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June.12 『cafe 小夜時雨は大繁盛?』

 今日もcafé 小夜時雨はお客がいなかった――なんてことはなく、奇跡が起こって三つある席はすべて埋まっていた。

 とは言っても、一つは諒子ちゃん、もう一つはすっかり常連になっている銀行営業マンの飯田さん。かなりの割合で知り合いも含まれている。けれど、もう一人は若い女性だった。観光客みたいで、この辺りをふらりとしているうちに雨に打たれ、逃げ込むようにやって来てくれたらしい。東京から来た美大生だと言っていた。


 お店のコンセプトなどを説明すれば、面白いですねと言ってくれた。

 本日の品目は角煮まんじゅうと工芸茶。

 オーナーは蒸し器の前で腕を組み、じっと生地がふんわりと蒸し上がるのを待っている。


 私はお茶の準備を始める。

 本日は工芸茶と呼ばれるものを出す。これは茶葉に細工を施し、お湯を注げば湯の中で花が開花したように見える美しいお茶だ。これはガラスのポットを使って淹れる。


 まずはポットにお湯を注ぎ、中を温める。しばらく経てば、お湯を捨てる。

 この状態でお客様のところへ持って行った。


「お待たせいたしました。こちら、工芸茶になります」

「あ、テレビで見たことがあります。お湯の中で花が咲くお茶ですよね」

「はい。東方美人という、ジャスミンティーです」


 ポットの中に少しだけ湯を注ぎ、大きな種のような塊の茶葉を入れる。

 その後、ゆっくりとお湯を注いだ。


 美大生の女性は写生帳らしきものを取り出し、紙に鉛筆を滑らせている。

 一、二分ほど経てば、綺麗に茶葉が開ききるのだ。

 温めたカップを持って行けば、ちょうどお茶の花が開花しているところだった。


「わあ、綺麗ですね……」

「ですね~。名前にある通り、美容にもいいそうですよ」


 ポットの中では、茶葉の蕾が開き、菊の花を土台にして連なった、五つのジャスミンが咲いていた。


 茶葉の色が出たら、カップに注いで差し出す。

 女性は一口お茶を啜り、ホッとしたような表情を見せていた。

 そろそろ角煮まんじゅうが蒸し上がっているころだろうと思い、厨房へと足を運んだ。


「オーナー、出来ましたか」

「もう少し待て」


 了解ですと言って、その場で待たせて頂く。


「今日は、お客さんがたくさん来ましたね」

「半分以上は顔見知りみたいだが」

「でも、嬉しいです」


 ゆっくりと過ごしてもらいたいので、行列が出来るお店になりたいとは思わないけれど、一日に三、四組くらいは来て欲しいなと思う。

 だって、ここは素敵な喫茶店で、出て来るお菓子や料理はとても美味しい。飲み物も、オーナーがこだわって取り寄せているので、是非とも味わっていただきたいのだ。


「お客様、工芸茶をとても喜んでいました。美大生みたいで、スケッチしていましたよ」

「それは良かった」

「とても気さくな方でした。少し、お話してきますか?」

「いや、いい」

「そうですか……」


 やっぱりオーナーは、日々刺激を求めているようには見えない。というか、本当に書道の先生をしているのかも、怪しいところだと思った。


 ここの洋館は、今まであったものを改装したのではなく、新しく造ったと聞いたことがあった。これだけ豪華なお店を構えることが出来るので、かなりのお金持ちであることに変わりはないが。一体何者なのか。


「……おい、何を考えている」

「オーナーについてです」

「は?」

「なんだか、謎が多いなあと」

「……」


 正直に言えば、押し黙るオーナー。

 追及するのはいけないことなので、そのまま会話は終了となる。

 角煮まんじゅうもどうやら蒸しあがったようだ。

 お皿に盛りつけ、お客様のもとへと運んで行った。


「お待たせいたしました。角煮まんじゅうです」

「へえ、これが角煮まんじゅう」


 街の至る場所で角煮まんじゅうののぼりが出ていたので、気になっていたらしい。


「ああいうの、たくさんお店があったら、どれを買っていいのか分からなくなるんですよね」

「分かります」


 私も、この前友達と広島旅行に行った時に、お土産屋さんで大量のもみじ饅頭が売っていて、どれを買えばいいのか迷ってしまった。散々迷った挙句、友達とばら売りしていたもみじ饅頭を買って試食をし、各々気に入った物を買って帰ったのだ。


 豚をトロトロになるまで煮込んだ東坡肉とんぽうろうという料理を、楕円形に作ったふかふかの皮に挟んだものを角煮まんじゅうと呼んでいる。東坡肉とんぽうろう卓袱しっぽくの一つで、手軽に長崎伝統の味を知ってもらおうと、中華街などで広まっているらしい。


