契約者達と帰り道での出来事
彩希さん達との話を終えた俺達は素早く美夜さん達と合流し、その場で目覚めて既に事情を聞いていた貴志さんと月の掟を結んだ。そして俺は毒から回復していないと偽装する為に貴志さんを担ぐと、武俊さんが帰った後も一人残っていた沙月さんと共にその場を車で後にした。
「・・・・・・・・沙月さんは何で残っていたんだ。中での武俊さんの事は聞いているんだろう?」
「はい、父親から聞きました。ですが私は帰りの約束をしていた以上、誰かが代表して詫びる必要があると考えました。父も同じ考えの様でしたし、その場合親しい私が残るのが筋でしょう」
「はあー、沙月さんは義理堅いね。でも立場を悪くしてまで俺達に気を使う必要はないよ。俺は別れた時の配慮だけでも十分感謝しているんだ。ありがとう、沙月さん」
俺がニッコリ微笑んで感謝の気持ちと心底から心配している事を示すと、沙月さんの頬がピクリと動いた。そして足に置いた両手もギュッと握ってしまっていた。
「ふふふ、沙月さんは嘘がつけない人だね。好感が持てるよ」
「・・・・・・如何言う意味ですか?」
「恍けなくても良い。その様子だと俺達が話した事を探って来いと言われたんだろう?話に聞いた様子だと、武俊さんは彩希さんとの事で余裕が無かったと思うから、沙月さん以外の人員を帰したのを含めて武人さんかな?敏次さんは約したのであれば守らせるだろうし、何より娘にこんな事はさせないだろうしね」
「・・・・・・・・・・・・・・・何の事でしょう?」
「ふうー、今自分がどんな顔をしているのか分かっているか?鏡を見れば一目瞭然だが、とても酷い顔だぞ。やりたくもない事を無理やりやらされている苦しみが滲み出て隠せていない」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
無言になって表情を隠す様に俯いた沙月さんを見て、俺の心に行きには無かった一つの考えが生まれた。其れは克志さん達にもばれたし、今日知った事の所為で状況が不透明になったので、多少強引でも信頼出来る真の味方を増やせる時に増やすべきではないか?と言うものだった。まあ三人にばれたので開き直ったとも言うが・・・・・。
「お兄ちゃん・・・・何考えているの?」
「ううん、あーー、まあ、此れからの事を・・少々な」
香織が目ざとく此方の雰囲気が変わった事に気付き、内心を読んだのかと言いたくなる様な絶妙なタイミングで声を出した。それで見透かされた様に感じた俺は後ろめたい思いを感じ、反射的に視線を逸らしてあいまいな声で答えてしまっていた。するとその俺の態度に香織はジトーっとした視線で見つめてきた。
「・・・・・・お兄ちゃん」
「・・・・・・・これは・・・・・強引すぎるよな・・・・これくらいが妥当か?ここは・・・それなら美夜さんに・・・」
俺は香織の低い呼び声に気づかないふりをしながら、より思考を加速させて具体的な説得方法などをつめていった。後ろめたい事はさっさと終わらせるに限るのだ。もっとも後ろめたいのは急速に完成しつつある説得方法が、俺の中で微妙だったからだ。まあ平たく言うと香織が怒りそうなのだ。
「お兄ちゃん!!」
無視された形になった香織が不機嫌そうな大声で俺を呼んだ。そして不安そうな顔で強い疑念の籠った視線を向けてきた。しかし其の時には説得方法は完成し、俺の意思は実行すると言う事で固まっていた。俺は最低でも沙月さんを仲間に引き込めるし、上手くすれば武俊さん達を勢力に組み込み、彩希さんとの仲違いも何とか出来るかも知れないと考えたのだ。まあ俺の中の未確定の名家の血に、武俊さんがどう反応するか分からないので、取らぬ狸の皮算用になる可能性も高かったが・・・・。
「あーー、香織。此れからの俺の行動に目を瞑ってくれよ。おお、怒ったり暴れたりしない様にな。俺もいきなり当事者になり、未来の予想が立たなくなって余裕がなくなっているんだ。今はなるべく不安要素を取り除いて安定させたいんだ」
