とある春の一日 後編
前編からの続き。
日が完全に沈むと、風が吹いてきて少し肌寒くなった。だからと言って、辺りが寂しくなったわけではなく、むしろ俺達のような花見客でいっぱいになり、さっきより騒がしくなってきた。太陽と交代して光を放つようになった提灯は、桜を明るく照らして艶やかな雰囲気を醸し出している。
所長が来てから間もなくして、事務所の先輩達が酒や食べ物を大量に持ってやってきた。それからすぐに花見は始まった。水篠も、始まってからすぐに復活し、何事もなかったように宴会に加わっている。
俺は……さっきとなにも変わらない状況だった。
「森丘、その膝枕している子は誰なの?彼女?」
「はー別嬪さんやねぇ!若い子いいなぁ……」
「おじさんがそんなこと言ってっと犯罪やぞ~」
わはははっと先輩達の大きな笑い声が上がる。さっきからずっとこの調子だ。
「いやだからあの……この子は幼馴染で、別に彼女とかじゃな」
「でも普通彼女が膝枕する方じゃない?」
それはごもっとも。
まだ宴会が始まってそこまで経っていない。が、お酒は進んでいるのか、先輩達はやたらと俺に絡んでくる。まあ……こんな状況だったら絡まれても仕方ないかもしれない。柚原はずっと俺の膝の上で寝息を立てたままだ。こんな騒がしい状況でよく寝ていられるな、と逆に感心する。
そういえば、柚原も場所取りって言っていたが、一向にそれらしき集団は現れない。一体どうしたのだろう。もしかしたら、柚原の携帯に連絡が入っているのかもしれない。……やっぱりそろそろ起こすべきか。
俺は飲んでいたビールの缶をそばに置いて、柚原の肩を叩いた。
「おーい、柚原。そろそろ起きろ」
「…………」
反応がない。そうだ、こいつはなかなか起きないやつなんだ。身体を揺すってみても、額を叩いてみても、まるで反応がない。耳元で叫んでみたら起きるだろうか。そう思って耳元に顔を近づけてみる。すると――目が合った。
「……あ」
やばい、これは……また――
「……きっ、きゃああああ!」
ドカッ。
「うおっ」
柚原のパンチが俺の顔にクリーンヒットした。前もこんなことがあった気がするのだが気のせいだろうか。柚原の叫び声を聞いて、周りの人達もこちらに視線を向けている。これでは完全に俺が加害者だ。
「ゆっゆーくんなにをっ……って、え!?もう夜!?」
当の柚原は俺の膝から飛び起きて周りを見渡すと、慌ててカバンの中の携帯を取り出した。うわあと叫びながらいそいそと電話をかけ始める。
「――あっもしもし柚原です!すみませんっ気付かなくて!……はい、えっ急患ですか!?すぐ行きま……あっそうなんですか、すみません……はい、分かりました。いえいえ!こちらこそすみません!……それじゃあ失礼します」
電話を切ると、柚原は深いため息をついた。話の内容はよく分からなかったが、話しの相手は職場の人のようだ。柚原は携帯をしまって俺の方を向いた。
「ゆーくんごめんね!なんか寝ちゃってたみたいで……。うちのところ、急患が入ったみたいだからお花見中止になっちゃった」
「え、じゃあ今から病院に戻るのか?」
「ううん、もう容態は安定しているらしいから、そのまま帰っていいって。ほんとごめんね!お花見始まっているのにお邪魔しちゃって。また、連絡するね!」
そう言って、柚原は立ち上がった。どうやら膝枕の件については分かっていないようだった。いや、むしろそれで良い。俺は決して悪くないが、もしかしたらもう一発殴られていたかもしれない。女っていうのは恐ろしい。
それじゃあまた、と別れようとしたその時、がしっと一人の先輩に肩をつかまれた。
「ちょっと待って、森丘くんの彼女さん!折角だから一緒に飲もうよ!」
「へっ!?かっかかかかか彼女っ!?」
