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第29話「結花の本質」




 南大通りを中央へ向かって歩く、歩く、歩く。

 空は高く晴れ渡り、太陽は暖かく、風は涼を運んでくれる。こちらの世界と現実とがリンクしているのかは分からないけど、体感としては見事な秋晴れだった。


 ――だと言うのに、私の気分には一向にプラスの効果をもたらしてはくれなかった。


「はあ……」


 俯き肩を落としてため息を吐く。情けない姿だと確認しなくても分かる、そりゃ幸せだって愛想を尽かすでしょう。


 先程のNPCshopでの一幕からこっち、ずっと心を覆うモヤモヤが晴れずにいた。

 自身が、と言うよりアリッサに対する他者の視線にどう対処すべきか考えるうちに行き着いたふとした仮定。

 それを考えると…………やめよう。

 こんな事はいくら考えたってただの想像なのだから、それで時間を浪費した上気分まで落ち込ませてどうするって言うの。


(……………………はあ)


 そうしてわずかばかり気分を復旧して、振り絞ったなけなしの空元気を総動員して歩き続け、気付けばノールさんに教えてもらったお店の前に到着していた。

 古ぼけた看板には『サッタルカ×××』(現在の《言語翻訳》のレベルではまだ漢字は読めない)とある。ノールさんの言っていたのはここで間違いなさそうだ。

 外観としては周囲の建物とそう差異は感じられないけど、何と言うか立て付けや窓ガラスの具合がNPCshopとどっこいっぽかった。

 お店の前にはその名に恥じず商品だろう箒やバケツなどの比較的大きな雑貨が数点、値段付きで置かれていたのでそれを避けて戸に手を掛けた。


 ガラガラガラ。


 引き戸の音が大きく響き、次いでお店の奥から何やら声が聞こえてきた。


「キャク! キャク!」


 甲高くひび割れたその声はバサバサと言う羽音とのセットだった。


「ふがふが……これ、ポチ。うるさいぞぉ、むにゃむにゃ」

「ジジー、ネンナー!」


 いくつかの陳列棚の向こうには会計の為らしき机と、その奥に座って舟を漕ぐお爺さん。隣には止まり木が設置され鳥が1羽、羽根を休め……過ぎていた。

 鳥の種類には明るくないのでよく分からない、と言うか、そもそも鳥かも怪しい。少なくともハンドボールくらいの真ん丸な鳥なんて知らない。もう少し運動した方がいいんじゃ、と思う。

 それとも元々ああ言う体形の鳥だとでも? いや、異世界なんだから有り得るのかな。

 ポチと呼ばれた丸い鳥は一通りお爺さんに呼び掛けた後、息を荒らげて大人しくなっていた。


「えっと……」


 気持ち良さそうに眠っているお爺さんを起こすのは可哀想なので、まずは陳列棚を見る事にした。

 しかし、さすがは雑貨店。店内にはフライパンや鍋などの調理器具からノコギリ、トンカチなどの工具、サンダルや軍手などの生活雑貨が所狭しと溢れていた。結構埃の積もった商品もチラホラと……。


「……あ、あったあった」


 探していた筆記具は隅の方に申し訳程度に置かれていた。

 ノート(紐で括られた紙の束だけど)はB4サイズの物が数冊平積みにされ、その隣には鉛筆が十数本入った筆立てに、消しゴムっぽいのがケースに納められていた。

 この手の筆記用具は頻度こそ減ったのだろうけど2041年の今となっても使われている。高校からは完全にタブレット端末を利用した授業にシフトしたものの、義務教育期間中では“紙に字を書く”事を教える為によく使っていた。

 たかだか1年半前の事だけど、今は殆どボールペンくらいしか使わないから六角柱の鉛筆は思ったよりも懐かしい。


「………………?」


 首を捻る。


「あれ?」


 周囲を見てみる。


「……あれ?」


 やっぱり首を捻る。



「シャープナーどこ?」



 鉛筆は当然削られてない。学校では古かったけど電動の鉛筆削り機(シャープナー)で削っていたので、ついその手の物を探してしまう。

 でも考えてみれば、ここは電化製品なんて無いファンタジー世界、色々と便利な精霊器ならあるけど……シャープナー含め精霊器らしい物は店内には見当たらない。買えるとも思わないけど。


(でも、こんな風に置かれてるんだから削る道具が無いなんて事は……)


