1.トゥライアの呪い
抜けるような青空。遠くで聞こえるのはその身に慣れた波の音ではなく山鳥の鳴き声。眩しげに目線を上げ、桃色の唇が軽やかな声を発した。
「ここが王城なのね」
「えぇ」
「遠かったわ」
「ですが全てはこれからですよ。マリアベル様」
「分かってるわ、リジィ」
「マリアベル様」
少し強い口調で窘めれば彼女は可愛らしい仕草であら、と口元に手を添えた。
「ごめんなさい。ラズ」
「よろしい。では、行きましょう」
マリアベルは差し出されたラズの手を取り真っ白な階段を上がる。その先にあるのは同じく眩しい程の白い外壁に彩られた王城。
淡い金色の長い髪、透けるような白い肌。金糸の睫毛に縁取られた瞳は海を思わせるコバルトブルー。名だたる彫刻家達が作り上げた女神像にも負けない美しい娘が一歩一歩その道を進めば、まるで王城を背景にした一枚の絵画のよう。そんな女神をエスコートしているのは一見華奢な男性。すらりと伸びた手足に通った鼻筋。腰に佩いた剣がなければ彼が護衛ではなく、名だたる貴族の子息だと誰もが思うだろう。正しく絵になる風景。そんな二人が今まさに白亜の城へ足を踏み入れようとしている。
だがその時、護衛ラズはこんなことを思っていた。
(この門番、役に立たないな)
彼が一瞥したのは、惚けた顔でマリアベルが門をくぐるのを見送る騎士二人。
そう。本来ならば自分達は足止めされなければならない。王城の門を通る為に得るべき許可を二人は提示していないのだから。
(……馬鹿ばっかりか)
ラズは溜め息を飲み込んだ。というか、王城へ足を踏み入れてから飲み込み過ぎてお腹いっぱいだ。
流石国の中枢だけあって騎士がいない場所など見当たらない。これだけ厳重な警備を敷きながらマリアベルの美貌の前には全て無意味なのだから呆れるを通り越していっそ泣ける。頼むから一人くらいしっかりした奴はいないのか。
「広くて迷ってしまいそうねぇ」
「……左様でございますね」
玄関ホールを通り過ぎ、二人は立ち往生していた。そもそも初めて来る場所なのだ。これだけ馬鹿でかい建物で案内役がいないのでは話にならない。仕方ない。そこらでアホ面晒している騎士をとっ捕まえて案内させようかと思った時、突然バダバタとこちらに向かってくる足音が響いた。
「おい! すげぇ美人がいるってホントか!!」
「うるさい! 耳元で怒鳴らなくても聞こえてる」
「ねぇ、兄様達、あの人じゃない?」
けたたましい騒音と共に現れたのは三人の若い男性。年齢も見た目もバラバラだが、彼らの雰囲気は似通っていて、血縁関係にあることは初対面のラズ達にも分かった。
「あぁ? なんだよ一人涼しい顔しやがって! 興味深々で付いてきたくせにカッコつけんな!」
「はぁ!? お前が無理矢理引っ張ってきたんだろうが! 思いっきり腕掴んでるくせにとぼけてんじゃねぇ!!」
「ちょと、兄様達……。もう……」
彼らの中で最も幼い少年がいつまでも喧嘩を止めない兄達に呆れて溜め息をつく。そして見切りをつけたのか、一人でテクテクとこちらに歩いてきた。彼は二人の前でニコリと微笑み、胸に手を当てる。
「はじめまして、お客様。僕はヘリオスティン=ケネ=トゥライア。お二人のお名前をお教え願えますか?」
彼の名を聞いて二人は顔を見合わせた。まさかこんなにあっさり本命に出会えるとは。
ヘリオスティン=ケネ=トゥライア。まだ十歳程のこの少年は国名を自らの名に持つ、トゥライア国の第四王子。幼いながらに身に付いた礼節と他を惹き付ける笑顔。流石王子と言うべきか。ならば先程の会話から察するに後ろの煩い二人も王位継承権を持つ子息ということになる。しかし、十歳の子供に見捨てられる兄ってどうなのだろう……。
ラズが一歩下がって頭を下げると同時にマリアベルは彼に応えるべく笑顔を見せた。
「お初にお目にかかります。私はマリアベル、後ろに控えるのは私の護衛を務めておりますラズと申します」
此処にきて初めて浮かべたマリアベルの笑みにヘリオスティン王子は頬を赤く染めた。
おぉ、流石がマリアベル。相手が少年だろうが、眩しい春の日差しの様な笑顔の破壊力は効果抜群。ついでに沈黙の追加効果を発揮したらしい。先程まで騒音をまき散らしていた王子二人も彼女に見惚れて口をぽかんと開けている。更には周囲で警護をしていた騎士まで。
彼女の後ろでその一部始終を見ていたラズは思った。だからお前らは仕事しろよ、と。