先輩の言葉を聞いて真っ赤になる柚原。周りの先輩達もそれに同調した。
「そーだよ一緒に飲もーよ!若い子いっぱいいて欲しいし!ね、所長いいでしょ?」
「おーいいぞいいぞ。どんどんもってこーい」
「はい所長~、アヤおすすめのリンゴジュース割りでーすっ!」
どうやらあっちは二人の世界に入り込んで、聞こえていないようだった。
「あっあの!私っかかかかかかかか彼女とかそそそそそそそんなんじゃないんでっ……」
真っ赤になりながら首を横に振る柚原。周りの先輩達はそれでもお構いなしに柚原を俺の隣に座らせる。そちらの方を見ると、ばっちり目が合ってしまって、柚原は更に赤くなってしまった。
……なんか、こっちまで顔が赤くなってくる。
「よーし、若い子達もいることだし、盛り上がっていきましょー!みんな乾杯―!」
「「乾杯―!」」
先輩達が一斉に乾杯し、缶同士がぶつかり合う音が響いた。そしてそれから――一時間後。
「はあー。別にアヤ悪くないのにぃー。だって浮気したのそっちじゃん~。なんで私が悪いみたいなぁ~感じで言われなきゃなんなのよぉ~!」
「あー分かる分かる。よぉ~く分かるぞぉー水篠~。あたしも若い頃そんなことはざらにあったさぁー」
昨日の今日で……惨劇は繰り返されるとはよく言ったものだ。所長と水篠はお互い愚痴を零し合っている。他の先輩達も今日は羽目を外しすぎたのか、少し離れた場所で踊ったり、逆に潰れていたり……とにかく誰一人桜は見ていなかった。
「柚原、大丈夫か?」
「うっうん……みなさん楽しそうだね……」
隣の柚原に話しかけると、柚原はこの状況に慣れていないのか、呆気にとられていた。俺と柚原に渡された酒は全然減っていない。
すると、急に所長から声がかかった。
「おい森丘ぁ!酒が足りん!食い物も足りん!ちょっと買ってこい!」
「えっあんなにあったのにですか!?」
「アヤもなんか食べたい~。買ってきて早く~」
所長と水篠の周りには空の缶や袋で溢れていた。たった一時間ちょっとでどうやったらこんなに入るのだろう。本当に人間なのだろうかこいつらは。しかし、行かなければさらに面倒臭いことになりそうだ。
「分かりました、行ってきます……柚原も着いてきて」
「あっ、うん」
こんなところに柚原一人置いていくのは危険だ。それに、この流れで柚原を離脱させることができるだろう。俺と柚原は立ち上がってその惨劇現場から離れた。
近くのコンビニで適当に酒とつまみを買い、再び桜並木に戻ってきた。ここは宴会の中心からは外れているのか、遠くから喧騒が聞こえるだけで人はまばらだった。俺と柚原は買い物袋を持ってそんな桜並木をゆっくりと歩く。
「ごめん、柚原。なんか巻き込んじゃって。もう帰って大丈夫だから」
「ううん、いいよ。ゆーくん一人じゃ大変でしょ?折角だし最後まで付き合うよ」
そう言って、柚原は笑った。薄明るい提灯に照らされて、いつもと違う雰囲気に見える。思わず目線をそらしてしまった。
「そうか……ありがとう……」
「……うん」
会話が続かない。耳には楽しそうな宴会の声が入るだけだ。なんだか気まずいのも、全部水篠や先輩たちが変なことを言ったせいだ。柚原の様子を伺おうにも、自分の今の顔をあまり見られたくない。
「――ゆーくん、あのね」
しばらくそのまま歩いていると、柚原は急に立ち止まり、そう呟いた。俺も立ち止まり、柚原の方を見る。
「ゆーくんがこの町に帰ってきたら、伝えようって思っていたことがあるの」
「なんだ?」
柚原は俯いていて、顔色は見えない。しかし次の瞬間、意を決したように真っ赤になっている顔をこちらに向けた。
「あのねっ……私、小さい時から、ゆーくんのこと……悠介君のこと……がね」
