とある冬の一日
高校2年生の冬
今回は柚原視点
「泣くなよ、柚原は笑っているほうが絶対可愛いって」
昔、とある秋の日のこと。彼は私にそう言った。
泣き虫だった私が、これからは笑って生きようと誓ったあの日。
彼――ゆーくんは覚えているのだろうか。
「……え……もえ……」
誰かが私の名前を呼んでいる。
「萌恵!早く起きなさい!」
はっ、と私は目を開ける。まず最初に視界に入ったのは、お母さんの鋭い顔。
「今何時だと思ってるの!冬休みだからって、ダラダラするんじゃな
いの!」
私は枕もとに置いてある目覚まし時計に目をやる。二時四十二分。もちろん昼の。
うわぁ……。寝すぎにも程があるよ。お母さんに起こされなかったら、私はこのまま冬眠でもするつもりだったのだろうか。
まあ、それもいいかもしれない。
お母さんがガラッと窓を開ける。するとこの部屋の気温が一気に低下した。真冬の凍えそうな空気が、寝起きの私を襲う。
「寒い……」
私は再び毛布をかぶる。
寒いのは嫌いだ。だから冬も嫌い。夏生まれだからかもしれない。暑いのは充分がまんできるし、雪で遊ぶより、海で遊ぶほうが絶対楽しいと思う。
冬なんて……早く終わればいいのに……。
「うわぁ!」
お母さんは無慈悲にも私から毛布を素早く引き抜いた。あやうくベットから転がり落ちそうになる。そして……寒い……。
「ったく、もう高校二年生なんだから、もうちょっとシャキッとしなさいよね!」
朝早々怒られてばっかりだ。……いや、もう昼だっけ。
「お母さんちょっとこれから出かけてくるから。着替え終わったら、さっさと下でご飯食べちゃいなさい。テーブルの上に置いてあるから」
そう言って、お母さんは私の毛布を持ったまま、部屋を出ようとする。ま、待って、私の毛布……。
「あ、そうそう」
お母さんはふと思い出したように、ドアの前でこちらを向いた。
「今日は森丘さんとこが引っ越しする日だから、ちゃんとご挨拶に行くのよ。もちろん悠介君にもね」
そうしてお母さんは毛布を持ったまま部屋から出て行った。
……引っ越し。
「……そうだね……」
私は少し遅れて返事をした。
森丘……悠介君。
ゆーくん。
今日はゆーくんがどこかへ引っ越してしまう日なのだ。
「あっ、おねーちゃんおはよー。今日は随分遅いお目覚めだねぇ」
私が着替えて下に降りると、居間のソファで寝っ転がっている理恵に呼び止められた。
「うん……。昨日はなかなか眠れなくって」
「ふうん。というかおねーちゃん。目真っ赤に腫れてるよ?大丈夫?」
「えっ?」
私は目の周りを指で撫でてみる。うーん、あとで鏡みてみよっかな。
「なーんかずっと泣いてて、そのまま疲れて眠っちゃったみたいだね」
アハハ、と理恵が笑いながら言った。うっ、我が妹ながら妙に勘が鋭い。アハハ、と私も笑って軽く流しておいた。
それから理恵と色々話したあと台所に行くと、テーブルの上に小さなおにぎりが三つ、ラップがかけられて置いてあった。
これは……、朝ごはんととらえていいのか、はたまた昼ごはんなのか。でももうお昼はとっくに過ぎてるし……、夕ごはんにしてはいくらなんでも早すぎるし……。おやつ?