 ……と。


「何か探し物かね、ふがふが」

「わきゃあ!?!」


 背後から突然掛けられた声に、私は反射的に叫びを上げてしまった。一度跳ねた心臓の所為か鼓動がやけに速い。すぐに手で口を塞いで、恐る恐る首を回した。


「店、主さん?」

「タコ……もといイカにも、この店の主ジャレンじゃ。何かお困りかね?」


 接近をまったく気付かせなかった(単に私が鈍いだけかもしれないけど)ジャレンと名乗るお爺さんは禿頭に長い長い髭を蓄え、腰が曲がり杖を突いていた。そして耳は私同様に長い(ただしジャレンさんの場合途中から垂れていた)からエルフらしい。


(せっかく向こうから話し掛けてくれたんだから聞いておこう)


 私はジャレンさんに鉛筆を1本手に持って尋ねてみた。


「この鉛筆はどうやって削ればいいんでしょう?」

「ふがふが、何じゃ最近の星守ってのは鉛筆の削り方も知らんのか。全く、なっとらんのう」


 物知らずですみません……。


「ほれ、鉛筆を削るならこのナイフを使え」

「え?」


 ジャレンさんが指し示したのはノートなどの傍に置かれたケース。そこには手の中に収まるサイズの長方形の木片があった。


「ナイフ……?」


 手に持ってみるとカチッと上下に分割され、中からキラリと鋭そうな片刃のナイフが姿を現した。私はそれが微妙に恐くてすぐに鞘に収めてしまう。

 こ、これで削るの?


「あの、私使った事が無いので……出来ればお手本を見せてはいただけませんか?」


 小さいながらも刃物なだけに扱い方も知らずに手に持つのはやはり危険と思い、ダメ元でジャレンさんにお願いしてみた。


「品物は買い取ってもらうぞ?」

「あ、はい。それは勿論」


 そう言うとジャレンさんは眉をしかめながらも、「付いて来なさい」と言って机に向かってくれた。

 私も鉛筆2本、ノート1冊、消しゴム1個、ナイフ1本を手に、後を追い掛けた。


 それからは鉛筆削りのレクチャーを受ける事になった。

 ちなみにこんな小さなナイフでもしっかりとダメージが発生する事が分かった。一度掠った程度だったけどジャレンさん(ついでにポチ)からはこっぴどく雷を落とされた。失敗してからはより慎重に、鉛筆削りに集中した。


「ふがふが、大分慣れたみたいじゃのう」

「ま、まあ、お二方のご助言の賜物かと……」

「タリメー、タリメー、タリメーダー!」


 ぐったりと体の力を抜いて、手に持ったずいぶんと短くなった鉛筆を見る。

 正直削り方は雑の域を出てないんだけど、最初に比べればマシで鉛筆として使うくらいは出来る、筈。


「削り方をお教え下さってありがとうございました。凄く助かりました」

「これくらいなら構わんわい。鉛筆もナイフも買ってくれるようじゃしのう」

「はい、じゃあお会計お願いします」

「ふがふが、え〜……いくらじゃったっけ、数えるのめんどいのう。これ、ポチ」

「ゴジューロクー、ゴジューロクー!」

「56Gじゃな」

「ちょっ?! いいんですかそんなんで!?」


 しかし、内訳をジャレンさんに問い質したらノート20G、鉛筆1本4G、消しゴム8G、ナイフ20Gだったらしく……ポチちゃんは鳥かと思ったら、何とレジスターだったと言う衝撃の真実が明らかになりましたとさ。


