第7話「初めての1人旅」
クラリスと別れ、1人でがんばってみる事にした私はひと月ぶりの異世界を、迷う事無く歩いていた。
(大丈夫、ちゃんと取扱説明書を読んだし)
再ログインをする間にそれなりに分厚い取扱説明書を端から端まで読み、花菜からもちょっとだけど教えてもらえた。
実際にプレイしないとなんとも言えないけど、少なくとも右も左も分からない、という段階は越えた、筈。きっと。多分。
そんな訳で私は今、単身西門へと向かっていた。
西門の先に広がるフィールドは『はじまりの森』。ティファの言っていた通りならエルフの種族アビリティ〈森の民〉を持つ私には相性が良い筈だからここにしてみた。
(……アビリティ。星の加護以外の力。積み重ねた経験、個人の持つ才能、種族の特技・特性、優れた武器・防具・装身具・装飾品固有の特殊能力などの総称。だから星守以外のこの世界の人たちも持つ事が出来るんだって書いてあったっけ。そんな人たちから教えてもらったりも可能、だっけ)
前半はティファに、後半は花菜に教えてもらった知識を反芻しながら、確認した自分自身の事に繋げる。
(今私が持っているアビリティは4つ)
まず種族アビリティ〈森の民〉。
木々の量に比例してHPとMPの時間経過による自然回復の速度がわずかに上昇する効果を与える。
次に称号アビリティ〈初心者星守〉。
初心者用ポーションの効果が『初心者の装備品』の数×10%分上昇するというもの(周りを見るに多分未だに装備してるの私くらいかも……)。
称号アビリティ〈見習い法術士〉。
法術の取得で得られるアビリティ。法術の威力に関係するパラメータがわずかに上昇する。属性法術のレベルが上がると上位のアビリティが得られるみたい。
最後も称号アビリティ〈エレメンタラー〉。
火水風土光闇聖の7つの属性法術をコンプリートして得たアビリティで属性法術の威力が上昇する。属性法術全部取った甲斐があった。
この内種族アビリティは固定で、その他のアビリティは2つしか装備出来ない(武器・防具などに付属するアビリティは別)ので、今の所は〈初心者星守〉と〈エレメンタラー〉を装備してる。
(もしこの先新しくアビリティを獲得しても、しばらくは回復に関係する〈初心者星守〉は外せそうもないけど……最大HPが低いんだよね、私。ポーションだと回復し過ぎちゃうから、ヒール使って回復した方がいいかな?)
私は色々と仕入れた情報を頭の中でぐるぐると思い出しながら整理する。
腕を組んで歩を進めているとまたもや奇妙なものを見る目を向けられるけど、もう一々気に留めるのも億劫になってきたので諦めて流す事にした。
〈初心者星守〉の事もあるのでそう簡単に装備品を変えられないから、いっそ慣れるしかない。
やがて重厚な西の門の前まで到着したので見上げてみる。
高さは10m近く、ぶ厚く重そうな木材と金属の枠組みで造られていて古そうではあるけど柔な印象は全くと言っていい程受けない。
外観での南の門との違いは中央の円の内側に彫り込まれている文字(紋様?)くらい。
(あれは……なんなのかな)
外側に開け放たれていて街道が延びているのだけど……100m程度先から広がる森の辺りでぷっつりと途切れている。
何故なら道の上から岩や木々が乱雑に積み上げられている上に蔦などが絡まり、とても通行には使用できそうもなかったから。
(何度か目にはしていたけど、近付くとまた……迫力が違うなあ)
岩は数m近い巨岩、木々は近くに生えていた物を切り倒してそのまま使ったような物も見受けられる。それを繋ぎ止めるように赤錆た鎖が所々から覗いてる。
また、蔦がそこかしこに絡まり苔なんかまで結構生えている事から、この状態になって随分長い時間が経っているのが容易に想像出来る。
(これ、まるでバリケードみたい……でも、どうしてそんな事を?)
どうにも気になった私は門の傍にいた直立不動の門番とおぼしい槍を持った人に話し掛けてみた。
「あの、すみません……少しよろしいですか?」
「はい。なんでしょうか」
初老、と呼べるくらいの門番さんは私に向き、堅い表情を崩さないままに応えてくれる。
「あの道の先の岩や木って、一体なんなんですか?」
そう問うと同時、彼の眉間にはすぐに分かる程深い皺が刻まれた。
(お、怒らせちゃったかな……?)