……なに考えているんだろ、私。
ハァ、と自分に深い溜息を吐いたところで、席に座る。
「いただきまーす」
ひとまず挨拶をして食べ始めた。
「ゆーくん!今日暇かな?」
それは昨日のことだった。
私はゆーくんと遊ぶべく、家の前まで訪れていた。呼びかけても返事はない。いつもなら二階にあるゆーくんの部屋の窓からボールを投げ入れるのだが、その日は珍しく窓が閉まっていた。寒い冬でもお構いなしに開けてるのに……。留守かなぁ、とは思ったものの、一応確認として足元にあった石を投げてみた。
パリン。
……割れちゃった。
とても軽やかな音だった。
ゆーくん家の窓って……意外ともろいなあ……。
「……おいっ!」
割れてひびが入った窓を勢いよく開け、怒鳴りながらゆーくんが出てきた。
「あ!いたんだね。こんにちわー」
笑顔で挨拶をする。親しい仲にも礼儀あり、ってやつだね。
「ああ、柚原こんにちはー……じゃねぇ!」
ドスッ、ゆーくんが窓のふちを叩く。その衝撃でガラスの破片が少し地面に降り注ぐ。
「今日はなんなんだよ!いきなりこんな石投げるなよ!」
ゆーくんは私がさっき投げた石を手に持っていた。
「えっ、だって返事なかったから小石を投げて、いるかどうか確かめてみようかなって思ってね」
「これのどこが小石だっていうんだよ!」
ゆーくんが手にしていたのはちょうど手のひらサイズの石だった。結構丈夫そうな……
「小石でしょ?」
「小をつけるな!これ結構大きい石だぞ!」
……そーかなあ。
「今日こそ色々と言わせてもらうがなあ……、なんでお前は――」
「ねえ、今日暇?」
なんだか長くなりそうだったので、さっそくたずねてみた。
「……だから、いつも人の話は最後までちゃんと聞けって言ってるだろ!」
「んもー、いっつもゆーくんの話、最後まで聞いてるよ!で、今日暇なの?」
「…………」
ゆーくんが呆れ顔で深く溜息を吐いた。
「暇……じゃない」
「えっ!」
いつも休みの日は家でゴロゴロすることしかないゆーくんが?趣味も友達もろくにもってないダメ人間なゆーくんが?休日の大半を寝て過ごすニートのような生活リズムのゆーくんが?
「……悪かったな」
ゆーくんがしかめっつらを見せる。私何も言ってないのに……。
「んーと、じゃあ明日は?」
「あー無理。もっと暇じゃない」
「えっ!それじゃあ明後日ぐらいは?」
「無理……だなぁ」
「しっ……し明後日とかは……?」
「絶対無理」
ハッキリと言われてしまった。ゆーくんがこんなに暇じゃないなんて……。なんでなんだろ。
「……一体、いつなら遊べるの?」
単刀直入に聞いてみた。するとゆーくんはすこし目を反らし、頭をかいた。
「あー……。もう、これからは遊べない……かな」
「……えっ?」
……ゆーくんの、言っている意味が分からなかった。けど、なんとなく嫌な予感がした。
「実は……さ」
……お願い、言わないで。
「俺、明日引っ越す事になったんだ」
「ゆーくんのバカ」
ちょっとつぶやいてみた。
私は朝食か昼食……もうどっちでもいいや。ご飯を食べ終わった後、洗面所で鏡を見てみると、理恵が言っていたように目が真っ赤だったので、顔を一生懸命洗って目立たないようにした。そしてそのあと部屋に一旦戻り、厚手のロングコートを着て、首にはマフラーをぐるぐ巻いて、部屋から出た。
「あれ?おねーちゃん出かけるの?」
玄関で靴を履いていると、後ろから理恵に話しかけられた。さっきはなにもしてなかったが、今は肩からほど遠い短い髪をがんばって後ろに束ねている。
「うん。今日森丘さんのところが引っ越すからご挨拶に」
「あ、そうか。今日だったね、引っ越し。確か隣の県の田舎町に行くんだよね。なんか母方のおじいちゃんが倒れたとかなんかで」
……くわしいなぁ。