「・・・・・お兄ちゃん・・・何をするのか知れないけど・・・私の許せる範囲にしてよね・・・」
「・・・・・努力はするよ・・うん・・・」
俺はぎこちない笑みで答えてから、シグルトとフレイに相談せずに行動する許しを得るように目配せだけした。するとシグルトもフレイも信頼を込めた視線を返して頷いてくれた。俺はその事で力を得た様に感じ、心の中で無理やり「香織はたぶん不機嫌になって小言を言うだけだろう」と思い込んで行動に移した。
「沙月さん、そんな顔をしてないで俺を見て欲しい」
そう言った俺はずっと俯いたままの沙月さんの頬に触れて、そっと顔を此方に向けさせた。この時点でもう隣の香織の機嫌がガクンガクンと急降下したのが、ピリピリする気配から分かってしまった。そして傍に居たシグルトがコソコソと距離をとったのも分かっていた。だが俺は止まらなかった。香織も今出来る事を全力でやる姿の方が好きと言ったし、もう此方に引き込むと決めたのだ。
「今日の彩希さんとの話は俺の価値についてでした。そして残っていた人達は此方側に付きました」
「ナッ、ぜっ、全員ですか?ああ、あの場には天川家を筆頭とした序列上位が残っていたと聞きましたよ」
「ええ、全員です。皆が其れだけの判断をする話でした。それで俺の立場も香織のオマケから変わりそうです。だから沙月さん、貴女にはそんな顔をさせる人から去って、俺の元へ来てほしい」
「なな、直哉様、こんな時に何を・・・・・」
俺は真剣な顔をしながら、沙月さんの強く握って赤くなった手を解いて両手で優しく包み込んだ。そしてそのまま顔をジッと見つめていると、動揺して叫んだ沙月さんも俺が本気だと分かったのか、息を呑んで大人しくなった。
「もう解っていると思うけど、俺は本気で君が欲しい。沙月さんは香織を除くと一番長く一緒にいた同年代の女性だ。ずっと香織を守るのに協力してくれていた事は感謝しているんだ」
「そそ、それは父から言われた事で・・・・」
「ああ、それは俺も知っている。でもこの前の襲われた時もだけど、色々仕事以外でも助けてくれただろう。そんな普段の行動から信頼出来る事は良く分かっている」
「なな、直哉様・・・・・わわ、私は・・・・・・」
強い信頼を込めた視線で見つめて微笑むと、沙月さんは真っ赤な顔であたふたしていた。そんな照れて舞い上がっている沙月さんに、俺は内心で頭を下げると一気に落とす為の言葉を口にした。
「ああ、そういえば言っていなかったね。最近知り合った水無月家の美夜さんは、既に俺の重要な秘密を共有し、真の仲間になってくれたよ」
俺が美夜さんだけの名を言ってわざとらしく一瞥して告げると、沙月さんはハッとした顔で其方を向いた。そして一瞥した時に合った視線で、俺の意図を理解して浮かべた、どこか勝ち誇った顔をした美夜さんを見て、沙月さんはムッとした様子で眉を顰めた。今内心ではずっと傍に居たのは私なのに、なぜポッと出のこの女が・・・と言った葛藤が生まれているはずだ。
「美夜さんは此のところの正体の知れない護衛も含めて、全て知っていると言う事ですか?」
「ああ、死別するまで主で居続ける事になったから、もう隠し事は無い。今後もずっと情報は共有されるだろう」
「エッ、死別するまで?・・・・・ハッ、まさか・・・月の掟を?」
「ええ、結びましたわ」
俺が答える前に美夜さんが口を挟み、その事で沙月さんの注意が向こうへ移った。
「どうして貴女が・・・・・。月の掟の事は聞いた事がありますが、あれは当主が結ぶのでは無いのですか?」
「ええ、でも個人で結んでいけない訳ではありませんわ。この人こそ一生涯の主だと思えば簡単な事です。ふふふ、そっちに居る貴女には生涯無理で分からない気持ちかもしれませんけど」
俺は内心で「うわ、よく言うな。あれだけ反発した言葉を言っていたのに・・・」と思ってしまったが、沙月さんはその優越感の混じった軽い挑発にまんまと乗ってしまっていた。
「ふざけないで!!私だって・・・・・」