「あれは“はじまりの森の主”、『ジャイアントモス』よりこの街を守る為の防壁なのです」
ジャイアントモス?
ええと、主って言うくらいだから……はじまりの森の奥にいるらしいボスモンスターの名前、かな?
だとすると何か戦う時のヒントを貰えたりするのかも。
門番さんは森へと視線を向けて、ゆっくりと語り出した。
――あれはまだ自分が子供の頃の事です。
星々が消えて魔の軍勢が跋扈し、とうとうあのはじまりの森にも魔の手が伸びたのです。
多くの人々が実り多き森を守るべく立ち上がりましたが……奮戦も虚しく森にはジャイアントモスが住み着いてしまったのです。
奴は毒の鱗粉を撒き散らし、刃のような風を巻き起こし、手傷を負わせても奴は怒りに任せて暴れ回り多くの者が犠牲となり、やむ無く撤退しました。
ですが、それだけでは終わらなかったのです。ジャイアントモスの毒の鱗粉が少しずつこの街へと影響を与え始めました。
森にはジャイアントモスの毒を阻んでくれる『シャイナスの木』がありましたが街道にはそれが無く毒が舞い込んできてしまったのです、人々は苦渋の決断として街道を塞ぐ事となり……それ以来、あなた方星守が現れるまであの扉は長らく閉ざされてきたのです。
自分は、その時の大人たちの悔しそうな顔が忘れられません……。
門番さんの声にはどこかやるせなさが滲んでいた。
(ずいぶん重い事情があったんだ……ボスモンスター、かあ)
ジャイアントモスを倒さないと先のエリアに進めないけど、こういう話を聞くとそれが無くても倒さなきゃって気になってくる。
(倒せるかは別だけど)
門番さんは一度目を瞑る。昔を思い出しているのかもしれない。そして私へと視線を戻した。
「そんな事が……その、ジャイアントモスを倒せば街道はまた通れるようになるんでしょうか?」
「……いいえ。封鎖されて早数十年。街道は魔の軍勢とモンスターに荒らされ放題の筈、とても使える状態ではないでしょう」
「そう、ですか」
……それもそうか、序盤のボスならもうとっくに倒された筈だもんね。それでもあのままって、なんか納得いかないけど。
「……自分の話はお役に立ちましたか?」
「あ、はい、とても。ありがとうございました」
「そうですか、なら幸いです。これからはじまりの森へ行かれるならどうかお気をつけ下さい」
「分かりました。では、失礼します」
一礼してこの場を辞する。
私は西門の向こう側、はじまりの森へと歩き出した。
◇◇◇◇◇
アラスタの西に広がるはじまりの森は2つのエリア+2つのボスエリアで構成されている初心者用ダンジョン。
視界が多少悪く遮蔽物が多いのが特徴。待ち伏せして奇襲を仕掛けやすい反面、不意の遭遇にもなりやすい。
あまり広くはないけど迷わないように地図は小まめに確認した方がいい(花菜談)。
(えっと、後は…………)
私は安全圏である門を抜けるまでの間、この先の森の情報を思い出していた。
まあ基本以上の情報は時間の都合上あまり無いのだけど、何も無いよりかはマシだよね。
そうしている内に、私は門をくぐり抜ける。アラスタを守る壁と森の間は100m近くあり、そこは背の低い草が生い茂る原っぱになってる。
左右に目を走らせてみるけど、とりあえず近くにはモンスターらしい影は見当たらなかった。
そういえばはじまりの草原でも門の近くにはモンスターは近寄ってこなかったっけ。
(さて、どうしよっか……)
アリッサの特性を理解して、最初に攻略しようと決めていたこの森、なので少しは教えてもらった。
森の中は獣道が縦横に走っているらしく、そこを通るか森を突っ切るかになる。見た目それ程草むらが茂っている訳でもないので歩く分には問題は無さそうだった。
ただ、獣道以外ではモンスターとの遭遇率が少し高くなるとか。
“強くなってクラリスと遊ぶ”事が今の私の目標なので早く強くなる為に戦闘が多くなるならそれはそれでいい……のだけど問題もある。
(私、戦えるかなあ)
何しろ私は法術一辺倒で防御力が低いみたいだから戦闘の基本は相手より先に遠距離から攻撃を仕掛け、距離を開いたままの完封が理想なものだから不意の遭遇で接近戦の危険があるのは正直不安材料だった。
(まずは獣道で慣れてから、かな……なんか腰砕けっぽい思考だけど)
途切れた街道の脇に細い獣道を発見し、おっかなびっくり森の中、はじまりの森の1層目へと入ると周囲を見渡す。
陽は昇り始めたばかり、森の中は相応に暗い……かもと思ったけど、実際にはアラスタに生えている光る果樹が自生しているので昼間並み、とはいかないまでも歩く程度なら問題にはならなかった。
そうして若干の緊張を顔に張り付けながら歩いていると、少し先の草むらがガサッ、っと音を鳴らす。
(っ!)