***
広々とした謁見の間。玉座に着くのは当然国の主、ホーネス=ケネ=トゥライアその人である。齢五十になる彼の金髪には白い物が混じっているが、その威厳と精悍さは少しも失われていない。だからこそ皺を寄せて国王が微笑むのはラズにとってとても好印象だった。
因みに玉座の階下には玄関ホールで会った三人の王子と更に彼らの兄に当たる第一王子マクシミリアンが控えている。王家の人間を除いてここにいるのは国王の右腕と名高い宰相クロー=ケネシス、宮廷魔術師長レギ=フレキオンと名の知らぬその弟子、騎士団を束ねるベック=ワイズと、そうそうたる面々が揃っている。後はここを守る騎士が数名。恐らく近衛だろう。流石に彼らはマリアベルに見惚れて間抜け面を晒すような醜態は見せない。まぁ、内心がどうかは感知するところではない。
この国を支える重要人物達の注目の的になっているのは突然の訪問者マリアベル。彼女はラズと共に謁見の間の赤い絨毯を進み、中央で足を止めた。そこで立ったまま頭を下げ、ラズは一歩後ろで片膝を付く。
ホーネス国王の重厚な声が広間に響いた。
「面を上げよ」
マリアベルのコバルトブルーの瞳が国王をひたと見つめる。国王はそれを柔らかな笑みで受け止めた。
「遠路遥々よくぞ参られた。マリアベル殿」
「直々の歓迎のお言葉、この身に余る光栄にございます。陛下」
「護衛のそなたも、よくぞマリアベル殿を無事に送り届けてくれた。大儀であったな」
「はっ。勿体なきお言葉」
ラズは膝を付いたまま慇懃に頭を下げる。国王は満足そうに口元に笑みを乗せた。
「シィシィーレの神官長セリオス殿も息災のようだな」
「えぇ。セリオス様はご高齢ですがフェルノーイ神の加護がございます。まだまだ黄昏の地へ旅立つのは先の事ですわ」
「ならば僥倖。さてそろそろ本題に入ろうか。いい加減我が息子達が痺れを切らしているようだ」
国王の目線を辿れば確かに四人の王子達はすっきりしない顔をしている。恐らく何も知らされていなかったのだろう。まず口を開いたのは第一王子マクシミリアンだった。
「こちらのお客人は父上のお知り合いなのですか?」
「いや、会うのは今日が初めてだ。シィシィーレのセリオス殿はお前達も知っているだろう」
「えぇ、シィシィーレ島にあるフェルノーイ神の神殿最高位の神官様ですね。私達の生誕の際に祝福を授けにいらした」
「そうだ。そして此処にいるマリアベル殿はセリオス殿の愛弟子」
四人の王子の目が彼女に集まる。彼女が着ているのは真っ白な絹の生地に碧糸の刺繍で縁取りしたシィシィーレの巫女が着る正装だった。
「巫女様でしたか」
「左様」
「ですが、フェルノーイ神に仕える巫女は生涯彼の地から離れぬと聞きます。何上我が城へ?」
その問いに答えたのは重厚ではなく春風のように爽やかな声。
「神託を授かったのです」
マクシミリアン王子がはっと息を飲む。彼らを見つめ、声を発したのはマリアベルだった。だが次に聞こえてきたのは訝しげな呟き。それは清廉な彼女の目を見て何故か神妙な表情をした第三王子ダリオンからだ。
「……神託?」
「えぇ。生誕と豊穣の女神、フェルノーイ様からのお言葉です」
継いで再びマクシミリアン王子が口を開く。
「フェルノーイ神はあなたに何と?」
「子を成せと」
「何?」
「この地で子を成せと。さすればトゥライアの呪いは解けるだろう。そうフェルノーイ様は仰いました」
「呪い……」
第二王子ディストラードの声が、不気味に広間に響く。
この国にかけられた呪い。それは子の出生率の偏り。一体異変はいつからだったのか。今では誰も分からない。
最初に異変に気付いたのは五代前の宰相。各地を治める領主から届いた報告書にはこう記してあった。我が領地では男児しか生まれない、と。遡ればそれが起こったのは更に三年前からだった。
家名を継がせたいのはどこの親も同じ。男児が産まれることを誰もが祝福する。だから誰もそれを不思議に思わなかった。我が子がどちらの性別を持って生まれてくるかは神のみぞ知る。そこに疑問など持たないのが普通。故に中央への報告が遅れた。そして月日が経ちそれが異常だと分かった時にはすでに手遅れ。宰相が気づいた時それはトゥライア国全土に広まっていたのだ。
そして最初の報告から百年後の現在、生まれてくる赤子の内女児は二十人に一人。当然超高齢化社会となり、働き手が減少したトゥライアは国力を失う結果となった。
