表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/67

4.潜む悪意

「では、外科的に診ても内科的に診ても問題は見当たらないと?」

「あぁ。そうだな。全くお手上げだよ」


 そう言って溜息を吐いたのは今年七十になる白髪の男性。トゥライア王家お抱えの医師ロイヤー=マゴットだった。

 予定通り護衛のネイを伴って彼を訪ねたラズは、手にした分厚い資料を前に難しい顔をした。ロイヤーは国王直々に依頼され、今まで医学的見地から何人もの女性を診てきた。今は亡き王妃が懐妊した際、王子達の出産まで面倒見たのも彼だという。それでも呪いの原因は分からない。女性達の体は呪いと呼ばれる異常事態が起こる前も後も何一つ違いは無いのだ。血液・尿の検査結果、月経周期、排卵などあらゆる方面から調べ上げたデータにラズも目を通すが結果は同じ。亡くなった女性を司法解剖したこともあるらしいが、目ぼしい結果は得られなかった。確かにこれではお手上げと言う他ない。


「医学的には問題なしか」

「全く、どうしたものか……」


 情けない、と言わんばかりにロイヤーは顔を歪める。その研究結果を見る限り彼に落ち度はない。『何も無かった』というのも真実に近づく為の大切な結論の一つなのだ。彼のお陰で、ラズは別の方面からアプローチすれば良いと判断できるのだから。


「貴重な資料を貸していただいてありがとうございました」

「あぁ。こんなもんでよければいつでも貸すさ」

「こんなもん、なんて言わないでください」

「何?」

「この分厚い資料に書かれた一文字一文字に先生の努力と苦労が詰まっているのでしょう?」


 そう言ってラズが笑うと、老眼鏡の奥の目が少し緩んだ。


「そう言ってくれるならありがたい。この老体の苦労も少しは報われるというものだよ」

「皆分かっていますよ」


 資料を元あった位置に返却し、ラズはロイヤー医師の診察室を出た。彼の診療所は城下町にあるが、城内にも部屋を与えられている。そこを城の者は診察室と呼んでいた。定時になったらロイヤーは自宅へと戻るが、誰かが病気や怪我をした時などはあの部屋に泊り込むらしい。


「自室に戻るのか?」

「いや、図書室に寄る」


 後ろからついてくるネイにそう応えると、忙しなく足を動かしながらラズは手に持った分厚い手帳にロイヤーの話と自分の考えをまとめながら記した。顔を上げなくてもぶつからずに進めるほど城の廊下は広い。シィシィーレ島で世話になったセリオス神官長が見れば行儀が悪いと叱られる所だが、器用に人や障害物を避けながら進めることを既に知っているからか、ネイは何も言わない。

 やがて北棟の手前の廊下を左に曲がる。最近見慣れてきた大きな扉を開けようと手を出せば、後ろから伸びた大きな手が先にドアノブを押した。


「どうぞ」

「あぁ。ありがとう」


 ネイはこういう時とても気が利く。ラズが両手いっぱいの資料を抱えていれば椅子を引いてくれるし、半分以上に分けた荷物を持って廊下を歩いてくれる。今日もそうだ。ラズが目につく本を全て棚から抜いてテーブルに積む。それに片っ端から目を通し、必要なもの不必要なものに分ければ、勝手に不必要とされた本達を棚へ戻しに行ってくれる。お陰でどれだけ本を取り出しても、その後の片付けに苦労することはない。そんな彼を横目に見ながらラズは呟く。


「やっぱ勿体無いよな」


 独り言のような小さな声も聞き逃さず、ネイは手を止めて振り返った。


「何がだ?」

「シーク団長が言ってただろ? ネイは近衛の中で五本の指に入るって」

「…………」

「近衛は騎士の中でも優秀な者しかなれないって聞いたよ。更にそこから選抜されたエリート中のエリートが俺の横で本を片付けてるなんて宝の持ち腐れだろ」


 すると何故かネイは表情から感情を消した。同時に発した声のトーンが下がる。


「……俺が嫌なら他の者に代わってもらえるよう団長に打診する」

「いやいや、嫌とかじゃなくてさ。俺にネイみたいな優秀な護衛をつけたんじゃ、才能を持て余すんじゃないかって話で……」


 ラズは焦りながら弁解した。先程のは褒め言葉である筈なのに、何をどうしたらネイを嫌がっているように聞こえるのだろう。逆にネイはほんの少し眉を動かしただけで、焦りや動揺など微塵もない。