「こちら、お好みで辛子をどうぞ」

「ありがとうございます」


 東坡肉とんぽうろうは甘めの味付けなので、辛子を付ければまた違う味わいになる。

 私も大好きな長崎の伝統料理の一つであった。

 まだ、すべての卓袱料理は食べていないけれど。


 角煮まんじゅうをたべたあと、またしても彼女は写生帳に絵を描き始めた。どうやらカフェの内装を描いている模様。

 スマホで写真を撮ったら一瞬なのに、それはしないと言っていた。美大生の鏡みたいだと思ってしまう。


 給仕が終わったところで、漫画を読み終えた諒子ちゃんが会計をお願いする。

 同時に、飯田さんも便乗してきた。


 飯田さんは諒子ちゃんの隣に並び、話しかけていた。


「夜も遅いことですし、暗いので不審者が出るかもしれません。よろしかったら、駅までご一緒しませんか?」

「え~、あなたが怪しいんですけれど~」


 諒子ちゃんの失礼な発言にも、飯田さんは爽やかに笑うばかりであった。

 二人は何度かここで会っており、顔見知りなのだ。

 会計を終えた二人は、仲良く並んで帰って行った。


 内装をスケッチしていた美大生の女性にも、声をかける。


「そろそろ終電のお時間ですが、大丈夫ですか?」


 タクシーという選択肢もあるが、まずは長崎の電車事情について伝えた。東京に比べて、終電時間が早いのだ。路面電車に至っては、十一時過ぎが終電となる。


「あ、電車で、帰ります!」


 慌てた状態での会計となった。


「明日は、雨ですかね?」

「予報では雨みたいですよ」

「でしたら、また来ます」

「嬉しいです!」


 どうやら、お店をお気に召してくれたようだ。


 美大生の女性が帰ったあと、外の様子を見に行く。雨は止んでいたので、営業中の看板を取った。


 掃除をして、帰宅の準備をする。

 今日こそはタクシーを呼ぼうとしたけれど、オーナーが家まで送ってくれると言い出した。


「あの、今日はタクシーで帰り……」


 この前の事件があってから、送り迎えは全部車でしてもらっていたのだ。いい加減、厚意に甘え続けるのも申し訳なく思う。が、オーナーは机の上に置いていた私の鞄を持って外に出て行ってしまった。


「あ、待ってください!」


 結局、車での送迎を受けることになった。


 オーナーの車は軽。細い道が多いので、普通車よりも軽が運転しやすいらしい。


「運転、お上手だと思うのですが」

「対向車が来た時に、気になる」

「なるほど」


 相手を思いやっての選択らしい。意外と繊細なところもあるものだと思った。


「お前、夕食は?」

「……ご飯と、ふりかけと、サラダを作って、お魚でも焼こうかなと」


 お米は研いでいない。若干面倒だなと思う。コンビニでお弁当を買うことも出来るが、食材が家にあるのに勿体ないかなと思ってしまう貧乏脳。


「――ん?」


 車がいつも曲がる道を通過した。

 オーナーの顔を見ても、しれっとした表情で居る。


「オーナー、すみません、次の道を右折してもらえますか?」


 間違えましたよとは指摘せずに、やんわりとお願いをしてみるが、次の曲がり角も直進してしまった。


「お、オーナー……?」

「ラーメンを食いに行く」

「ラーメン、ですか?」


 なんという俺様行動。

 突然食べたくなったらしい。


 まさか高級でおしゃれなラーメン店に連れて行くのでは、このセレブめ! と警戒していたが、普通のどこにでもあるラーメン屋さんだった。


 店内は、私達意外に客はいなかった。

 メニューを開けば、醤油に味噌、豚骨と、種類も豊富。

 餃子もエビ入りに大葉風味、キムチ味とさまざまな種類がある。


「う~~ん。やっぱり豚骨……味噌も捨てがたいです」

「二杯食べてもいい」

「食べられるように見えますか?」

「さあ?」


 迷いに迷った結果、味噌ラーメンにもやしとコーン、バターのトッピングを追加する。オーナーは醤油ラーメンを注文していた。餃子はエビ入りの物に決めた。


 ラーメンも餃子も、素晴らしく美味しかった。

 空腹時に食べるラーメンは身に沁みる!


 けれど、十二時の針が刺した時計を見て、戦慄を覚えた。

 こんな時間に食べたら、確実に太る。


 深夜に食べるラーメンは、罪と絶望の味がした。


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