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第4話「君のいない日」

 今回はちょっと短め。




 ピリリリ……ピリリリ……。


 ピリリリ……ピリリリ……。



 朝。目覚まし時計のアラームがけたたましく私を起こす。


「……………………っ」


 けど、まだ窓の外が明るくなり始めたばかりの時間では瞼を上げるのも重労働に区分される。だと言うのに、そこから更に目覚まし時計を叩かなければいけないなんて朝からハードルが高い。

 温かいベッドから這い出さなければ叩けない、けど二度寝するには喧しい、そんな絶妙の位置に目覚まし時計を置いた自分を恨みつつ、のっそりとベッドから這い出してアラームを停止してようやく私の頭がまともに稼働を開始する。

 冷夏だった今年はカレンダー上ではまだ9月の筈なのに、ベッドの温もりが恋しくなる程度には冷えていた。

 ベッド脇のスリッパを突っ掛け、ハンガーから取ったカーディガンに袖を通す。ただ、指から先を袖から出す勇気は無かった。

 エアコンに頼るにはまだ早いけど、長居してたらベッドに倒れ込みそうではある。息を吐いて取り合えずは顔でも洗おうか、そう思い私はドアを開ける。リビングなら多少はマシなのだから。


 ガチャリ。


 廊下に出るとお父さんが見ているだろうテレビやお母さんが勤しんでいるんだろう家事の音が聞こえてくる。

 でも。

 廊下に出て階段へ向かう途中、私はふと振り返る。そこには私の部屋のドア、その奥には花菜の部屋のドアがある。多分この時間ならまだ寝ているだろう。


「……………………」


 そうして私は立ち尽くす。

 すぐ近くにある筈なのに、私は一歩を踏み出せずにいる。まるで見えない壁でもあるかのように。


 また私は息を吐く。

 今度はため息だった。


「…………はあ」


 少しの間、項垂れ途方に暮れた。



 あれから、花菜との仲違いから4週間近くが過ぎた、過ぎてしまった。

 その間私たちの関係が修復される事は無く、相変わらず私は避けられ続けていた……。


 いや、正直に言おう。

 私も花菜と距離を置いてきてしまったのだから。


 あの後、私は花菜に話し掛けた。いつものように……けどあの日、あの時、あの場所での出来事は鈍く私のどこかに澱んでいた。

 いつものようにしようと考えた瞬間から“いつも”なんかじゃなくて……私もまた腫れ物にように、触れるのを躊躇ってしまった。

 花菜もまた、それを悲しそうに見て……私たちの間に出来た溝は見る間にその深さを増していった。

 だから、だろうか。私はその原因となったリンクスにもあれ以降、触れる気になれずにいた。


 そう、私はMSOを遊んでいない。あれから、一度も。


 もちろん最大の理由は現実での忙しさに間違いは無いけど、それを口実にしてきたのも否めない。


(どうすればいいのかな……)


 こんなに長く話していないなんて初めてだった。踏み出し方が、分からない。

 口実が終わる日の朝、そんな事を私は思った。



◇◇◇◇◇



 私の通う高校の文化祭は2日目に突入していた。前日は生徒のみだったけど、日曜日の今日は一般開放されている為、老若男女様々な人が訪れ前日よりも活気がある。

 まあ問題もそれだけ増えるとも言えるのだけど、今回の文化祭はあくまで文化祭実行委員会と次期生徒会が主導している。私の所属する現生徒会はあくまでそのサポートとバックアップとしての役割でしかない。

 暇な訳ではないけど、さりとて去年のような目を回す程の忙しさは無い。本営である会議室に陣取っていた私たち現生徒会だったのだけど……。


「野々原、そろそろ休憩に入っていいそうだよ」


 会計の宮前拓真(みやまえ たくま)先輩にそう言われた。


「待機していなくていいんですか?」

「だから交代で、さ。1人頭1時間くらいかな、もちろん呼び出しもありえるけど、まぁ遊ぶなりクラスの手伝いなりご自由にしてくるといいよ」


 見れば次期生徒会の面々も昨日からの慣れが多少は効果を発揮し始めているのか慌ただしくはあるけど回せてはいるようだった。その光景は頼もしくもあり、嬉しくもあり、また少し寂しくもあり、そんな気持ちを抱えてばかりも何なので外に出るのもいいか。