――普段俺のことをゆーくんと呼ぶ柚原が、きちんと俺の名前を呼ぶことは珍しい。そういう時は大抵……そう、こんな感じの時だ。柚原が何かを言おうとしている時。
「悠介君のことが……すっ……す……」
俺は次の言葉を待った。
「すっ……好……きいっ!わあああああああっ!」
「ええっ!?柚原!?」
――何が起こったかというと、どこからともなく空き缶が飛んできてそれが柚原の頭にヒットしたのだ。しかもその反動で柚原は土手の下へと転がり落ちてしまった。というか、どんだけ強く当たったんだ⁉
「柚原!大丈夫か!?」
俺は急いで土手から降りると、柚原は頭を押さえながらもすぐに起き上がった。土手と言ってもそこまで高低差はなかったので怪我はなさそうだ。
すると、土手の上からすみません!という声がかかった。
「ちょっと缶蹴りしていたら強く蹴りすぎちゃったみたいで……ごめんさない、怪我ないですか?」
「…………」
柚原は下を向いて黙ったまま頷く。なんか、怒ってらっしゃるような……。缶を蹴った人は再度謝罪した後、この場からそそくさと去って行った。
「柚原……ほんと大丈夫か?」
俺が声をかけると、柚原は顔を上げた。しばらくなにかに耐えるように唇を噛み締めていたが、急にふっと笑った。
「……大丈夫、言える」
そう小さくつぶやくと、柚原は立ち上がった。さっきまでとは違ってまっすぐ俺を見つめてくる。
「あのね、ゆーくん。今から言うこと、よく聞いてね」
「おっおう」
柚原は深呼吸をして、再び俺とまっすぐ向き合った。その視線に捉えられて、息がし辛い。何故だか、心臓の音が身体中に響く。周りから俺と柚原だけ切り離されたみたいだ。
「私ね、小さい時からずっと……」
ちいさいときから、ずっと。
「ゆーくんのことが……」
「あっいたいた~!ゆーく~ん!」
急に、違う声でゆーくんと呼ばれた。
「えっ?」
俺も柚原も驚いて、声のした方を向く。すると、土手の上から水篠がこちらにかけてきた。
「も~買い出し遅いよぉ~。遅かったから、アヤがお迎えにきたよ~ん」
そういいながら、水篠は後ろから俺に抱きついてきた。うわ酒臭っ。こいつ完全に酔っ払っているのによくここまで辿り着けたな。
「お前ちょっ、離れろ。すぐ行くから……」
「えーゆーくん冷たいなぁ~」
抱きついてきた水篠から離れようとするが、水篠は苦しいぐらいの力で俺を固定してくる。もう抱きつくというか締め上げるといった方が正しいかもしれない。一体この酔っ払いにどれだけの力が隠されていたっていうんだ。
柚原はその様子を見て、ずっと黙ったままだった。
「こんな所で油売ってないで、早く帰ってきてよ~。みんな待ってるよ~」
「いいから、とりあえず離せって」
あーもう酔っ払いはほんとに達が悪い。
「ねえゆーく……」
「ゆーくんって、呼ばないで」
突如、水篠の声を遮って、柚原の声が響いた。俺と水篠は驚いて柚原の方を見ると、その肩は少し震えていた。
水篠はその様子を見て首をかしげる。
「なんで?いいじゃん別にぃー。あなたもそう呼んでるから、アヤも呼んでいいでしょ~?」
「だっだめ……だよ。ゆーくんって言い始めたの私だし……それに、今まで私しかゆーくんって呼んだ人いないし……」
「だからって、なんで呼んじゃいけないのよ~。あなた、ゆーくんのただの幼馴染なんでしょ?」
「――っ」
柚原の言葉が詰まった。震えていた身体が一瞬で止まる。水篠は構わず続けた。
「さっきゆーくん言ってたよ~。こいつはただの幼馴染だーって。ただの幼馴染が、あーだこーだ言う権利なんてないでしょ~。ねっ!ゆーくん!」
「えっいや……」
急に話を振られてどう答えていいのか分からなかった。柚原の方を見ると、まっすぐ俺を見つめている。しかし、先ほどのような力強さはなかった。
