第15話「私は私の力の限り」
そしてまた、私は壁を越える。
エリア間に存在する境界線、不可視の断層、通り抜けられる壁を、今度は1人きりで。
ざっ。
はじまりの森に戻ってくると、賑やかな2人がいなくなったからかなんだか寂しさが胸に沁みた。
(ずっと1人だったのにね)
でも、一緒に来てくれるとの申し出を断ったのは私自身なのだから、そんな事に悩んでいてはいけない。頭を振ってその気持ちを振り払い、踵を返して再びボスエリアへと引き返す。
枯れ木と枯れ草が規則正しく並ぶ道をぽてぽてぽてと歩くと程無くさっきまで3人でいた広場へと到着する。
ここから見える風景は全く同じにしか見えないけど、セレナや天丼くんに説明された通りならここはさっきとは別の場所なのかもしれない。
「すう……はあ……」
深呼吸を繰り返す。自分で言い出した事ながら緊張する、あの凶悪なボスモンスター・ジャイアントモスに単身挑むのだから、緊張しない訳が無い。
「ん。よし!」
私は気合いを入れると、メニューを操作してアイテム一覧からさっきドロップした小石大で半透明の黒い水晶、アイテム名『瘴気の欠片』を取り出す。
体を捻り、出来るだけ遠くへと瘴気の欠片を投げる。
「えいっ!」
ひゅーん、ぽてっ、ぽてん。
「…………5mすら飛ばないとか」
仕方無く、私は瘴気の欠片から少しでも離れるべく全力で走る、走る。途中で背中を透明な壁のような何かに押されて仰け反ったりもする、多分ビッグスパイダーの時にもあった物だろう。どうやらあれはモンスターを中心に拡がっていたらしい。
――ドッ、クンッ。
耳の奥に、鈍く沈むように響いた鼓動に似た音に、背後を振り返る。
そこでは随分と遠くなった瘴気の欠片がふわふわと宙に浮き上がっていた。そして瘴気の欠片にまとわりつき始めたのは漆黒の靄。靄はドクンドクンと脈打つ度に濃度を増していく。
『一度でもボスを倒すと、以降そのボスエリアではボスが現れなくなる。今回俺たちのパーティーにいたアリッサさんもそうなるな。だが瘴気の欠片があれば別だ。それをボスエリアで実体化させると周囲の『瘴気』が反応してボスを再構成し始める』
天丼くんの説明を思い出す。
(あの黒い靄が瘴気……?)
あれは先程ジャイアントモスの体から吹き出した物と似ているように思う。
(って言うか……瘴気って何?)
根本的な疑問に首を傾げるけど、答えが帰ってくる筈も無く……その間にも瘴気の欠片の変化は続いていた。
ドクン。ドクンドクン。ドクンドクンドクン。
加速度的に速まる音、急速に集まる瘴気、それは集束し拡散し、やがて形作るのは見覚えのある巨大な蛾の姿。
「ジャイアント、モス……!」
『ギィィギァァアアアッ!!』
ビリビリと空気を振るわす咆哮はしかし、傷を負っていた以前の個体よりも一層力強さを増しているかのよう。
「っ……」
そのあたりの迫力に、じりっと後退る。
――バサッ!
エリア内に私しかいないものだからジャイアントモスは真っ直ぐこちらへと向かってくる。
(まずは、この距離を保たなきゃ)
タッ!
(私の足で、どこまで逃げられるかは分からないけど……)
弱気が『あ、出番?』とばかりに不意に顔を覗かせる。
けど戦闘は既に始まっている、弱音を吐いていい時間はとっくに過ぎてるもの……今はやれるだけやらなきゃ!
バサッバサッバサッ!
「待ってくれる筈も無いよね……〈コール・ファイア〉〈ライトマグナム〉――――」
1つ、2つ、3つ、4つ、5つ、6つ。
エリアの外周を走りながら、今の私に用意出来る限りの法術を待機させる。
調べてみた結果、待機状態には限度がある事が分かった。具体的には対応する加護のレベルの十の位の数+1。例えば《火属性法術》のレベルは現在7、十の位は0なのでそこに1を足して1。結果《火属性法術》のスキルは1つだけしか待機させられない。
(6つ……本音だと、それそこMPが尽きるまで貯めてしまいたいものだけど、贅沢は言っていられない)
本来なら私程度のレベルでは1つしか待機状態に出来ないのだ、それを思えば6つも出来るのは僥倖の範疇と言える。
――バサバサッ、ビュウウッ!!
