03
初日の格闘訓練の相手はあろう事かキリ-だった。
「何で・・お前なんだ。俺たち全員で掛かっても掠りもしなかったってのに・・・」
肩で息をしながら噴出した汗も拭えない状態でも、思わず悪態だけは漏れてしまう。
三十分もたたない内にへたばったが其処に援軍が現われた。
「モクを苛めるな!」
モクを庇って両手を広げて立ちはだかった我が子を見てキリ-は何とも云えない表情をみせた。
どうやら怒っているらしい。
小さな顔を真っ赤に染めて立つあきらを止めたのはモク。
「あきら、これは訓練だ。俺が弱いから父ちゃんが鍛えてくれてるんだ。」
「モクは強いぞ。」
「お前の父ちゃんほど強くない。出来ない事を出来る様にするのが訓練だからお前は止めちゃいけないぞ。」
うんとううの間のような声を出して引き下がったあきらにモクは続けた。
「もう少し大きくなったらお前も訓練して貰え。お前の父ちゃんも母ちゃんも此処の誰よりも強いからな。」
格闘訓練はその後は順調に進み一時間後に終了した。
当然モクは伸びていたが、あきらが走り回り水やタオルを持ってくる姿で思わず笑いがこぼれてしまった。
パトロールと格闘訓練と子守りを繰り返して二週間が過ぎた頃、何時もの様にあきらをお供に見回っていると人だかりを見つけた。中心に居るのはヒュー。
「どうした。」
押し分けて尋ねると日本人避難民を束ねている北野がホッとした様な顔を向ける。
「昨日、佐々木の家から工具が盗まれて、それが・・・」
目線の先にはヒューの持つレンチ。
「これは俺のだ、前から持っていたっ。」
咬みつく様に言い捨てて向きを変えたが佐々木と北野は前後に立ちはだかる。
「確認させてくれと云ってるんだ、佐々木のなら名前が入ってる。無ければきちんと謝る。」
「冗談じゃないぞ、人を盗人呼ばわりする奴等の云う事なんか聞けるか!」
「ヒュー。」
低いが思わず足を止めさせるモクの声に全員がピクリと反応した。
「盗んでないなら見せられるだろう。北野たちに見せたく無いなら俺が見てやる。出してみろ。」
云いながらモクの手はあきらを後ろに退らせる。
「お前が? お前がだと? お前だって此奴らの仲間じゃないか!チンケな日本人なんか此処から出て行け!!」
怒鳴り様に手にしていたレンチで殴り掛かってきた。
モクの手が前に立つ佐々木を押しのけ、レンチを掻い潜る。
「此処はアメリカだ!! 日本人は日本に帰れ!!」
レンチを振り廻すヒューに小石が当たった。
投げたのは・・・あきら。
睨み付ける視線は大人顔負けの強さだが、
「このクソガキが!!」
モクの眼にあきらに向かってレンチを振りかぶるヒューが映った瞬間、意識もしないまま身体が動いた。
それは格闘と呼べるほどの立ち回りでは無い。
最小の動きにして最大の攻撃、G倶楽部員としての一撃。
いや、肘と掌、膝が一気に叩き込まれた。
「・・・しまった。殺っちまったか。」
崩れ落ちたヒューの蒼白な顔を見下ろしてモクは首に手を当て、やっと息を吐いた。脈は有る。
「誰か救護室に運んでくれ。俺はエラ-に報告しておくから。」
「ヒューは泥棒だ。」
拾い上げたレンチの名前を確認して北野が告げた。
「泥棒は追放と決まってる。」
それに応えた男の声は大柄なヒューを一瞬で倒した高い戦闘能力とは裏腹な静かなものだった。
「そうだな。だが、このまま放りだす訳には行かないし、家族だって居るだろう。そして何より謝る機会は与えなくてはならん。」
キリ-やアリス、キッドが人とは思えないほど強いのはフェニックス基地全員が知って居たし、仲間内では一番弱いと公言しているエラ-でさえ誰一人敵わない。
しかも多くは無いが決め事に反した時は情け容赦なく放り出す筈なのに・・・
「あんたは・・・優しいんだな、モク。」
北野の言葉に男は嫌そうな表情を向けた。
「早く運んでやれ。」
云いながらあきらを掴んで歩き出した。
エラ-とキッドに話して事後を押し付けるとパトロールの続きに出る。
農場や畜舎を見た帰り道、夕焼けの下でモクは初めてあきらを叱った。
「大人の諍いに首を突っ込めるほどお前は強いのか?」