「分かりました、お先に休ませてもらいますね。何かあったらいつでも呼んでいただいて構いませんから」

「気にせず楽しんでくるといい。去年も昨日も忙しくて殆ど遊べなかっただろう?」

「多少の時間くらいは貰いましたよ。それに、まだ一応現役の生徒会役員ですから、お仕事優先です。先輩こそお気になさらず」

「まったく相変わらず堅いな」

「普通ですよ。じゃあ行ってきますね」


 私は呆れ顔の宮前先輩の視線を背中に受けながら賑々しい会議室を出て、更に騒々しい校内へと踏み出した。



◇◇◇◇◇



「あら? 生徒会役員様がこんな場末のクラスに何の用かしら。ウチは真っ当なお店よ、監査は必要無いと思うのだけど?」

「自分のクラスに用も何もないでしょうに……」


 『2−B 恐怖のお化け屋敷』と筆文字で書かれた看板の下、髪を振り乱した着物姿の幽霊だか妖怪だかに扮した幼馴染みは軽い調子でそんな事を言ってくる。


「少し時間を貰ったんだけど、何か手伝える事は有る?」

「有る訳無いでしょう」


 手伝いを申し出たらスッパリと切って捨てられた。返すのに1秒の間も無いとか、そこまで私は役立たずと思われてたのかな。


「受付にしてもこの通りのコスプレ前提。でも、あんたは元々勘定に入れてなかったから衣装も用意してない。予算もカツカツで予備も無し。呼び子で看板持つ体力がその細腕にあるとでも? ほら、する事なんて無いでしょ」

「……そう」


 クラスに居場所が無い、と言うのも中々に切ないものだけど、そう言われては仕方無い。準備にしてもまともに手伝えていないのだから文句を言う資格も無い。


「素直に遊んできなさいよ。去年も昨日もあんまり時間取れなかったんでしょう?」

「だからそうでも……いえ、いいけど。分かりましたよ、お言葉に甘えます」


 二度目のオススメには渋々応じ、私はその場を去ろうとする。


「あ、野々原さん。丁度良かっ、っだあ?!」

「え?」

「何でも無いわ。お客さんが来るからさっさと行きなさい」

「そ、そう……?」


 シッシッとまるで羽虫でも追い払うように追い立てられてしまった……まあ、邪魔と言われては従うけども……。


(でも柳下くん……小指でもぶつけたのかな)


 片足を上げて跳ねていたクラスメイトを心配しつつ、私の文化祭行脚は続いた。

 次に足を伸ばしたのは2−D。もう1人の幼馴染みがいるクラスなのだけど生憎と席を外しているとの事。


「何だったらぴかるが戻るまで遊んでいかない?」


 2−Dの生徒にそう言われる。確かこのクラスはミニゲームをいくつも遊んで総得点によって色々な景品が貰える、と言う物だった筈だ。

 中を覗けば電子黒板を用いた射撃やアナクロな輪投げは縁日さながらに子供たちに人気を博し、延いては親や祖父母までをも巻き込んでかなりの盛況ぶりだった。

 昨日の校内巡回では然程盛り上がっている様子は無かったけど、高校生とはやはりニーズが異なったのだろう。これなら閉会式で発表される2日目のMVPクラスに選ばれるかもしれない。或いは2日目に狙いを絞ったのか。

 ともあれ賑やかなその様子を見て2−D生徒の誘いを断る事にした。


「あの輪の中に1人で入り込む勇気は無いわ。外に出てるなら連絡を取ってみる」

「そう? じゃあ連絡ついたら交代時間忘れるなって言っといて」

「了解、伝えておく」


 そう言うと2−D生徒は新たに入ってきた親子連れの対応へと向かった。忙しそうで何より。


「さて、どこに行ってるやら。あんまり余裕無いんだけど……」


 情報端末を取り出す。着信は無いし、メールも無しか……まあ休憩自体突然だったし、早々抜けられるとも思われてないんだろうからこれは仕方無い。

 なのでこちらから幼馴染みの番号にかけてみる。


 プルルルル……プルルルル……。


(……?)