「其方に居ますの?主に相応しい人が?和道の襲撃があったのに約した護衛の人員を下げたのですよ。その護衛達は今何をしているのです?」ふふふ、武人が自身の護衛に連れて行ったのではないですか?」
「・・・・・・・それは・・・・その・・・」
「ふふふ、言わなくても想像がつきます。襲撃に怯えた武人が自身の護衛に連れて行ったのでしょう。違いますか?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
無言で俯く沙月さんを見て目を細めた美夜さんが厳しい口調で諭し始めた。
「貴女のお父様は武俊様を生涯の主と決めたのでしょうね。ですが貴女は如何です。今回の事で武人様では駄目だと、もう確信したでしょう。いつまで目を背け続けるのです」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
「答えられませんか・・・・・・。でも貴女は内心ではすでに結論を出しつつ・・・いえ、もう出しているのでしょう。ただそれがお父様の行く道とは違うから躊躇して足踏みしているだけ、違います?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
全てを見通していると言いたげな細く鋭い視線に、沙月さんは気圧された様に口を強く引き結んだ。そんな沙月さんを見た美夜さんは呆れた様に首を振ると、一転して真剣な顔になって淡々と忠告を始めた。
「まただんまりですか?なら秘密を知った者として二つ忠告しましょう。一つは次の機会があるとは思わない事です。今回の話し合いで直哉様は、今後のお立場が変わる事になりました。香織様を支えるだけだったのは過去になり、今は直哉様の方が重要だと言えなくもないのです。だから決断すべき時に決断出来ない者を受け入れられる程余裕はありませんし、私が共有してしまった秘密は安くはありません」
沙月さんの確認する様な視線が此方に向けられ、俺は苦笑いしながら肩を竦めて肯定し、香織は大きく頷いて肯定した。そんな俺達の様子に目を見開く沙月さんに、美夜さんは容赦なく追い込みの言葉を掛けた。
「さて二つ目の貴女に言える忠告は、今でさえ全力で追っても追いつけそうにないのに、一度立ち止まったらもう後姿すら見えなくなりますよ、と言う事です。秘密を知って私はそう思いました。そして私達は付いて来てない事に気づいても、のんびり先で待っていて貰える様な身分ではありません。「私達は香織様とは違う」それは先に傍に居た貴女の方が分かっているでしょう?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
様々な葛藤を胸に抱えて追い込まれた様な顔をした沙月さんは、とうとう俯いて唇を血が滲みそうな程強くかんで考え込んでしまった。俺はそんな沙月さんを見て此処だと思い、引き込むと決めた時に用意した落としどころを口にした。
「沙月さんはお父さんの敏次さんに迷惑を掛けたくないんだろう?そこだけが問題なんだ。違うか?」
「・・・・・・・・・・そうです。私は父に迷惑を掛けてまで前に進めません」
「なら俺に付く事で敏次さん達を助ける事に繋がるとしたら如何する?」
「エッ?如何言う事ですか?」
「今日話した事はもう武俊さんがこだわっている企業グループがどうこうって段階じゃないんだよ。俺も正直言ってあまりにも予想外の事で参っている。沙月さんを引き込む理由は信頼出来る仲間が欲しい事だけじゃない。沙月さんなら敏次さんを通して、武俊さん達との窓口になれるとの思惑もあるんだ。彩希さんと武俊さんの仲違いも、どうにかしないといけないしね」
「・・・・・・・・直哉様は私を手に入れて何をなさりたいのです。詳しくお話しくださいませんか?」
「来る時に伝えろと言った事と、今教えたとおりにあの場に居た者達が此方に付いたと言えば、武俊さんは俺との会話を求めるはずだ。求めないのなら俺の物理的排除しかありえない」
「・・・・・・・・武俊様がその様な事をなさると言うのですか?」