「ふがふが、毎度ありじゃ」

「マイドアリー、マイドアリー!」

「……ポチちゃんって一体……」


 大いなる謎を残したままに、私はサッタルカ雑貨店を後にした。



◇◇◇◇◇



「ただいま帰りましたー」


 ギィー。玄関を開けてマーサさんのお家にようやっと帰宅する。ボス戦を終えた事もあってなんだかどっと疲れが出た感じ。


「あらら。お帰りなさいアリッサちゃん、って泥んこじゃないのー?!」

「あ、あはは。すみません、せっかくマーサさんに洗ってもらってるのに毎度毎度……」


 とかく今回のは酷い。

 全面的に汚れているので初見では分かりにくいかもしれないけど、元の色を毎日見ているマーサさんには当然分かる。

 マーサさんは飛び上がらんばかりに驚き、私の元に走り寄って来た。


「あららっ! そんな事はいいからお風呂に入っちゃいなさい、着替えは持っていきますから! って、あらら。そうだわ、湯船にお湯を張っていないわ、どうしましょ」

「落ち着いてください。私は体を洗えれば十分ですから」


 なんだか慌て過ぎて混乱しているマーサさんを宥めて、私はお風呂場へと向かった。さすがに今回は汚れ方が悲惨過ぎたので逆らうつもりは毛頭無い。



◇◇◇◇◇



 お風呂上がり、リビングのソファーで一息吐いていると、空の洗濯籠を抱えたマーサさんに戻ってきた。私が洗濯すべきと思っていたけど、手早く洗わねばならないとシャットアウト。その後マーサさんは私がお風呂に入っている間に恐るべきスピードで服を洗ってしまっていた。


「アリッサちゃん、お腹は大丈夫?」


 空腹度ゲージは6割前後。なるべく最大値に保っておきたいので頷いておく。

 手伝いを申し出たものの、疲れているだろうからとすげなく断られてしまった。

 せっかくなので昨日貰った教本とさっき買った鉛筆で書き取りをリビングのテーブルで黙々と進めていた……かったのだけど、それらはすべてマーサさんへのサプライズプレゼントの為の物。おいそれとは見せられず、私はただただダイニングの椅子で料理を待つ事となった。


「あらら。お待たせしちゃったわね」

「数分で待つとは言いませんよ」


 出てきたのはトーストやスクランブルエッグ、こんがりベーコンに簡単なサラダ、そして瓶に詰められた綺麗な色のジャム(多分)。


「数分でどうやってここまで……」

「あらら。ごめんなさいね、時間が無かったものだからこれくらいしか用意出来なくて」

「いえ、十分です。て言うか十二分くらいですよ」


 時間が無かったとはとても思えない出来だと私でも分かる。一体この人は何者なのだろうとちょっと本気で思ってしまった。


 その後は当然マーサさんの手料理に舌鼓を打ち鳴らした次第。

 もちろん頬の緩みを抑える術など私には有りはしないのだった。


 ふはーーーっ♪



◇◇◇◇◇




 カリカリ、カリカリ。


 カリカリ、カリカリ。


 食後、自室に退散した私は机の引き出しから教本と、アイテムリストから取り出した筆記用具を持って書き取りを開始していた。

 攻略に関しては……服が乾くまで外に出られないので今日はもうむりっぽい。


 カリカリ、カリカリ。


 カリカリ、カリカリ。


 そうして幾ばくか、思ったよりも手早く教本を進められていた。どうもこの手の面倒な作業には免疫が付いていたらしい。

 仕事を効率良く私にぶん投げた春日野先輩には敬意を払わずにはいられない……本音ですよ?


 カリカリ、カリカリ。


 カリカリ、カリカリ。


 それにしても……時間が掛かるかもと思っていたけど、このペースなら今日中に終わらせる事が出来そうだった。

 もちろん楽じゃ無いけど、目標が近いと分かれば力が湧く。早く終わらせられれば攻略に振り分けられる時間も増えるのだから。

 後はせいぜいバッドステータスに腱鞘炎が無い事を祈りつつ、時折鉛筆を削りながらの作業へと邁進した。


 カリカリ、カリカリ。


 シャッ、シャッ、シャッ。


 カリカリ、カリカリ。


 カリカリ、カリカリ。


 カリカリ、カリカリ。


 なんだか現実で勉強してるのとあんまり変わらないなあ。あっちではタブレット端末が主だけど。勉強自体はそんなに嫌いでもないから苦痛じゃないし、書き取りだけだから楽と言えば楽だった。

 《言語翻訳》をセットしてるともれなく日本語に翻訳されちゃうので外してるけど、各ページの端に対応する日本語を書き込んであるのでしっかり覚えながら鉛筆を走らせている。



