とある夏の一日
「へぇー。じゃあ君の事、ゆーくんって呼んでいい?」
そいつは俺の名前を聞いてそう言った。
「ゆーくんって、ここらへんに住んでいるんでしょ?これからよろしくね」
今も変わらない、その無邪気そうな笑顔で、可愛らしい笑顔でそう言った。
それがあいつ、柚原萌恵との出会いだった。
「あっつ!」
俺はベットから這い出し、部屋の窓を勢いよく開けた。朝の清々しい空気が、サウナ化した俺の部屋に入り込む。
深呼吸、吸って、吐いて。
まったく、毎朝毎朝、この暑さで起こされるのはこりごりだ。なんでこの部屋には、エアコンというすばらしい冷房器具がないんだか。
今日は八月二六日。夏休み最後の日曜日だ。といっても、別にこれといった用事はない。手付かずの宿題とか手付かずの宿題とかがあったりするが、まあ、そんなものは始めからなかったことにしておこう。
にしても、なんだか懐かしい夢を見た。柚原と初めて会った日の夢。あれは、いつだったろう。……いかん、思い出せん。
俺は考えるのを諦め、部屋を出ようとドアノブに手をかけた。すると、なにかが俺の頭に直撃した。
「イテ!」
おもわず叫び声を上げてしまった。なんなんだよ、いったい。
俺はガンガンと痛む頭をおさえながら、足元に転がったなにかを見た。
……野球ボールだった。
なぜ野球ボール?一応いっておくが、ここは二階だ。しかもここ周辺には公園などなく、見渡すかぎり家家家。つまり住宅地なのだ。それなのに、なんでこんなもんが飛んでくるんだ?
「おはよー!ゆーくん、起きてるー?」
……なるほど。すべての謎が解けた。
窓下から、大声で叫んでいるのは柚原だった。朝っぱらから元気な奴だ。俺は野球ボールを持って窓の外を見る。
「あ!ゆーくん起きてたね」
にこっ、と柚原は俺の顔を見て笑った。……うん。可愛い。が、今はそれどころではない。
「おい、柚原。この野球ボール、俺の頭に……」
「ねえ、今日暇?」
人の話は最後までちゃんと聞きましょう。
「……暇……だけど」
すると柚原の顔が一気に明るくなった。
「そっか!じゃあ今日は私とお出かけしよう!」
「……はっ?」
こうして俺は柚原とお出かけすることになった。
景色が町並みから山の緑色へと変わっていく。
俺と柚原はバスの中からの景色を楽しんでいた。
バスの中は夏休み最後の日曜ともあって、たくさんの子供連れや、カップル達で賑わい満席だった。というわけで俺達は手すりを持ってバスに揺られる。足からガタゴトと振動が伝わってくる。
「今日は絶好のお出かけ日和だね!」
急に柚原が話かけてきた。
「ああ……そうだな……というか、いまからどこに行くつもりなんだ?」
「うーんと、それは着いてのお楽しみ!ゆーくんと二人っきりでお出かけなんて、すっごい久し振りだね!」
お前が無理矢理俺を連れ出したんだけどな。
ん……?二人っきり?
そういえば、中学に入ってからあまり柚原と、二人でどっかに行くことってなかったなあ。小学生の時はいろんなとこに行ってたんだけど。
しかし中学生、しかも二年生の男女が、こうして二人っきりで出かけるというのはいかがなもんだろ?