黙ったあきらに容赦も無い。
「さっきのは完全に余計な手出しだ、今のお前が介入できるのは子供同士の喧嘩だけだろう。今後余計な真似をする事は許さんぞ。判ったか?」
あきらが自分を助ける為に石を投げたのは判っていたが、モクとしてはそれを褒めることは出来ない。この身体が思うように動かなければあきらなど簡単に潰されてしまったのだから。
歯を喰いしばったままあきらがこくりと頷くと、モクの手がその頭をクシャリと撫でた。
「解かったなら良い。さあ、帰って母ちゃんの飯を喰おう。キッドは本当に美味い飯を作るな。」
ヒューが異様なほど素直に謝罪して、佐々木と北野がそれを受け入れた事を聴いたのは夕飯時だった。
「大活躍だったそうだねぇ。」
「止めてくれ、一瞬殺したかと泡を喰った。」
押しかけて来たまま一緒に飯を喰っているイヴが笑った。
「ヒューが感謝してたよ、詫びるチャンスを呉れたって。此処を追い出されたら嫁と子供を抱えて餓えるだけだし、嫁のマーサがブチ切れたらしい。」
「何処の家でも嫁が一番強いのは同じだな。」
いろいろ含んだモクの言葉に頷いたのはキリ-とエラ-だった。
キリ-が相談を持ち掛けて来たのは夕飯後だった。
「狙撃手が居ない。俺やアリス、良くなればキッドとも連携を取れるスナイパーを育成したいんだが育てるのは難しいか?」
思わず真顔になっていた。
「辞めておけ。此処でならいずれは戦闘兵士は育つだろうが、下手な狙撃手と組むと軒並み潰されるぞ。素養だけで決まるものじゃ無いし、相当な練習が必要になる。フェニックス基地では時間も物も限られるだろう。」
正論だったが・・・
「表の部隊が揃って来ればお前達が動く事も無いし、どうでも必要なら陸軍に用意させれば良い。」
G倶楽部の戦闘兵士と陸軍の狙撃手ではレベルが違い過ぎて噛み合わないのは判っている。それを知りながらも。
「自分の身も護れない狙撃手なんかいない方が余程楽だ。」
モクを助けに来たカイルは手傷を負い、その為に命を落とした。それを知るモクにはこれ以上云い様も無かった。
「そうか・・・ならば辞めておこう。」
キリ-もそれ以上を云わず引き下がってくれたが・・・
「何が欲しいって?」
それを聞いたのはキッドが退院して来週で丸ひと月が立つ頃、来週の検査でOKが出れば軽い仕事-基地内パトロールなど-に戻れる筈であった。
聞き返したのは適当に聞いていたからでは無い。キリ-の相談の裏側に見えた別の企みに僅かに心が動いていたからだが、モクに繰り返したのはあきらの声だった。
「あれ。Dr佐和のれーすみたいにきれいだ。」
指した先には白昼の空に掛かる白い半月。
「月か。」
「お月様は違うぞ。お月様は夜出る。あれはれーすだ。」
確かに家にあるDr佐和が呉れたと云う丸いレース編みのクロスをあきらは気に入っていたが、これは困ったぞとモクは考え込んだ。四歳児が納得できる答えを今のモクには見つける事が出来ない。
「・・・あの綺麗なレースを好きになる奴はきっとたくさんいるだろうな。」
「うん、モクは?」
「俺も好きだ。」
自分と同じ答えにあきらは嬉しそうに笑う。
「お前が欲しいなら採って来ても良いが、採ればもうあそこには見えなくなるな。」
あきらの表情が変わった。
「無くなる?」
「お前が持ってれば他の奴には見ることは出来ないだろう?」
「モクにも?」
「ああ、俺にも。」
「モクには見せるぞ。」
一生懸命な言葉の意味は分かるが・・・云って置かなくてはならない。
モクは片膝を着いて目線をあきらに合わせた。
「俺はいつまでも此処には居ない。日本に帰らなくてはならない。帰ったら見れないだろう。」
告げた言葉を後悔するほどの狼狽えた幼い顔をモクは見つめる。
「此処に居れば良い。母ちゃんと父ちゃんにお願いするぞ。」
頼むから俺の事なんかでそんな顔をしてくれるな。
「俺は此処の人間じゃない、だから帰らなくてはならないんだ。出来ればあのレースはあのままにしておいてくれないか。俺が住む日本の空からも見えるから、あれを見る度にお前を思い出せるように。」