どうして理恵が知ってるんだろ。というか、引っ越し先とか理由とか初耳なんだけど。
知らないの、私だけだったのかな……。
「……じゃあ、行ってくるね」
靴を履き終えてドアノブに手をかける。その際、指につけている青いビーズが付いた指輪が光った。
「うん。帰ってきたら宿題教えてね」
理恵の方を見ると、「中二 冬の友」と書かれたドリルの束を抱きかかえていた。懐かしいな……。その題名を見るたびに宿題なんかと友達になりたくないと思ったものだ。一体誰がこんな題名を考えだしたんだろう。
「分かった。帰ったらね」
そう言ってドアを開け、家から出た。
外は雪が降っていた。
真っ白な雪は、空から篩をかけたように細かく降っていた。
「どうりで寒いはずだよ……」
しゃべった口から湯気のような白い息が出た。もうちょっと着込んでくるんだった……。少々後悔しながら歩き始める。
『俺、明日引っ越す事になったんだ』
昨日、ゆーくんが言ったあの一言がまだ耳の奥で響いている。
私はゆーくんに昨日そう告げられたあと、逃げるようにして自分の家に戻った。そしてそれからは部屋でずっと泣いていた気がする。正直あんまり覚えていない。気が付いたら今日になっていた。
地面には数センチほどの雪が積もっていて、歩くたびに音を立てて足跡をつけていく。私はその様子を見ながらゆーくんの家へと向かう。
引っ越しだなんて……。そんな急に。なんでゆーくんは早めに私に言ってくれなかったんだろう。引っ越しちゃうことももちろん悲しいけど、教えてくれなかった事が一番悲しい。もし、私が昨日、ゆーくんの家に行っていなかったら。……何も言わずにさっさと行ってしまったのだろうか。
しばらく歩いて角を曲がると、とある一件の家の前に大きな引っ越し屋さんのトラックが止めてあった。青い作業着を着た従業員の人達が次々と家具を持って家から出てくる。
そこはゆーくんの家だった。
なんだか目頭が熱い。だめだ、泣きそう。けど、泣いちゃだめだ。
もう会えないんだから……。
「……柚原?」
ふいに後ろから声をかけられ慌てて振り返る。そこにはゆーくんが立っていた。黒いジャンバーに黒いズボンと、黒ずくめの格好だった。
「あ、ゆーくん……」
笑わなきゃ。
「柚原、何そこで固まってんだ?」
ゆーくんが不思議そうな顔をする。
「ゆっ、ゆーくんこそ!なんでこんなところに?準備とか、大丈夫なの?」
「あー、まあ一通り済んだ。というか俺はお前を探してたんだけどな」
「えっ?」
ゆーくんが私を探してた?
「昨日急に帰るし、ちょっと心配だったんだよ」
「え、……あ、ごめん」
心配、してくれてたんだ……。
「それに……一応挨拶ぐらいはしとこうと思って」
……あ、そっか……。やっぱりもう、これからは一緒に遊んだりできないんだ。一緒にご飯食べたり、学校に行ったり全部。ゆーくんの声も聞けない。姿を見ることさえできない。
――こんなに好きなのに。
「……これからは、一緒に遊んだりできないんだな。柚原と離れるなんて……ちょっと、寂しいかもな」
……え?
「……それって……、どういう意味?」
「え?意味って……」
ゆーくんが目を反らす。えっ、もしかして……。
「だって、俺はお前が――」
ええっ!
「お前が――」
うっ、嘘……。この展開は……、まっ、まさかゆーくんが……?
なんだか心臓の鼓動が速くなってきた。今にも飛び出してきそう。
わっ、私が……何?
「――お前が持っているプレ○テがもうできないと思うと寂しくてさ」
「………………はい?」
ぷ、プ○ステ?
「ったく、こうなるんだったらあそこまで進めとくんだったな。あの時はアイテムが全然見つからなくて苦戦したから、時間がなかったんだよ。うん。本当にしたかった」
頷きながらゲームについて語るゆーくん。
え……何これ。もしかして……。
私……プレ○テに負けた……?