 いつもなら2コールくらいで出るのだけど倍のコールが鳴っても出る様子が無く、とうとう留守番電話に繋がってしまう。

 彼女自身は別段せっかちと言う訳では無い。むしろせっかちなのはさっきの幼馴染み1号の方で、2コール程度しか待たない。だからなるべく早く出るものなのだけど……どうかしたのかな。

 仕方無いので何時くらいまでは時間がある事と先程の伝言を入れて電話を切った。


「…………どうしよ」


 やる事が無くなった。クラスの手伝いと幼馴染みを訪ねると言う当初の目論見が早くも崩れ去り、どうしようかと途方に暮れる。止まっていても迷惑かと人の流れに乗って歩き出す。


(する事無いや)


 普段お祭りやこの手のイベント事の時はどうしていたかと問われれば、自発的に動く事自体が稀なのが私だった。ここ1年は生徒会にかまけてその傾向に拍車が掛かってもいる。

 2階から1階へ。どこかのクラスに入るでも、食べ物飲み物を買うでも無く、当ても無しにぶらぶらと歩く。

 途中迷子らしい小学生の面倒を見たり道案内などをしたりと、結局するのは雑用紛いの事ばかり。遊ぶなんて考えもしない。


(だっていつもは――)


 それが頭に浮かびかけると同時に反対に心が沈んだ。チクリと胸を刺す感情に意識を向けようとしたその時、ポケットに入れていた情報端末がブルブルと震えた。

 さっきの返信かと画面を見ると、そこに表示されていたのは『宮前先輩』の文字。

 少しだけその文字を凝視して……落胆する自分がいた。


「……丁度いい、よね」


 呟き、力無く無理に笑う。

 私の今年の文化祭はこれで終わりらしい。別に、する事があった訳でも無いのだから……それでも構わないじゃない。


「終わり、か……」


 小さくため息を吐いて電話に出た。

 『少し早いけど戻ってきてほしい』との事だった。

 予想通りなのに、返事が遅れた。



◇◇◇◇◇



「あ、いたいた。ちょっと、こんな所で何をぼーっとしているの?」

「会長……いえ、別に」


 体育館の光り輝くステージを、私は一番離れた後方の壁に寄り掛かりながら眺めていた。

 ここは2日に渡り開催された文化祭の最後を締め括るライブステージ。

 今演奏している軽音部の後もいくつか音楽系の演目が続き、文化祭実行委員長が閉幕を告げる予定なので我が校のほぼ全生徒がここに集まっているのだから騒がしくもなる。

 大多数の生徒たちは大概軽音部の演奏を間近で聞こうとステージの側へと寄っている、会場整理の実行委員さんたちはさぞ大変だろう。熱狂的過ぎて音がいまいち聞き取りづらい程だもの。

 そこから壁際の間にはカップルらしい生徒たちが仲睦まじげに語らい笑い合っている。

 そして、私のように壁際にいるのはそれなりにはいるのだけど……少なくともここは生徒会役員がいるには逆に目立つ位置だった。

 特にこの人はどこにいたって目立つのだから。


「別に、な顔じゃないようだけど……まぁ、貴女はわたしにどうこう言う性格でもなかったわよね。まずは自分で、が貴女のスタイルだったもの」

「……そうですね」


 闊達に話し掛けてくるこの人は1年前に私を生徒会にスカウトした張本人で、現生徒会会長の春日野さくら先輩。


 文武両道の才媛であり、同性の私でさえはっとするような美人。そして、その存在はいつも真っ直ぐに人を射抜く。

 ただ今はそれを正面から受ける気持ちではなく、私は視線をステージに向けていて、会長はならうようにステージをぼんやりと眺めていた。


「でも、貴女のそう言う不器用な所、結構好きだったわよ」

「……そんな」


 声のトーンが沈んだのが自分でも分かった。最近はそんな不器用な自分が嫌いなので反応が悪くなる。それでも会長は気にした様子も無く話を続ける。


「本当よ。それなりに無茶な勧誘で入ってもらったのに、貴女は人一倍真剣に生徒会活動に参加してくれた。感謝してるわ、楽しい1年だった」

「それは……入ると決めたのは私ですから。引き受けた以上はしっかりと応えないと」

「だから、そう言う所が良いって言う話よ」


 からからと笑う会長、けど今は……誰かに褒められても実感が伴わない。そんな気分だった。


「会長、最後にお聞きしてもいいでしょうか?」

「あら、珍しい。構わないわよ、何かしら?」

「1年前、どうして私を生徒会に誘われたんですか?」


 だから話題を逸らそうと思った。1年前に、関わりも無かった私を生徒会書記に推挙したその理由は、確かに疑問としてあったものだから、どうせなら聞いてしまおうとの考えもある。

 最後に、と言うのはこの場での話をこれで終わりにしたいのと、もう1つ。

 この学校の生徒会は夏休み前に選出され、夏休み中に少しずつ仕事のノウハウを教わり、2学期開始から間も無く催されるこの文化祭を初仕事とする習わしがある。私もまた丁度1年前の文化祭で目を回す程の忙しさに忙殺された経験がある者の1人だ。