「するしかないんだよ。名家の血・・・いや須王の血を嫌う武俊さんは他と手を組めないから、選択肢が異様に少ないんだ。それに今日の事で良く分かった。武俊さんはある意味蚊帳の外になっているんだ。今日の和道の襲撃を予測していた可能性のある弘嗣の方が上と言う有り様だ」
「そんな・・・まさか・・・・」
「いや、本当だ。他の者達は武俊さんを今後重要視しないだろう。父親の残したグループ企業だけを見ている武俊さんとは見ているものが違うんだ」
「・・・・・・それは直哉様もですか?貴男も武俊様は重要ではないと?」
「ああ、家に帰ったら再集計するけど、彩希さんの持っている株式が丸ごと手に入るなら、香織と天川などの名家の者が持っている物を合わせて、上手くすれば四割を超えるかも知れない。その上で和道の持っている物を回収できれば・・・・・・分かるだろう?」
「・・・・・・・すでに勝負は決していると?」
「今すぐ和道と手を組まれない限りは・・・・まあそう遠くない内にその危険も無くなる。俺達には八の二があるからな」
「また八の二・・・意味は教えて貰え無いのですか?」
「沙月さんは武俊さんにも敏次さんにも、まだ言っていないのか?」
「ええ、とても言える様な雰囲気ではありませんでしたから・・・・」
「そっか・・・・・なら戻ったら先に父親の敏次さんだけに話して聞くと良い。そして其の時、沙月さんに此方に来るつもりがあるのなら、俺が敏次さんと仲間になった沙月さんを通してなら、いくらでも話し合う用意があると言っていたと言えば良い。そう言えば敏次さんも、その後話す時に武俊さん達を説得してくれるはずだ」
「そう上手く行くでしょうか?私には父が一緒に説得に回るなど、とても信じられないのですが・・・」
「ふふ、そう思うのも当然だけど、沙月さんが此方に来たいなら無理に引き留めようとはしないはずだ。そっちの方が利益が大きいからね」
「今此処で私が出した結論を確かめないのですか?」
「その顔を見れば必要ないだろ。それに美夜さんはああ言ったけど、俺は沙月さんの決断を信じて待っているよ。ふふ、個人的には何時までもねと言うけど、状況があれなんで三日以内にお願いするよ」
軽くおどけた俺が柔らかく微笑みかけると、少し表情から陰りがとれた沙月さんは頬を染めて視線をそらしてしまった。そんな沙月さんに俺は軽い口調でサラッと言い難い事を伝えた。
「ああそうだ。俺は彩希さんと武俊さんが話す場を作りたいんだけど、今度こそきちんと話すならある程度の譲歩もすると伝えておいてよね」
「直哉様、それは・・・・・・」
「ああ、残念だけど時間切れだ。学校近くの駅に着いた。今は家まで送って行く訳にはいかないから、沙月さんは此処から一人で帰ってくれるかな。伝言もよろしく」
俺は早口で反論だろう言葉を遮って、ささっと率先してドアを開けて外に出た。するとすぐに高級車から出てきた俺に、周囲の好奇の視線が痛いほど注がれた。その中に好奇心とは違う鋭く重い視線が混じっている事に気付いた俺は、他の人に気付かれない様にキッと気迫を込めて牽制してから、厄介事の気配を感じつつも先に車の中に居る沙月さんに手を差し伸べた。そして苦笑いを浮かべながらその手を取ってくれた沙月さんを外に出すと、周囲に気を配りながら別れの会話をした。
「さあ沙月さん、時間も遅いし早く行ってくれ。女性の一人歩きは危ないぞ」
「ふふふ、もう・・・仕方ないので今日はこれで帰ります。でも後日学校でお話させていただきますから、逃げないでくださいね」
「ああ、勿論だ。逃げずに歓迎するよ。なんと言っても今の俺は沙月さんの良い返事を一日千秋の思いで待って居るところだからね」
「ふふふ、もう何を言っているんですか・・・・。では直哉様、これで失礼します」
俺がおかしな事が起きないかと気を配って見送る中、沙月さんは速歩で駅に入って見えなくなった。すると其れを待っていた様にコスプレか?と言いたくなるような鮮やかな巫女服を着た美少女が近寄ってきた。
「矢嶋直哉様ですね。此処に居れば会えると思ってずっとお待ちしていました」
