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第10話「もしもあなたにであわなければ」Ver.B


 どうも047です。


 目次で第10話が2種類表示されている事と思いますが内容について変わりはありません。


 ただ、主人公アリッサが劇中本を読むシーンがあるのですが、Ver.Aでは原文のままにひらがなで構成されています。

 それが結構読みにくかったものでVer.Bではアリッサが読んで脳内変換している、としてひらがなを漢字に変換しています。


 先に記した通り内容は同じですので、皆様のお好きな方をお読みください。

m(__)m





「やっ」


 ガサガサ、ガサガサ。


 杖を目の前の草むらに突っ込む。何をしているのかと問われれば、進路に草むらがあったのでモンスターがいないかを確かめていた所だった。

 以前、たまたま杖が草むらにいた蜘蛛にぶつかり、戦闘に突入してしまった苦い経験から、草むらは回避するか、通らないといけない場合はこうして杖で調べている。


「ふう」


 何もいないのを確認して草むらを越える。


 現在このはじまりの森1層のマップを見れば半分(正確には獣道とその周辺)程度は踏破したものの、その道はぐねぐねと蛇行を繰り返していて、昨日折り返した地点まで戻ろうとすれば非常に時間が掛かってしまう。

 このゲームはライフタウン(街や村などの人が住む場所の総称)以外でログアウトすると再スタート地点が自動的に最後に立ち寄ったライフタウンにまで戻されてしまう仕様なのだそうで、行きも帰りも時間を掛けないように獣道を離れ草むらをかき分けてショートカットしている。

 とは言えただでさえ獣道以外ではモンスターとの戦闘が多くなるのだから、せめて不意の遭遇戦くらいは避けたいが為に“石橋を叩いて渡る”最中だった。


「あれ……この音は」


 耳を傾けると近くの草むらの向こう側からむしゃむしゃと草を食む音が聞こえる。少し移動すると前方数mに位置する大木に隠れるように緑のうねうねが見えた。


「……キャタピラー」


 疼く鳥肌に目を瞑り、杖を構える。相変わらず気持ち悪いのでさっさと倒してしまおう、なんて考える辺り私も染まってきたなあ……と思う。

 音を立てないようにゆっくりと移動してキャタピラーの背後に回った私は視線を集中してターゲットサイトで捉える。

 多分はじまりの森1層で最も戦い易いのがこのキャタピラーなのだと思う。スピードはビーに、パワーはスパイダーに劣り、糸を吐いてくるけど動きが比較的ゆっくりなので対処しやすい。

 何よりこのように葉っぱを食べている間は夢中になっていて動かない。

 息を殺し、なるべく声を落とし、杖を掲げてスキルを唱える。


「〈コール・ファイア〉〈シャドウショット〉……っ」


 唱えたのは《闇属性法術》の初期スキル。まだ《火属性法術》に比べてレベルが低い加護は優先的に使っている。


 この先、当然ながらモンスターはより強力になっていく、だからこそ対抗出来るようになるだけ強くなっておきたい。

 その一番の方法は当たり前だけど星の加護のレベルアップになる。

 加護にはそれぞれ各種パラメータへの補正数値と言う物が設定されていて、レベルが上がればその数値は上昇する。つまりは強くなれる。

 今の私には強力な装備を買うお金も無い以上、それを頼りにする他無い。

 もっとも、同じ属性ばかり使うと他が上がらないので多く戦闘をこなして各属性をローテーションで回して使い続けないといけないから大変なんだけど。


(クラリスが呆れた理由がよく分かるなあ)


 ぼんやりと光る杖の先に紫色の光が生まれ、周囲の暗闇から這い上るかのように集まって拳大の黒い塊が完成する。


 ――フォン。


 塊はかすかな音を発して狙い通りにキャタピラーへ直撃する。

 背後からの突然の攻撃にキャタピラーは虚を突かれ、ぐらりと体勢を崩す。

 HPゲージがぐいんと6割近く減った。最初に比べてダメージが増えてる、やっぱりレベルが上がってステータスが向上したんだと実感出来る。


(うん、次を)


 次の攻撃に時間差を設けるのは念の為。昨日の最後のビーとの戦闘を教訓に攻撃後のモンスターの仰け反りを確認しながら私は次弾の発射体勢へと移る。距離を取ってあるから多少近付かれても大丈夫(多分)。


「〈ウォーターショット〉」


 次は〈コール・ファイア〉が無しでも平気、と今度は《水属性法術》の〈ウォーターショット〉を単体で唱える。

 杖の先に青い光が灯り、雨粒のような小さな水球が周囲にぽつぽつと現れ、光へと吸い付けられて一気に膨れ上がる。

 たぷん。

 握り拳大にまでなった水弾は次の瞬間には勢いよく発射され、こちらへ向き直ろうとしていたキャタピラーへ狙い違わずドン! と直撃する。

 HPゲージはみるみる減っていく、キャタピラーのキィキィと耳障りな断末魔の声を聞きながら頬を引きつらせる。嫌悪感は健在だと思うのだけど耐性でも出来たのか、以前は立った鳥肌も思ったよりか少ない。


「う〜ん。慣れた、って言うのもこの場合どうなんだろ……」


 消えていくキャタピラーを一瞥するとファンファーレが鳴りウィンドウがシュランと開いた。

 現れたウィンドウを流し見て、さっさと閉じる。


 これまでモンスター数匹を倒したけど、今の所攻撃を受けていない。

 レベルやステータスも向上し、多少なりとも私自身も慣れてきた。ようやくまともにプレイ出来るようになったのかも。


「まあ、順調なのはいい事……だよね。うん、この調子で行こう」


 決意も新たに、私はマップの黒い部分、はじまりの森の奥地を目指して歩みを再開するのだった。



◇◇◇◇◇



 歩く事しばらく、ようやく私は昨日のマッピングで埋めた場所まで戻ってきていた。

 ここはモンスターの侵入出来ない休憩用の安全地帯(セーフティーエリア)。昨日はここで一度落ち着いてMPを回復しようとしたら、ポーションが無くなっている事に気付いた。


(でも今回は大丈夫)


 端の方にある切り株に腰を降ろして、腰のポーチに手を入れる。


「ビギナーズMPポーション」


 その言葉に反応して手がぽわっと光り、その中に緑色の液体が入った栄養ドリンク大の瓶が実体化する。

 コルク栓をきゅぽんと抜いて中身を口に含む、舌に広がる味はあっさりとした緑茶っぽい。

 こくっこくっ。全部飲み干すとMPゲージが点滅して9割くらいまで一気に回復した。これで使ったMPポーションは4本目、残りは16本だからまだまだ余裕がある。


「ふう、他のポーションの味ってどんなのだろ? 甘いのとかあるかなあ、あるといいなあ」


 初心者用のHPポーションはウーロン茶っぽい味なのでもっとバリエーションがあると嬉しい。

 コルク栓を戻して逆の手に持ち、空いた手でポーチを二度タップする。すると指先が淡く光り、そのままポーションの空き瓶に触れるとその光が空き瓶にも移り、その状態で再度ポーチをタップすると空き瓶はふっと消えてポーチ内に収納された。