(っ、ダッシュ!!)
ぐんと足の回転を速める。
そうして準備に勤しむ間にも、背中には断続的な攻撃の音と衝撃が押し寄せる。今も突風を起こしたタイミングで斜め方向に走って直撃を逃れた所だ。
ただ、幸いにも“一定ダメージを受けたら鱗粉を撒く”と言う行動パターンのお陰で〈キュア〉の心配をしなくてすんでいたし、イーヴィライズしない内なら私の足でもなんとかそうそう追い付かれない程度の飛行速度らしい。
(次の攻撃が来たら……今度は、私の番!)
ブオンッ!
風起こし! 私は一層強く、地面を踏み込む!
ダンッ!
耳にはビュウビュウと風を切り裂く音が聞こえる。かまいたちによる乱気流が巻き起こっているんだ、届かないように祈りながらも背筋が凍る。そして……っ!
ずざざっ!
足を止め、振り向き、杖を掲げ、狙いを定め、高らかに……叫ぶ!
「リリース!!」
瞬間、杖の周りを滞空していた6つの異なる球体はさながらダンスでも踊るように、整然と螺旋を描いて飛んでいく。
それらは私に向かって羽ばたいていたジャイアントモスの体の中心に吸い込まれる。
グ、アァッ!!!
6つの音が重なった。巨体はその衝撃で少しだけ後ろへと押し戻される。
けど、1つ1つは小さく威力もそう高くない、この攻撃で奪えたHPはゲージ1本の1割程度。
(これだけやってようやくセレナのスキル1発分……先は長いなあ)
泣き言を言う時間も惜しい、私は当たったのを確認してから再び走り出す。
持久走……持久戦? の始まりだった。
◇◇◇◇◇
グ、アァッ!!
「2回目……!」
再びの6連撃によりHPを2割強減らしたジャイアントモスは羽根を大きく羽ばたかせて上空へと飛翔する。
ダメージが蓄積したので鱗粉を撒くつもりみたい。
「ぜっ、ぜっ。や、休める……はあ」
ぺたり、地面に座り込む。
散布は上空をぐるぐると旋回するので多少時間が掛かる、私にとっては延々と攻撃を放たれ続けながらの逃走なもので、ゴリゴリと神経を磨り減らしてたから休憩としては非常にありがたい。
やがて陽光を反射してチラチラと瞬く鱗粉が舞い降りてきた。
(これも攻撃じゃなければ少しは綺麗だとも思えるのにね)
しかしそんな感想はお構い無しに、鱗粉を浴びた私は容赦無く毒状態にされてしまった。
「〈キュア〉」
ダメージが発生するよりも先、アイコンが現れるのとほぼ同時に、私は毒を浄化する。《聖属性法術》持っててよかった。
上空からは鱗粉の散布を終えたジャイアントモスが降下してきた。降下する位置はランダムらしいけど、今回は割と近い。
さて、持久走を再開しなきゃ。立ち上がり体を沈ませて右足にググッ! と力を込めて駆け出す。
(出来るだけ距離を――っ?!)
バサバサバサッ!
そう思った矢先、後ろからはジャイアントモスが激しく羽根を羽ばたかせて加速をつけての体当たりの体勢に入っている。体当たりは滑空の要領で繰り出され、比較的攻撃の範囲が長い……出来るだけ横に避けな、きゃ?!
(こっちを追って来てる!? だめっ……避けられない?!)
ジャイアントモスは私が右に行けば右に、左に戻れば左にと、左右の巨大な羽根を器用に使ってコースを微調整していた。
(たっ、大変! 私の貧弱な防御力と雀の涙なHPじゃ、あんな攻撃をまともに受けたら……!)
――ズオオッ!! ジャイアントモスの巨体が刻一刻と迫っている。
「プ、〈プロテクション〉!!」
キイィィィィン!
迫る巨影、その目の前に私を中心にしたドーム状の光の壁が展開される。
《聖属性法術》のスキル〈プロテクション〉。敵の攻撃を遮る防護壁を作り出す、法術の中で唯一の範囲防御スキル。その最大の強みは私自身を基点として展開出来る事にある。
シールドやチェインは自分とモンスターとの中間、もしくはターゲティングした地面からしか発動出来ない、と言う制限がある。それはこうして追われている時でも振り向き、自身の目で捉えねばならないと言う事。
けど〈プロテクション〉なら、発動時に自身の一部さえ捉えられれば問題が無い。
ドオオンっ!!