「柚原……」
「……そう、だよね。そんな権利ない……よね」
そう呟くと、柚原は笑った。でもその笑顔はいつもの明るい笑顔ではない。――今にも泣きそうなのを堪える笑顔だった。
「ゆず……」
「ごめんね、ゆーくん。私、やっぱり帰らせてもらうね。明日も仕事だから」
そう言うと、柚原は踵を返し走り出した。まるで顔を見せたくないかのように。
「ちょっ柚原!……水篠これ持って先行ってろ」
「ふぇっ!?」
力任せに水篠を引っぺがし、買い物袋を押し付ける。水篠は思考が追いついていないようだったが、今そちらに構ってはいられない。俺は柚原の後を追って走り出した。
「……アヤ、もしかしてまずいことした?」
取り残された水篠がそう呟いたことを俺は知る由もなかった。
****
あいつどこ行ったんだ……?
後を追って走ってきたのはいいものの、宴会の中心部に入ってきてしまったようで、人ごみで柚原を見失ってしまった。静かに桜の花びらが揺れる中で、多くの人々が騒いでいる。こんな酔っ払いの巣窟の中で柚原が一人だととても危険だ。
ましてや今にも泣きそうだった柚原は。
「……あっち探すか」
喧騒から少し離れた桜並木の方へ向かう。
そういえば、前もこんなことがあった気がする。確か、高校二年生の冬休み。俺がこの町から引っ越した日だ。その時は、柚原に嫌いって言われたんだっけ。
「…………」
歩みを進めるが、一向に見つからない。あの時も見失って、探すのが大変だった。あの時も、そして今も――あんな顔をさせたのは俺だ。
柚原はいつもニコニコ笑っているが、本当は、それが強がりなことも知っている。昔から泣き虫で、傷つきやすくて。でもそれを明るい笑顔で隠すかのようにしている。それを知っているのに俺は……あんな笑顔にさせてしまった。
しばらく探していると、遠くの桜の陰で人だかりができているのを見つけた。それ以外周りには誰もいない。近づいてみると、その人だかりのすき間から柚原の顔が見えた。
「――っ」
周りの人だかりはおじさん達で、ふらふらしているところを見ると、かなり酔っ払っているようだ。柚原を囲んで、にやにやしながら何かを話しかけている。すき間から見える柚原の顔は笑っていたが、かなり困惑している様子だった。
――そんな顔、見たくない。
気が付いたら俺は、おじさんの一人をつかんでその輪から引っぺがしていた。
「……あの、すみません。ちょっとこいつから離れてもらってもいいですか」
「ええっ?なっなんなの君?」
おじさん達は訝しんだ目でこちらを見てくる。柚原は俺の姿を確認すると、驚いた顔を作った。
「俺はこいつの連れです。なので、離してくれませんか」
「連れ?この子の彼氏?」
――今日はこの質問が多いな、いいかげんにしてくれよ。
「いえ、幼馴染です」
「えっ!?ただの幼馴染かい!」
そう言って、周りのおじさん達が一斉に笑い出した。
ただのってなんだよ。ただのって。幼馴染の何が悪いんだ。小さい時からずっと一緒で、会えない期間もあったけど、他の誰よりも柚原の傍にいた自信はある。だから、柚原が辛そうにしてたり、泣きそうになったりしているところを見たくないんだ。これからも傍にいて、ずっと笑っていてほしい。俺にとって柚原は幼馴染で、でもそれ以上に――
「でもそれ以上に――俺にとって大切な人なんです」
俺がそう言うと、おじさんたちの笑い声は止まった。しばらく時が止まる。おじさんたちはお互いを見合わせたあと、邪魔したねと少し微笑みながら立ち去って行った。あとには、向き合った俺と柚原が残る。
「…………」
「…………」
俺達の間にもしばらく時が流れた。
あれ……俺、今なんて言った……?あれ……あれっ!?