 実はこのポーションの空き瓶、お店で10個1Gで買い取ってもらえるらしい。リサイクルって大事。


 続いてシステムメニューから全景マップを開いてみる。マップに表示されるのは下部3分の2、上はまだ真っ黒。


 ここまでくるのに40分弱、積極的にモンスターと戦っていて思ったより時間が掛かってる。


「んー、帰りはモンスターを避ければ30分掛からないで戻れる、かな?」


 ここに限らず1層のモンスターは基本こちらから何かしらの接触をしなければ襲ってきたりはしないみたいなので、森を抜けるだけなら気を付ければそう難しくない。

 まあ以前みたいに杖の先がこつんと当たっただけでアウトだから簡単でもないけどね。


 いざとなればメニューからログアウトすれば次に来る時にはアラスタのポータルエリアに戻るのだけど、このMSOってばそうした場合獲得した経験値や取得したアイテムを失うと言うすごく不親切な仕様らしく、なるべく移動に時間は掛けたくない。


「さてと、探索再開!」


 言うが早いか、私はマップのポイントを大体頭に詰め込んでメニューを閉じる。立ち上がって服を叩いて、セーフティーエリアを後にする。



◇◇◇◇◇



 その後、時間は掛かったけどそれ相応にはじまりの森1層の探索行は進んでいった。

 ……とりあえずここまでは。



 獣道は複数が入り交じっていて若干面倒で、辺りに点々とある草むらは鬱蒼と繁ってまるでガードレールのように道を区切り、乱雑に生える木々は方向感覚と遠近感を曖昧にさせる。


(1層だからか分かり易くはなってたけど、マップが無ければ迷ってたかも)


 戦闘を繰り返しながら、うねうねと右へ左へ蛇行を続ける獣道を気を付けながら歩く。

 獣道以外ではモンスターの出現頻度が上がるようで少々の物理的、精神的な苦労を背負い込みながらもレベルアップのスピード自体が上がる反面、探索の方のスピードは遅くなるので今は獣道を歩く事にしていた。


「ああ、まだ夜なんだ……」


 それなりに時間が経っても、木々の隙間から覗くのは時折ちらりちらりと星が瞬く暗い夜空だった。


(そういえば森には夜しか来てないな、光る木のお陰であまり気にならないけど)


 光る果物や葉っぱは相変わらず健在で、下手な街路灯よりも役に立っていた。

 ただ、心なしかアラスタの周りにいた時よりもわずかに量が減っている気がする。

 いや暗いのは別に平気なのだけど、暗いのは別に平気なのだけど!

 モンスターなんかが危ないのであまり減らないでほしいなあ。



「さて、この奥にも何かありそうなんだけど……う〜ん」


 目の前には私の肩くらいまである高い柴垣が行く手を阻むようにそびえていた。


「行き止まり……じゃないみたいだし」


 視界の小型マップに目を向ける。そこに映るのは特にこれといって代わり映えのしない画像、どこまでも続く獣道の一角にすぎない。

 つまりはこの先も存在する。ならと交互にマップと柴垣を見るが、頭に『?』が浮かぶだけだった。

 何かヒントでも無いかなと柴垣に触れてみると、明らかに感触が他とは違っていた。


「硬い?」


 葉も枝も堅く、もし弾かれたり引っかけたりしたらとても痛そうだった。そこいらの草むらなら枝に多少気を付ければいいだけで分け入れるのを考えればずいぶんな違いだった。

 これじゃかき分けて突っ切るのも、ましてこの高さだと上を越えるのも難しい。かと言って周囲を見ても、ぐるりと壁のように囲んでいるらしくまるでこの先に進むのを拒んでいるかのよう。


「これ、どうすれば……ん?」


 その草むらは上から見ると特別不自然ではなかったのだけど、しゃがんでみると何故か違和感があった。


「……いえ、まさか」


 ガサゴソと柴垣に手を突っ込んで掻き分けてみる、するとそこには……道がある。


「エー……」


 古典的だった。

 でも言い訳をさせてもらえばこれ小動物が通る道っぽい。こちらの獣道に比べてやけに細いし、隠されていると言うよりも目に付かない。そんな風だったんだもの。

 私は四つん這いで柴垣のトンネルの中に入ってみた。そうするとわずかずつだけど視界のマップが更新されていく。


「もう、なんだってこんな面倒な造りになっているんだか……」


 ガサゴソガサゴソと柴垣の中を杖を突き出しながら進む。

 やがて程無く向こう側が開けて光が射し込む、マップを見ても柴垣はここまでらしい。よかった、思ったより短かった。

 安堵から私は杖を下げ一気に柴垣を抜けようと足に力を込めて前へと『ぐにゅ』……と、と?

 …………な、なんだろう。顔に妙な感触が。ざらざらと柔らかく生温い、何、これ。

 おそるおそる下がってみる。

 柴垣の緑に紛れて、もっと明るめの緑がちらりちらりと視界に入る。

 ぶわっ。

 頬がつる、肌が粟立つ、涙が滲む、汗が噴き出す。

 そこには、1mを超える巨大芋虫が――。



「いやあああああっ?!!?」

「キシャアアアアッ!?」



 いいぃやあぁぁぁっ!?!

 触っちゃった触っちゃった気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪いっ!!

 全力でバックしますバックします、戦うよりもまずは逃げたい離れたいぃぃっ!

 そうしてあっと言う間に柴垣を抜けた私は上体を起こしてギュッと目を瞑る……。


「〈ウォーターショット〉ーーッ!!」


 と、スキルを発動する!

 杖の先に生成された水球はしかし、そのままの状態で浮かんでいる。私はそれをぐわっしと掴んで顔にぶつける!

 バッシャン!

 水球は弾けてただの水に戻ったので、杖をポイッと手放して両手でゴシゴシと洗顔を開始する。


「信っじらんない信っじらんない! もぉやあぁぁっ!!」


 涙声なのは見逃してください。今の心情ではすぐさまログアウトしてお風呂入って顔洗って布団に潜ってさっさと寝むって忘れてしまいたいくらいなんだから……っ。


「ぜっぜっ……ぐすっ、えぐっ」


 まだ感触が残っている気がして気持ち悪い、袖で顔を拭って少しでもあの感触を払拭しようとするけど、当分忘れられそうもない……。


 ガサッ。


 柴垣からの音にビクッと反応する。音はそちらから何度も何度もしている。


(まさか、まさかまさかまさかまさかまさかまさかっ?!)


 そうして私は思い出す。


 アレに“触れた”と言う事実を。


(それはつまり、あのキャタピラーは、私を敵と、認識し、た?)


