July.13 『希少な伝統菓子、甘菊』
七月に入っても、相変わらず雨はザアザア。梅雨明けは中旬から下旬の予報。
けれど、稼ぎ時だと言って喜んでいる場合ではなかった。下旬からは春季定期試験が行われる。よって、バイトに行っている暇などなかった。
オーナーに言えば、好きにしろと言ってくれた。まあ、週に一回くらいは来ても……と言いかければ、試験勉強に集中しろと怒られてしまったのだ。
一人でお店番するの大丈夫かなと思ったけれど、口にしたらまた怒られそうだったので、そのまま頷くだけにしておいた。
バイトに行かなくなって早二週間。
勉強は捗っているし、友達とも何度か遊びに行く余裕もあった。
夕方からのサークル活動にも終わりまで参加出来たし、早い時間に眠れるのも嬉しい。
これが充実したキャンパスライフだと思っていたのに、雨の日に小夜時雨に行かなくていいというのは、物足りないというか、なんというか。
息抜きに東雲洋子先生の本を読み、ふと思い出す。今回、バタバタしていてファンレターを出していなかったことに。
このまま忘れたらいけないので、時間を見つけて書くことにした。
今回、久々の新刊とあって、手紙の内容も長くなってしまった。しっかりと文章に誤字脱字がないかチェックし、封筒に入れて封をする。買い置きしていた切手を貼り、ポストへ投函。あとは、先生の元に無事に届きますようにと祈るばかりであった。
一週間後、春季定期試験が始まる。
初めてのテストで、緊張していた。単位にも影響すると聞いたので、余計にそう思うのだろう。
オーナーがバイトを休ませてくれたお蔭で、しっかり勉強できた。大丈夫だと自らを励ましながら試験に臨む。
五日間にも及ぶテストはつつがなく終わった。自己採点だけど、結構いい感じだったように思っている。
テストが終わったことをオーナーに報告しようかなと、スマホでメッセージを打っていたけれど、プライベートなことなので、送っていいのかと躊躇う。
事前に期間はいつからいつまでということは知らせていたのだ。なので、わざわざ言わずとも、オーナーは把握している。じっとスマホの画面を注視していたら、諒子ちゃんが話しかけてきた。
「乙ちゃん、テストどうだった?」
「結構いい感じかも」
「さすが、バイト断ちしていた猛者」
「夏休み、休んだ分頑張らなきゃなあって」
「だよね~」
諒子ちゃんはカラオケ屋さんでバイトしている。今回、友達みんなで働いている姿を視察に行ったのは、本当に楽しかった。
「あそこのカラオケ屋さん、デザート系が充実していていいよねえ」
「作る方は大変だけどね。ちょっとでも遅くなれば、コールで苦情がくるし」
「うわ、大変。私だったらテンパりそう」
「おっとりしてるもんね、乙ちゃん」
「いや、おっとりじゃなくて、のんびり屋と言うか」
「おっとりだって」
おっとりかのんびり屋かはどちらでもいいとして、小夜時雨のメニューはとてもシンプルで、私にも難なく用意出来る。
基本的に、時間に余裕がない人はあの店に来ないのだろう。準備に手間取って、オーダー品のお届けが遅れても、にこにことしながら待っていてくれる人が多い。とてもありがたいバイト先であった。
「そういえば、昨日雨だったじゃん。で、小夜時雨でテスト勉強しようと思って、行ったわけよ」
「――あ!」
「どうしたの?」
「いや、私も行けば良かったなあと」
客としてなら、私もお店に行けたのだ。ここ一ヶ月、小夜時雨断ちをしていて、行きたくなっても我慢をしていたのに、がっくりと肩を落とす。
「誘えば良かったね」
「うん」
「でもさ、なんか声かけづらかったと言うか」
テスト勉強に燃えているように見えていたとのこと。そんなことはまったくないと否定しておいた。
「あ、でね、小夜時雨、オーナーさんが接客していて、怖いのなんのって」
「う、うわ~~」
諒子ちゃんは目を細め、眉を指先で寄せて、こんな顔でオーダーを聞きに来たと語る。あの店絶対繁盛しないわ~とも言っていた。
「で、思ったんだ。あのお店には、看板娘たる乙ちゃんが絶対必要だってね」
「あ、うん。ありがとう」
オーナーはいつもより疲れた様子だったらしい。慣れない仕事が続き、疲弊しているのか。心配になる。
「今日はこのあと着物サーだっけ」
「諒子ちゃん、その略し方はちょっと」
「今日は、着物サークルでございますか?」
「そうだけど」
「だったら、着物姿で会いに行ってあげなよ。多分元気になるから」
「オーナーが、着物姿を見て元気に? いや、それはどうだろう」
「なるって、絶対に」
「じゃあ、何か手土産でも持って――」
「あ、それ、私に任せて! 親に頼まれて、今から買いに行くから、乙ちゃんの分も買ってきてあげる!」
「え、いいの?」
「いい、いい。とっておきのお菓子だから、仏頂面のオーナーも絶対に喜ぶと思う」
とっておきのお菓子! それは私も気になる。
でも、今日は雨じゃないので小夜時雨は営業していないの。行っても迷惑じゃないのかと思う。
「違う、違う。仕事じゃなくて、デートに誘うの」