……どうみてもカップルにしか見えない。
俺は辺りを見回す。よし、誰も知ってる奴はいない。こんなところをクラスの奴らなんかに見られたりでもしたら、からかわられるどころか、俺の命さえ危ない。
なんせ柚原はモテるのだ。
小学生の時からまあまあモテるほうだったが、中学に入ってからはもう何度も告白されているらしい。クラスの奴が言っていた。柚原はそんな話、全然俺にしてくれない。
俺は柚原を見る。背は結構小さいほう。色白で、肩に少しかかるぐらいのサラサラな黒髪。目はパッチリ大きくて、ニキビとかには無縁そうな肌。
……可愛い。幼馴染みの俺でもそう思う。
しかも今日はどうしたもんか。淡い色のキャミソール、ふんわりとしたスカートにかごバックと、実に女の子らしい服装できている。いつもならもっと楽な格好してるくせに。
うーん……。変な奴につかまらなければいいが……。
「……ん、なに?私の顔になにかついてる?」
柚原に言われて、ハッと我に返った。
「あ……いや別に」
「そっか、ならいいけど」
そう言って柚原は笑った。ったく、よく笑う奴だなあと俺は思った。
バスに揺られ始めて四十分。俺達は山頂にあるとあるバス停に到着した。
「ここだよ。ゆーくん早く!」
俺は柚原にせかされ、お金を払ってバスを降りる。バスは俺達を降ろすと、さっさと次の目的地に向かって走り出していった。そして目の前には大きな門そびえ立ち、多くの人々が出入りしている。
「ここは……」
「そう、牧原自然公園だよ!」
牧原自然公園。ここらへんでは結構でかい自然公園だ。山の中ともあって緑が多く、景色がとてもいい。確か七歳ごろに柚原と一緒に来はずだ。もちろん俺と柚原の両親付きだったが。
「さっ、入ろう」
「ん、あっ、ああ」
俺は柚原に引っ張られ、チケットを二枚買い、門をくぐる。門の中は花で囲まれた道が延々と続いて、左側には広い芝生と野外ステージ。右側にはアスレチック広場があり、子どもたちが楽しそうに声を上げて遊んでいた。
「んー。ここは空気がいいねー風が気持ちいいー」
柚原が背伸びをしながら言った。
「そうだな……ここは山だからな。町とちがっ……」
町と違って―と、俺が言おうとした瞬間、俺の腹が悲鳴をあげた。
「あれっ?ゆーくんおなか空いてるの?」
しまった!女子の前で不覚にも腹を鳴らしてしまった!今日は朝少ししか食べてないもんな。まあ柚原のせいでもあるのだが。くそっ、恥ずかしい……。
「んーと。じゃあちょっと早いけどお昼にしようか。私、お弁当作ってきたから」
「えっ?」
柚原が作った弁当?
「どう?おいしいかな?」
「えっ……あっ、ああ。すごくうまいよ」
今、俺は野外ステージがある芝生で、柚原特製の弁当を食べている。
「よかった。こういうの初めて作ったから心配だったんだ」
うん。心配いらない。実にうまい。これならいつだってお嫁さんでもなんでも行けるだろう。
そう、うまいのだ。
確かにうまい。
だが……
「あっ、デザートもあるからね!ほら、干し柿」
メニューが渋すぎる!
柚原が持ってきた弁当は、そりゃあ花柄がたくさんついてかわいらしいものだった。
しかし中味は……なんというか……よく言って渋く、悪く言っておじさん臭かった。
まずは、ごぼうとサトイモを使った筑前煮。ふきのきんぴら。イワシを甘く煮詰めた甘露煮。そして、だしをしみこませた大根とシイタケ、にんじん。極めつけは真っ白なおにぎりのど真ん中に梅干し一つと、弁当箱の端に黄色いたくあんがあることだろうか。
うまいんだけど……。柚原はなんでこんな昭和弁当みたいなのを作ったんだ?しかも、デザートが干し柿って……。今、夏だよな。
「私の好きな食べ物を詰め込んでみたんだー」
「そっ……そうか」
なんか、柚原の新たな一面を見た気がする。うん。和食はいい。体にいい。けど……
……なんか悲しくなってきた。
「ごちそーさまでした」
「ごちそうさま」
すっかり空になった花柄の弁当を片付け、俺達はこの公園を散策がてらに歩き始めた。奥に行くほど、バラ園やサボテンがあるビニールハウスなどの植物園が多くなり、一つ一つゆっくりと見ていく。
そしてさらに奥に進むと、白い柵がかけてあるがけがあった。
「あっ、見て見てゆーくん!」
「うわあ……」
がけの向こう側には絶景が広がっていた。
緑色の山々が連なって続き、間から町の建物が米粒のように小さく見える。青い空には入道雲がのぞき、風で木々が踊るように揺れている。
「きれいだね」
そう言って、柚原は白い柵をつかむ。
「そうだな……」
こういうのを絵に描いたらきれいなんだろうな……まあ、絵が上手い人に限るけど。カメラ持ってくるんだったな。そういえば、柚原は携帯持ってたっけ、写メ撮れるのかなあ。聞いてみるか。
「おい、柚原―」
バキィッ。
……なんだか嫌な音がした。俺は柚原の方を見る。
「……えっ?」
二人の声が重なった。
柚原が手をかけていた部分の白い柵が―折れてしまった。
俺が見たのは、折れた白い柵と共に、柚原ががけに落っこちようとしているところ。
「……はっ……?」
俺も柚原も目を丸くした。
そして――
「いやぁぁぁっ~!」
「うわぁぁぁっ~!」
二人の叫び声。
俺は走って、今、がけから落ちようとする柚原の手をつかんだ。そして後ろに思いっきり引っ張る。くっ……結構重い……。
「ぅあああっ!」
叫び声を上げる柚原抱きかかえ、そのまま背中から地面に倒れる。その衝撃が俺の体に伝わる。白い柵は真っ逆さまにがけから転落し、少し遅れて下の方で激しい音が聞こえた。……あっ……危なかった。ここの管理は一体どうなってんだ?