 恐る恐る、顔を上げる。そこには、ギラギラ輝く6つの複眼が目の前に――。


 ぞわっ。


 全身が総毛立つ。柴垣から這い出たその瞬間、キャタピラーは体勢を整え鋭いアゴから白い糸が飛び出す。

 私はそれを半ば呆然と眺めていた。

 体は突然の事に身動き1つ出来ず、杖は放り投げたまま、唯一出来た事はと言えば、目をきつくきつく閉じる事だけ。

 次の瞬間にはべったりとした感触が体を包み、自身が体を縮こまらせる間に衝撃が連続して襲い……身体中から力が抜けて倒れ伏す。


(ああそっか、これが……)


 HPゲージを見るまでも無くぼんやりとした思考の中で理解する。



 その日、生まれて初めてアリッサが“死んだ”。



◇◇◇◇◇



 【60】

 ――トクン。

 【59】

 ――トクン。

 【58】

 ――トクン。


 瞼は、閉じられたまま開かない。暗闇の中にはトクントクンと言う心音のような音に合わせて数字がカウントダウンを刻む。

 多分これが【0】になるとアラスタまで戻されるんだと思う。

 ……なら今私の体があのキャタピラーの前で一体どうなっているのだろうと考えてまた震え、ない。体は動かない。口も役立たず、耳も心音以外は拾わない。

 何か出来る訳でも無く、私は自然思索に耽る。


(やっちゃった)


 何故、とは思わなかった。

 元々私の防御力なんて有って無いようなものだもの。加護のレベルが多少上がったって、防御力が上がるような加護じゃないから打たれ弱いのは殆どそのままだった。

 そも戦う気力なんてあの時既にどこかに失せていた。

 戦闘に慣れた、なんて思っていた自分がどこまでもばかに思える。私はただ単に“攻撃する事”に慣れていただけだったんだ。

 一撃でも攻撃されたら大ダメージを負う私は常に攻撃を受けないようにし続けた。慣れもせずに。結果土壇場になった時の反応は、直前の出来事があったとは言え目を瞑って縮こまっているだけの無様なものになった。

 まさしく“打たれ弱かった”。パラメータ以上にメンタルの弱さこそ敗因。


(頭、真っ白だったな……ひど)


 ……何にせよ、情けない結果に終わってしまった事実に、どんよりと気分が落ち込む。


 【10】

 ――トクン。

 【9】

 ――トクン。

 【8】

 ――トクン。


 カウントダウンが1桁になり、心音は徐々に弱まり聞こえなくなる。


(ああ、こんな事で挫けてなんていられないのに)


 60秒は立ち直るにはあまりにも短かった。


 【0】


 数字の0が表示されると突如視界にザザザ……とノイズが走り数瞬後ブツン、と言う音と共に視界が完全に暗転した。



◇◇◇◇◇



 ………………。


 …………。


 ……。


 体に重さが戻る。

 どうやら横になっているらしい。手放してしまった杖も手の中にあった、それが気掛かりだったので胸を撫で下ろす。

 吸い込む空気に森の香りは無い。代わりに鼻に届くのはロウソクの燃える匂い。


「っ?」


 目を開ける。

 映るのはどこかの建物の煤けた壁と、等間隔に並べられた背の高い燭台。そして太いロウソクに灯った火がゆらゆらと揺らめいていた。


(ここは……)


 身じろぎして起き上がる。体に違和感は無い。……いや。



 ダーンダーンダーン。


『【レベルダウン】

 《水属性法術》

  [Lv.5⇒4]

 《光属性法術》

  [Lv.5⇒4]』

『【スキル凍結】

 《水属性法術》:〈ウォーターマグナム〉

 《光属性法術》:〈ライトマグナム〉』



 重苦しい効果音が響き、ウィンドウが開く。そこには森に入ってからレベルが上がっていた加護が『レベルダウン』した事を告げていた。


「……はあ。これがデス・ペナルティ……」


 デス・ペナルティ、通称デスペナ。それはPCが死亡した際に被る損失の事。

 MSOでは最後に立ち寄った街や村、つまりライフタウンを出てから死亡するまでの間に得た経験値とアイテムの20%が失われてしまう。


 そして、それにより引き起こされるのがレベルダウンという現象。

 例えばレベル1の加護が経験値100でレベル2に上がるとする。

 経験値90の状態で街を出て10の経験値を得てレベルアップ、けどそれから街に戻らずに死亡してしまうとデスペナにより経験値が2失なわれ、残り経験値は98になる。

 2レベルに必要な最低分の経験値を割り込んだので、結果蘇生後に1レベルに戻ってしまう。


 まさに今の私のように。


 それを見て、負けたと、死んでしまったのだと改めて実感として重くのし掛かる。


「はああ〜〜……」


 幸せも呆れて逃げ出しそうなため息を吐く。


(たった一度死んだだけでこんな有り様だなんて、ほんと情けない)


 ごちん。


 杖で額を叩く。


 ごちん。


 また叩く。


(しっかりしなきゃ、しっかり……)


 気分はさして回復もしないまま、顔を上げる。

 キョロキョロと周りを見るとここは円形のドームだった。広さは学校の教室よりかは狭い。背後には出入り口らしい木製の扉が1つだけ設けられていた。


 そして、天頂部にはぼんやりと光を放つ、金属製らしい先の尖った十字架。

 そんな物音もしない建物の中にぽつん、と私1人だけがいた。


「…………」


 私は足早に扉へと歩き出す。いつまでもぐずぐずしていたら他のPCが死んでやって来ないとも限らない、こんな気分のところを見られたくない。

 カチャリ、ノブを回してドアを開くとそこから涼やかな空気が流れ込む。向こう側は光る木の明るさで満たされていた。

 石造りの建物の中、目の前には長い椅子が何列も並べられ、後ろの部屋よりなお高い天上、壁にはステンドグラスが嵌め込まれ、光る木によって前後左右から色鮮やかに照らしている。

 そこはテレビなどで時折目にする――。


「……おや、星守の方ですかな?」

「えっ?」


 ドアを開いて目を細めていた私に、突然横から声が掛けられた。しわがれたその声の主を求めて首を回す。

 その先にいたのは神父服に身を包んだご老人だった。

 シワの深い顔は柔和に笑み、腰は曲がっているものの使い込まれた杖を突いてしっかりと立っている。優しげな瞳は気遣わしげに私を見つめていた。

 恭しく一礼して一言。


(わたくし)めはこの『アスタリスク教会』で神父を務めております、グンターと申します」

「あ、の……ほ、星守のアリッサ、です」


 ぺこりと一礼。

 やっぱりと言うかここは北大通りにある教会だったようで、神父さまの後ろには私の背よりも大きな4つの頂点が尖った十字架が祭壇の中に安置されている。


「大変な目に遭われたのですね、本当にお疲れ様です」


 今一度一礼して、神父さまはゆっくりと私に近寄ってくる。


(あ、後ろの部屋は死んだ星守が蘇生する場所だから、そこから出てきた私を心配してくれてる……の?)