意味は通じたのだろうかと考えるほど長い時間を掛けて返された答えは、
「・・・・・・・・・・・しょうち。」
今にも泣き出しそうに歪んだ顔ごと抱きしめた。
どうやらしなきゃいけない我慢をひとつ覚えたらしい。
だが小さくて温かな身体がどれほどモクを救ってくれたかおそらくあきらには判るまい。
顔の上に小さな踵が乗っかっても、腹に頭突きを喰らっても、脛を枕にされても、あきらは可愛かった。
どんな子供でも同じだとは思わない、あきらだからこそモクを癒してくれたのだろう。
未だに血を流し続ける古傷を。
真面に見る事の出来ないこの傷を。
「今日は基地に居るか?」
「居る、そうだな・・・あと十回は一緒に寝られるかな。」
「・・・うん。」
そして帰国までの十日間、あきらはいよいよモクにへばりついていた。
「モク、此処で一緒に働かないか?」
病院で太鼓判を押されたと云ったキッドの言葉の続きにモクは、だが首を横に振った。
自分の陰の中には未だに正視できない過去が有る。
許す事の出来ない、忘れる事の出来ない想いを引きずってこの眩しい程若い土地に居られるものでは無い。
だが。
「日本で少し動こうと思っている。」
今の自分に何が出来るかは判らないが、フェニックス基地に来たのはどうやら間違いでは無かったらしい。
「出来る事を探して見る。」
頷くキッドに続けた。
「Drクレマンと別れる時に云われた言葉が有る。俺が生きる事で生まれる笑顔が必ずある筈だと。」
お気に入りの図鑑を相変わらずモクの横で見ていたあきらに一つだけの眼を向けた。
「良いのか悪いのかは俺には解からんがな。」
「良かったよ、私達には。貴方にはどうだか解からないけどね。ちびは貴方が好きだ、下手をすれば私達より。」
不意にあきらが眼を上げた。
「モクは好きだ。だからがまんする。」
四歳児の酷く真面目な表情にいつか必ず来る未来の大人の顔が重なった。
繋がりの解らないキッドは首を捻ったがモクは苦笑しただけで教えようとはしなかった。
これはモクとあきらの大切な秘密だから。
モクが着いた時にはまだ使えなかったフェニックスの空港は先月から稼働し始めていた。
発着便はまだ軍関係のみだったが、キリ-の要請で日本までの輸送機に便乗できることになりモクとしては正直胸を撫で下ろしたのは事実。
如何に死に際を見失ったモクでもエラ-と心中は遠慮したいのが本音でもある。
「イヴを泣かせたくないならヘリは止めておけ、最終兵器はイザと云う時の為に取っておけ。」
モクの助言はエラ-の顔色から見て役には立たない様だが。
「巧くなれば良いんだろ。それより・・・お持ち帰りか?」
空港に着いてからずっと首にかじりついたままのあきらを見て笑う。
「まさか。」
あれほど聞き分け良くしていたあきらだが、いざ帰国となると現実を受け入れたくないのだろうか。
見送りに来たのはキリ-とキッド、そしてエラ-。後の連中はやはり仕事で別れは既に済ませていた。
再会した時同様、別れの言葉は素っ気ない。それがG倶楽部だから。
搭乗ギリギリまでまるで鼈並みにしがみついていたあきらをキリ-が笑いながら引き剥がしたが、その顔は・・・涙に濡れていた。
あきらの泣き顔を初めて見た。
キッドが入院していても、キリ-が仕事でいなくても、ほとんど初対面のモクと暮らす羽目になっても、涙ひとつこぼさなかったあきらの泣き顔は・・・堪えた。
声ひとつ立てず、歯を喰いしばったまま涙だけがボロボロと落ちる。
眼は初めて会った時の様にまるで睨み付ける様にモクを凝視していた。
胸を突かれるほどの強いまなざしに、
「大きくなったら日本に来い。」
思わず言葉が出ていた。
「フェニックス基地のG倶楽部員になって来い。俺が仕込んでやる。」
「・・・約束?」
「ああ、約束だ。」
それ以上顔を見ていられなかった。
踵を返してタラップを登ると最後に一度だけ振り返る。
滲んだ視界の中にあきらの顔だけが映った。
真昼の月 FIN
以上で完結です。
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澤田 紅