というか……紛らわしい!
「ゆ……ゆーくんの……」
私はフツフツと込み上げてくるものを右拳にこめた。
そして叫んだ。
「バッカー!」
ドカッ。
「うごっ!」
住宅地にゆーくんの叫び声と嫌な音が響いた。
****
「これしかなかったけどいいよな。はい、ココア」
「あ、ありがとう。ゆーくん」
私達は住宅地の中にある小さな公園のブランコに座っていた。
あれから、左頬に大きなアザを作ったゆーくんと一緒に、特に目的もなく、ふらふらと話しながらここまでやってきた。出発するのにはまだ時間があるらしい。
私はゆーくんから渡された温かいココアの缶を開ける。そして一口だけ飲んだ。冷え切った体にココアが流れていく様子がよく分かる。
まだ雪の降る公園には私とゆーくん以外の人影は全くなく、滑り台などの遊具には大量の雪が積もっていた。てっきり、雪だるまを作ったり、雪合戦をしている子供達とたくさん出くわすと思っていたのだが、やっぱり最近の子供は寒い外より暖かい室内でゲームでもする方が好きなのだろう。
「俺達の頃はよく外で遊んだよな」
急にゆーくんが話かけてきた。どうやら同じことを考えていたらしい。
「うん。そうだね……」
なんだか私、さっきから同じようなことしか言ってない。うん、とかそうだね、とか。ゆーくんの話を聞いて、適当に相槌を打っているだけだ。
「……柚原。どうかしたのか?なんか元気ないみたいだけど」
ゆーくんが私の顔を覗き込んで言った。
……元気がない。
どうして?
――なんで、
「なんで……?」
そんなこと聞くの?
そんなの――決まってるのに。
「……?柚原、今なんかいったか?」
ゆーくんだって、分かってるはずなのに。
「……ねえ……引っ越し。いつ、決まったの?」
私は独り事のようにつぶやいた。
「え……?ああ、前から話はあったみたいだけど、確定したのは二週間前ぐらいかな」
二週間前か……。まだ学校があってた。
「理恵が……ゆーくんの引っ越しのこと、知ってたんだけど……」
「ああ、柚原の妹か。一週間前にコンビニでばったり会ったんだよ。お前の母さんと一緒に買い物をしているところ。そこでちょっと話したんだよ」
そっか、だから知ってたんだ。確かその時お昼のドラマがあって、私は行かなかったんだ。というか、なんで理恵教えてくれなかったのよ。
あれっ――一週間前?
あ……。
「ねえ、ゆーくん。確かその日の夕方――私とも会ったよね」
「ん?ああ、そうだな。確か……」
「コンビニで」
そうだ。私は理恵に頼んでおいたのに、買ってきてもらえなかった雑誌を買いに行ったのだ。そこにゆーくんが――。
「あの時はさ、しばらくしてから買い忘れに気付いて、慌てて買いにいったんだよ」
ゆーくんが笑いながら言う。
……そんなことはどうでもいい。
なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで
――なんで?
「……なんでその時引っ越すこと私には教えてくれなかったの……?」
ゆーくんの顔を真っすぐ見る。問いかける。
「……あ……」
ゆーくんは驚いた顔を作った。
――そんな顔しないでよ。
「そっ、それはだな――」
「ゆーくんはいっつもそうだよ。大事なことは全然私に話してくれない」
ブランコから立ち上がった。
「私が大事なこと言おうとしても絶対にはぐらかす。よく、私に人の話はちゃんと聞けって言ってるけど、それはゆーくんだって同じだよ」
そう、それは中学二年生だった夏。私はゆーくんに「好き」と言おうとした。勢いでだったけど……。とにかくあの大きな木の下で告白しようとした。あと少しで言えるはずだった。けど、ゆーくんは途中で私の頭を優しくなでて……そしてそれで終わった。そのあとはなにも言わせてもらえずに、さっさと家まで送られた。それから今日まで。なにも変わらぬまま。
どうして頭をなでたりしたんだろう。私の気持ちが伝わったのか伝わっていないのか、いまいち分からない。でもいくら鈍感なゆーくんだって、あそこまで言ったら気付いてくれるだろう。じゃあやっぱり――誤魔化された……?