 そっとドアを閉め、私も神父さまに向き直る。悔悟が消えた訳では無いけど、それでもこんな風に身を案じてくれている人には、カラが付こうと元気を出して応えなきゃ。


「……ご心配くださってありがとうございます。でも大丈夫……ですよ。ちょっとドジを踏んでしまっただけですから、これくらい……お気になさらないでください」


 ……そう思っても、綻びた堤防のように私の感情はぼろぼろと零れてしまう。そしてそんな不出来さがまた、私の気分を落ち込ませる。


「……いいえ、それは難しい」

「……え?」


 神父さまは静かに目を閉じると胸に手を当てる。


「このアスタリスク教会は天に座する星々を信仰しております。ですがご存じの通り、長きに渡り星はその光を失っておりました」

「……?」

「人々は苦しみの中にあり、我ら教会もそれは同じでありました……そんな中でやってきてくれたのが、貴女方星守なのです」


 こくりと頷く。その事は知ってる。取扱説明書のみならず妖精のティファからも少し聞かされているから。


「人々は貴女方の尽力で救われたのです。そしてそれは多くの傷と痛みを伴う道と、みな知っております」


 そっと私の手に、神父さまの手が触れる。

 それはしわくちゃで、小さくて、あったかい。


「戦えぬ我らの代わりに受けたその傷の数、その痛みの度、我らは感謝しております。それがどんなに些細なものであろうとも、その敬意は薄れはいたしません」


 その温もりはじんわりと手を伝う。胸の内、心にも届きそうだった。


「だからこそ言わせてください。勇気ある貴女に、ありがとうと」


 神父さまの顔に浮かぶもの。

 それは、笑顔。

 本当にそう思ってくれていると感じられる笑み。



 ――……ねぇ。貴女はお姉ちゃん失格って言っていたけど。



 そう語ってくれた人を思い出す。ダメだと烙印を押すのも、諦めるのも、自分1人で決める事じゃないと、そう語ってくれた人を思い出す。


「ある、でしょうか……私にも、勇気は」

「もちろん。誰の中にも一角の勇気があると、私は信じておりますよ」


 私はぐっと、何かを堪える。

 それは涙かもしれないし、嗚咽かもしれない。

 私の中に勇気があるとは思えない。けどこの人は信じてくれている。私の中にも勇気があると。

 なら……勇気があると信じてもらえたなら、またがんばれるかもしれない。


(ううん、神父さまだけじゃないよね)


 自分自身を信じられないなんて相も変わらず情けないと、改めてそう思う。

 でも確かにその言葉に、心が軽くなるのを感じていて。例えこれがゲームの演出だとしても、既定のセリフのリピートだとしても、それをどう受け取るかは私の自由。

 だから、こう受け取るんだ。


「いえ……いいえ、私こそありがとうございます。ご心配をお掛けしちゃったみたいで。でも、大丈夫ですよ。私、単純ですから……もう、平気」


 貴方の励ましのお陰で大丈夫。挫けてなんていられないと、ちゃんと思い出せたから。

 でも、顔は伏せたままで。私も笑顔で応えたいと思うのに、まだ上手く作れるか分からなくて。


「そうですか。では、せめて……」


 神父さまは手を離すと、その手を私の額に寄せる。


 シャラン。


 手首から覗くのは、数珠に繋がれた銀色の十字架、中心には一欠片の宝石。ああ、星々を信仰してるならあれは星を象った物なのかもしれない。



「貴女の未来に星々の導きがあらん事を」



 その一言一言はゆっくりと確かに、私へ送るように紡がれる。


「――はい」


 私はせめて神父さまの優しさに応えようと、くしゃりと不出来な笑顔で頷いた。



◇◇◇◇◇



 教会を後にした私は北大通りへと出ていた。


「はー、こんなだったんだ……」


 目元を殊更袖で拭いながら振り向いて見上げる白亜の石造りの教会は他の建物に比べて高く大きい。屋根の上にもやはり十字架が立てられていて、ここが教会である事が一目で分かる。

 また、周囲には建物が隣接していないから、余計に特別な雰囲気があった。


「ふう……これからどうしよ……?」



 北大通りへは今まで来た事は無かったけど、教会は大通りに面していたのでとりあえず迷わなくてすみそうではある。


 かと言ってする事は無い。


 晩ごはんにしても多少は余裕があるから、今すぐログアウトしなければならない程逼迫している訳でもない。

 でも、今からはじまりの森に再突入してまた戻れるかと言われれば……それは難しい微妙な時間で、更に経験値とアイテムのロスが足を鈍らせた。


「ん、北大通り……あ、そうだ。どうせだから試してみよっか」


 ピコーン、と頭の上にレトロチックな電球が閃く。

 思い立ったが吉日とばかりに、私は目的の場所を探す為に一度辺りを見回す。

 目当ての場所。それはここ、北大通りに建っている筈だから。



 南大通りに宿屋が、西大通りにショップが集中しているように、東と北にも特色がある。

 東大通りにはモンスターの討伐や荷物の運搬、アイテムの採集などの様々なクエストを受けたり出来るユニオンと呼ばれる施設の支部があり、プレイヤーが組織するギルドのホームを建てたりも出来る。


 そして北大通りには、PCが死亡した際に蘇生する教会、戦闘のレクチャーを受けられる訓練所や道場などの公共施設がある、との事だった。



◇◇◇◇◇



 到着したのはこの世界の知識が学べる図書館。

 ただ、街のと言うには少々小さなもので、せいぜいが大きめな図書室程度だった、はじまりの街ならこんなものなのかもしれないけど。

 ただ、そのアラスタの特徴である木々が図書館においては更に特徴的な存在となっていた。


 木々、と一纏めにしているけれど、その有り様は様々だった。

 建物に絡まるように育っているものやそれ自体を貫くもの、更には木の上に何か建物があったりと、普通に見ていても面白い物が多い。

 その中でも図書館は一味違っていた。


 ぱっと見は木が貫いている、ように初めは見えた。

 だがよく見てみるとそれは間違いだと分かる、ではどうなっているのかと言えば。


(とんでもなく大きな木の、内側の空洞を利用して図書館に仕立てあげてる……?)