 つまり今日を最後に現生徒会はその役目を正式に次期生徒会に移す。こうして会長と書記として話すのもそろそろおしまいだからと、私の発言はそんな事も込めてのものだった。

 果たして会長の答えは――。


「字が綺麗だったからよ」


 そんな端的な物だった。


「……はい?」

「偶然なのだけどね、去年の春先に廊下で貴女の生徒手帳を拾ったの。その時に書かれてた文字が綺麗だなって思ったのよ」


 会長は私の胸ポケットに仕舞ってある生徒手帳を指し示した。

 ……確かに、1年の初め頃に暑くてブレザーを脱いだ際に生徒手帳を落としてしまった記憶がある。職員室に届けられていたので誰が拾ったかは知らなかったけど、会長が?


「……でも、それだけで?」

「それだけで十分よ。だって貴女の字は、まるで誰かに宛てた手紙みたいに綺麗だったんだもの。誰かに読んでもらう為に書かれたような……そんな印象を受けたの。だから、その後で書記として真っ先に頭に浮かんだのが貴女の名前だったのよ。そんな字を書ける人に、わたしたちの1年を残してほしかったから」

「っ」


 その言葉に、体が強張った。

 “誰かに宛てた手紙”、そのイメージは私の中にもあった。


 手紙は誰かに読んでもらう物、だからこそその送る人が読みやすいように綺麗に書こう。何に対してもそうであろう。


 だって私は“お手本”になるんだから。


 そう幼心に思って、ずっと意識してきた事だった。


 そして、その“送る人”こそは――。


 それを思い出して私は俯いた。間違っても誰かに見られたい顔ではなかったから。


「……? どうしたの?」


 不意に黙った私に対する会長の問い掛けには応えず、私はぽつりと呟いた。


「……今日、思ったよりも暇だったんですよ」


 脈絡の無い答え、きっと会長は首を捻った事だろう。

 そう、私以外にはなんでもない話なんだから当たり前だ。


「全然……暇だった」


 消え入りそうな声が告げる意味。



 それはただ……今日、花菜が一度も姿を見せなかったと言うだけの話だった。



 いつも……小学校でも、中学校でも、去年だって、文化祭には所構わず私に会いに来てははしゃいでいた。騒がしかったし、困りもした……でも、迷惑と思った事は無かった。それは私にとって極々当たり前の出来事として馴染んでいたから。


『まったく、仕方無いんだから』


 それだけですんでいた。いつだって……いつだって……。

 でも今はこんな状態だから、もしかしたら来ないかもしれない、とは頭の隅で考えてもいた。むしろその可能性の方が高いかも、と。

 なのに、実際にその花菜が現れなかった事がこんなにショックだとは思わなかった。

 もし来たとしてもまともに相手も出来る時間は限られていたかもしれなくても、もしかしたら姿を見せなかっただけだったとしても……それでも寂しかった。姿を見せてくれなかった事が悲しかった。そう感じたのは偽りようの無い事実だった。


(きっと……きっと花菜も)


 だから、私はその時にようやく分かったんだ。

 花菜の来ない文化祭が寂しくて悲しいと私が思ったように、私の来ないMSOでは花菜自身がそう思ってるだろうって。

 あの日、MSOで私を引き止めたあの子は、きっとそれを感じていたから、もっといっぱい私と一緒に居たがったんだって。終わらせたくないと、零れ落ちる水を塞き止めようとするような、そんな些細な抵抗だったんだって。


(私は……お姉ちゃん失格だ)


 唇を噛む。ステージのライブは最高潮に達していて、かすかな嗚咽なんて簡単に飲み込んでくれた事が、今の私には救いと思えた。

 黙りこくった私を、隣の会長はいぶかしむでもなく、私の姿を隠すように壁になってくれていた。ただ黙って、ステージが閉幕するその時まで。




◇◇◇◇◇




 10月1日火曜日。


 文化祭が終了し、振り替え休日の月曜日を跨いだその日、全校上げての後片付けが終わった放課後の事。

 新旧生徒会役員合わせて10名だけの生徒会室で、私の役職は正式に次期生徒会へと受け渡された。

 それぞれの後継者から渡された小さな花束と温かい拍手を受け取った私は果たしてどんな顔をしていたのだろうか……知りたいとは、思えなかった。


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