「な、なんで!?」
「乙ちゃんの片想いの相手って、あのオーナーなんでしょう?」
「ま、待って、そんな、ちょっと、片想いって――え?」
以前、諒子ちゃんにバイト先のことを誤魔化すために、好きな人が居ることにしておいたことを思い出す。その話をまだ覚えていたのかと、びっくりしてしまった。
「好きなんでしょう?」
「え、ちが」
「バイト行かなくなってから、雨の日は物憂げに溜息ばかり吐いているし、スマホでオーナーさんにメッセージを打っては消してを繰り返していたし」
「うわ、な、諒子ちゃん、見てたの?」
「見てた!」
諒子ちゃんはジリジリと、私を追いつめてくる。
「い、いや、違うんだけど。私の好きな人は……」
そこから先が、どうしてか言葉に出来ない。
思わずもじもじしてしまえば、諒子ちゃんが意地悪そうな顔で私を覗き込んできた。
「乙ちゃんってば、前は言えて、今は言えないのはどういうことなのかな~?」
「うっ!」
「認めなよ、素直にさ」
私は、向井オーナーのことが……
「好き、なのかも、しれない」
言葉にしてみれば、ここ一ヶ月のモヤモヤがすとんと腑に落ちたような気分になる。
今になって自覚したが、私はオーナーのことが好きなのだ。
小夜時雨で働きたいから、寂しかったり物足りなかったりしていたと思っていた。けれど、違った。私は、単純にオーナーに会いたかっただけなのだ。
「……でも、オーナー、片思いの相手がいて」
とびきり美人で、優しくって、いつかあんな大人になりたいと、憧れるくらいの素敵な女性。
「付き合っているわけじゃないんでしょう?」
「そうだけど、メルアドとか、その女性の名前が入っているし、ガラケーだったから、多分ずっと想っていたんじゃないかな?」
「大丈夫! その人よりも、乙ちゃんの方が絶対いいから」
「はは、ありがとう」
なんか、諒子ちゃんってすごいなって思う。
前向きだし、行動力もあるし、友達想いだし。普通、他人のためにここまで熱くなれないよなあと。嬉しくて、ちょっとだけうるっとなってしまった。
「メッセージ、打てる? 着物着て、デートに誘って、私の方がいいんだって、アピらなくちゃ」
「アピール出来るかは分からないけれど、メッセージは送ってみる」
「今すぐね」
「はい」
諒子ちゃんに見張られた状態で、オーナーにメッセージを打つ。
――こんにちは、お久しぶりです。今晩、会えませんか?
それだけの、シンプルなものだった。
震える手で、送信ボタンを押す。
「よし!」
諒子ちゃんはよく頑張ったと言って褒めてくれた。
ちょっとだけ照れくさくなる。
「じゃあ、乙ちゃんは着物サーに行っておめかしをして、私はこれからとっておきの和菓子を買いに行くから」
「本当の本当に、いいの?」
「いいの!!」
そう言って元気よく駆けて行った。
その後ろ姿を、ほうを息を吐きながら見送ってしまった。
◇◇◇
今日、着る着物は、祖母から譲り受けたもの。盛夏用の薄物だった。
淡い水色で紫色の小花が描かれ、帯も薄い緑。全体的に涼し気なデザインとなっている。初夏にぴったりな一式と言えよう。
みんなで着物の柄を見せ合い、キャッキャしながら着付けをして、最後に写真を取り合って終了。
サークルの集まりが解散となってから、オーナーにメッセージを送っていたことを思い出す。
あんなに緊張しながら送ったのに、まったく図太いものだと我ながら呆れる。
スマホを見れば、メッセージが一件入っていた。
ドキドキしながら空ける。
返事の内容を見るのが怖くって、思わずぎゅっと目を瞑ってしまった。
けれど、いつまでもこうしているわけにはいかないので、瞼を開く。
オーナーからの返事は――
――何時に迎えに行けばいい?
なんともシンプルな一言だった。
それを見た瞬間、喜びと安堵と緊張と、さまざまな感情が押し寄せてくる。
よくよく見たら、オーナーはすぐに返信をしてくれていたようだ。
慌てて返事を送信する。
それから、諒子ちゃんにも報告した。お菓子は私のロッカーに詰めているとのこと。
急いで取りに行く。
買って来てくれたお菓子は、長崎でも滅多に販売していない、『甘菊』というものらしい。
時間があったので調べてみれば、販売しているお店は一軒だけ。さらに、作られるのは年に七回ほど。予約での販売がほとんどで、店頭に出ることはほとんどないとか。
甘菊とは、餅を薄く伸ばして干し、炒って生姜風味の白砂糖のすり蜜をかけ、さらに乾燥させたお菓子。
販売しているサイトで、製造工程を見て驚いてしまった。
餅をつくのは年に一回、冬の寒い時期のみ。それを寒空の下で一~二ヶ月じっくり干す。
乾燥させた餅を丁寧に炒り、糖蜜をかけて乾燥することを数回繰り返す。
最後に、二週間ほど乾燥させれば完成という、気の長くなるような工程のあるお菓子だった。
諒子ちゃんってば、本当にとっておきのお菓子を持って来てくれた。
私はそれを風呂敷に包み、ぎゅっと抱きしめる。
そして、気合を入れ直し、待ち合わせの場所に向かうことになった。