一週間前。ゆーくんに会ったこと。確か理恵に言った気がする。教えてくれなかったんじゃなくて、もう知ってることだと思ったんだ。
「……さっき、ゆーくん私に言ったよね。元気がないって」
「…………」
「それは、当り前だよ。だって、ずっと一緒だったのに。小さい時からずっと、ゆーくんと一緒にいたのに。もう会えなくなっちゃうんだよ?私――寂しいんだよ」
寂しい。
でも、でもでもでも――、
「でもなんで!ゆーくんはそんなに元気でいられるの?」
今日会った時から思ってた。ゆーくんはいつも通りだってことを。
私は寂しいのに、ゆーくんはそう言った素振りを全然見せてない。
ゆーくんは私と離れてもどうってことない。
こんなに思ってたのは――きっと私だけ。
「…………」
ゆーくんは目を伏せていた。反論も肯定もいっさいない。
……もう訳が分かんないよ……。
「……嫌い……ゆーくんなんて……嫌い」
頭が混乱してきた。分かんない、もう嫌!
「ゆーくんなんて、どこにでもに行っちゃえ!」
そう叫んで、私はその場から逃げだした。泣きそうだったから。泣き顔を見られたくなかったから。どこかに消えてしまいたかった。
「っておい!柚原っ!」
途中、ゆーくんが私の名前を叫んだのが聞こえたけど、私は構わず走り続けた。
疲れた。
こんなに走ったのは中学校最後の体育会以来かもしれない。
「はぁ……はぁ……」
私は立ち止って息を整える。まだ雪は盛んに降って気温は低いはずなのに、汗がどんどん出てくる。暑いのでマフラーを取る。
やっと落ち着いたところで辺りを見回してみる。ここはどこだろう。無我夢中に走ってきたのでさっぱり分からない。周りは住宅ばかりなので、住宅地から抜けてないことは確かなんだけど……。
後ろを振り返る。誰もいない。走ってきた私の足跡が、積もった雪の上にあるだけ。
ゆーくん……、追ってきてほしかったな。
自分で逃げといて、そんなこと言っちゃいけないってことは分かってるんだけど……ね。
私はコートの袖で目を擦る。赤くなってはいないだろうか。
「ハァ……」
深く溜息を吐く。さっき私がゆーくんに言ったことが脳裏に蘇る。
あんなこと言っちゃって。これから私、どうすればいいのだろうか。
嫌いじゃないのに。行ってほしくないのに。
駄目だな、私。
「……もう帰ろう」
そうだ、帰ろう。家には理恵が待っている。宿題を教えてやらないと。ゆーくんには……もう、これで終わりにしよう。これできっといいんだ。きっと。
私が元来た道へ戻ろうと、後ろを振り返った時、急に顔が真っ白になった。――正確に言えば、顔に雪玉がぶつかってきたのだ。
「わっ!冷たっ!」
私は急いで顔の雪を落とす。一体何?
顔をあげると、そこにはゆーくんが立っていた。
「え……ゆー……」
「頭、冷えたか?」
ハア、と白い息を吐きながらゆーくんは言った。
頭……というか顔が冷えたんですけど……。
「あのなあ、柚原。どこにでも行っちゃえ、って言ってる奴がどっか行ってどうするんだよ。それに、もう俺はどこかに行くんだし」
ゆーくんが呆れ顔で言いながらこちらに近付いてきた。そんなどうでもいいことを、いちいち突っ込んでくるのは……ゆーくんらしい。
「ったく、呼んだのに止まらないし。どこに行ったか途中分からなくなるし、結構探して――やっと見つかった」
ゆーくんは私の一歩手前で止まった。
「……悪かったよ」
ゆーくんが微妙に視点を反らして言った。
「正直に言うと、柚原以外の奴には引っ越しのこと全部話してたんだ。前もって言っとかないと、あとが面倒だし。普通に話せてたんだよ。お前にも――普通に切り出して話そうと思ってた。けど――」
「……けど?」
「……なんか分かんねぇけど、話せなかったんだよ」
ゆーくんは恥ずかしいのか顔を真っ赤にして言った。
――話せない?