咄嗟に近くの木の影に体を隠す。音の主はさっきの草むらからガサガサと音を出すが、どうもこちらに来る気配、というか移動する気配が無い。
一度深呼吸をし、音の正体を確かめる為にそっと顔を半分だけ出す。
――モシャモシャ、モシャモシャ。
すると、そこにいたのは体長が1m強に幅が30?近くある巨大な芋虫だった。
この1層に出現するって言うモンスターは3種類。あれはその内の1つ、多分『キャタピラー』。
どうも草むらの草を食べているのに夢中で、こちらに気付く様子は無い。
(……私、あんまり虫に苦手意識無い方だと思ってたけど……)
小さい頃は花菜が虫嫌いだったのでよく虫退治をしていた(させられていたでも可)から免疫はある、筈だった……でもこれはまさしくスケールが違った。
表面に光沢は無く、ざらざらとした体の上側は黄緑色で横には黒い斑点がある。下側は白くて……あ、足がいっぱい、うぞうぞって……うーわー…………気持ち悪。鳥肌立ちそう。
(ううう、花菜……クラリスは絶対ここ後回しにしたよね。あの子、今も虫ダメだもん……)
毛虫1匹にぎゃあぎゃあと騒ぎまくる妹の姿を思い浮かべ、一緒にいるだろう仲間や友達は大変そう、そんな想像をして苦笑する。
ともあれ、せっかく私に気付いていないチャンスを利用しない手はない……でいいよね?
(……よし!)
気合いを入れ、改めてキャタピラーを凝視するとターゲットサイトが現れる。
(凝視しないといけない仕様が辛いなあ……)
ターゲットサイトは通常白い外環と黒い内環の2つの円で構成されていて、白い部分は対象を識別して色が変わる。モンスターだと赤。
同時にキャタピラーの頭上に新しくHPゲージが表示される。
そのまま視線を外さずキャタピラーから見えないように背後に、そ〜っと回り込む。
「……〈コール・ファイア〉……(ぽそっ)」
杖を両手で握り、出来るだけ小さな声でスキルを唱える。すると杖が僅かに光を放つ。
スキル〈コール・ファイア〉は|《杖の才能》の初期スキル。
効果は次に唱えた法術系スキルの威力を上昇する、というもの。短期で決めるには役立つ筈。
「……〈ウィンドショット〉(ぽそぽそっ)」
周りに灯りがあっても火では目立つかもと思い、とりあえず今回は風属性の初期スキルにしておく。
詠唱が終わると同時、杖の先に緑色の光が輝き、それを包み込むように風がヒュウヒュウと渦を巻き、風の玉が出来上がる。
それが拳大にまでなると次の瞬間には勢いよく飛び出し、キャタピラーの背中へと直撃する。
――パァン!
「キシャアアアッ!?」
キャタピラーのHPが一気に半分近くにまで減少し、痛みに体をくねらせ奇怪な鳴き声で叫ぶ。
「シャアァァッ!!」
「ひうっ?!」
キャタピラーはこちらに振り向き威嚇しながら迫る。赤く光る6つの複眼には怒りが浮かび、鋭いあごをガチガチと鳴らしている。
多少距離があったのに、キャタピラーは思ったよりも素早くでこちらへと体を波打たせながら近寄ってくる!