「ゆっ……ゆーくん、あっ……ありが……とう……」
しばらく荒い息を立てていた柚原が、落ち着いたのか話しかけてきた。俺の上にいるので顔は見えないが、髪からのぞく小さい耳が妙に赤い。
「大丈夫か?」
「……うん……平気」
「そうか、なら早く下りてくれ。重いから」
柚原はそのセリフに反応して、バッ、という音がしそうなほど、素早く退いた。俺の体は重さから解放される。
「お前、軽そうに見えて、実は結構重いんだな」
俺が率直な感想を言うと、柚原は顔をトマトの様に真っ赤に染めた。
「んなっ……!ゆっ……ゆーくんの……」
柚原が顔をふせながら拳を振り上げる。
「バカーッ!」
ドゴッ。
「うおっ!」
拳が俺の顔めがけて、ものすごいスピードで振り下ろされた。が、首をかしげ、間一髪で避けることに成功。
どっ、どうやらコンプレックスらしかった。
柚原はそっぽを向いてうつむいている。
「ごっ……ごめん、柚原……」
とにかく、係員を呼んで来ないと。
そこらへんにいた係員を捕まえて、柵のことを伝えた。たちまちそこは立ち入り禁止となり、俺達は何度も謝罪された。どうやらもともとあの柵は古いものらしく、かなりもろくなっていたらしい。じゃあそのまま放っておくなよって話だ。
柚原とは、まあなんとか仲直りを果たし、そのあとフリーマーケットが開催されている広場へと向かった。
「あっ!可愛いー!」
たくさんの店が並ぶ中、柚原はネックレスなどのアクセサリーを売っているテントを見ていた。そして、一つの指輪を指差す。
その指輪はシルバーの細いリングに、青いビーズが三つほど付いているものだった。
「へえ。きれいだな」
正直に言うとよく分からんが。
「でしょ!これいいなー、買おうかなあ」
柚原はその指輪を取っていろんな角度から観察し始めた。
「……俺が買ってやろうか?」
「……えっ?」
柚原が驚いた顔で振り返る。
「ほら……この前お前の誕生日、なんにもやってないだろ?この指輪でいいなら買ってやるよ」
実を言うと、普通のお店で女子のプレゼントを買うなんてマネ、俺には恥ずかしくてできないのだ。ここで済むのだったら嬉しいかぎりだ。
「……いいの?」
「ああ、いいよ」
すると、急に柚原の頬が赤くなった。
「じゃあ……買って」
「ん、分かった」
俺は指輪を柚原から受け取り、店の人にお金と共に渡した。毎度ありー、と気のよい声で紙袋に入れた指輪を渡してくる。その際に、
「がんばって彼女落とせよ」
と、店の人は俺の耳元でささやき、にっこりと笑った。
なんだ?落とせって。柚原はつい先ほどがけから落ちそうになったが……まっ、いいか。
俺達はその店から少し離れ、ちょっと広いところで、紙袋から指輪を取り出した。
「ほら、つけてやるよ」
「えっ、つける……って?」
誕生日はなんにもしていなかったしな。これぐらいはしないと。
俺はおもむろに柚原の左手を取る。
うーむ。どの指につけてやるものか。指輪をつけて似合う指って言ったら・・・薬指?