「・・・・・さっきの鋭く重い視線はあんただな?人違いだと言っても・・・・・無駄だよな。・・・何故か名も知られている様だけど、生憎と俺には駅前で巫女服を着る痛い知り合いはいないんだが?」
予想の斜め上を行っている登場人物に内心の驚愕を隠す為、多少の皮肉を込めて告げながら車内の人達に手で待機を命じた。すると美少女は楚々と微笑みながら頭を下げて名乗りを挙げた。
「私の名は御門聖華。御門家現当主の娘で次期当主です。直哉様に置かれましては聖華とお呼び捨てください」
「なに!?御門だと!?」
流石にその答えは予想しておらず、俺も車内にいる皆もギョッとして身構えてしまった。俺はすぐに中に居る克志さんに視線で本当か?と問うたのだが、その答えは驚きの物だった。
「直哉様、御門家の次期当主は巫女で、婚姻して当主になるまで外部の者に接触しません。巫女の神秘性を保つためとも言われていますが、その隠ぺいは徹底しており完璧です。その娘の言う事が本当なら顔を知っただけでも重大情報です」
克志さんの冗談の入り込む余地のない真剣な顔と緊迫した雰囲気に、俺達は皆この聖華と名乗った美少女の動向を注視する事になった。そして一体何が目的かと緊張を隠せない俺達の様子を見て笑うでもなく、不思議そうに首を傾げた聖華さんは、おっとりとした口調で皆が凍り付く恐るべき言葉を口にした。
「私はようやく見つかった夫になる人物を、実際に一目見たくて朝からこの場で待っていました。今日此の場で必ず会えると分かっていましたが、ずっとお持ち申し上げるのは大変でした。知らない男の人が声を掛けてきますし・・・・今日はお忍びで供の者もおりませんし・・・・」
男が声を掛けてくると言った所で周囲の一部の気配が殺伐として揺らいだので、供の者がいないのは嘘だろう。いや、当人には知らされていないのかも知れなかった。俺は其処まで現実逃避気味に考えてから、ようやく聖華と名乗った美少女の言葉に焦りながら返答した。
「待て待て待て、夫だと?いきなり何を言っている?俺には何が何だか分からないぞ」
「今は分からなくとも良いのです直哉様。いずれ時が来れば分かります。私達が結ばれるのは運命に依って決められているのですから・・・・・」
俺は運命とか言い始めたその顔を凝視して本気かどうかを確かめようとした。そして俺は恐るべき事に気付かされていた。この聖華と言う美少女は欠片ほども自身の言葉を疑っておらず、その幼い子供の様な透き通った瞳は、俺が自分の意思で断る可能性を微塵も考えていない様に見えた。俺は自分でも訳が分からない戦慄にさらされ、不覚にも口から出そうとした否定の言葉を呑み込んでしまっていた。
「お兄ちゃん!!なに見つめたまま黙っているのよ!!」
今ようやく我に返ったらしい車の中に居た香織が、不機嫌な声で怒鳴りながら外に出てきた。着物姿の香織の登場に周囲の野次馬がざわめいたけど、俺は目の前にいた聖華さんがその声を聞いて口元を吊り上げて笑みの形にした事に警戒していた。そこに友好的ではないものを感じて、香織に何かするのではないかと思ってしまったのだ。
「そう警戒しなくても何もしませんよ、直哉様。ふふふ、付き纏う小姑の香織様ですね。直哉様の妻になる聖華です。初めまして・・・・」
「誰が付き纏う小姑よ。それに妻だとか、許嫁の私を差し置いてふざけんじゃないわよ!!何でお兄ちゃんが会った事もない女と結婚しないといけないのよ!!」
「全ては運命です。運命には誰も逆らえません」
真顔で運命と言い切った聖華さんに、流石の香織も二の句が継げなかったようで、パクパクと口を開け閉めしていても肝心の声が出ていなかった。
「あーーー、聖華さんだったかな?悪いんだけど俺は運命とか信じる方じゃないんだよ。抑々貴女は何を持って運命だと言っているんだ?」
「そのご質問に答える前に、直哉様、私は聖華です。聖華とお呼び捨てください」
「聖華さんじゃ駄目なのか?」
「御門では妻は呼び捨てるものなのです、直哉様。どうぞ私の事も聖華と」