他国からの女性を積極的に受け入れることも検討されたが、トゥライア国は女神に見捨てられた呪いの地だとの風評が広まり、他国が敬遠してそれも上手くいかなかった。今この国を訪れるのは女性が貴重になったトゥライアでの良遇を求める野心を持つ者や、自国を捨てた者くらいだ。
マクシミリアン王子がごくりと喉を鳴らす。
「本当に、フェルノーイ神はこの国の呪いが解けると?」
事実ならトゥライア王家は喉から手が出る程欲しい筈だ。解呪の鍵となるマリアベルの子を。
国王がゆっくりとその言葉に頷いた。
「左様。だから私が彼女を呼んだのだ」
「もしかして彼女はすでに懐妊しているのですか?」
王子達の目がマリアベルとラズに向けられる。どうやら彼女がラズの子を宿しているのでは、と邪推したらしい。
「いや。ただこの国で子を産むのでは意味がない。呪いを解くにはこの地で生きる男の血を引く子でなくてはならないのだ」
「父上。それはまさか……」
「そうだ。マリアベル殿には我が王家の血を引く子を産んで貰う。つまりお前達四人の内、誰かのな」
女性が少ない現在では多夫一妻制が当然で、むしろトゥライア国としてはそれを推奨している。現在一人でも多くの子が望まれているからだ。だが、王家の直系だけは例外となっている。建国当時からの一夫一妻制を保つことが、トゥライアは女神に見捨てられたのではないという他国へのアピールになるからだ。
すると幼いヘリオスティン王子が首を傾げた。
「ならば王位を継ぐマクシミリアン兄様のお妃様になるのですか?」
「いや、先程も言った通り候補はお前達四人全員だ。確かに王位はマクシミリアンが継ぐだろう。だが、我が国の為に本来なら永遠に留まる筈の彼の地から彼女を別離させてしまった。せめて相手はマリアベル殿の意志を尊重したい」
彼女が一人だけを選べばただ一人が夫となり、全員を許せば四人が彼女と子を成すことが出来る。それを聞き王子達は顔を合わせた。第一王子マクシミリアンは固い表情をして、第二王子ディストラードは頬を染めて、第三王子ダリオンは眉間に皺を寄せて、第四王子ヘリオスティンは首を傾げて。
そんな王子達の反応を窺いながら、更に国王は言い募る。
「けれどそれは絶対ではない。勿論私としては我が孫を産んで貰いたいが、どうしてもマリアベル殿に好いた相手が出来たならそれでも構わない。最優先されるべきなのはこの国から呪いを消すことだからな」
それを聞いた男達が色めき立つ。魔術師、文官、騎士達まで。自分の種が国を救う子を産む手助けになるのは勿論の事、神に愛された息を飲む程美しい娘を手に入れることが出来るのだ。彼らの反応も当然。
だからこそ、全く顔色を変えない人物がラズの目に付いた。理由はいくつか考えられる。既に男の盛りを過ぎているか、最初から女性に興味がないか、自分には到底無理だと諦めているか、それとも自分の身内を王子の嫁にと画策していたか。警戒すべきはマリアベルの敵になる可能性のある最後に当てはまる者だ。ラズはそうだと気取られないよう、慎重に一人一人の顔を記憶していく。
「マリアベル殿がこれから滞在することとなる部屋は既に用意してある。長旅で疲れたであろう。夕食の時間まではゆっくりとその疲れを癒すといい」
「お気遣い感謝いたします。陛下」
「して、ラズ殿。お主はこれからどうするつもりだ? シィシィーレ島へ戻られるのか?」
そこで初めてマリアベルが膝をついたままの護衛を見下ろした。一瞬不安げな表情を見せる彼女に向かって、ラズはそっと微笑む。
「もしお許しいただけるのならば、しばらくこちらへ滞在させてはいただけないでしょうか? トゥライアの騎士団は非常に優秀だと彼の地にも評判は届いております。私のような護衛は不要だと承知しておりますが、マリアベル様が環境に慣れるまで話し相手くらいにはなるかと」
「成る程、確かに初めての場所にマリアベル殿一人では心細かろうな。滞在を許そう」
「ありがたきお言葉。それと恐れ多くも、もう一つお願いがございます」
「なんだ? マリアベル殿の恩人は私の恩人。なんなりと言うが良い」
ラズは床から膝を離し立ち上がる。腰元の剣が揺れ、柄につけられた緑の宝玉が一瞬だけきらりと瞬いた。
「私にトゥライア国の呪いについて調べさせてはいただけないでしょうか?」