「気にすることはない。近衛の者を護衛に付けたのは、ラズがこの国にとって重要な人物だと陛下が判断したからだ」

「……そうかい」


 何を言っても無駄な気がしてきた。ラズからすれば自分はそれ程の人間じゃないと言いたい所だが、国王陛下直々の命とあってはどちらにせよ彼は従う他ないのだ。

 必要な資料だけを選び終えて顔を上げれば、不要な本の山はいつの間にか片付いている。いつも通りのそれに苦笑して、ラズは席を立つと三冊の本を抱えた。両手のふさがった自分の為にネイが再びドアを開けてくれたのだが、そんな行為に慣れ始めている事に少しだけ驚いた。






 自室のドアノブに手を伸ばす。だが指先がそれに触れる前にラズは動きを止めた。同時にネイが前に出る。彼に目線で下がるよう指示され、ラズは黙ってそれに従った。ネイの背に守られるのは未だ慣れない感覚だが、もう自分はマリアベルの護衛じゃない。身の程はわきまえているつもりだ。

 ネイは音を立てぬよう慎重に左手でドアノブを握り、右手は剣の柄にかける。そしてドア越しに中の様子を窺った。聞こえてくるのは微かな物音。そう、部屋の中に誰かがいるのだ。マリアベルはラズの部屋の場所を知らない。他に自分の下を突然訪ねてくる知り合いなどいない筈。

 ネイの大きな手がノブを回す。ドアが開いた数秒後、気を抜いた彼の声が静かな廊下に響いた。


「……何をなさっているのです。殿下。」


 彼の後ろから中を覗けば、部屋に置かれたソファに座り、パラパラと本を捲っていたのはダリオン王子だった。


「ダリオン殿下? どうなさったんです。もう夕食の時間でしょう」


 仕事がある時は別として、陛下も王子達も基本は決まった時間に専用のダイニングルームで揃って食事をとる。壁に掛けられた時計を見れば定刻から三十分以上過ぎていた。

 ネイと共に部屋に入ると、ダンは一瞬だけ彼を見てすぐにラズに向き直った。


「お前は?」

「俺?」

「夕食はここで食べてるのか?」


 そう言ってダンは部屋を見渡す。だがそこら中に資料や報告書の束、本が山積みになっていて食事をするスペースなど見当たらない。ダンが座っているソファでさえ、半分近く図書館で借りてきた本で埋まっていた。


「まぁ、見ての通りこんな有り様なんで、食事は騎士団の宿舎に併設されてる食堂に行ってるんですよ」

「客人のくせに食堂で食べてるのか……」


 唖然と自分を見返すダンに、ラズは簡潔な説明をした。


「どうせネイザンは食事をとる為にそこへ行かなきゃいけないんだし。俺と一緒に行けば食事と護衛が同時に出来て便利でしょう」


 なぁ、と声をかけるとネイは複雑そうな顔をした。彼の言いたいことは分かる。あくまでラズはこの城の客人で彼はその護衛なのだから、護衛の事を考えて客人が遠くの宿舎まで足を運ぶのはおかしな話だ。だが今のやり方を変えるつもりはない。ラズにとって多少歩く距離が長くなるくらい苦ではないし、かしこまった場所で一人食事をとる気もない。


「なら、俺も行く」

「騎士の宿舎にですか?」


 ラズはネイと顔を見合わせた。だが二人とも突然の第三王子の我が儘に首を傾げるばかりだ。


「俺はともかく、殿下をお連れしたらネイザンがお咎めを受けますよ」


 責任は王子という立場のダンや客人扱いのラズではなく、それを許したネイのものになる。そう告げれば彼はむっつりと黙り込んでしまった。しかし一体何があって彼は此処を訪れたのだろう。いくらダンを見ても貝のように硬く口を閉ざすばかりだ。

 しばらくしてラズははぁ、と長い溜め息を吐いた。


「分かりましたよ。俺が此処を片付ければいいんでしょう」


 両手を上げて降参のポーズを取ると、ソファに座ったままのダンは期待を込めた目でラズを見上げた。


「ネイ。悪いんだけど厨房に行って二人分の食事をここに運んで来るよう頼んで貰えるか? それが終わったら今日は宿舎に戻って構わないから」

「分かった。では俺はこれで失礼します、殿下」

「あ、あぁ」


 ネイがいなくなるとダンは無意識に詰めていた息を吐き出した。まずはテーブルから、とラズは一人部屋を片付け始める。警戒とまでは言わないが、明らかにダンはネイの存在を気にしていた。彼がラズのもとを訪れた理由を言わなかったのはその為だろう。気を抜いているダンを横目に、ラズは口を開いた。


