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April.1 『カステラではなく、五三焼き』

 オランダ坂と呼ばれた石畳の坂を上った先に、私の通う大学がある。

 駅から徒歩七分と聞こえはいいけれど、心臓破りの急角度な坂をゼエハアと息を切らしながら登らないといけないのだ。

 オランダ坂というのはその昔、長崎県の異国人居留地だった場所で、そこを通る異国人のことを地元住民は「オランダさん」と気さくに呼んでいた。そのオランダさんがたくさん通るから、ここはオランダ坂と呼ばれていたらしい。

 オランダ坂には、異国人が住んでいた当時の名残が残っている。その代表格が領事館や貿易商人であったトーマス・ブレーク・グラバーの木造洋風建築だろう。

 グラバーさんは入場料を払わないと見られないけれど、それ以外の通称「東山手甲洋館群」と呼ばれるものはオランダ坂の至る場所にある。洋館は資料館になっていたり、交流館になっていたりする。

 ここに来たばかりの頃は、洋館をスマホで撮りまくっていたけれど、今は洋館を気にも留めず、オランダ坂を攻略することに意識を集中していた。


 東京から引っ越して来て、長崎にある女子大学に入って半月ほど。充実した毎日を過ごしている。何故、遠く離れた大学を選んだかといえば、祖母と母が通っていた母校で、かつ、一人暮らしをしてみたいと思ったからだ。


 急激な坂を昇った先にあるのは、キリスト教宣教師が創立した女子大。

「女子に最高水準の教育を」をモットーに、厳しい規律の中で学業に励んでいる。

 その昔はズボンを穿いて来るのも駄目、男女交際も禁止だったらしい。

 現代になって、お嬢様校という印象は薄れているけれど、特別な場合を除いて男性は校内進入禁止になっているし、寮の門限も十時半ときっちり決まっていた。

 幸い、私は両親が駅の近くのマンションを用意してくれたので、悠々自適な生活を営んでいた。

 ただ、毎朝オランダ坂を昇らなければならないので、寮の子のスクールバスが羨ましく思ってしまう。寮生の友達からすれば、贅沢な話みたいだけど。


 今日は夜のオランダ坂を昇っていた。

 何故かと言えば、学校のロッカーにスマホを忘れてしまったからだ。

 スマホがないと大変不便で、それをひしひしと痛感してしまった。

 今日はバイトの面接の日だった。

 指定された時間通りに行ったのに、担当者が居らず、事務員さんみたいな人に「電話で変更の連絡をしたんですけどね」と棘のある言葉を投げかけられた。その時、スマホを学校に忘れてきたことに気付く。