「あうっ!? ちょっ、こっち来ないでっ!」
攻撃しちゃったからそれは無理だよねー、と内心思いながらも、私はキャタピラーから目を離さないように前を向いたまま、ステップを踏んで後ろに下がる。
(早く、早く次を!)
追撃を仕掛けるべく、続いてもう一度スキルを唱える。
「〈ウォー――」
「ブシャアァァッ!!」
その瞬間を狙っていたかのように、キャタピラーは急停止し体を持ち上げあごを大きく開いて私に向かって糸の束を吐き出してきた!
(えっ、糸!? そんな事もするのっ!?)
はじまりの草原に出現するモンスターはその体を利用した体当たりなどしかしてこなかったので私は慌ててしまう。
「っ!!」
詠唱を止め、間一髪右後ろに飛ぶ事で糸からは避けられた。
けど、着地する際に地面から露出していた木の根につまづきそのまま尻餅をついてしまう。
「えっ?! きゃっ!」
ドテッ!
そんな間にも芋虫は着実に近付き再び糸を吐く体勢に入ったようだった。ここまで近付かれたら躱す自信なんか無い。
私はそれより先に杖を前に掲げて三度、攻撃を仕掛ける!
「シャ――」
「〈ウォーターショット〉!!」
バッシャーンッ!
キャタピラーは糸を吐き出したけど私の放った水の塊、〈ウォーターショット〉がその糸を弾きながら突き進み、頭に直撃する!
HPゲージが急速に減少していくけど1割程度が残ってしまう。
(〈コール・ファイア〉を使わなかった分、前より威力が落ちちゃったんだ……ううっ)
スキルにはそれぞれに『再申請時間』と言う物があって、一度使うと設定された時間が過ぎるまで使用出来なくなってしまう。
〈ショット〉系は一律15秒、〈コール・ファイア〉に至っては実に1分間も使えない。
ただ、そこは私の強み。攻撃スキルの存在する6つの属性法術を代わる代わる放てばいいのだからあまり関係は無い、のだとか(限度があると花菜に言われたけども)。
(は、早く……攻撃しなきゃっ!)
キャタピラーは苦しんでいるけどすぐにこちらに攻撃を再開しようと動き出す。
MPゲージはまだまだ余裕がある。急いで立ち上がり杖を構える。キャタピラーの攻撃よりも先に、間に合って!
「キシャアッ!!」
「〈ソイ、づっ、あいたっ?!」
ぽすん。
…………。
(舌噛んだーー!!?)
大事な時に何をしているの私!?
杖を掲げた体勢のまま、一瞬フリーズ。しかし、そんな余裕など有りはしない、キャタピラーは好機とばかりに一気に距離を詰めてくる!
「キシャアアアッ!!」
「ひっ!?」
キャタピラーの威嚇に対して私はおもいっきりビビり、ずざっと一歩後ずさる。
(どっ、どうしよう?! どうすれば!?)