 カリカリ、カリカリ。


 カリカリ、カリカリ。


 カリカリ、カリカリ。


 シャッ、シャッ。


 カリカリ、カリカリ。


 カリカリ、カリカリ。



 ――そうして、ひたすらに教本とにらめっこし続けて、どれだけの時間が過ぎたのか。ようやく、ようやく教本もラスト1ページを残すのみとなっていた。

 その頃には鉛筆は指よりも短くなっていて(削り方がへたっぴなのでムダに減りが早くて困る)、持つのも大分辛くなってしまっていた。



 カリカリ、カリカリ。


 カリカリ、カリカ……ピタッ。



 次のページは……無い。


「終わっ、たあ……」




 ポーン。



 鉛筆を投げ出そうとした瞬間、効果音と共にウィンドウが顔を見せた。



『【エクストラスキル修得】

 《言語翻訳》:〈言語解読〉』



「わ。やった!」


 ポン、と手を合わせる。

 新たに《言語翻訳》にスキルが追加された。こう言うのは初めてだから素直に嬉しい。

 このエクストラ(特別の〜、臨時の〜、の意)スキル修得と言うのは属性法術のようにレベルアップ時に修得する物とは別に、特定の行動を完遂する事でスキルが追加される修得方法を言う。

 例えば属性法術にも賢者に師事する事で特殊なスキルを伝授してもらえる、などのクエストがあるみたい。


 さっそく試してみるべくメニューの[ギフトリスト]を開いて《言語翻訳》をセットする。

 バサッ、とさっきまで見飽きるくらい見続けていた教本を開いてみる。


「…………」


 特に変わりは無かった。どのページを捲ってみてもそれは同様に。


「まあ、スキルなんだから言葉に出さないと発動しないよね。〈言語解読〉」


 そう言うやいなや、私の目の前に突如ウィンドウが開いた。スキルと区分されてもその様式は戦闘用の物とはずいぶん異なるみたい。



『〈言語解読〉

 ┏━━━━━━━━━┓

 ┃         ┃

 ┃         ┃

 ┃         ┃

 ┃         ┃

 ┗━━━━━━━━━┛

 [決定][取消][終了]』



 大きめのウィンドウにはスキル名である〈言語解読〉と[決定]、[取消]、そして[終了]の四語以外何も書かれてはいなかった。他に何かしら出来そうなのは上部の入力欄(多分)だけなのでとりあえず入力欄に触れてみると、触れた部分に一点、黒い点が入力欄に記された。


「これって……ここに文字を書くんだよね」


 首を傾げても始まらない、私は教本の一番最初にある文字を試しに書いてみる事にした。


「あれ?」


 教本に視線を移すとそこにはステラ言語がズラリと並ぶ。《言語翻訳》をセットした以上はこれらはひらがなに翻訳される筈なのだけど……。

 試しに[終了]を選択してウィンドウを閉じると、教本の文字はひらがなに変わった。


「……えっと、つまり……〈言語解読〉……ああ、やっぱり」


 再び〈言語解読〉のウィンドウを開くと教本の文字はステラ言語へ変わっている。どうも解読を使う間は翻訳は行われないみたい。まあ入力したい文字が自動で翻訳されちゃ困るしね。

 納得した私はなるべく丁寧に文字を入力してから[決定]をタップする。


 ピッ。


 すると《言語翻訳》で読んだのと同様の対応するひらがなとこの文字の読みがな(アクセント付)、簡単な説明が表示された。

 《言語翻訳》が名前通りの翻訳アプリみたいな物とすると、この〈言語解読〉は辞書であるらしい。


 ピッ。


 [取消]で書いた文字を消去すると、同時に説明も消えた。次に入力欄には日本語で[あ]と書いてみる。

 すると今度は先程の文字に変換された。


「良かった、この加護を使えば手紙を書ける!」


 わっ、と喜びが湧く。相互変換出来るみたい、便利で何より。


 でも、それもすぐに萎んでしまう。

 解読するのはどうも文字制限が存在するらしく、日本語からステラ言語にするにもその逆も、2文字までしか変換が出来なかった。


(やっぱりこれは《言語翻訳》のレベルに依存してるから、だよねー……そりゃ最初から一から十まで出来るとは思ってなかったけどさ)


 文字を入力する度に[ギフト]メニューから《言語翻訳》の経験値を確認すると少しずつ、本当に少しずつではあるけど確かに入ってる。

 それだけを頼りに、今度はウィンドウとにらめっこしての書き取りに突入した。



 スッ、スッ、スッ、ピッ、ピッ。


 ススッ、スッ、ピッ、ピッ。


 スッ、スーッ、スッ、ピッ、ピッ。



 もう今日はこれだけで終わらせてしまっても構わないと指を高速で動かしていく。

 縦に、横に、斜めに、止めて、はねて、ステラ言語のみならずひらがなも、次にカタカナ、そしてアルファベットに英数字と試す。


「……あ、そうだ」


 そうしている内に、私はちょっと閃いた。



『[一]



 [決定][取消][終了]』



 入力したのは漢数字の“一”。簡単な漢字ならあるいは変換出来るかもしれないと試しに入力してみると、嬉しい事に成功。

 でも続いて“二”“三”と入力したら――。



 ププーッ。



 ……失敗。

 う〜ん?