そこに凄まじい衝突音と共にジャイアントモスが激突すると、ドームが揺れ一気に無数の罅が全面に走る。
〈プロテクション〉もシールドやチェインと同様に一定ダメージ以上で砕けてしまう、私程度じゃ防ぎ切る事はどだい無理……それでも、生まれた一時がある。だから私は――――。
――パリン。
薄氷を踏んだような軽い音を響かせて、ドームは粉々に砕け散った。
降りしきるのは淡く輝く光の粉雪、欠片は煌めいて降り注ぎながらも地面に触れた途端に更に砕けて消えていく。そして、幻想的な光景の中に変化が訪れる!
――ジャラララッ!!
『ギィィっ?!』
新たに生まれたのは黄と紫の2つの鎖。ジャイアントモスが〈プロテクション〉で塞き止められた間に唱えられたのは〈ライトチェイン〉と〈ダークチェイン〉の2つだけ、そう持たないだろうけど距離は開けた。この差を少しでも維持したまま遠くへ逃げよう。
「ギッギッギィィッ!」
……なんだろう。今笑われた気がした。
「うううー、絶対負けたりしないんだからあっ」
言い様の無い悔しさに半べそを掻きながらも、この持久戦への勝利を固く固く心に誓う私なのだった。
◇◇◇◇◇
グ、アァッ!!
11回目の6連撃。ようやく1本目のHPゲージをすべて削り切れた。
幸いな事に、ここまで直接的なダメージは風起こしのかまいたちがいくつかが掠るくらいですんでいた。
ただ……。
「ぜいっ……ぜいっ……ぜいっ……」
さっきからずっと息切れが続いていた。胸が苦しい。脇腹が痛い。肩は上下運動に余念が無い。救いがあるとすると膝が笑ってないくらいだろうか……。
ゲームだっていうのに、変な所で凝ってるんだから……。
「ぜいっ……あと半、分っ!」
流れる汗まで再現され、杖を持つ手が滑らないか心配になる。じっとりと湿る服も不快だった。
それでも走り続けなければならないのは正直辛いけど、早く楽になりたいのなら後ろでバッサバッサと羽ばたいてる蛾をさっさと倒さないと、休んでる暇は残念ながら無かった。
『ギィイイィッ!』
「っ、〈ソイルシールド〉!」
バサバサバサと言う忙しない羽ばたき、それにより巻き起こされる幾本かの細い竜巻はかまいたちとなって周囲のPCを攻撃する。
それを防ぐべく《土属性法術》の防御スキルを唱える。ターゲットサイトで捉えていた足下から茶色い光が現れ、それに吸い寄せられるように地面から石や砂が集まり障壁となった。私はすぐさまその陰に身を縮め隠れる。
ヒュォォォォォォッ!!
ギャッ、キンッ!
すると間髪入れず、ジャイアントモスの放ったかまいたちが土壁へと激突し端々を切り裂き砕いていく。
……疲れか、あるいは相手側の変化によるものか、徐々に私は攻撃から逃れられなくなっていた。押されるだけだった風の渦から鋭い痛みを背に受けたのが確かな証拠。
結果防御スキルで凌ぐ回数が増え、代わりに攻撃回数が減り、余計に疲れが溜まる悪循環。
(ジャイアントモスの攻撃よりも先に疲労でどうにかなりそう……何か対策でもないか、晩ごはんの時に花菜に聞いてみようかな……)
平穏無事な精神状態でいられたならいいのだけどね。
◇◇◇◇◇
「ぜっ、ぜっ、ぜはっ、ぜっ……」
――――脚が、棒のようだった。
繰り返し繰り返し酷使される両足はそう形容される程に疲労でボロボロだった。
よく今まで死なずにこれたものと自分で自分を褒めてあげたい。この体験をした今ならば授業のマラソンなんてきっともう苦にならない。
ジャイアントモスのHPが7割を切って以降、攻撃に鱗粉が追加されたものの、スピード自体は鈍りシールドで防御する回数は減った。けど、今度は〈キュア〉の回数が増えていて、ダメージを避けようと思ったら素早く〈キュア〉を使う必要があって……忙しさと言うならどっこいどっこいかもしれない。
そんな惨状がしばらく続いていた。
「〈ソイルマグナム〉……リリースッ!」
6つ目の光球が完成し、即発動即ダッシュ。爆発音にチラッと確認すると後方のジャイアントモスは回転攻撃の出始めを突かれて体勢を立て直している様子。
(良かった、ギリギリ間に合った……)
後少しでも遅れれば追加の鱗粉により毒状態になっていた。〈キュア〉を使えばいいとは言え使わずにすむならそれに越した事は無い。
今の内にとMPポーションを一気飲みして、なけなしの気合いを入れ直す。だってこの戦いもいよいよ大詰めに近付いているのだから。
(向こうも“そろそろ”だしね……)
視界の中のジャイアントモスのHPゲージは2本目の3割程度になっている。そして次に攻撃をすればどうなるか、私は知っていた。
(イーヴィライズ。確かセレナと天丼くんはこの辺りで仕掛けてたから、多分そう)
一定の条件を満たすとボスモンスターは凶暴化する、それがイーヴィライズなのだと言う。
思い出すのは凶暴化して暴れまわるジャイアントモス、弾き飛ばされて倒れ伏すセレナ、攻撃の嵐に晒された天丼くん……そんな相手に私1人で挑まねばならない。それは……やっぱり怖い。
『ギアッ!』
「でも、ぜっ、やるしか、ぜっ、ない、よね……」
そう、他に道なんて無い。私はジャイアントモスと戦い、打ち倒す為にここにいる。そして倒そうとしたらイーヴィライズは避けては通れない。
(何より、ここまでやってきたんだから……負けたくない!)