そして遂に、キャタピラーが手を伸ばせば届く位置に辿り着く……。
事ここに至り、もはや法術なんて頭の片隅に追いやられていた、どころかまともに考える事すら出来てなかった。
だから。
「こっちにこないでぇーーーっ!!!」
だから、私は半ば反射的にその手に握っていた杖を振り下ろしていた。
ごいん。
鈍い音と生々しい感触が手に伝わる、その代わりに先程までのキャタピラーの鳴き声は途切れた。果たしてどうなったのか……固く瞑っていた目をそろそろと開く。
そこには私の杖が命中し、動きを止めたキャタピラーがいた。頭上に表示されているHPの残りが段々と減っていき、やがて0になる。
「キ、キィィ……」
キャタピラーがゆっくりと傾ぎ、ドドン……と地面に倒れた。次第に色が抜け落ち、やがて跡形も無く消えていく。
「は、あぁぁ……」
それを見届けると膝から力が抜け、ぺたりと座り込んでしまう。
「はあ、はあ……か、勝った………?」
タタンターン♪
『【経験値獲得】
《水属性法術》
[Lv.2]
《風属性法術》
[Lv.2]
《マナ強化》
[Lv.5]
《詠唱短縮》
[Lv.2]
《杖の才能》
[Lv.2⇒3]
【アイテムドロップ】
キャタピラーの糸[×2]』
自動でウィンドウが表示され、やっと戦闘が終わったと実感する。
「さ、最初から最後まで自分だけで戦ったのって、これが初めてだけど……序盤も序盤でこの有り様って、こんな調子で大丈夫なのかな私?」
今回は運良く攻撃を受けずにすんだけど……前回ずっと私を守ってくれていたクラリスのありがたみが改めて身に染みるなあ。
内心忸怩に思いながらウィンドウを閉じようと手を伸ばした、するとアイテム欄の下に『New!』と文字がある。
それに触れると……。
ジャンジャーン♪
『スキル修得
《杖の才能》:〈コール・ウィンド〉』
軽快な効果音が鳴り、新たなスキルが追加された事を告げる。詳細を確認する為にウィンドウを閉じて、システムメニューを開く。
『〈コール・ウィンド〉
疾き風の導きによりスキルの速度を上昇するスキル』
〈コール・ファイア〉とは違うのかな、と思いながらテキスト文をタップすると下にスライドしてスキルの詳細が表示された。
『〈コール・ウィンド〉
消費:MP[3]
制限:武器種別[杖]装備時
対象:スキル分類[法術]
タイミング:スキル詠唱前
効果:次使用スキルの速度10%上昇』
(んー、速度?)
これは飛んでいくのが速くなるのか、それとも詠唱してから生成するまでが速くなるのか……。
(後で試してみないと)
私は考えるのもそこそこにウィンドウを閉じる。いい加減先に行こうかと杖を支えに立ち上がって簡単に体を解す。
「んん〜。ぐずぐずしてもいられないし、気合い入れてがんばんなきゃ。よっし!」
獣道に戻ろうと後ろへ向き直る。その際、杖が草むらにかすった。
――ごん。
……しかし、立ったその音はとてもかすった、なんてものではなかった。
(……?)
そろりと視線を下げていくとそこには……私の腰辺りにまで迫ろうかという大きさの茶色い蜘蛛がこちらをギョロリと見つめられた。それには、どこか怒りの色が混ざって見えた(気がした)。
「スッ、『スパイダー』!?」
急いで杖を構える。しかし、大蜘蛛ことスパイダーは体をたわませ力を溜めて、私に向かって体当たりを仕掛けてきた!
「ギチィィッ!!」
「いっ?!」
ドンッ!!
体当たりをまともに受けてしまった。鈍い痛みがとっさに構えた腕に走り、衝撃で後ろへ吹き飛ばされてしまう。
「い……っ」
幸い木にぶつかった事で転ばずにすんだものの、スパイダーは地面に着地して8本の足をガサゴソと動かし、こちらに尾を向け――。
(ま、さか、キャタピラーみたいにスパイダーも糸を……?!)
そう嫌な予感が走り、倒れるように左へと身を投げる。次の瞬間、さっきまで私が寄り掛かっていた木にスパイダーがお尻から噴き出した糸が貼り付いた!
強張る体、詰まる息。恐慌に陥る一歩手前、それでも私を支えたのは同時に与えられていたチャンスだった。
「あ……っ、そ、〈ソイルショット〉ッ!〈ライトショット〉ッ!」
尾から繋がった糸をブチンと切ったスパイダーが再び私へと向きを変えようとしていた隙に、倒れた姿勢のままに2連続で法術を唱える。
即座に2つの橙と黄の光を中心にした土の塊と光の球となってスパイダーへと殺到する。その両方共が横腹に命中してしたたかに撃ち据えた。
でも、その2発だけではスパイダーのHPは奪いきれない。痛みにかスパイダーがジタバタと苦しみ悶え脚を蠢かす。
「ギッ、ギチチッ」
「っ! ダ、〈ダークショット〉!」
その複眼には更なる怒りの炎が燃えているよう。それに背筋を凍らせた私は復帰しない内にと、追加で〈ダークショット〉をお見舞いする。
バシュッ!
