6.燃える嫉妬
「くそっ、ちょこまかと……」
肩で荒い息をしながら第二王子ディストラードが睨みつけているのはトゥライア国王の客人、ラズ。二人の両手には訓練用の剣が握られており、ラズはそれを鞘に戻すと挑発的に笑ってみせた。
「戦いにおいて体格はハンディになりますからね。小柄なら小柄なりの戦い方というのがあるんですよ」
「ちっ。そんな御託はどうでもいい。一発殴らせろ」
「それはこっちの台詞です。ディストラード殿下」
「なんだと?」
ラズの言葉は下手をすれば不敬罪に値する。剣を握ったままのディンが言葉を荒げれば、それを見ていた周囲の騎士達はどうすべきかうろたえ始めた。
ここは騎士達が使用する剣の訓練場。ラズが今日の勉強を終えたディンを捉まえて話をしようとしたら、逆に腕を掴まれここまで連れて来られたのだ。どうやら彼は相当日頃の鬱憤が溜まっていたらしい。その原因はマリアベルの幼馴染であるラズにある。彼を剣で叩きのめしてやろうと意気込んだまでは良かったが、流石は近衛騎士の実力者ネイザン=ヴィフィアと引き分けた腕だけあって逆に遊ばれる結果となってしまったのだった。
額の汗を乱暴に拭い、涼しい顔をしているラズを睨みつける。だが、彼は王子である自分を恐れるどころか鼻で笑い飛ばした。
「マリアベルを泣かした責任は取ってもらいますよ」
「……は?」
マリアベルを泣かした? そんなことを自分がする筈がない。何を言っているのだこの男は。大体、彼女の涙などここに来てから一度も見ていない。いつも彼女は笑っているではないか。
そんなディンの頭の中を見抜いたのか、ラズの顔から笑顔が消えた。
「彼女が誰にも見えない所で一人泣いているとは思わないのですか?」
「どういう事だ」
「突然妃候補を名乗る女性と引き合わされて、彼女が困惑しないとでも?」
「あんなのただの候補だろ?」
「ったく、マクシミリアン殿下と違ってあなたは物分りが悪いですね」
「あぁ!?」
どんどん険悪になっている二人を見て騎士達が顔色を悪くする。傍にはネイもいたが、彼はラズを止めなかった。
「マリアベルの事情を知っているのは城の者だけです。妃候補からすればマリアベルは突然現れた邪魔者でしかない。そんな人間関係の中に一人放り込まれて、彼女が暢気に笑っているだけだとあなたはそう思っているのですね?」
「なっ……」
確かに言われれば晩餐での彼女は表情が硬かった気もする。てっきり慣れない城での生活に疲れが出たのかと思っていたが、ラズの言うことが本当ならリベリとの間に何かあったに違いない。
「くそっ! この決着は必ず付けてやるかな!!」
悪役のような台詞を吐いたかと思うと、持っていた訓練用の剣を放り出してディンは駆け出した。相も変わらずラズは悪者のようだが、まぁ良いだろう。彼のように一直線の性格は嫌いじゃない。
放り出された剣を拾い上げ、所定の場所に戻すとラズはネイを伴って自室へと戻って行った。
「ごきげんよう。ディストラード殿下」
感情のままに鼻息荒く歩いていたディンを甲高い声が呼び止める。内心舌打ちしながら、ディンは仕方なく足を止めた。
「また来たのか、リベリ」
「まぁ、そんなそっけないこと言わないでくださいまし。私はいつでも殿下のお傍に居たいだけですのよ?」
そう言って擦り寄って来る彼女からは甘ったるい香水の匂いが漂う。僅かに後ずさるが、彼女は気にも留めずにディンの腕を取った。
「せっかくお会い出来たんですもの。一緒にお茶でも飲みませんか?」