 他にも“四”とか“五”とか簡単な漢字をいくつか入力してみても軒並み失敗してしまい、一旦諦めてひらがなカタカナに戻る。



 スッ、スッ、ピッ、ピッ。


 スッ、スッ、ススッ、ピッ、ピッ。


 スッ、スーッ、スッ、ピッ、ピッ。



 ポーン。



『【経験値獲得】

 《言語翻訳》

  [Lv.2⇒3]』



「やっとレベルアップしたー」


 〈言語解読〉の書き取りを初めて早20分弱。ウィンドウがレベルアップ告知で上書きされたので、力を抜き椅子に体を預けて人心地つく。

 一度時刻を見ると10時10分過ぎ、今日は早めにログアウトするつもりだったので次にレベルアップしたら終わろうかな。


「よしっ!」


 ラストスパートと言うにはちょっと長いけど、気合いを入れてウィンドウに向き直る。そして、〈言語解読〉ウィンドウに何かしらの変化があったのかを検証する。


「レベルアップしたって事は……文字数とか、後はっと……あ、やっぱり」


 短絡的と言われようと実際その通りだったんだから問題無いよね。3文字まで入力が可能になったなら今までよりもずっと色々な言葉に挑戦出来る、何度も何度も同じ文字ばかりだと飽きちゃってたからモチベーションとしては凄く大きい。

 そしてもう1つ。


「“三”が入力出来た……」


 さっきはダメだった漢数字の“三”がOKになっていた、けど“四”はまだ無理のまま。これはやっぱりそう言う事?


「えっと、レベルが2で“一”と“二”が、3に上がったら“三”が大丈夫になった、って事は…………画数、かな」


 今まで“一”や“二”とかも書いてきたけど、一緒に長音符やカタカナの“ニ”も表示されていて確証には至らなかった。

 でもこうなると……とりあえず思い付くのはそれくらい、だったら試してみればいい。まずは1画で“一”以外と言うと……?


「“乙”、と」


 ちょっと不安だったけど無事に成功。まあ、さすがに十干については説明が表示される事は無かったけどね。

 次に漢数字以外の2画漢字から“人”と“七”“八”“九”を成功させ、三画漢字の“女”“子”なども成功、けど“日”“月”は失敗したのでレベル=画数だと確信する。


 ただ、文字数については少し法則がある。

 1画漢字の後には2文字目にひらがなカタカナを入力出来たのだ。“一一(いちいち)”や2画漢字1文字とひらがなの場合もOKだったけど、3画漢字はそれ単体しか入力出来なかったので、ひらがなカタカナは総じて1画漢字扱いではと推測しておく事にした。


 他にも何かあるかなと探してみると――。


「! これって……もしかして」


 着目したのは経験値。前に失敗した時には経験値は殆ど入ってなかった、だから失敗ばかりだった今回の経験値も同じようなものと思ってたのだけど……。

 確認してみたら予想してたより経験値が多め(決して“多い”ではない)だったからびっくり。

 可能性としては3文字に増えたからと漢字を積極的に使ったから。

 そう言えば戦闘用の加護はモンスターとの戦闘では入手経験値が上がる、それにザコよりもボスの方が多い。なら《言語翻訳》でただ読むよりも〈言語解読〉で書き取りをした方が経験値の入手量が増える場合だってあるのかも。

 さもなければ、今はいいとしてもこれから先のレベルアップに膨大な手間と時間が必要になってくる筈なんだから有り得る話である。


(じゃ、なるべく漢字を使う方向でいこうか)