 一時間、その場で担当が帰って来るのを待って面接をしたけれど、連絡がつかなかったことを理由にその場で不採用となった。

 時間を掛けて丁寧に書いた履歴書も、ほとんど目を通さずに突き返されてしまった。

 そんなことがあったものだから、余計にこの坂を昇るのも辛い。

 ようやく学校に辿り着き、事務所の人に事情を説明してスマホを取りに行く。

 着信が十件も入っていた。全て面接を受ける会社からだった。

 はあと、大きなため息を吐く。

 学校から出てくればパラパラと雨が降り始めた。最悪。

 鞄の中から折りたたみ傘を挿し、街灯に照らされた道を歩くことになった。


 とぼとぼとした足取りで石畳の坂を下る。

 硬い石の通りは地味に膝に響く。

 半月上り下りを繰り返しても、足がガクガクになってしまうのだ。

 夜の雨の中、坂を下るのは苦行とも言える。

 暗い中激しく降る雨。

 目の前に広がる光景は、私の心情を映し出しているようだと思った。


 時刻は八時半。

 夕食を食べなければいけないけれど、食欲がない。

 コンビニでおにぎりの一つでも買って詰め込むしかないと考えていた。


「――ん?」


 ふと我に返れば、周囲の景色が違うことに気付く。

 考えごとをしているうちに、普段通らない道に迷い込んでしまったようだ。

 私は地元の人間ではない。どちらかと言えば、方向音痴だ。

 暗い中、一人でぞっとする。

 道の先に、灯りが点いた家が見える。そこで道を聞こうと、早足で向かった。

 そこは二階建ての洋館で、青い屋根に白い壁の可愛らしい外観をしていた。

 門の前には看板がある。


 ――Café 小夜時雨さよしぐれ


 どうやらここはお店のようだ。せっかくなので、道を聞くついでにここで雨宿りをすることにした。

 入口で折り畳み傘を畳み、コンビニのビニール袋に入れて鞄に入れる。

 扉の持ち手には「営業中」という達筆な文字で書かれた木札がかかっていた。

 扉を開けば、カランと音が鳴る。

 入ってすぐは玄関になっていた。元々お店ではなく、洋館をそのままの形で使った店なのだろう。

 誰か来るのかと待っていたけれど、誰も来ない。勝手に入るのもなんだと思ったので、声を掛けてみる。


「……ごめんくださ~い」


 返事はない。

 もう二回ほど声を掛けたら、奥から足音が聞こえた。

 出てきたのは 、背が高くて、神経質そうな感じの男の人だった。

 年頃は二十代後半くらい。黒いシャツに黒いズボンを纏っている。イケメンだなと思っていたら、ジロリと睨むように見られて、少しだけびっくりする。なんと言うか、失礼かもしれないけれど、接客業を営んでいる人には見えなかった。