 ありえないでしょ、そんな風にも思うけれど。それでも私はそんなファンタジーな建造物を見上げて感嘆の溜め息を溢してしまう。


 図書館を形成している巨木は、様々あるアラスタの木々の中にあっても別格と呼べる程の偉容を誇っていた。流石に遠目だと他の木々に紛れてしまいそうになるけど、近づけばそれはすぐに分かる。

 他の木よりも高く太く広く葉を繁らせているその様は、図書館という事も相俟って古く古くこの街に根付き、皆を見守ってくれている物識りなお爺さんみたいな存在、そんな風に感じてしまう。

 空洞の周囲は建物で覆われていて、まるで建物の中にまるまる木が詰まってでもいるように見える。


(突っ立っていてもしょうがないか)


 しばらく図書館を外からぼーっと眺めていたら悪目立ちしそうなので、私はさっさと図書館へ入る事にした。



 入り口から中へと入るとすぐ横のカウンターに司書さん2人が座っていて、微笑みながら会釈をしてくれたので私も軽く頭を下げる。こういう細やかな所作には好感を持てる。


 図書館の中は外の喧騒とは打って変わって静かで、ほとんど外の音が遮られている。

 木の洞だから中は暗いかとも思っていたけどそんな事はなく、街に溢れる光る果実や葉のようなものが天井部から光りを放ち、燦々と内部を照らし出している。

 暖かい、そんな言葉が思い浮かぶ。

 光は太陽ほど眩しくもなく、電灯のように無機質でもない。

 あえて言えば太陽に薄く雲がかかったような、春の木漏れ日の下にいるような、そんな優しい光。


 そんな中にいるのはせいぜい2、3人。入り口から見て右側に備えられた読書用のスペースで本を読んでいた。

 その人たちの邪魔にならないように、足音を立てないように、立ち並ぶ……いえ、この巨木から掘り出されているらしい本棚へと向かう。そして思う。


(はあ〜、すごい……)


 そこにあるのはずらりと並ぶ本・本・本、重厚感溢れるそれらは現実では見た事も無いような歴史を感じさせる。

 紙の匂いすらも再現され、たまに図書室を利用する私にはどこか落ち着く空間だった。


 ただ問題は、端から端まで見てもどの本の背表紙の文字も全く読めない事。大通りの宿屋などの看板と同じように。

 まあ、それがここに来た理由なんだけど。


(ええと確か……)


 実は今日はネットを探して攻略サイトを覗いてみた。正直戦闘などでは専門用語が乱舞していて解読に些かなりと苦労したけど……とりあえず分かりやすかったのは加護の取得条件だったのでそこを中心にちまちまと。

 そこにあった情報を思い出しながら、本を適当に抜き出しページを開いて中身に目を落とす。

 それはもちろん全然読めやしないのだけど、しばらくそのままページに目を落としていると――。


 ポーン。



『【加護契約】

 《言語翻訳》の加護を与える星との結び付きが強まりました。

 契約を交わし、星の加護を得ますか?

 [Yes][No]』



 ウィンドウが開き、新しい星の加護を見つけた事が告げられる。

 《言語翻訳》は本を読めば取得条件を満たす事が出来る、入手が容易な加護みたい。


(そのパラメータへの取得ボーナスや補正が少ないそうだけど)


 加護には装備時にパラメータを増減する補正ともう1つ、取得した時にパラメータの基礎値(装備や加護を抜きにした地力)を恒久的にアップしてもくれる。

 ただ、《言語翻訳》は見つけるのが容易な分、それらの数値は低いと言う事らしい。


(これを聞かせたらまた花菜に呆れられちゃうかなあ……)


 色々と情報を得た今、加護は最大でも20しか取得出来ない事は知っている、先々では難しいながら解約可能ではあるらしいけど、今の私には到底無理(私がキャラクターメイキングで7種の属性法術を取った時のクラリスの呆れもそれを知ればこそなんだろう)。


 それでも街を歩いていてやはり文字が読めないのは不便だと感じたし、どんな事が書かれているのかと興味もあったので取っておこうと思ったのだ。

 私は迷う事無く[Yes]を選ぶ。


 ポーン。


『【加護契約】

 星と契約を交わしました。

 加護《言語翻訳》がギフトリストに登録されました』



 その表示が消えた後、本に目を走らせても相変わらず文字は読めないまま。

 私は本を一度本棚に戻し、右手を降り下ろしてシステムメニューを出し、スクロールさせて[ギフト]メニューの項目を開いてその中から[ギフトリスト]を選択する。



[ギフトリスト]

『☆|《火属性法術》

 ☆|《水属性法術》

 ☆|《風属性法術》

 ☆|《土属性法術》

 ☆|《光属性法術》

 ☆|《闇属性法術》

 ☆|《聖属性法術》

 ☆|《マナ強化》

 ☆|《詠唱短縮》

 ☆|《杖の才能》』



 そのリストを横にスライドさせると別のリストが表示される。



[ギフトリスト]

『★|《言語翻訳》

 ★|《―》

 ★|《―》

 ★|《―》

 ★|《―》』



 表示されたのは今取得している加護の一覧。

 私は少し考えてからその中の《詠唱短縮》と《言語翻訳》の前にある星を1回ずつタップすると選んだ2つの位置が入れ替わる。



[ギフトリスト]

『★|《詠唱短縮》

 ★|《―》

 ★|《―》

 ★|《―》

 ★|《―》』



[ギフトリスト]

『☆|《火属性法術》

 ☆|《水属性法術》

 ☆|《風属性法術》

 ☆|《土属性法術》

 ☆|《光属性法術》

 ☆|《闇属性法術》

 ☆|《聖属性法術》

 ☆|《マナ強化》

 ☆|《言語翻訳》

 ☆|《杖の才能》』



 加護は様々な力を与えてくれる便利なものだけど、力を発揮するのはこの1つ目のメインリストにセットしている10個のみ。これ以外のサブにセットされてる加護はいくら持っていても恩恵は得られない。

 新たに得た加護は空き枠に登録されるので、使用したいならメインにセットしているいずれかの加護と交換しないといけない。

 なので私は今使用しない《詠唱短縮》と《言語翻訳》を交換してみた。


 再び本棚から本を手に取り開いてみる、するとそこには――。


「読めない……」


 いくつか平仮名の混じってはいるものの、殆どの文字がそのままなページがあるだけだった。


(これは……やっぱりレベルが低いから、かな……)


 《言語翻訳》はレベルに比例して読める文字が増えていくらしいので後は地道にレベルを上げるしかない、と。

 ただ平仮名が僅かに読める程度なので他に読みやすい本を探さないと、結局大半はこの世界の文字のままだか、ら……。


(あれ? この世界の、文字?)


 私は改めて開いているページに目を通す。そこにはもちろん意味が分からない文字の羅列……でも、そんな筈はない。

 文字は《言語翻訳》が無いと読めないけど……翻訳されているなら元々の発音や読み方もあるのでは?