「――っ!」
一気に顔が熱くなる。思わず柚原に背を向けてしまった。やばいやばい、この顔はやばい。多分真っ赤だ。こんな顔見せられん。いや別に嘘偽りを言ったわけでなく、本心を言ったまでなのだが……なんでこんな恥ずかしいのか、自分でもよく分からなかった。
「あの……ゆーくん?」
「――!?」
急に柚原が俺の正面に回ってきた。反射的に顔を抑えて、また背を向けてしまう。
「ちょ、ちょっとタンマ!しばらく放っておいて下さい」
「えっ!あっあのさ、私のこと……助けて、くれたんだよね?」
いや助けたっていうより、なんか……まあとりあえず今はそっとしておいてください。こちらの方に来ないでください。
しかし柚原はお構いなしに話を続ける。
「あっあのね、違うの!さっきの人達……実は、うちの患者さん達で、私知り合いなの!」
時が、止まった。
「……は?」
……シリアイ?
「うん、だから……えーっと、大丈夫!」
「えっでもお前、困っていたんじゃ……」
「ああうん。いつものお礼にってお酒を薦められたんだけど……あっ無理強いは全然されてないよ!みなさん残念がってただけ!」
「あ……そう……」
身体中の熱と力が抜けていく。だからあのおじさん達去っていく時笑っていたのか。なんかもう恥ずかしいを通り越して消えてしまいたい……。
「でも……嬉しかった。ありがとう」
少し俯きながら柚原はそう言った。その顔は少し赤い。俺もそれにつられて再び顔が熱くなる。
「……お前が、あんな泣きそうな顔して急に走り出すもんだから、心配した」
「あっ、ごめんね。ちょっと……混乱しちゃって。私以外の人がゆーくんって呼んでいるの初めてだったから……」
柚原はそう言うと、顔を上げて笑った。また悲しそうに。
「そもそも、もう私達大人なんだし、ゆーくんって呼ぶのも変だよね。なのに私、ただの幼馴染のくせに偉そうな口を――」
「いや!俺は、柚原にそう呼んでもらうの好っ……」
き……。
思わず途中で言葉を飲み込んでしまった。柚原は目を見開いて俺を見つめる。
あれ、俺今好きって言おうとした。いやこの好きはライクの好きだろ、なに意識しているんだ。なんで、“す”で止めてしまったんだ。これじゃあまるで――まるで、さっきの柚原みたいな……。
「……ゆーくん?」
――あ、なんか、よく、わからない。
「――っ、俺は、柚原にそう呼んでもらうの……き、嫌いじゃないし、さっき水篠に呼ばれたけどやっぱ変な感じだし。それにさっきのだって、助けたっていうか俺が嫌だっただけっていうか……」
俺は何を言っているんだ。自分でもよく分からない言葉が止めどなく出てくる。
「だから……そんな泣きそうな顔されるの嫌っていうか見たくないっていうか……お前には、ずっと傍で笑っててほしいっていうか……幼馴染だからっていうより、その……あーーー!」
思考がまとまらなさすぎて思わず叫んでしまった。顔を手で覆う。俺は一体何を言いたいんだ!