 視線が交わえば、すっと目が細められる。

 心の中を読まれているのではと思い、ドキリと胸が高鳴った。まったく歓迎されていない気がして、営業していますよね? と聞いてしまった。

 男の人はコクリと頷いている。

 何も言わずに踵を返していた。ついて来いということなのか。

 私は彼のあとに続いた。

 まっすぐに伸びた廊下を進めば、客室のような場所に行きつく。

 真珠のような白い壁に、チョコレート色の床。花柄のテーブルクロスが掛かった丸い机が三つほどある。

 私の背丈ほどもある大きな窓からは庭が見渡せるようになっているようだ。あいにくの夜で、眺めることが出来ないけれど。


 周囲を見渡しても、店には見えない。

 個人の家にお呼ばれしたようで、妙な緊張感を覚えてしまう。


 ふと、白い壁に何か貼っていることに気付いた。

 よく見ればそれは半紙で、達筆な文字で書かれていた。


 ――本日の品目 五三焼き、温かい酪奬


 もしかして、あれがメニュー? どちらとも馴染のない物だった。

 メニューを凝視していたら、奥からカチャカチャという食器の鳴る音が聞えてきた。

 先ほどの男の人が、手押し車に何かを載せてやって来た模様。

 やっぱり、頼める物は一品しかないらしい。注文しなくても、勝手に出てくるシステムのようだ。

 そうそう。

 五三焼きと温かい酪奬らくしょうって何? って思っていたけれど、しばらく待って机の上に置かれたのは、一切れのカステラとホットミルクだった。


 じっと眺めても、カステラとホットミルク以外の物には見えない。

 傍に居たお堅い雰囲気のお兄さんに質問をする。


「すみません、これってカステラですよね」

「それはカステラじゃなく、五三ごさん焼き」

「なんですか、その、五三焼きって」

「カステラの逸品をそう呼ぶ」

「へえ~~!!」


 五三焼きとは、特別なカステラとのこと。

 私は早速いただきますと手を合わせ、カステラにフォークの背を滑らせる。


「――!」


 それは、今まで食べたどのカステラよりも美味しかった。

 まず、皮に混ざったザラメのザクザクな食感が楽しい。生地はふんわりしていて、優しい甘さがある。口当たりは滑らかで、繊細な味わいだった。

 口の中の水分を吸い取ってくれるだけのカステラとは大違い。

 そんな五三焼きとホットミルクがまたよく合う。

 一口五三焼きを食べ、ホットミルクを飲む。至福の時間だった。

 あっという間に一切れ食べきってしまう。

 店員のお兄さんがまだ傍に居たことに気付き、恥ずかしくなってしまった。がっついているところを見られていたなんて。

 気まずい気分を誤魔化すために「美味しかったです」と感想を述べる。

 お兄さんは目を窄めるだけで、反応は返ってこなかった。

 残りのミルクをちまちま啜っている中で、お兄さんは部屋から出て行く素振りを見せない。微妙に気まずい。ここはこういう店なのか。

 沈黙は金雄弁は銀という言葉があるけれど、今日は銀を取ることにした。


「あのこれ、どうして五三焼きって言うのですか?」

「理由はいろいろある」


 まず、卵の配分が普通のカステラと違うらしい。

 卵黄が五、卵白が三。それが由来と主張する職人が多いとのこと。


「他に五味ごみを凌駕する菓子だと言う意味もあり……」

「ご、ごみ?」

「甘味、酸味、塩味、苦味、うま味の五つ」

「ああ、五つの味ですか」


 なるほど、五味ごみ五三ごさんに読み替えて、五三ごさん焼きだと。


「桐箱に詰めて贈ることから、桐の家紋である五三の桐にちなんで付けられたものだとも言われている」

「へえ~~」


 桐の箱に入ったお菓子なんて、貰った側は嬉しいだろう。

 バイトが決まって初給料が入ったら、東京に居る両親にプレゼントしたいなあと思った。


「そんな由来があったのですね。メモしてもいいですか?」

「勝手にすればいい」


 記憶があいまいにならないうちに、五三焼きについての手帳にメモを取る。

 これで、ドヤ顔で蘊蓄うんちくを語れるぞと、安心して手帳を閉じた。


 そろそとおいとましようと立ち上がったら、鞄を落とし中身をぶちまけてしまう。


「う、うわ、最悪!」


 中に入れていた本が濡れていた。雨の中にあった傘を雑に詰め込んでいたので、こういう事態になったようだ。

 それは十年前に発売した本で、絶版になっている。自分の雑な性格を恨むことになった。


「……それは?」

「もう売っていない、大切な本なんです」


 給食室の栄養士が主人公で、そこで働く人や、学校の生徒との交流を書いた心温まる一冊なのだ。東雲洋子さんという作家さんの作品で、ここ数年はミステリーがヒットして、こういう話は書いてくれないけれど、新刊は今でも楽しみにしている。

 その作家さんのデビュー作であり、貴重な初版本をうっかり濡らしてしまったのだ。

 カバーを外して状態を確認する。


「うわ、びっしょり……」


 なんだか泣きたくなる。

 肩を落としながら、床に落とした私物を拾って鞄に詰めた。

 そんな私に、店員のお兄さんは何かを手渡してくれた。


「あ、学生証! ありがとうございます」


 これを落としたら大変だ。頭を深く下げ、お礼を言う。


「今日は、もう閉店にする」

「はい、ごちそうさまでした。お代は?」

「――……」


 黙り込むお兄さん。

 もしかして、考えていなかったとか? まさかね。


「えーっと、二千円で足ります?」

「――……」


 まさか、超高級なお菓子なので、二千円程度じゃ足りないとか?

 ご、五千円位とか?

 だって、桐の中に入ったお菓子だ。高いに決まっている。

 わたわたしていたら、お兄さんはとんでもない一言を言ってきた。


「代金は、考えておく」

「え?」

「今日はいい」

「いや、そんなわけには」


 お金を受け取ってくれなかったので、名前と連絡先、大学名を書いたメモを渡しておいた。


日高ひだか乙女おとめ……?」

「はい、そうです」


 日高乙女ひだかおとめ。お父さんとお母さんが考えてくれた、なんとも言えない名前だ。乙女という名前に負けないことが、私の人生における目標だと思っている。


 店員のお兄さんはまじまじとメモを眺めていた。

 私は恥ずかしくなって、一礼をしたのちに店を出て行く。


 外に出れば、雨がやんでいた。数歩歩き、私はお店を振り返る。

 Café 小夜時雨さよしぐれ

 とても不思議なお店だと思った。


 それから三歩進んだあとで、道が分からなかったことを思い出し、再びお店に戻ることになった。


 お兄さんは迷惑そうな顔をしながらも、駅までの道を丁寧に教えてくれた。

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