ここまでの苦労を無駄にしたくない、全身を蝕む倦怠感の中で強くそう思う。
……それでも問題はある。私では3割削り切るのに最低でも3回の6連撃が必要なのだけど……1回目が当たった時点で恐らくイーヴィライズしてしまう。
その後をどう凌ぐか、課題が重くのし掛かっていた。
「〈ライトシールド〉!」
身の丈大の光の盾が現れ、壊され、毒に冒され、浄化し、そして詠唱へと移る。それはもう流れ作業のように淀み無い。
1回。
セレナたちはジャイアントモスをイーヴィライズさせずに倒そうとこのタイミングで攻勢に出た。結果としては失敗に終わったものの、私なりに参考にさせてもらった。
2回。
私には一気に倒すまでは無理だけど、少しでも多くHPを減らす事は可能だった。
3回。
法術の威力を上げる〈コール・ファイア〉、しかしその再申請時間は1分もある。だからこそ今までは速度を重視して6つのスキルの内、最初の1つだけに使用してきた。
4回。
でも今回は最大威力でなければならない。だから、〈コール・ファイア〉をすべてのスキルに使用する。
5回。
都合5分を、準備の為だけに費やす。ひたすらに走る、駆ける、そして逃げ続ける。
6回。
スタートラインに立つまでの長い追いかけっこを終え、息を切らしてようやっと完成した強く光を放つ6つの球を確認した瞬間に歯をくいしばり足でブレーキをかける……!
ざ、ざざっ!
振り返ってジャイアントモスを凝視すると、やはりイーヴィライズの前兆である黒い靄をまとい始めていた。
「ぜっ、リリース……!」
ヒュヒュヒュオン。
杖から飛び立った光球を見送った私は、改めて笑い出しそうな脚を叱咤し全速力で走り出す、だって本題はここからなのだから。
グ、アァッ!!
着弾し激しい光が瞬いた。そしてHPゲージが一定まで減った時、ドス黒い靄が勢いよく噴出する音が走る私の耳にも届き始めた……!
『ギィイイイィアアァァァッ!!!』
爆発じみた咆哮がビリビリと空気を震わせ、背筋を強張らせる。
……けど、私の心は萎えない。懸念の1つ、3回の攻撃で3割のHPを奪いきれるかが払拭された。そう、ジャイアントモスのHPゲージは1割と半分にまで減少していたのだから!
(……これなら、2回の6連撃で倒せる!)
逸る心を抑えて詠唱に入る。
この瞬間は瞳を閉じるけど、これだけ長く同じ場所をぐるぐる走れば、気を付けるポイントの目星くらいはつく……うん、多分。
今の息の乱れは命取り、せめて詠唱中だけはそうならないよう息を吸えるだけ吸って一気に詠唱する。
「〈コール・ファイア〉〈ダークマグナム〉!」
シュウン。紫の光が自身を覆い隠すようにそこここの闇を引き寄せる。
「〈ファイアマグナム〉!」
ボッボッ。赤い光に小さな種火が灯り、油を注いだように燃え盛る。
ぶわさっ!
3つ目に取り掛かろうとするが、後ろから強く羽ばたく音。これは……回転攻撃? ついてる! 回転攻撃はその場から動かない、鱗粉が追加された時ならともかくイーヴィライズして鱗粉が飛ばなくなった今なら距離を離すチャンス!