また妻と主張し始めた聖華さんに、香織が険しい顔で俺を睨み付けてきた。その視線は如何すれば良いか分かっているわよね、お兄ちゃんと言っていた。
「妻では無いので聖華さんと呼ばせて貰うよ。其れより早く質問に答えてくれないかな」
「・・・・・・・小姑が邪魔をするのでは、今は致し方ありませんわね。ふふ、直哉様のご質問にお答えしましょう。それは私が幼き頃から何度も結婚する夢を見ているからです」
不満そうにしながら答えてくれた答えは、俺には理解不能の痛いものだった。夢で見たから夫だと言われて納得出来る者が居るのなら御目にかかって見たかった。
「あはははは、何を言い出すのかと思ったら夢ですって?お兄ちゃん、こんな痛い女は放って置いて、早く私達の家に帰りましょう」
刺々しい雰囲気の香織が笑いながら俺の腕を胸に抱え込んで引っ張った。タマミズキにやられた羞恥心があるはずなのに、気にもせずに車に乗ろうとしているのだ。香織も言葉に出来ない不穏な何かを感じているのかも知れなかった。そう俺は今、笑われたのに香織を憐れむような目で見る聖華さんから、目が離せずに動けなかったのだ。
「何故香織をそんな目で見る。俺は香織を傷付ける者とは・・・・・」
「・・・如何やら直哉様のご不興を買ってしまった様ですね。元々今日は顔見せだけの心算だったのです。今日はこれで失礼させて貰います」
俺が反射的に浮かべた強い敵意に、聖華さんは丁寧に礼をして踵を返した。
「まま、待ってくれ。聖華さんが現れたのは、俺の血が・・・・・」
「違います。今当主の母や他の者達は貴方様の血統を隠していた裏切り者から話を聞き、御門大社で喧々諤々の言い合いをしています。しかし私は其れとは関係なく、やっと判明した夢に見た夫になる人を一目見たくて此処まで来たのです。ずっと夢の場面を手掛かりに探していたのですが、身内の裏切り者が隠蔽していた事もあり、最近まで全く判明しなかったのです。ふふふ、その所為で愚かにも私は、周りが言う様にその存在をいないのかもと思い始め、諦めかけていた所だったのです。居ると分かった以上一刻も早くこの目で見て、直哉様が実在する事を確かめたかったのです」
確かめたかったと言った聖華さんの声は語尾が震え、そこから恐ろしい程の切実な思いが感じられ、その声を耳にした俺はおろか香織まで心を揺さぶられ、ピタリとその背を凝視して行動を止めてしまっていた。そして俺達の脳裏には、此方からは見えない色々な思いで歪んだ顔が、何故かくっきりと想像出来てしまったのだ。
「・・・・・・・・そうか、色々気になる部分もあるし、聞きたい事も沢山ある。だけどこんな場所だし、今は止めて置く。その代わりに告げよう。俺は矢嶋直哉で香織の兄として此処にちゃんと存在する。その証にこの紙を受け取ってくれ。ああ、他人には見せたり渡したりするなよ」
俺は後ろからその手に携帯端末の番号を書いた紙を渡した。自分でも何故そんな事をしたのか分からなかったが、香織もシグルト達も止めなかったので良しとする事にした。
「・・・・ありがとうございます、直哉様。失礼します」
こちらを見ずにこの場を去る聖華さんの後をそっと付いて行く者達に、鋭い視線を飛ばして敵意が無いのを確認した俺は、周囲の野次馬の無遠慮な視線を無視しながら、香織を促して共に車の中に乗り込んだ。此の時野次馬の中に同じ学校の生徒が居る事に気付けなかった事が、俺の明日からの学校生活を騒がしくするのだが、此の時はまだそんな事は夢にも思っていなかった・・・・。
発進した車の中で、俺は外を眺めながら今あった事を思い出して、一つ一つ検証していこうとした。しかし夫や夢と言う気になる言葉は沢山あるのに、俺の思考は乱れて纏まらなかった。それでも考え続けて最後に残った事は「ああ、こうなってくるとヤッパリ俺は、皆が言う様に八嶋と御門の血を継いでいるのだろうな」と言う諦めに似た何とも言えないわだかまりだった。
「うーん、此れは何なんだろ・・・・・・・・・・・ああそう言う事か・・・・・・ははは」