 そうして書き取りを再開したものの結局以前よりも早いレベルアップとなり、少々拍子抜けしながらもノルマはノルマとログアウトする事にしたのでした。




◆◆◆◆◆




 ガチャッ。


 冷蔵庫を開けると冷やされた空気が、お風呂上がりの火照った頬を撫でる。

 飲み物棚から麦茶を取り出す。夏場に買った大量の麦茶パックは、2040年代になった今でも来年の夏までは持たない。暑さよりも寒さが勝ち始めた10月でも、コツコツと飲んでおかないと来年の梅雨にはゴミ箱行きの運命なのだ。メーカーの罠である。


(勿体無いなら買う量を控えめにすればいいのに、単価が安いからっていっぱい買い過ぎだよお母さん)


 コポコポとコップに麦茶を注ぐ。時期的にはお風呂上がりぐらいしか飲む気が起きないけど、少しずつでも減らそうとがんばっている私である。


「お風呂上がりのお姉ちゃんは色っぽーいっ!!」

「げふっ?!」


 突如後方から謎の物体Xが私の背骨へと砲弾の如く激突した。一瞬意識が暗転する程の衝撃の中、不幸中の幸いとして麦茶が無事だった事だけは追記します。


「あん、ごほっ、あなたって子は……」

「あー、シャンプーのいい匂ーい。何でお姉ちゃんが使うとこんなにいい匂いになるのー? くんかくんか、ハァハァ」


 ……テンションがおかしい。


「離れなさい」

「だが断る!!」

「……しつこい人って、嫌いなの」

「すんません! マジすんません! ちょっとした出来心だったんです!! 許してくださいうええ〜ん」


 土下座しちゃったよ。


「……やめて、本気でついていけないから」

「怒ってない?」

「怒ってます。だからこれ以上怒らせないで」


 手を差し伸べる。花菜はそれを取って立ち上がる。


「はあ……今日は一体どうしたの?」

「あのね、さっきずっと足止め喰らってたボスをようやく倒してそのまま落ちたからテンションがガンガンに上がっちゃってて……えと、ごめんなさい」


 風船から空気が抜けるように、みるみる元気が萎えていく。しょぼんと力無く項垂れる花菜に、怒る気も失せてしまう。

 ダメな姉だ。


「危ないからああ言う事はもうしちゃダメよ。もししたら……花菜の好き嫌い無くしてあげる」


 ニッコリ笑って言うとブワワッ、と花菜の顔に脂汗が滝のように流れ出した。

 好き嫌いを無くす。それが意味するものは時折私が花菜の好き嫌い克服メニューとして出している『お子様卒業ランチ』の事。いい加減嫌いな食材を見つける度に「おうふ」とか顔を曇らせないでほしいのです、作る側としては是非。

 何やら思い出したのかガタガタと体が震え始めた。まったく、花菜の嫌いなメニューだけで構成されているとは言え、あの(、、)程度でどうしてそんな反応になるのやら。


「よろしい?」


 花菜がガックンガックンと首を激しく振る。効果は抜群なようだった。


 そうして相対していると不意に先程の花菜への考えが甦り、お風呂上がりの温まった体が何故か少し、熱を増したような気がした。


「……ねえ、花菜」

「な、なな、なんですかお姉ちゃん(ガクガクブルッチョ)」

「落ち着いて」


 なでなで。


「ほにゃ」


 頭を撫でると途端にとろけた。簡単過ぎないかな、この子……。


「その、ちょっと聞きたい事があるんだけど……時間大丈夫?」

「お姉ちゃん絡みだから大丈夫じゃなくても大丈夫!」

「……あのね、もっと自分を大事にしていいんだよ?」

「アイマム! でも今はほんとにヒマだよ?」

「……そう。じゃあ……」



 落ち着いて話そうと言う事でリビングのソファーに座る。花菜は私の隣で腕に絡み付いていて……話しづらい。


「それでどうしたのー? 何かあった?」

「……今日、えと……MSOでノールさんのお店に行ってきたんだけど、ね?」

「ふんふん」

「それで、他のお客さんが来て、それで……その人たちに、かっ、かわ、可愛い……って言われたの」

「……………………男?」

「え、あ、う、うん。そうだけ――――」



「どこの身の程知らずかな?」



 花菜の瞳がギラリと不吉な輝きを帯びているっ、恐い恐いっ!? ゴゴゴゴゴとか変な効果音は要りませんよっ?!