ググッ、ダァン!
体を沈ませて、一層強く地面を蹴り出す。
「〈ウォーターマグナム〉!」
とぷん。青い光を中心に雨粒大の水滴が現れ吸い寄せられる。
「〈ウィンドマグナム〉!」
フォン。緑の光が風を呼び、幾筋もの流れが光を瞬かせる。
バサッバサッバサッ!
またも後方からの音、細かく何度も羽根を動かすのは……風起こ、し!?
(まずい!)
風起こしは前方広範囲にかまいたちを発生させる、イーヴィライズで上がった攻撃力ではどんな小さな一撃も致命的! これはもう全力で、例えわずかだろうと前進しておかないと巻き込まれてしまう。
歯をギリリと噛み締めて脚の回転を限界まで加速する!
ブオオォォン!
ブオオォォン!
ブオオォォォーーーン!
背中から感じる風の圧力に煽られる、ヒュンヒュンという風切り音が心臓に悪い(もう十二分に心臓を酷使してるんだからとどめにならないとも限らない)。
「〈ソイルマグナム〉!」
ズズッ。橙の光が砂を小石を土をどこからともなく引き寄せて一塊となる。
「〈ライトマグナム〉!!」
ポウッ。黄の光がキラリと瞬き周囲から微細な光の粒を集束させる。
ざざざっ!
既に風切り音は止んでいる。詠唱の完了と共に振り返ると、そこには風起こしの体勢から復帰しようとわずかに隙を作っているジャイアントモスの姿があった。
「リリース!」
解放の言葉は駆け出す合図ででもあるかのように、6つの球が勢いよく発射された。
グ、アァッ!!
ジャイアントモスはそれを受けた、けどイーヴィライズ中であるからなのか、もはや体勢を崩す事は無い。それどころか――!
バッサ、バッサ!
更に力強く羽根を羽ばたかせて高く高く舞い上がる!
(毒の散布……いえ、違う! 体当たり、このタイミングで?!)
上昇した後に、着陸する飛行機の如くに下降してくる体当たりは前方に真っ直ぐ突っ込んでくる。その巨体故にダメージは複数回当たる他の攻撃よりも大きく(どの道受けたら死ぬからどれでも同じかもだけど)当たる訳にいかない、けど今から避けられる保証は無い。
ただでさえ体当たりはこちらの動きに合わせてくるから苦手だと言うのに……イーヴィライズでアップしたスピードに対応出来るのか……。
(……それでも、やらなきゃ。後、後少しなんだか、ら……?!)
走り出そうとした瞬間だった。
ガクン、と膝から力が抜けた。
酷使し続けた足がとうとう限界を迎えたとでも言うかのように。ブルブルとおかしいくらいに震える足、杖で支えねば今にも崩れ落ちてしまいそうな……それは悪い夢のような展開だった。
(そ、んな……なんで、なんで今なの?!)
既にジャイアントモスは急降下に入っている。しかし、この有り様では走るなど出来る筈も無い。
かと言って防御スキルではイーヴィライズ状態の体当たりを防げるかどうか……。
(……ならっ、ならっ!! 迎え撃つしかないじゃない!!)
泣きそうになりながら、身をすくませて脅えながら、その巨影に相対する!
『ギィイイイィィィッ!!』
巨影、漆黒に染まるジャイアントモスは、靄を帯として今も迫っている。
相対するは満身創痍のちっぽけな私1人。まるでデジャヴュのような構図に、今度だってなんとかなるとハリボテの勇気を絞り出す。
もうここまで来たら待機状態になど意味は無く、私は真正面からターゲットサイトでジャイアントモスを捉え続ける!
「〈コール・ファイア〉〈ダークマグナム〉!!」
瞬く間に生成された闇の球が飛ぶ。
「〈ファイアマグナム〉!」
続くのは何だろうと焼き尽くさんとする火の球。
けどどちらもジャイアントモスにはペシッとかパンッとか頼りない音と共に弾けて消える、でもそれらは確実にダメージを残した。残すは、ラスト1発……体当たりまでに間に合って!
「〈ウォーターマグナム〉ッ!!」
そして最後の3発目、水球が私の手元を去っていく。そして。
――パァンッ!
『ギギギィィッ!?』
命中したのはジャイアントモスの頭のど真ん中。わずかに残っていた2本目のHPゲージはすべて失われた。
やがて全体に黒い炎が走り始める……のに、その勢いが止まらない。端から崩れながら、巨体であるが故に私の下に辿り着くまでに全てが燃やし尽くされてくれない!