すると柚原はぷっと噴き出して、笑い出してしまった。
「……なんだよその笑いは」
「だって、ゆーくん顔真っ赤だよ!ははっ、なんか可笑しい!」
こいつ……。人の気も知らないで……。
柚原はひとしきり笑ったあと、顔を上げた。
「私も同じだ」
「え?」
「私も、ゆーくんって呼ぶの嫌いじゃないよ。だって私が付けたんだもん。それに、ゆーくんにはずっと傍にいて欲しい。だって、笑えって言ったの、ゆーくんなんだよ?」
柚原はそう言うと、俺の目をまっすぐに見た。さっきの、力強い視線。風が柚原の長い髪を揺らす。
「幼馴染だからとか、それ以上に、ゆーくんのことが大切で、特別で――」
小さく、笑って――
「――好きなんです」
その瞬間、風が一気に駆け抜けた。桜の花びらが一斉に宙を舞う。
「…………っ」
でも、時は止まったみたいだった。
「小さい時から……ずっとゆーくんのことが好きでした」
柚原とは、小さい時からずっと一緒で、ずっと傍にいた。会えない期間もあったけど、その間も柚原のこと忘れたりなんてしなかった。時々来る連絡も、すごく嬉しかった。こっちに帰ってきてすぐ連絡しなかったのも、なんだか久しぶり過ぎて、ちょっと恥ずかしかっただけ。
「鈍感で、いっつも気づいてくれないけど、優しいゆーくんが好きです。なんだかんだ言いながらも、いつも私の傍にいてくれるゆーくんが好きです」
柚原に彼氏がいないって聞いてほっとした。いたら嫌だった。彼女なんて、作る気なんてなかった。なぜかいつも柚原のことが頭を過ぎった。
「だからこれからは――私をゆーくんの幼馴染じゃなくて……彼女、にしてくれませんか?」
こんなことを思うのは柚原だけ。幼馴染だからとか、そういうんじゃない。いつも隣で笑いかけてくれる。初めて出会った日も、あの秋の日も夏の日も冬の日も――そして今も。
そうだ、俺は――
「……柚原」
びくっと柚原の肩が震える。唇を噛み締めて、全身真っ赤にして俺の言葉を待っている。それを見て、俺も思わずぷっと噴き出しそうなる。
いつからかは分からない。でもきっと、ずっとそうだった。
俺が言いたかったことは――
「俺もずっと――」
ずっと、そんな柚原のことが――
「――好きでした」
柚原の瞳が揺れる。桜の花びらも同じように揺れて、俺達の周りを包み込む。
「だから……幼馴染じゃなくて、俺の彼女になってくれませんか?」
そう尋ねると、柚原は下を向いてしまった。肩が震えている。あれ、だっ駄目なのか……?熱くなった体に冷たい汗が流れる。
すると、柚原は勢いよく顔を上げた――目に涙を浮かべた、でも満面な笑顔で。
「はいっ……!喜んでっ!」
その笑みを見て、俺もつられて笑ってしまった。
出会ってから二十年近く。ただの幼馴染だった俺と柚原の関係が少し変わった瞬間だった。
「じゃあ帰るか」
「うん!あ、水篠さんに謝らなきゃ……失礼なことしちゃった」
「いや、酔っ払ってるあいつが悪い」
桜の花びらが舞う中を、俺と柚原は歩いている。ふと柚原の方を見ると、目が合ってしまい、お互い思わず反らしてしまう。
でもさっきのような気まずさはなかった。
「……ってか、お前、まだ涙目なんだけど」
「うっ!だっだってなんか実感湧かなくて……やっと、やっと――」
好きって言えたから。
そう、消えそうな声が耳に届く。なんだかその様子が微笑ましくて、俺は隣で歩いている柚原の頭に手を軽く置いた。
「泣くなよ。俺は笑ってる柚原が好――」
……なんか、今になって急に恥ずかしくなってきた。
「……早く帰ろう」
俺は手を下して、顔を見られないように足を速めた。
「あーちょっと!最後まで言ってよ!」
柚原は不服そうにしながらも、笑いながら再び俺の隣に並んだ。
――これからも、ずっと傍で笑い合っていたい。
提灯に照らされて輝いている桜並木が、目の前に大きく広がっていた。
END
本編はこれで完結です。
あとは番外編的に、このあとの話とか過去の話とかのんびり書いていけたらいいなーと思っています。
読んで下さってありがとうございました。