両腕でぎゅっとしがみつくようにディンの腕を抱く。必然的に赤いドレスから覗く彼女の豊満な胸が押し当てられ、一瞬ディンは息を詰まらせた。彼女の魅力的な肢体、そして漂う色香。ディンも男だ。当然欲望を覚える。けれど彼の頭の中にあるのは赤毛ではなく淡い金色を纏った巫女。
「悪いがこれから用がある。構って欲しいなら他を当たってくれ」
そっけなく言って彼女の腕を振り払い、ディンは再びマリアベルの部屋を目指して歩き出した。
「まぁ!」
それを見送るリベリの双眸が怒りに染まっていることにディンは気付いていなかった。
***
「マリアベル!」
勢い良く開けた扉の向こうに居たのは愛しい少女、……と自分の兄。二人が共に談笑している姿を見てディンは顔をしかめた。
「あら、おはよう。ディン」
「……おはよう。兄上は何故ここに?」
「なんだ。居たら悪いのか」
「別に」
抜け駆けして彼女とお茶をしていたマックに一瞥くれながら、ディンも空いた席に腰を下ろす。するとマリアベル手ずからお茶を淹れてくれた。そもそも巫女であった彼女は何もかも侍従に世話されることを好まない。この部屋にも侍従はおらず、用がある時だけ呼ぶようにしていた。
「ありがとう」
「二人とも今日のお仕事はいいの?」
ちらりと時計を見て、マックは残念そうに肩をすくめた。
「俺はもう行くよ。内務大臣と視察の打合せがある。ディンは?」
「今の時間は空いてる」
「そうか」
部屋を出て行くマックを内心さっさと行け、と思いながら見送る。扉が閉まれば二人きりになったことに満足してディンは湯気を立てるティーカップに口を付けた。
「兄上は朝からここに?」
「礼拝堂で会って……、ここまで一緒に帰ってきたの」
そういうマリアベルの頬が何故かほんのり赤く染まる。ディンはそれを見逃さない。不穏なものを感じ取り、眉根を寄せた。
「……何かあった?」
「え?」
マリアベルは驚き、そして更に顔を赤くした。嘘はつけない性格なのだ。それを分かっているディンは増々顔をしかめる。
「何してたんだ?」
「な、何…って……」
分かりやすくうろたえる様子に苛立ちが募る。彼女に対してではない。こんな顔をさせているマックに嫉妬しているのだ。ラズには砕けた笑顔を見せ、マックとは赤面するような触れ合いをしている。何故自分じゃないのだ。何故。
「マリアベル……」
「!!」
立ち上がって彼女の手を取ると、そのまま引き上げ自分の腕の中に誘い込んだ。感情のまま抱きしめれば柔らかい感触がディンを包む。あぁ、これだ。自分が欲しかったのは。甘ったるい香水ではない爽やかな香り。サラサラと肩を流れる淡い金の髪。誘う瞳ではなく戸惑いに揺れるコバルトブルー。一気に熱い何かが全身を駆け巡る。
「マリアベル」
「ディ、ディン。どうしたの?」
「兄上は、君に触れた?」
耳元で囁けばびくっと彼女の肩が跳ねる。けれど逃がしてなんかやらない。マックに独り占めなんかさせない。
「ディ……」
「ここ?」
ふっと耳に息を吐きかける。真っ赤に染まった耳たぶに音を立てて唇で触れる。小さく震える彼女を腕に閉じ込めたまま、頬に触れ、目尻に触れ、そして額と額を合わせて彼女を見据えた。
「ここにも、兄上が触れた?」
「ディン。待っ……」
慌てる彼女の唇を塞ぐ。今まで感じたことのない驚くほど柔らな感触。息つく暇なく角度を変えて何度も啄ばめば、苦しげに彼女はディンの腕を掴んだ。一瞬離してやると誘うように赤い唇が開いて呼吸をする。それを逃さず、ディンは更に彼女の奥へ触れるべく舌をねじ込んだ。
「んぅ…、んっ」
擦れる声がディンを煽る。マリアベルの頭の中をディンのことで一杯にしてやりたい。そうすればこの乾いた欲望が少しは満たされるだろうか。咥内を舐め、戸惑う舌を絡め取る。熱くなる呼吸。段々と力の抜けていく彼女の体。