「か、花菜? 花菜っ!?」

「お姉ちゃん大丈夫だった? 変な事聞かれなかった? 変なトコに連れてかれなかった!? 変な事されなかった?! お姉ちゃんの貞操はあたしんだっ?!?」

「なんの話ですかっ?!」


 感情が暴走の一途を辿り、力の限りに抱き付きわんわんと泣きわめく花菜に辟易しつつも、なんとか話題の軌道修正を試みる私。とりあえず花菜を落ち着かせねば、えーとえーと……。


「ああっ、もうっ!」


 ぐににににーっ!


「あばばばばばばばば?!」


 両頬を力の限りに引っ張るとようやく勢いを削ぐ事に成功した。


「はあっ、はあっ。す、少しは落ち着いた?!」

「おひふひはひは」


 だらーっとよだれが垂れそうだったのでさっさと指を離す。

 ぱちん。


「それで、一体何が何なのお姉ちゃん。あたしにその穀潰しどもを誅殺しろって言う話じゃなかったの?」

「誰が・いつ・そんな事を言いましたかっ!」


 いつからうちの妹はこんな物騒な発想に行き着くような子に育ってしまったのか……私泣きそう。


「じゃあ……何ー?」

「う」


 改めてまっすぐ見つめられると答えに窮する。明後日だか明明後日だかの方向に視線を泳がせる。


「そ、その……わ、私そんな経験無いから、か、可愛いとか言われても困って、何にも言えなくなって……どうすればいいか聞こうにも知り合いに聞ける話でも無くて…………だから、花菜もクラリスも……か、可愛いから、そう言う状況になった時……どうしてるのかなあって思って」


 クラリスも十二分に愛らしい見た目をしている、パーティーメンバーの4人も負けず劣らずに個性的で見目麗しい容姿なのだからそう言った経験はありそうなものだ。果たして返答は――。


「うへへ、お姉ちゃんが可愛い」


 会話のキャッチボールが成立しませんでした。


「ひっ、人が恥を忍んで話したのにい〜」


 恥ずかしさのあまり花菜をぽかぽかと叩く私。されど幸せそうな花菜。


「ご〜め〜ん〜な〜さ〜い〜♪」

「そ、そう思うならちゃんと答えてよ……」

「んー、別に普通? あたし男の人でも女の人でもあんま対応変えないもん。声掛けられたくらいなら『どーも』ですませちゃうかなぁ」

「? でも、さっきは男の人云々で暴れだしたじゃない」

「お姉ちゃんに近付くのは悪い虫だもん。対応は別口です。市中引き回しの上打ち首獄門的なあれやこれや」

「却下! しちゃだめそんな事!」


 どう言う理屈か!


「やだなぁ冗談だよお姉ちゃん」

「冗談に聞こえなかった……。じゃあ話を花菜の場合に戻すけど……その、声を掛けてきたのがしつこい人だったらどうするの?」


 私自身そんな人に絡まれたのはプレイ再開初日だけだけど、これからも無いとは言えない。

 そんな問いに花菜は特に考える風も無く、指を1本ぴんと立てると下へ振り下ろした。


「切って捨てる。バッサリ、ポイ」


 イメージするのはクラリスが剣をすらりと抜いて凄む構図。

 と言うか実際に剣を投げたのを目の当たりにしていたので楽勝でイメージ出来ちゃった……。


「だっ、だからだめでしょそんな物騒な事しちゃあっ! めっ!」

「あうんっ♪」


 チョップを脳天に食らわせたらまた喜ばれた。花菜はホクホク顔でうなじの辺りをなでこなでこしてるけど、負けずに話を戻す。


「もうっ、まさか毎回あんな事してたの?!」

「何言ってんの、別に実際に剣をぶん回してる訳じゃないよー。比喩だよ比喩」

「いつだかの様子と今さっきの荒れようを見ると素直に信じられない」

「あれはお姉ちゃんが絡んだからだってばー、あたしのリミッター関連は諸々全部お姉ちゃんに集約してるんだよ。だから普段のあたしは冷静沈着なくーるびゅーてーだもん」

「うそだー」


 無い無いと鼻で笑ったらブーイングされた。


「ほんとだもん。こう……こんなんでー」


 と言って両手で顔を隠して何やらもぞもぞとした後にご開帳した顔は――。


「っ」

「あ、びっくりした?」


 花菜の顔、と言うか表情が……全体的に無感情で鋭い印象に変わっている。普段はキラキラと輝く瞳もまた酷薄な冷眼に、それこそ他人を見るような、そんな瞳に変わってしまっていた。

 唯一平時と変わらぬ声も、まるで後から付け足したかのようにチグハグで、ひどい違和感にまみれている。


「しつこい奴にはコレとドスを利かせた文句くらいでビビってどっか行くよ」


 声のトーンが下がる。


「『迷惑だって分かんない?』とか」


 ズキン。


「『あたし、今忙しいから』とか」


 ズキン。


(……?)