「ぜっ、ぜ……」
けど最早、疲労により思考もまともに出来ない中、私に動く力などある筈が無い。呆然と、惰性のままにこちらに来るジャイアントモスを見つめる。
(……だめ、だったのかな)
そう思った次の瞬間。
……グラリ、飛来するジャイアントモスの体がバランスを崩し、コースを右方向へとわずかに変えた。
ゴォォッ!!
そんな、風の唸りを伴ったジャイアントモスはあわや私を掠める程度に留まり、後方へと通り過ぎていった。
「ぜっ……ぜっ……」
ドシャアッ! ジャイアントモスが落下した大きな音が聞こえた。土埃が足元で舞い、それが落ち着く頃にはボッボッと言う燃える音も次第に消えていった。
どさっ。
それと共に緊張の糸が切れたのか、私の足から力が抜けてその勢いのままに地面に倒れ伏した。
カラン、カランカラン。
指からも力が失せ、転がっていった杖の軽い音と、いつまでも鳴り止まない早鐘のような心臓の鼓動ばかりが私の耳へと届く。
「はあはあ、はあ…………」
一体どれだけ呼吸を忘れていたと言うのだろう。肩は激しく上下し、喘ぎながら酸素を求め続ける。
「…………〈ヒール〉、〈ヒールプラス〉……はあはっ、ぜっ、〈ヒール〉……」
ホワッ。何度も何度も回復法術を使う。しかし荒れる息も暴れる心臓も、落ち着いてはくれなかった。
ぱたり。
残っていた力で転がった杖の先端を握り締めていた腕から力を抜いて地面に投げ出した。
(……………………つ……か、れた…………)
頭も体もだるい。考えるのも億劫、指先にだろうともう力を入れたくなかった。
だから眼前に開いたウィンドウにも、ファンファーレみたいな効果音にも、反応を返す気にならず、閉めるのすら面倒で放置しっぱなし。
勝利への感慨も、生還への喜びも、今この時においてはどこかに追いやられてる。
(目を閉じれば意識が落ちちゃいそう……落ちたら、どうなるんだろう…………どうでもいいや)
徐々に規則正しくなる呼吸に反して、緊張から解放された体……特に下半身は鉛かと錯覚する程に重く感じた。
一向に復調の兆しは見えないけど、セレナと天丼くんに言われた通りならここに誰かが入ってくる事も無い、と言い訳をかましてのんべんだらりと寝そべり続ける私だった。
◇◇◇◇◇
「はあ…………よっこいしょ」
もはや若さの欠片も無い言動となった私(17歳・高2)。
あの後もだらだらとだらけっていたのだけど、ある事に気付き諦めて立ち上がる運びとなった。
晩ごはんである。
現在時刻は午後5時40分。ここからセレナたちが向かった小村とやらまでどれ程掛かるか分からないのでそろそろ進まないといけない。
ああ、辛い。戦闘でのやる気が嘘のような……いえ、あれで使い切ったのかも……ともかく、嘘のような弱々しさで出口を目指す。
視界マップで方向を確認し、両手で杖を突いて歩き出した。
ぽて、ぽて、ぽて、ぽて。
枯れていた草木は歩を進める度に、元気を取り戻し茶と緑の割合が変化していった。
ぽて、ぽて、ぽて、ぽて。
途中、するりと境界線を抜けた感覚。ボスエリアを抜けた以上、ここから先には敵モンスターが跋扈してる筈……今なら大概の敵に勝てる気がしない。
ぽて、ぽて、ぽて、ぽて。
やがて……道の先が途切れていた。あそこは丘か崖かな? そこからは針葉樹の先端が疎らに見えてる。あそこなら遠くまで見渡せるかもしれない。
ぽて、ぽて、ぽて、ぽ――――
ぽろり。
何故だろう。
涙が零れた。
ザ、アアァァァァ。
見渡す限りに立ち並ぶ針葉樹の群れ。
それを揺らす緑風がザワザワと針葉樹のコーラスを奏で、葉はダンスを踊る。
彼方には山脈、稜線は視界の果てから果てまで続いている。
真っ青な空には染め抜くような白い雲が強い風に流され、瞬き毎に形を変える。
そして、傾いた太陽は中央から山と、樹と、大地と、大空と……私を照らしてくれていた。
“はじまりの”場所の向こうには、新しい世界が始まっていた。