「ほんと、分かんないんだけど、柚原に話そうとしても……、別のこと言ってしまったり、ろれつが回らんなくなるばっかりで……。その、恥ずかしいというか……。昨日はなんとか言えたけど……、なんていうか……えっと……あーもう!」
話の途中でゆーくんは頭を振った。
「とにかくだな!言えなかったんだ!ほんと悪かった!」
ゆーくんはバッと頭を下げた。
んなめちゃくちゃな!とは思ったけど、不思議と責める気にはなれなかった。だって、恥ずかしがり屋のゆーくんがここまで言ってくれたのって、あんまりなかったから。
「それに俺は……別に元気じゃないし。というか俺だって引っ越しだなんて嫌だよ。元気そうに見えるようにしてるだけだよ。やっぱ、お前と離れるのは寂しいし……」
「……プレ○テは?」
「……それもまあ、あるけど……」
ゆーくんは苦い顔をしながら言った。
さっきから、ゆーくんは目を反らしたり、真っ赤になりながら話している。恥ずかしいのだろう。きっと。
私は、そんなゆーくんのことが――好きだ。やっぱり、諦めきれない。
今なら、言えるかもしれない。
「結構ひどいことしてるし、嫌われるのも当然かもしれないけど――」
「嫌いじゃないよ」
私はゆーくんの言葉を遮って言った。はっきりと言った。
「……え?」
ゆーくんが不思議な顔をした。がんばれ、私。言うんだ。
「私は……ゆーくんのことが……」
落ち着いて……。ゆっくりでいいから……。
「ゆーくん……、悠介くんの……ことが……」
う……顔が熱い。足元がふらつく。パンクしちゃいそう。
「ことが……」
しっ、心臓が……。苦しい……。でも、今しかないんだ。言わなくちゃ。言え!私――!
「す……きっぶくうっ!」
え……?
「おっ、おい……柚原……大丈夫……か?」
なんで……。
「うわあ、すいません!」
なんで……。
なんで私の上から大量の雪が落ちてくるのー!
「えっ、えっとすいません!ほんと。いるのに気付かなくって……」
私は落ちてきた雪にまみれていた。どうやら、顔は雪が邪魔で見えないが、さきほどから謝っている男性が屋根の雪下ろしをしていて、その雪が私に直撃したらしい。
……呆れて物が言えない。
「……柚原……。なんか、怖いんだけど……」
「…………」
しゃべる気にもならなかった。
男性は再び謝って雪下ろし作業に戻っていった。私はゆーくんに手伝ってもらいながら、雪をはたく。
雪……冷たい。なんか、また邪魔が入っちゃった。
言えたのに。
今のがなかったら。
言えてたのに。
もう――言う気力がないよ……。
今しかないのに……。
「あ……もう俺行く時間だ」
今しかないのに!