 でもNPCの人も話す言葉は日本語だし、もしかして北大通りに読み書き教えてくれる所があったりするのだろうか……時間が出来たら探してみるのもいいかな。

 まあ《言語翻訳》で間に合うけど。


 時計を確認してみると、あと30分も無さそうだった。

 私は本を戻して、入り口近くの司書さんの所へ行く。


「あの、すみません」

「はい。なんでしょう?」


 大判サイズの本を読んでいた司書さんは栞を挟み脇に置いてから私に向かい合う。


 司書さんは栗色のショートヘアと細目のメガネが良く似合う理知的な女性だった。

 制服だろうか、服はもう一人とお揃いのタイトスカートとベストを着こなしている。


(……司書さんだ。うん)


 心中で妙に納得してしまった。ほんとにファンタジーかとも思うけど。とりあえずは本について聞いてみよう。


「えーと、私まだそんなに文字が読めないんですが、簡単に読めそうな本とかありますか?」

「はい、ありますよ。簡単に読める、となると読書スペース横の児童書コーナーにある絵本などですね。星守の方々はまずそちらから読み始められていますよ」

「分かりました、ありがとうございます」

「いいえ、ごゆっくり」


 軽く会釈をすると司書さんはふんわりと微笑んでから、再び読みかけの本に視線を移した。

 私は本を読み進める司書さんを横目に、教えられた児童書コーナーへと体を向けて歩き出した。



 加護のレベルを上げるには、その加護に合った特定の行動をする必要がある。

 例えば《剣の才能》なら剣を振るう事で、《火属性法術》なら修得したスキルを使う事で経験値を得る。

 どうも練習よりも実戦の方が経験値が多く貰えるらしく、攻撃なら的に当てるよりもモンスターに当てた方が成長も早いみたい。

 そしてそれは《言語翻訳》にも当てはまる。お店の看板なんかでも上がるそうだけど、本を読んだ方が効率はいいそうだ。


 ただネットで調べてみると、MSOでは本は“読む”のではなく“見る”もの、とされていた。

 要するに読んだかどうかを識別するのに視線=ターゲットサイトの位置と動きで判別しているらしい(読むのに邪魔なので本に対してターゲットサイトは不可視化状態と言うのになっているのだとか)。

 なので視線を行に合わせて動かせば経験値自体は入る。もちろんレベルが上がっていくと絵本で入る経験値程度じゃレベルアップに時間が掛かるので適度に本を取り替える必要があるようだけどそこは仕方無い。経験値を得るべく強いモンスターと戦うのと同様なんでしょう。


(って事らしいけど。でもせっかくのお話なんだから、まずは読んでみないとね)


 児童書コーナーを見てみると左から順番になっているらしく、右に行く毎にいくつか読めない文字が出てくる。

 何冊か抜けているのは読書スペースで読まれているのか、あるいは借りられているのだろうか。借りられるなら時間が出来た時のお供にしたいなあ。


 とりあえず左端の絵本を手にして、読書スペースの空いている席に座る。

 ページをめくる前に、システムメニューの[オプション]からアラーム機能を選んで20分にセットする。これで時間を過ぎてしまう心配をしなくてすむ。


(さて、と。どんなお話なのかな?)


 改めて、私はデフォルメされた真っ白な人と真っ黒な人だけが描かれた、絵本『はじまりのものがたり 1かん』の表紙に手をかけた。



◇◇◇◇◇




 ――昔々。


 世界が始まった時、そこにはたった2人の神様がいるだけでした。


 1人は良い神様。


 1人は悪い神様です。


 悪い神様は良い神様が嫌いでしたが良い神様は悪い神様と仲良くなりたいと思っていました。


 やがて仲良くしようと近寄って来た良い神様を煩わしく思った悪い神様は良い神様の体を3つに切り裂いてしまったのです。


 これでうるさい奴がいなくなったぞと満足した悪い神様はぐうぐう眠り始めました。


 良い神様は泣きました。


 ああ、悪い神様に嫌われてしまったと泣きました。


 両手を泣くしたので涙を拭えずにえんえんと泣き続けました。


 ですが、どうした事でしょう。


 いつしか切り裂かれた体は良い神様を泣き止ませたいと思うようになりました。右の体と左の体は心を持ったのです。


 でも困りました。

 2つの体はこのままでは動く事が出来ません。


 2つの体は昔の良い神様を思い出しながら自分たちの体を作り替えました。


 2つの体は2人の小さな神様になれたのです。


 そして泣き続けている良い神様の許へ行き、泣かないで泣かないでと涙を拭ってあげました。


 良い神様は2人の小さな神様に驚きましたがとてもとても喜び、ようやく笑ってくれました。


 2人の小さな神様は良い神様の体に戻ろうとしましたが良い神様はそのままで良いよと言い、自分も同じように小さな神様になったのです。


 こうして良い神様は3人になり、楽しく楽しく過ごしました。



◇◇◇◇◇



 3人の良い神様たちは穏やかに過ごしていましたが、とうとう悪い神様が目を覚ましてしまいます。


 悪い神様は驚きました。良い神様が3人に増えているではありませんか。


 悪い神様は思いました。良い神様たちは自分がしたような事を自分にもするのではないかと。


 そうなったら大変だ。悪い神様は良い神様がそんな事が出来ないようにやっつけようと思いました。


 良い神様たちは恐がりました。一度は体をバラバラにされたのです、今度はどんな目に遭うのだろう。そう考えるとブルブルガタガタと震えました。


 でも悪い神様が目の前に来た時です、3人の中の1人がすっくと立ち上がったのです。


 それは最初の良い神様でした。


 良い神様は2人の小さな神様を守る為に悪い神様に飛び掛かりました。


 良い神様は自分の体を作り替え、その中に悪い神様を閉じ込めて動けなくしたのです。


 悪い神様は出せ出せと喚きましたが、やがて諦めてまたぐうぐうと眠りについたのでした。


 神様たちは安心しましたが、最初の良い神様はもう動く事が出来なくなりました。


 2人の小さな神様は悲しみましたが、私の事は気にしなくていいよと最初の良い神様も眠りにつくことにしました。


 こうして2人の小さな神様たちだけが残されたのでした。



◇◇◇◇◇



 ――ピリリ、ピリリ、ピリリ。



 突然耳元にそんな音が響く、セットしておいたアラームだ。


(思ったよりも早かったなあ)


 本から目を離し、体を起こし、息を吐く。きしり、木製の椅子が音を立てた。

 経験値の事もあったので一気に2冊も読んじゃった。

 丁度読み終わったけど割りと衝撃な引きで3巻に続くから先が気になるなあ。また今度来た時の楽しみにしておくか、それともいっそ借りてみようか。


(……何事もチャレンジか)


 よし、と椅子から立ち上がって児童書コーナーに2巻を戻し、3巻から最終5巻までを手に取る。

 そのままカウンターへ行き、司書さんに話し掛ける。


「あの、本を借りたいのですが」

「はい、貸し出しですね。会員証はお持ちですか?」

「いいえ」


 ああ、やっぱりそう言うのが必要なんだ。学校の図書室でも図書館でも貸出カードとか作るものね。


「では会員証をお作りしますか? その場合登録に500Gが必要となりますが構いませんか?」

「ごっ――!?」


 たっか……少なくとも今の私の懐具合的には恐ろしく高い。さっきドロップアイテムを売って得たお金があるとは言え、残金は575G。

 もしここで会員証を作ったら残りは二桁。お財布が再び軽ーーく……。


(うわ、どうしよう)


 『無駄遣いはしちゃダメでしょ!』と左側から天使の、『お金ならまた稼げるじゃない! ヘイヘーイ』と右側から悪魔の囁きが聞こえてくる?!