「ッッ、ギチィィィィッ!!」
断末魔の声と共にスパイダーは絶命し、足を縮こまらせ動かなくなった。
「ぜっぜっ…………痛っ」
タタンターン♪
『【経験値獲得】
《土属性法術》
[Lv.2]
《光属性法術》
[Lv.2]
《闇属性法術》
[Lv.2]
《マナ強化》
[Lv.5]
《詠唱短縮》
[Lv.2]
《杖の才能》
[Lv.3]
【アイテムドロップ】
スパイダーの複眼[×1]
スパイダーの糸[×1]』
ウィンドウが表示され経験値がちゃんと入ったようだけど、どうにも疲労感が強い。
この程度を連戦、と言っていいものかどうか。初心者用のダンジョンでここまでへっぽこな姿を晒すのは私くらいではないのかな? ああ、先が思いやられる……。
「だ、め。ここでぼけっとしてたらまた襲われちゃう。移動、しなきゃ」
両手で杖を持ち地面を突く、足に力を込めて立ち上がって周囲にモンスターがいないかを確認する。
少し遠くに何匹かいるみたいだけど、こちらにすぐ攻撃をしそうなのは見当たらない。
今の内に木の影に隠れておこう。
「ほっ……」
ようやく安堵する。戦うにしても肉体的、精神的に回復する時間は欲しい。
「ああ、こんなに減ってる……弱いなあ」
スパイダーに1回体当たりされただけでHPが一気に3分の1近くにまで激減してしまっていた。
クラリスに私の防御力を「紙」とか言われたけど、ズバリ過ぎる……。
これじゃ1人なのを心配されもするよ。
「回復しておかないと……」
次に攻撃を受けたら確実にアウト。MPはまだ余裕があるので法術ですませてしまおう。
杖を掲げ、自分の手をターゲットサイトで捉える。
「〈ヒール〉」
ほわっと体が光り、温かな熱を感じる。じわりじわりとHPゲージが回復していき5秒も掛からずに全快した。それと同時に光と熱も引いていく。
全身が光っていたので周りに気付かれていないかと見てみるけど、その様子は無い。
一度システムメニューを開いて現実の時間を確認すると8時半を回った所だった。
入浴を考えれば11時くらいにはログアウトしたいのでもう3時間も無い。
(いつまでも休んでもいられない、か……)
私は杖を握り直し、周囲のモンスターへと視線を移した。戦闘再開、出来る限り慎重に迅速に、やれるだけやってみよう。
◇◇◇◇◇
通常なら、戦闘と走ったり跳んだり泳いだりなどの激しい動きをする場合を除き、HPとMPはゆっくりと自然回復する(エルフは森の中限定でもう少し速くなる)。
……とは言え、戦闘を続ければ消費が回復を上回るのは当然と言えば当然な訳で。
つまり。
「ポーションが切れちゃった……」
こうなる。
時刻は既に夜の9時半過ぎ。
HPポーションはアビリティで効果が高まっているものの私のHPに対しては明らかに過剰回復であり、またレベルを上げたいのもあり、急ぎでない限り時折受けたダメージは〈ヒール〉で回復していた。
なのでそちらに関してはまだいくつかストックがある。
問題はもう一方、MPポーション。
私はダメ元で腰のアイテムポーチに触れながら「ビギナーズMPポーション」と呟く。手は一瞬ポワッと光る、けどそれだけ。
ポーチ内に対象のアイテムがあればこの操作で実体化する。そうならないのならそれはアイテムポーチに存在しない、と言う事……。
(そりゃ、使えば無くなるよね……ばかだなあ私、在庫確認するのも忘れるなんて)
ガックリと肩を落とす。
MPポーションは私にとっての命綱に等しい。
私の場合、攻撃方法が法術一択(杖で殴るのは非常時のみでありたい)で必ずMPを消費するのでガンガン使っていたら、いつの間にやらアイテムポーチの中から消えていたのだった。
それに気付かない程のめり込んでいたのか、余裕が無かったのか……いや、その両方かも。
序盤のスパイダー戦以降、なるだけ慎重な移動と位置取りを心掛けていたのでうろうろ歩いて埋まったマップはまだ半分程度に過ぎないけど、HPポーションがある内に一度アラスタに戻らないと。私はモンスターから2、3発攻撃を受けただけで死んじゃうんだから。
(ええっと、アラスタはどっちだろ……)
ダンジョンマップの他、フィールドや街のマップは視界内にも表示されているけどあくまで一部だけ。
全体のマップはシステムメニューで見る事が出来る。
