと、二人はどうしてここに?」

「乙ちゃんを見に。さっき、偶然コンビニで会って」


 諒子ちゃんがオーナーにうっかり口を滑らせてしまったらしい。なんてこった。

 ここでのバイトのことを、オーナーも知っていると思っていたとのこと。


「いやあね、黙っていようかとお口チェックをしていたんだけど、どうしても言えって、向井オーナーが、無理矢理……」

「アイス一個で簡単に喋ったけどな」


 知らないところで買収活動が起こっていたようだ。諒子ちゃんってば、口が軽い!

 でもまあ、オーナーだから喋ったことは分かっているけれど。


「乙ちゃんが可愛い恰好でアイスを売って、ナンパでもされていたら大変って話になってね、こうして駆けつけたんだけど、さ……」


 こちらをちらりと見て、再び噴き出す諒子ちゃん。


「お、乙ちゃん、いいね。すごく似合ってる!」

「嬉しくな〜〜い!」


 オーナーは呆れた顔をこちらに向けていた。


 その後、二人はしっかりとアイスを買ってくれた。ヘラで作った花の形も褒めてもらう。

 もう終わりだと言えばオーナーが車で送ると言ってくれたけれど、汗だくなので全力でお断りをした。


 諒子ちゃんはこのあとバイトらしく、この場でお別れとなった。オーナーは家に帰ると言う。

 二人を見送れば、本日のバイトの終了を告げる、正午を知らせる音が鳴り響いた。


 楽しそうにはしゃぐ子ども達の声を聞きながら、交代のバイトさんに引き継ぎをし、化粧室で汗を拭いてから帰宅をすることになる。


 家に辿りつけば、わき目も振らずにお風呂でシャワーを浴びる。

 その後、クーラーのスイッチを入れて昼食を食べることにした。メニューは、昨晩の残りのソーメン。冷蔵庫に入れていたので、キンキンに冷えている。上から麺つゆをかけ、手と手を合わせていただきますをする。ソーメンで、火照った体を冷やすことになった。


 午後からは一日のノルマである課題に手をつける。

 途中船を漕ぎかけ、お昼寝とかしちゃったけれど、頑張って本日の分は達成。ノートをそっと閉じた。


 このあとは駅の近くにあるショッピングモールに行くために着替えをした。

 母からもらったブラウスにスカート。化粧は薄く施し、髪の毛はハーフアップにして、お団子にした。

 時刻は十六時過ぎ。ちょっと遅めのお出かけかなと思ったけれど、夏なので十八時過ぎまで明るいだろう。


 マンションから路面電車でショッピングモールまで移動する。

 とりあえず、何か本を買おうと思い、三階にある行きつけの書店に向かった。

 新刊コーナーをうろついていれば、隣に東雲洋子先生の本がずらりと並んだピックアップコーナーが出来ていた。

 それだけでも嬉しいのに、驚愕の事実が発覚する。

 探偵・中島薫子シリーズが舞台化決定と書かれた帯が巻かれていた。

 うわ、びっくり!

 まだ詳細は書かれていなかったけれど、すごいことだと思った。

 世紀の美女である薫子はどの女優さんが演じるのか。女装家であり、助手である川島はどの俳優さんを選ぶのか。わくわくドキドキしながら、帯を何度も読み返した。

 嬉しくって、すでに持っている一巻を買ってしまう。

 そんな、ふわふわと浮かれている私を、覚醒させるような風景が窓の外に広がっていた。


 ――突然の雨!


 それと同時に、鞄の中からドスの効いた猫の鳴き声の着信音が聞こえてきた。オーナーからの連絡だ。

 さっさと店に来いという業務連絡だろうと、メールを開く。

 内容は、想像していたものとまったく違った。


 ――今日は来なくてもいい。炎天下の下でのバイトで疲れているだろう?


 気遣いのメールに、心が温かくなる。

 バイトからの帰宅後、遊びに行くくらいなので、疲れてなんかいない。むしろ、オーナーに会いたいです――なんてことは書かずに、大丈夫です、元気です、稼がせてください! と打って、出勤する旨を伝えた。


 時刻は十八時過ぎ。雨のせいで、夕方とも夜とも言える明るさだった。

 コンビニで傘でも買って、路面電車で向かうと伝えたけれど、オーナーはショッピングモールの駐車場まで迎えに来てくれた。


 昼間のコンタクトが辛かったからか、今日は眼鏡姿で現れる。

 助手席に座り、その姿をまじまじと眺めてしまった。


「オーナー、あの、ずっと気になっていたのですが」

「なんだ?」

「普段、どうして眼鏡をかけないのですか?」

「それは――」


 言いたくなかったらスルーして下さいと言ったけれど、オーナーは手招きして近う寄れと言わんばかりの仕草を取る。

 身を寄せれば、耳元でそっと囁いてくれた。


「――何年か前、サラリーマンをしていた時代に『経理部の小姑眼鏡野郎』って呼ばれて、微妙な気分になったから」

「それはそれは」


 新事実! オーナーにもサラリーマン時代があったようだ。

 それにしても、『経理部の小姑眼鏡野郎』だなんて、失礼ながら、ちょっと笑ってしまった。ジロリと睨まれてしまったが、我慢出来なかった。

 落ち着いたあと、重ねて質問をする。


「経理部の小姑って、どんなことをしていたのですか?」

「他の部署の経費申請におかしな点があれば指摘を――いや、そんな風に言われるような仕事はしていない、断じて」

「な、なるほど!」


 なんとなく、文字や数字のミスの発見など、得意そうに見えてしまった。


「でも、裸眼だと、いろいろと不便じゃないですか?」

「まあ、不便と言えば不便」


 眼鏡、とても似合っていますよと言えば、意外そうな目で見られた。

 だが、すぐに真顔に戻る。


「なんだ、点数稼ぎか?」

「へへ、実は!」


 なんて、冗談を言っていたら、車にエンジンがかけられ、ゆっくりと走り出す。

 駐車場を出れば、窓にポツポツと雨粒が落ちてきた。


 オーナーはザアザアと降る久しぶりの雨を、天の恵みだと呟く。


 私も、一日に二回も逢えたから、嬉しい雨だなと思った。


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