 うう、せっかくアラームまでセットしておいたのに、悩むばかりでじりじりと時間が過ぎ去ってしまう。

 早くログアウトしたいのに……『STOP!』と『GO!』の2つの考えがぐるぐると回って上手くまとまらない。


「いかがなさいますか?」


 うぐ!?

 そんなにっこりと笑い掛けないでくださいっ。


(今更止めますとか言えない……っ)


「じゃ、じゃあ作りま、す……」


 頭の上でケンカを繰り広げていた天使と悪魔の戦いは、へたれた天使へ放たれた悪魔のアッパーカットにより幕を閉じたのだった。

 声が尻すぼみになったのは気の所為です。



 緊張しながら500Gを支払う。所持金のカウンターがチャリーンと目減りし、私の精神的な何かがガックーンと落ち込んだ。


「こちらが会員証となります」


 そう言って薄緑色のカードを差し出す司書さん。

 表面にはまだ読めないこの世界の言語で何かが書かれている。


「お名前はこちらで記入いたしましょうか?」

「あ、お願いします。名前はアリッサです」

「かしこまりました」


 先程の会話を覚えていてくれたらしい。あまり文字を読めない=書く方もそうかもと思ったのかな。正解。

 司書さんは流麗な筆致で名前を書き込んでくれる。そうして渡された会員証に記入された『アリッサ』の意味を成す4文字を見て、私はなんだか嬉しくなった。


「この会員証は全国共通です。これがあれば他の都市の図書館でも本の貸し出しが可能ですよ」


 あ、そうなんだ。少し安堵する。

 他の図書館でも使えるとなれば、むしろ500Gなら安いものだったかもしれない。いや、安い。安い出費ですよね!


 ……と、思っておこう。精神衛生の観点で。


「本の返却期限は3日後です。期限を超過した場合罰金を支払っていただく事になるので注意してくださいね」


 3日後ってこっちの時間でだよね、現実だと4日半。忘れないように気をつけないと、ばばば罰金が……。


「えっと、ちなみにおいくら……」

「本によりますが……この絵本なら1日延滞毎に10G、高価な本だと最大で1日に1000Gになります」

「――――――」


 ハッ?!

 一瞬意識が飛んでしまった。

 だって、昨日までの戦闘での私の稼ぎ全部で1500Gだよ?!

 それが本1冊の延滞料金1日分で大半が吹っ飛ぶの!?

 こ、怖くて下手に本借りられない……っ。


「更に、10日以上の悪質な延滞の場合は本の強制返却、罰金の強制徴収、会員証の停止、各都市の図書館のブラックリスト入り、などがありますのでくれぐれも、く・れ・ぐ・れ・も! ご注意くださいね」

「は、はい……」


 ど、どうしてだろう。笑顔なのに、笑顔の筈なのに……すごくこわい(涙目)。


 そして、会員証と絵本をアイテムポーチにしまった私はふらふらとおぼつかないで図書館を後にしたのでした。




◆◆◆◆◆




「はぁぁぁっ」


 その後、どうせすぐに戻るのだからと宿屋は利用せずにそのままログアウトした。

 直立から仰向けに寝転がった状態に変わるのにはまだ若干の慣れが必要に思った。逆もまた然り。

 なんだろう、軽く酔うと言うか頭が追い付いていないような寝ぼけた感じ。

 だからこそ横になってログアウトし、横のままログインする宿泊があるのかもしれない(その場合ログイン直後の本をめくるシーンがスキップされる)。


「お金に余裕が出来たらそっちにしようかなあ……」


 ただ今まで宿泊は部屋を1つ占有するので、他のプレイヤーの迷惑にならないだろうか、なんて心配もあったのだけど、宿屋の数も多いしみんながみんな宿泊を選ぶ訳でもないのだから私1人でどうこうなるものでもない、あまり気にする必要はないか。


 ゴソゴソとリンクスを脱いで、少し熱を持っている頭を振る。

 今日はこの程度ですんでいるけど何時間もプレイしていると蒸れたりもあり得る、これから寒くなるからこそ暖房なんかは注意しないといけない。

 でも室内の気温は出来るだけ低めにしたいけど、低くしたらしたで体を冷やしてしまう、実に加減が難しい。


「その内ゲーム中の体調管理してくれるカプセルみたいなベッドが発売されたりして」


 出たら買いそうだよね、花菜が。

 ……笑えない。



◇◇◇◇◇



「花菜起こしてきてちょうだい」

「はーい」


 下に降りた私は、まだ調理中だったお母さんの手伝い(主に洗い物関連)をしていた。

 そしてテーブルに料理を並べ始めたので上でゲーム中(予想)の花菜を起こしてくるように頼まれた。

 ちなみにお父さんはまだ帰っていない。一緒に食卓を囲めるのは週に2、3回程度。なるべく一緒に食べたいと言っているけど、中々忙しいらしい。

 頑張ってるお父さんには感謝感謝である。


 キッチンの傍のドアから廊下に出て、階段をトントンとリズミカルに上っていく。

 毎度思うのだけど、晩ごはんの時間は7時前とだいたい決まっているのに、何故私はほぼ毎日花菜を起こしに行かなければならないのだろうか。

 自室を通り過ぎ花菜の部屋の前に立って、一応ノックしてみる。


 コンコン……コンコン。


 ………………。

 反応は無い。

 ドアノブを回すとあっさり開く、鍵はかかっていなかった。


「花菜ー、入るよー」


 ドアを開くと室内は暗く、フィーンとかすかにリンクスの駆動音が聞こえる、やはりまだログインしたままか。

 ドアの横のスイッチを入れると天井の照明が点灯し、花菜の部屋を照らし出す。

 花菜の眠る(と言う表現は果たして正しいのかな)ベッドに近付き、その頭を被うリンクスの側部に手を這わせる。

 そこには2つのスイッチがある。その内の1つ、黄色い緊急連絡用のスイッチを押す。

 内部への連絡自体はパソコンを通じてメールを送る事も可能なのだけど、戦闘中なんかだと終了するまで受信は報せない仕様らしい。

 でもこっちは即座にプレイ中のクラリスへと緊急コールとしてウィンドウ表示される。

 ちなみにもう1つにはプラスチックのカバーで保護されている緊急終了用のスイッチ。対象を即座にログアウトさせ、起動中のリンクスを強制的に終了する。最近は疎遠になっていたのでまだ押した事は無いけど、もしかしたらこの先押す機会が無いとも限らない、なにせこの子なので。