『はじまりの森【1】』と表記された地図は黒い部分はあるものの、出口への道筋はきちんと分かる。地図を頭に留め置いてメニューを閉じる。
(モンスターに出会いませんように)
右方向へ向き直り、モンスターの有無を確かめながら歩き出す。
◇◇◇◇◇
「こんばんはー」
「ばんはー」
「ども」
「あ、こんばんは」
前方からやってきた他のPCたちが挨拶をしてきたので返しておく。なんだか山登りで挨拶を交わすような感じ。
ここでうろうろと徘徊している間にも何度かすれ違う事があったので戸惑いは少ない。最初はいきなり声を掛けられて驚いたものだけど。
きっと初心者ダンジョンだからこれでも少ない方なんだと思う。
ただ……。
「「「お?」」」
「……」
人によるけど、私を視認すると何かしら反応を返されたりする。今回のようにそう分かり易く驚かれるとどうにも気が滅入る。
やっぱり初期装備はもうそんなに珍しいものなのかな……。
なんにせよ、凝視されるのは苦手だった。なんだかこう……ムズムズする。
私の足は自然、速まってしまうのだった。
◇◇◇◇◇
街の明るさが段々と近付き、森もそろそろ途切れようかという時。
獣道をぽてぽてと歩いていた私の耳に、かすかに音が聞こえた。
――ブーーーン。
「……『ビー』。近付いてくる?」
森の中も大分明るくなっているので遠くからでも視認出来る。
黄色と黒のしましまの胴体に鋭い針、羽根を高速で動かしながらふよふよと移動している。
「MPは……少しは残ってる? んー……これならなんとかなる、かな? ……よし、あれを最後の相手にしよ」
杖を掲げて詠唱を開始する。まだビーは少し離れているけど射程範囲だろう。ターゲットサイトで捕捉する。
「〈コール・ファイア〉〈ウィンドショット〉〈ソイルショット〉」
レベルも上がってる、今ならこれで倒せる筈。
――フォン!
――フォン!
緑の光が風を集め、茶の光が土をまとう。一定の大きさになったらかすかな音を発しながら真っ直ぐにビーに向かって飛んで行った。
1発目。パン、と軽い音が響く。命中した風球は拡散し、衝撃にビーは吹き飛ばされて体勢を崩す。
でも、それがまずかった。
「あれ?」
2発目。体勢が乱れた事で土球の軌道からビーがずれてしまった。結果土球は空しくビーの横を通り過ぎる。
「うそ……外れた!?」
……あ、そうか〈ショット〉系のスキルには追尾機能が無いんだ。発射時のターゲットサイトの位置に直線で飛んでいくだけ。
ビーは空中にいる。地上のキャタピラーやスパイダーに比べて攻撃を受けた時に吹き飛ばされる距離はより大きい。
加えて威力を上げる〈コール・ファイア〉を使っている事で、その距離がより大きくなってたとしたら……?
(距離が開けば余計に外れやすいんだ……考えれば分かるじゃない、最後と思って浮かれてたっ)
持ち直したビーはブゥンと一際高く羽音を響かせながら、こちらを睨み付けて∞の軌道を描きながら迫ってくる。
ビーのHPは4割を切っている、後1発で倒せる……でも、残りのMPはショット1発分にわずかに足りない。
(逃げる……はダメ。ビーは針を撃ってくる!)
文字通りにビーは自身の尾の針を打ち出してくる。射程はそれなり、でも低確率で状態異常『麻痺』になる、みたい。現実の蜂では針を刺すと死んでしまう、とか聞いた事もあるのに、こちらのビーはずいぶんと逞しいなあ、と現実逃避な考えがよぎる。
背中を向ければ針に当てられる確率が上がる、運が悪ければ麻痺状態に、そして一方的に攻撃を受ける羽目になる。もしそうなったら私ではすぐにHPが空になってしまう。
その上走ると自然回復が発生しなくなる。
(攻撃を避けながらMPの回復を待つ? でも、必要分を回復するまで数十秒はかかっちゃう。だとするなら……残るのは)
己の浅はかさを恨みながら、杖を両手で構える。
体を動かすのは苦手ではないのだけど……得意とは間違っても言えない私。今までの戦闘では不意討ちで大半をすませてきた。
こんな事なら余裕のある内に正面からの戦いに慣れておくんだった。後悔先に立たず。
そんな考えに没入していると、ブンブン動いていたビーが空中でのホバリングに移行した。
尾をこちらに向けている、尾部がわずかにたわみ針を撃ち出す!