「…き…だ……」
「ディン…?」
「好きだ……」
マリアベルがはっと息を飲む。けれど休むことを許さず、ディンは再度唇を重ねた。段々と二人きりの客室に漏れる水音。それが耳に入ると頭の奥がしびれるような感覚に襲われる。
「好きだ。マリアベル」
止むことのない熱い熱い口付け。真っ直ぐぶつけられるディンの恋情に、マリアベルは翻弄されていた。
「出来ません」
「何を!! 私はディストラード殿下に用があるの! さっさとそこをお退きなさい!」
「ここは陛下の客人、マリアベル様の客室です。陛下の許可がない方をお通しすることは出来ません」
「私は殿下達の花嫁候補よ! どうして殿下に会うのに許可が要るのよ!!」
顔を真っ赤にしたリベリに詰め寄られても警備の近衛騎士オリバは顔色一つ変えずに首を横に振った。彼女はどうやらディンを追いかけてきたらしい。憎々しげに歪められる女の顔。女性とは微笑めば花のように美しく男の目を惹くというのに、その目に憎悪を湛えればどんな呪いでもかけられそうな醜悪なものになる。
「お引取りください。ゴーゴルン様」
同じく扉の前に立つ騎士クレイドは感情の篭らない灰紫の瞳で彼女を見据えた。どうあっても引かないことが分かったリベリはフンッと鼻を鳴らして引き下がる。ドレスの裾をたくし上げ、乱暴な足取りで廊下を歩く姿は男達を落胆させるものだ。
「あんな女に城内を好き勝手歩かれるとは、困ったものだな」
溜息をついてクレイドがそう零せば、オリバも肩の力を抜いて頷いた。
「あぁ。これで大人しく退けばいいが……」
赤いドレスを見送るオリバの目にはまるで彼女の禍々しい嫉妬の念が目に見えるようであった。
***
「あぁっ…。いいわ」
筋張った大きな手が白い豊かな胸に触れている。赤いドレスは上半身が乱れていて、その姿を隠すように大きな背中が後ろから覆い被さっていた。リベリは頬を上気させながら目の前の壁に両手をつき、立ったまま男の手に身を任せている。男は今まで女の体に触れたことがないようで、彼女の胸に触れただけでかなり興奮していた。荒い息が首筋に掛かり、うなじの後れ毛を揺らす。同時にぞくぞくとした刺激が体を走ってリベリの唇から時折甘い声が漏れる。
その声に彼女を自分が気持ちよくさせているのだ、という愉悦を感じて男は更に興奮を増したようだ。
今二人がいるのは城内を走る廊下突き当りの一角。ともすれば忙しなく城内を行き来する侍従が通りかかるかもしれないその場所の、死角となる大きな柱の裏側で二人は触れ合っていた。そのシチュエーションが互いの興奮を高め、時に大胆な行為に走らせる。だが、リベリが行為を止めない理由はそれだけではない。
(あぁ、殿下……)
目を瞑って想像する。夢中で自分に抱きついているのは名前も知らぬ小間使いではなく、美しい金の髪を持つディストラード王子。その横でいつも紳士的なマクシミリアン王子も熱い視線を向けながらリベリを求めて手を伸ばしている。ダリオン王子はそんな三人を少し離れた場所で見つめている。恥ずかしがっているようだが目が離せないのだろう。本当は彼もリベリを欲しがっているのだ。あぁ、もっとこっちに来て。私を見て。私に触れて。
そうして妄想に浸った後男に向き直り、リベリは赤い口紅を塗った唇を挑発的に舐めて見せた。
「ねぇ、もっとしたい?」
男の目が我慢できないと訴えている。ここまで来て「はい、さよなら」では辛いだろう。男の心情を見抜き、リベリの目が楽し気に細められる。
「なら、私のお願い聞いてくれるわよね?」
既に情欲にまみれた彼が頷くのを待って、リベリは満足げに微笑んだ。