 花菜が戻るまでどれだけ掛かるやら。待たされるのは実に暇だった。

 周りを見ると勉強机には教科書にノート、筆記用具が散乱している、課題は済ませたのかな? まだ分からないのでそのままにしておく。どうも出来が不安だけど。

 床には制服が雑に置かれていたのでハンガーに掛けておく。皺になると何度言わせる気なのよ……。

 棚にはゲームのパッケージやハードが所狭しと詰め込まれていて、その前にはリンクスの箱が開け放たれたまま放置されていた。


 全体的に物を乱雑に扱う(ゲーム機器全般除く)のは性格によるものか……もう少し体面を意識してほしいものだけど、高望みかなあ。

 うんうん唸っていると、ベッドから身じろぎする音がした。


「うう〜、いい所だったのに〜」


 がさごそとリンクスを脱いでいる花菜に近付き話し掛ける。


「時間を確認しておきなさいよ。晩ごはん食べた後に行けばいいでしょ?」

「甘い、甘いよお姉ちゃん。時間を気にしたらゲームなんて出来ないじゃない! 楽しむ時はまず楽しむ! 他の事はその後に思い出せばいいんだよ!!」

「刹那的過ぎます!!」


 頭が痛い。

 この子の将来が酷く心配になる一幕である。


「過去よりも! 未来よりも! 今この瞬間を生きるのが人間じゃない!」

「台詞だけまともになった!」


 意味としては『過去よりも(今まで怒られたけど)! 未来よりも(この後の予定もあるんだけど)! 今この瞬間を生きるのが人間じゃない(とりあえずゲームしたい)!』なので、前の台詞から全然変わってない。誤訳の可能性が欲しい。


「って、漫才してる場合じゃなかった! 晩ごはん早く食べちゃわないと! 行こ、お姉ちゃん!」


 ベッドから飛び起きた花菜は、私の手を掴んでドアへと突き進んでいく。


「どうせゲームしたいからでしょ……」

「さすがあたしの一番の理解者! 分かってるぅ!」


 ジト目で呆れる私の言葉を花菜はご機嫌に肯定した。

 全く懲りた様子も無く……きっとこれは明日も明後日も私が部屋まで呼びに来る事になるなと、そう思った。

 苦笑が零れても溜め息が漏れても、誰にも咎められはしない……よね?




◆◆◆◆◆




 食べてすぐに寝ると牛になる。


 ついついそんな記憶の奥底に仕舞い込んでおけばいい事を、タイミング悪く部屋に戻ったまさにその時に思い出してしまった。

 意を決してMSOにログインしたものの、現在私の現実の体は絶賛横たわっている訳で……。

 気付けば意味も無くお腹をさすってしまうのだった。


(毎晩考えてしまいそうで怖い……いや、ぼけっとしているから余計な事を考えるのよ! ここははじまりの森にこもって、モンスターとの戦いに集中しよう。うん、リベンジ!)


 お腹に置いていた手をグッと握り、昇り始めた朝焼けと白む空にふんす、と鼻息荒く決意を固める。私は意気揚々と一歩を踏み出し『くう』た?


(…………くう?)


 それはかすかに、けど確かに聞こえた。小動物の鳴き声かな?

 辺りをキョロキョロと見てみるが、私が今居る周囲にはそれらしい小動物はいない。


「?」


 何だったのか分からないままだが時間が勿体ない、私は南大通りに向かって歩き始めた。

 やはり人の数は(現実の)夜の時間帯の方が目に見えて増えている、ポータル付近は特に顕著だった。まあすし詰めと言う程でもないけど、雑踏の間を縫うように進んでいく。

 ポーションもまだまだ残っているし、時間ギリギリまで粘ってはじまりの森1層のマッピングを済ませて2層との間にいると聞く中ボスを覗くくらいはしておきた『くう』いな?


 ピタッと足が急停止する。


 何だというのか一体、大通りから脇道へと入り改めて視線を左右へと走らせる。

 でもこれと言ったものは無い、小動物はちらちらと見かけても鳴き声は別物。

 ならばと目を閉じて耳を澄ませる。

 大事なのは音の発生源。その方向さえ分かれば目で捉える事も可能、な筈。


 ……。


 …………。


 …………『くう』アレ?


(な、なんだろう音の発生源は下……でもやけに近いみたいなんだけど……え、お腹?)


 「あっ」とそれに気付いた所で、顔を勢いよく上げ左上に視線を向ける。

 そこにはHPゲージとMPゲージが視線を向けた事ではっきりと表示されている。どちらもちゃんと満タンなのだけど問題はその下、『空腹度』と『睡眠度』のゲージにある。


 やはり両方のゲージは赤い危険域に突入している。

 特に空腹度。ゲージ自体は点滅していてバーは既に0になっている。

 音の正体は空腹度を報せる警告音だったんだ。

 これはマズイ。

 このお腹の音が回数を重ねる度に、徐々にわずかに音量が上がっている。まるで早く早くと催促を繰り返されているかのよう。

 それに1回目から2回目よりも2回目から3回目の音の間隔がほんの少し早かった気がする。


 これはつまり、早く何か食べないと人に聞かれるレベルの音量の警告音が連続で発生する事に。


(このままじゃ……恥ずかしくて人のいる所に出られないじゃないっ)


 ああ、そういえば食事なんてMSO内で摂った事が無かった。

 睡眠度は2度宿屋に泊まったからまだ若干の余裕があっても昨日の夜と今日の夕方とメニューから直接ログアウトしている。

 空腹度でこれなのだから、睡眠度に関しても何かしら起こるのかもしれない。


(な、なにか食べなきゃ)


 こうしている今も断続的に『くう』『くう』とお腹から警告音が鳴り響いている。まだ聞き取り難いけど、これからどれだけ音が大きくなるか分からない。

 私は体を大通りに向けながら、食べ物を入手出来る場所を思い出す。


 まず第1は飲食店。NPC経営のお店は北と西大通りに、PCのお店は西大通りに点在している。南大通りの宿屋さんでも食事は出るらしいので候補ではある。

 第2に屋台。西大通りにもいくつか店を開いているけど、中央公園付近が最も多い。ここに来るまでにもあった筈。

 第3に店舗で消費アイテムとして販売されている物。西大通りでは少なくないお店に置かれているそうだ。


 その中で私が目指すのは2番目。


 1がダメな理由は、出来上がりの時間もそうだけど、何より高いらしいから却下。睡眠度も危険域一歩手前だから宿屋代を引いた150G以内に抑えるのが絶体条件。

 3も同じく。単純に販売しているお店が分からない、 いっそ食事付きの宿に宿泊するのも手ではあるけど……結局の所、手当たり次第に探すには時間が足りない。

 なので近くて見れば分かり、出来上がりが早く、値段も手頃な屋台がベスト!


「そうと決まれば善は急げっ」


 1秒でも惜しいと私は目立つの覚悟で駆け足で西大通り目指して飛び出した、そして――。


 ドンッ!!


 早速誰かにぶつかった。


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