 普段感情を全面に押し出している花菜だから、そしてそれを普通に思っている私だからこんな印象に映るのかもしれないけど、それでもその表情は、瞳は、セリフは、冷たいナイフのように私の心臓に突き刺さる。


「アリッサお姉ちゃんはすごい美人だからこんな感じで超然としとけば声を掛けてきた方も腰が引けるんじゃない? ビクビクしてると小動物チックで可愛いだけだし」


 そうツラツラと見解を述べる花菜。けど、その顔は冷たいまま。


(何……コレ? どうして?)


 それを見ていると心臓がギュッと締め付けられるようだった。

 それが私に向けられていると思うと、目頭が熱くなった。


 だから。


「それに、何か困ったら言ってよ。すぐに飛んでくし」

「う、ん……分かった、から…………だから」

「?」


 私の声はどこか上擦っていた。か細く、頼り無く。


「おね――」

「だから……」


 気付けば私は無意識に花菜の頬に両の手を添えていた。まるで硝子細工を扱うようにそっと、そっと。



「他の誰にしたっていい、でも私に……そんな顔しないで、いつもの……可愛い花菜でいて」



 不安で胸が裂けてしまいそうだった。花菜のそんな冷たい表情を、瞳を、セリフを、真実私に向けられたものでないと頭で理解していても、向かい合うだけで……気持ちがぐちゃぐちゃになってしまう。


「……おねがい……」


 絞り出すように囁かれた言葉は懇願めいていて震えてる、私の心のどこからこんな想いが湧いたのか……私自身も分からない。

 ただ、一筋。その気持ちを凝縮したような雫が、頬を伝ったのだけは理解が及んだ。


「……ぁ」


 花菜から返す言葉は無い。花菜は呆然と、それまで息をするのを忘れていたように鋭くヒュッと息を吸い込むまで、動かずにいたから。

 そして私の手が緩むと同時。


 バッ!


「しないっ!!」


 花菜は私を抱き留めた。腕に込める力は激しく強く、けど今の私にはそれが心の底から安心出来た。


「しないっ、するもんかっ! 絶対、絶対! あたしは、お姉ちゃんにそんな顔させる事しないもんっ!」


 抱き付いた事で、花菜が今どんな表情をしているかは分からない。でもその叫びには真摯な色がこれでもかと込められ、カラカラの地面に染み入るように私の心を潤していく。


「……ごめんね、おかしいね、訳分からないね、変だね、わがままだね……ごめんね、ごめんね」


 自分でも自分が分からない。だからだろうか、この温もりを手放したくなくて、私は伸ばしたままだった腕で静かに花菜を抱き締める。花菜の存在を確かめるように、抱き締めた。


「いいの。あたしは幸せだから。こんなに幸せでいいのかなって思うくらい幸せなの。あたしは、お姉ちゃんにこんなに想われてる。だから幸せ、だからいいんだよ」

「花、菜…………花菜あ……」


 揺れる。グラグラ揺れる。

 この気持ちは何なのだろう?

 私は一体どうしてしまったのだろう?

 私は、何なのだろう?

 私は……私は……。



 ガチャッ。



「2人とも何してる「何もしてないでしゅっ!?」の?」


 ドカンッ!!


 説明しよう!

 突如ドアを開けて入ってきたお母さんに驚き、私は反射的に私を抱き留めてくれていた誰かさん(、、、、)を火事場のバカ力で突き飛ばしてしまったのでした。


「あ。」

「――お、お姉ちゃんにヤられるなら割と本望……ぐはっ」

「か、花菜ーっ?!」


 壁に激突して力尽きた花菜の面倒を見ていたら、今日の残りは慌ただしく過ぎ去った。




 ……さっきの気持ちはどさくさの中、どこかへと逃げて隠れて……幻のように消えていた。


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