「何かあったんですか?」


 するとダンは一瞬ラズを見た後すぐに目を逸らし、ぼそりと言葉を零した。


「……リベリが来てる」

「昼に仰っていた公爵令嬢が? 陛下達と夕食を共にしているのですか?」

「あぁ」


 ダンが客人との晩餐を蹴ってまでこの片付かない部屋に来た理由がようやく分かった。彼は逃げてきたのだ。リベリ=ゴーゴルンから。


「そうか。確か彼女は妃候補でしたね」

「よく知ってるな」

「まぁ。それくらいは」


 ラズはトゥライアに行く事が決まってから、国の要人・王室の人間関係などを前もって調べていた。特に王子達の花嫁候補として名を連ねた令嬢達はマリアベルの敵になる可能性が強い。こちらに来てからも更に情報を集めている。


「週に一度はこちらを訪れると聞いています。いつも泊まっていくんですか?」

「前はそうだったけど、今日は晩餐が終われば帰る。父も兄上達もマリアベルがいる以上、あの女を長くここに置きたくはないようだ」

「まぁ、そうでしょうねぇ。マリアベルはどうしてるんです?」

「父達と一緒だ」

「……そうですか」


 ならばさぞかし居心地の悪い思いをしている事だろう。マリアベルが受けた神託については口外無用となっている。リベリから見れば彼女は突然横から入ってきた邪魔者でしかないのだから。


(一度様子を見に行くか)


 マリアベルと殿下達の邪魔にならぬよう自分から傍に行くのは避けていたが、決して彼女のことを放置するつもりはない。

 しばらくすると侍従が数人やって来て、片付いたローテーブルがいっぱいになる程の料理を並べていった。やはり王子が客人との晩餐をすっぽかしてラズの部屋にいることに良い顔はしなかったが、ダンがリベリを避けているのは承知しているらしく何も言わずに一礼して下がっていく。再び二人になるとラズは衣装ダンスの奥からワインボトルを一本取り出した。それを見たダンの目が分かりやすく輝く。


「それは?」

「シィシィーレで作られているワインです。こっちに来る時神官長の部屋から一本くすねて来ました」


『くすねて』という言葉を聞いて、ダンは何故洋服ダンスの中からワインボトルが出てきたのか、という疑問を飲み込んだ。だが、意外なのはそれだけではなかった。


「神殿の者も酒を飲むのか?」

「勿論飲みますよ。神様の多くは酒が好きだと言われているので供物として必ずワインは用意されます。シィシィーレ産のものはこちらには出回らないから貴重ですよ〜」


 彼の目の前でコルクを外せば七年物の豊かな香りが広がる。二つ並べたグラスにそれを注ぐとダンの表情が微かに緩む。それを見ながら彼の隣に腰を下ろし、ラズはグラスを掲げた。





 ***


 鮮やかなドレスから覗くのは白く肉付きのよい体。豊かな胸元を更に際だたせるよう胸下を同色のリボンで絞っている。足元までふんわりと膨らんだレースを重ねたスカート。それを目にした時マリアベルは絵本の中のお姫様みたい、と呑気な感想を抱いた。リベリ=ゴーゴルンをマックから紹介された際、数少ない女性同士仲良くなりたいと思い笑顔で挨拶をしたが、マリアベルはその笑みを持続することが出来なかった。


「まぁ、シィシィーレの方にお会いするのは初めてですの。宜しくお願いしますわ、マリアベルさん」

「え、えぇ。こちらこそ……」


 彼女は確かに微笑んでいる。穏やかな声で自分に挨拶をしてる。それなのに、何かが違う。いつも他の人達と交わす挨拶と違って距離が遠い。それどころか身の竦むような威圧感さえ感じる。それは笑顔の裏に隠された悪意。

 マリアベルは幼い頃から巫女として神殿で暮らしてきた。神に仕える者達は皆優しく、人を騙すことも蔑む事もしない。初めて自分に向けられた悪意を悪意とも分からず、マリアベルはただ困惑するしかなかった。


 三人はダイニングルームへ移動し、国王・ディン・ヘリオと共に食事を始めた。ダンがいないことをリベリは非常に気にしていたが、自分も気にかければ彼女の機嫌を損ねる気がしてマリアベルは何も言えなかった。