「うわぁあぁあ!」
「柚……原……?」
私は泣いた。
泣いた泣いた泣いた泣いた泣いた泣いた泣いた泣いた泣いた泣いた。
さっきからがまんしていた分。全部。
思いっきり泣いた。
もう、会えないのに。会えない。会えないのに。もう言えない。言いたくても、言えない。たった一言、「好き」ただそれだけなのに。言えない。どうして?さっき少し言えたのに。どうして、今は言えないの。なんで?どうして?もう……、
最後なのに。
その時、しゃがんで泣く私の頭をなにかが優しくなでた。
ゆーくんの手だった。
あの、夏の日みたいだった。
「あの……さ。なんかよく分かんないけど、俺はこれからいなくなる。でも……、別に会おうと思えばいつでも会えるんじゃないのか?」
「…………え?」
「まだ、これから先は長いんだし。遠いといっても隣の県だし。俺は大人になったらここで働くつもりだし。もうずっと会えないってことは絶対にないと思うんだけど……」
……あ……そっ……か……。
「ちょっとしばらく会えないぐらい……だと思うけど」
……そうだ……よね……。
「あー……。なんか恥ずかしい……」
ゆーくんは顔を真っ赤にしながらつぶやいた。そして立った。
「もーほんと……」
ゆーくんは一旦目を反らして、そして、
「泣くなよ、柚原は笑っているほうが絶対可愛いって」
そう真っ直ぐ見て言った。しゃがんでいる私に手を差し伸べた。
昔々。とある秋の日こと。同じことを言ったゆーくん。
あの時の手は小さかったけど――、
今はすごく大きかった。
私は――笑った。
ゆっくりとその手を受け取った。
貰った指輪がきらきらと輝いた。
「あ、やっと帰ってきた。ほら、悠介!さっさと行くよ!あんたいつまでほっつき歩いてんの!」
ゆーくんの家まで戻ってくると、もう引っ越し屋のトラックはなかった。代わりにゆーくんの家の白い六人乗りの大型車が止めてあった。ドアの前にはゆーくんのお母さん。
「あーはいはい。今から乗るって」
隣のゆーくんはめんどくさそうに答える。
そしてゆーくんのお母さんは私を見て笑った。
「ああ、萌恵ちゃん。今まで悠介が本当にお世話になりました。ありがとう」
「あ、いえ、こちらこそ。お世話になりました」
私はゆーくんのお母さんにお辞儀をする。
「また会えたらいいわね。その時は――また、悠介と遊んでやって」
「あ――はい!」
私はできるかぎりの笑顔で答えた。
「……柚原――ちょっと手、貸して」
「え?」
寒くてコートのポケットの中に入れていた私の手をゆーくんが引っ張り出す。そして何かを手の上に置いた。
小さな雪うさぎだった。
真っ白い雪に小さい石が目としてつけられていて、耳は枯れた左右均等ではない葉っぱがつけられていた。
きれいとまでは言わないが、なんだか可愛らしい雪うさぎだった。
「……どうしたの?これ」
「さっきなんとなく作ってみた。お前にやるよ」
さっきって……いつ作ったんだろう。そんな時間あったけ……。
まあ、いいか。
「ありがとう」
正直にお礼を言った。
「じゃ……もう行くから」
あ……。
「うん」
……さよなら、じゃないんだよね。
「またね、ゆーくん」
私は笑顔で手を振った。
ゆーくんも少し笑って、
「ん、またな」
と手を振り返してくれた。
また、いつの日か……会えるから。
きっと……。
その時まで。
「悠介!早く乗って!」
ゆーくんのお母さんが助手席から叫ぶ。ゆーくんはもう一度笑って、車に乗り込んだ。
「またね」
車は出発した。
私は車が見えなくなるまで手を振った。
そのあと私は泣かなかった。
その前に泣きつくしたからかもしれない。でも、私にしてはすごい進歩だったと思う。
結局――言えなかったけど。
好きだって、言えなかったけど。
これで最後じゃないから。
そう、気付いたから。
次こそは――言ってやる。
またすぐ会えるんだから……。
帰り道、雪はもうすっかり止んでいた。空には夕焼け空が広がる。
私は地面に足跡をつけながら歩いていた。雪うさぎを片手に持って。
思い切ってコートを脱いでみると、寒いけど、なんだか風が気持ちよかった。
たまには冬の日も、ちょっとだけいいなと思った。
これも前話と同様、ずいぶん昔に書いたお話です。