俺は左手の薬指に指輪をつけてやった。
「…………」
「…………」
あれっ、なにこのフンイキ。
「ゆーくん……」
「……なんだ?」
「ここ……左手の薬指だけど……」
「それが……どうかしたのか……?」
俺、なにかまずいことしたのか。
柚原はしばらくその指を眺めていたが、ゆっくり顔を上げて言った。
「……ありがとう。大事に……するね」
ほんのり赤い笑顔で言った。
それから、子どもたちが遊ぶアスレチックに乱入したり、動物とふれあったりして遊んだ。
そしてあっという間に夕方。
「あー疲れたー」
俺と柚原は木の陰になっている芝生に寝っ転がった。こんなに一日中遊びまくったのは久し振りだ。
「柚原、そろそろ帰んないと……」
俺が起き上がって柚原を見ると、なんともまあ可愛らしい姿で寝息を立てていた。どうやら疲れて眠ってしまったらしい。
「……まあ、閉園までまだ時間あるし、いいか」
起こしたら悪いような気がした。
とりあえず、腰に巻いておいた上着を柚原にかけてやった。
それから一時間ちょい。
ピーンポーンパーンポーン。
公園内に軽やかなチャイムが鳴り響いた。
『もうすぐ閉園の時間です。園内におられる方は、早めにお帰りください。ご利用ありがとうございました』
ピンポンパンポン。
……起きねぇ。
もう日は暮れてしまったのか、空の大半は暗くなり、夕日のオレンジが隅の方にやられている。
なのに、柚原はあいかわらず安らかな眠りについている。
……ってか、どんだけ寝てんだぁー!
俺は柚原を揺すってみる。―起きない。
ほっぺを強くつねってみる。―起きない。
「おい!柚原起きろ!」と、怒鳴ってみる。―起きない。
……起きねぇ。
「早く起きてくれないと困るんだけど……」
ずいっ、と俺は柚原の顔に近付いてみた。
すると、パッと柚原が目を覚ました。
「…………」
二人の間に気まずい空気が流れる。
「……きっ」
柚原が叫んだ。
「きゃぁあぁああ!」
ドスッ。
「おうっ!」
俺は柚原に強く押され、地面にたたきつけられた。
「ゆっ、ゆーくんなにを……」
なにかを言いかけた柚原は、ハッとして辺りを見回した。主に空。
「ゆーくん今何時!」
「えっ……七時……ってかもう閉園……」
「えっ!嘘!いっ……急がなきゃ!」
柚原は俺の上着を持ったまま、出口の反対方向に走り出した。
「っておい!どこいくんだよっ!」
俺は柚原を追った。……というか、さっき押したのに対しての謝罪はなしですか。そうですか。そして上着を返せ。
しばらく走って、この公園の一番奥にある丘にたどり着いた。どうやらここが一番高いところらしい。てっぺんに大きな木が立っている。
「ハァ……ハァ……」
大きな木の下で荒い息をしている柚原は、急にその場に座り込んでしまった。
「ハァ……どうしたんだよ」
俺が肩で呼吸をしながらたずねると、柚原は下を向いてしまった。ポタッ、と柚原の足にしずくが落ちる。
「間に……合わなかった……」
「はっ?なにがだよ」
「夕日……沈んじゃった……」
夕日?
空を見れば、日はもう山の方に沈み、山のふちがかすかに黄色いだけだった。一番星がキラキラ輝いている。
「夕日が見たかったのか?」
柚原は小さくうなずく。
「なんで?夕日なら別にいつだって見られるだろ」
至極もっともだ。なぜそこまでして夕日を見たいと思ったんだ?
「だって……ここで夕日を見た二人はずっと……」
「はっ?ずっと?」
柚原は真っ赤になりながらそっぽを向いた。
「むっ……結ばれるっていう……言い伝えが……」
「なんで俺と柚原が?」
バッ、と柚原は立ち上がった。そして俺の方を睨む。
「だから!私はゆーくんの事がっ!」
「俺のことが?」
「ゆっ……ゆーくんの事がっ……」
しゅん、と柚原は急に小さくなってしまった。耳まで赤い。
「ゆっ!……悠介くんの……事……が」
「…………」
初めて柚原に名前で呼ばれた。
ああ……そっか……。
本当、お前って――、
可愛いな。
赤くなってふるふる震える柚原の頭を、俺は優しく撫でてやった。
今から○年前、中学2年生の時に初めて終わりまで書いた作品です。