私はさっと横のある木の影へと入り盾代わりにする。と、次の瞬間ドカッ、大きな音と共に木が揺れる。
揺れがまだ収まらない間に、私は出来る限り全速でホバリングから再び飛行に移ろうとしているビーに接近する。
ただあまり速く走れている自信は無く、距離があるのも災いしビーは体当たりを仕掛けてきた。
(っ、なら!)
ざざっと土煙を巻き上げながら急制動。杖を頭上に振り上げ、タイミングを合わせて真下へと振り下ろす!
「てやあっ!」
ガッ!
杖はなんとかビーの頭へと当たった……でも、その勢いは止まらない!
ビーは何事も無かったように羽根をブゥンと鳴らし、私へ体当たりが直撃する。
ドンッ!!
「こはっ!?」
もろに下腹に攻撃を受けた私はその衝撃によろめき、膝を屈する。
けほけほと軽くむせってしまい動きが止まる。
ブゥゥゥン。
羽音に気付き頭を上げるとなんと至近からホバリング体勢になろうとするビーを見る。
(また、針を?!)
ぞわっと背筋に寒気が走る。考えるよりも先に、私は杖を向けられようとしている尾に叩きつける!
メキキッ!
――ブ、ブブゥ??!
狙いはしていないけど、杖は尾とその先に出ている針に命中する、ビーは明らかに動揺した。
直後に発射された針は、杖のお陰かわずかに私の横を逸れて草むらへと飛び込んで行った。
――ブ、ブ、ブ。
さっきのダメージからまだ復帰していないのか、ビーは動きに精細を欠いていた。
HPは残り1割を割り込んでいる、確認した私は杖で更に追撃する。狙うは尾の先、もう次の針がニョキニョキと生え出している辺りで!
「え、いっ!」
ガァン!
――ブゥゥーーンッ?!
ビーは杖の勢いのままに地面に叩き付けられ、最期に一度ブゥンと弱々しく羽ばたき、動かなくなり消えていく。
タタンターン♪
『【経験値獲得】
《風属性法術》
[Lv.3⇒4]
《土属性法術》
[Lv.3]
《マナ強化》
[Lv.6]
《詠唱短縮》
[Lv.3]
《杖の才能》
[Lv.4⇒5]
【アイテムドロップ】
ビーの羽[×1]
ビーの針[×1]』
『NEW!』
ジャンジャーン♪
『【スキル修得】
《水属性法術》:〈ウォーターエンハンス〉
《杖の才能》:〈コール・ウォーター〉』
お、終わった……。
どっと疲れが押し寄せる。
今日はもう戦うのは嫌、と言うより無理なので周囲を素早く確認して残っていたHPポーションをポーチから出してぐいっと煽り、逃げるように森を出る。
その先にはアラスタの壁がぐるりと続いていた。
「あう」
見上げれば木々が暖かく輝いていて、その光景に目がしばしばしてしまう。
森の中は木が鬱蒼と繁っていたけど、街の木の方が光がずっと強い。数が集まればこんなにも明るいんだと、森から戻って改めて感じる。
私はその灯りに誘われるようにふらふらと道を遡りアラスタの西門を目指す。
◇◇◇◇◇
門の内側へと、一歩。
「はあーーーーっ」
深く、深く息を吐く。
これでもうモンスターを気にしなくていい。そう思っただけで疲労感が全身を包む。
近くの壁に寄り掛かり、ずるずるとしゃがみこんでしまう。
視線を感じないでもないけどもういい、攻撃されないなら別にいいや。
そうしてしばらくの間、動けそうもなく目を閉じて、じっと落ち着くまで待つ事にした……。
――こうして、私の初めての1人旅は終わりを迎えたのだった。