 彼女の楽しそうなかん高い笑い声がダイニングルームに響く。非常に穏やかに食事の時間が進んでいる筈なのに、マリアベルはちらりと彼女の目が自分に向けられる度に身の竦む思いがして目を合わせる事が出来なかった。


「それで、マリアベルさんはいつシィシィーレへ帰ってしまうの?」

「え……」


 テーブルを挟んだ向かいから真っ直ぐな視線に射抜かれる。笑みで彩られた瞳に宿るのは余りに根強く暗い感情。言葉を失ったマリアベルは毒を吐いた赤い唇をただ見つめるしかなかった。


「リベリ殿」

「何でしょう? 陛下」

「マリアベル殿は長期滞在の予定でな。先の事はまだ決まっておらぬ」

「まぁ、そうでしたの」


 にっこりと目を細め、リベリが口元に片手を添える。

 マリアベルは持っていたフォークを置いて果実ジュースに手を伸ばした。大好きな筈のドリンクもいつもよりも苦く感じられて、喉に張り付いた何かを誤魔化すことは出来なかった。





 ***


「大体お前はさぁ」

「はぁ……」

「ネイザンは良くて何で俺に敬語なんだよ」

「そんなむちゃくちゃな。酔ってるでしょう、殿下」

「酔ってない」


 むっと口を尖らせるのが癖なのだろうか。だが赤い顔で酔っていないと言われても苦笑いするしかない。ラズは空になったダンのグラスにワインではなく水を注いだ。


「俺の部屋で酔っ払ったなんて知られたら陛下に怒られるじゃないですか」

「だから敬語は止めろって」

「そんなこと言われても……」


 近衛騎士のネイと第三王子のダリオンでは立場が違いすぎる。ラズはここで王室の客人という扱いだが、シィシィーレに戻ればただの一般人。王子に気安い口を利くことなど許されない。

 すると困惑するラズの表情を見てダンはちっと舌打ちした。それが苛立ちではなく寂しげに見えて、ラズは思わず口を開いていた。


「言葉遣いなんてそんなに気になりますか?」


 ダンのブラウンの瞳がラズを捉える。酔っているからなのか今度は目を逸らさない。その口から吐息と共に漏れたのは彼の孤独を表す一言。


「……学友とは縁が切れているから、俺に敬語を使わないのは兄弟くらいしかいない」


 王子と言ってもヘリオのように義務教育までは貴族の子息達と同じ学校へ通い勉学を修める。当然卒業後はそれぞれの道へ進み、王子達は城で国政を学ぶ事となる。だが、それだけで縁が切れる事など無いに等しい。学友が貴族なら城で催されるイベントで顔を合わせる機会があるし、何より相手が王子となれば向こうが簡単に縁を切ろうとはしないだろう。それが本人だろうと親の意思だろうと同じことだ。


「何故…と、聞いても良いのですか?」


 ワイングラスをテーブルに戻してラズは質問を重ねた。彼の表情が翳る。


「リベリの話をしただろう」

「えぇ」

「あの時一緒にいた学友がリベリとグルだった」

「え?」

「リベリと示し合わせて、酔ったフリしたあの男がわざと俺をあの部屋へ誘導したんだ」

「……そう、でしたか」


 彼がリベリの痴態を目撃したあの部屋。足がもつれる程酔った友人。偶然ではなかった。彼もリベリと体を重ねる仲の一人だったのだ。

 ダンがリベリを嫌うのはあの事件をきっかけにした女嫌いが原因だと思っていたが、もしかしたら彼は人間不信なのかもしれない。けれどそれは悲しいことだと彼自身が良く分かっている。だからラズに言ったのだ。敬語を止めろ、と。自分の傍に来て欲しいのだと。


「二人きりの時だけですよ」


 ラズが彼の横顔を見ながら言う。彼は少し目を見開いてラズを見た後、ふいっと顔を逸らした。


「あぁ、分かってる」


 王子という立場。他人によって限られた人間関係。その中でダンは足掻いている。傷つけられながら、拒絶しながら。けれどどこかに救いを求めて手を伸ばしているのだ。

 その手を引き上げるのが自分でいいのだろうか。ラズはそう迷いながらも自分のもとへ来てくれたダンを突き放すことが出来なかった。救いを求めて手を伸ばし続けるその苦しみは、自分にも覚えのあるものだったから。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