ブツブツと呟きながら考えて「たぶん俺は他人から知らされる前に親の口からハッキリと聞きたかったのだろう」そう気付いた時には自然と自嘲が口の端に浮かんでいた。
「お兄ちゃん、大丈夫?」
「ああ、もう問題無い。自覚出来れば俺が拗ねたガキだっただけだ・・・香織には見せたくなかった無様さだ」
「もう、そんな事無いよ、お兄ちゃん。私はそう言う時に頼って欲しいんだから・・・・」
そう言った香織が俺の顔を胸に抱き寄せて、優しく包み込んでくれた。
「今日はお兄ちゃんにとって色々あったからね・・・・・」
自覚以上に疲れていたらしい俺は、そのまま意識もせずにされるがままになって癒やされていた。しかし次第に落ち着いて冷静な思考が戻って来ると、顔に当たる胸の柔らかさと昨日の記憶が直結し、一度自覚すると止められ無い思いがどんどん湧き上がってきた。
「かか、香織。もう大丈夫だ。放してくれ」
「・・・・・・・本当にもう大丈夫なの?お兄ちゃん無理してない?私には言わなくても分かるんだよ」
「ああ、この通り元気になった。ははは、此れ以上は元気になり過ぎる。それにもう家に帰って親と話すだけだから、多少疲弊していても大したことないさ。本当に辛かったら話は明日にしても良いし・・・」
俺を見つめて純粋に心配する香織に誤魔化し笑いをしながら、内心では男ってやつはと自分を罵っていた。
「ふーん、じゃあもう遠慮はいらないかな?お兄ちゃん」
そう言った瞬間に優しく労わる様な笑みを浮かべていた香織は居なくなり、代わりに其処に居たのは冷たく凍り付く様な断罪の笑みを浮かべる妹様だった。
「かか、香織?」
「ねえお兄ちゃん?私言ったよね?私が許せる範囲にしてって・・・」
一瞬何を言われたのか分からなかったけど、数瞬後に沙月さんを説得し始める前の言葉だと体の震えと共に思い出した。
「ああ、あれ位は許容範囲・・・セーフだろ、ナッ香織」
「アウトに決まっているでしょう!!お兄ちゃん!!なにが「俺の元へ来てほしい、俺は本気で君が欲しい」よ。許嫁にして義妹のこの私の目の前で、ぬけぬけと他の女を口説くとはいい度胸ね、お兄ちゃん」
憤怒の形相で今にも掴みかかって来そうな香織に、俺は肝を冷やしながら必死に口を開いて反論した。
「まま、待ってくれ香織。一部分だけあげつらって口説いているとは言い過ぎだろ。あれはあくまでも沙月さんを仲間にする為のものだし、あの程度で女性を口説ける訳無いだろ。そんなに簡単なら今頃彼女が欲しいと言う男達は、皆得ているさ」
「ふーん、お兄ちゃんにとってあの程度は口説くとは言わないと言うのね?」
「ああ、勿論だ。口説くならもっと上手くやる・・・・はずだ。俺の認識ではまだ一度も・・・・・当たり前だが一度も女性を口説いた事は無いんで分からないけどな・・・・」
「ふーん、お兄ちゃんの中にはあれ以上があると・・・・・此れは・・・・・ちょっと・・・お兄ちゃんを・・・侮って・・いたのかな?だとすると・・・・・」
香織から感じられる言葉に出来ない重圧に、俺の言葉は途中から言い訳がましく聞こえる物に成り果ててしまった。そして今目の前で途中から俺でも聞こえない小声でブツブツと呟く香織は、刻一刻と雰囲気が変化して最終的には何も感じられなくなった。それは俺の目に全てを内にしまいこんで溜め込んでいる様に見えた。そして俺は唐突に呪がかかっている今だから見えただけで、普段はこちらに気付かせなかっただけだと思った。香織の斜め後ろに居るフレイがジッとこちらを見つめてきて、此れを何とか出来るのは俺だけだと言われた様な気がした。
「ねえ、お兄ちゃん。まず沙月さんの過去の行動などを褒めるなどして持ち上げて置いて、その後突き落して平常心を奪う。ふふふ、沙月さんが対抗心を持っている美夜さんに協力までさせてね。此れってどう思う?」
「・・・・・・ウッ、なんか香織の声で言われると、胸に来る物があるな」
「何をいまさら・・・・・お兄ちゃんは美夜さんに鞭役をやらせて、更にその後、自分は飴役になって受け入れやすい甘言を耳に囁いたんだよ。なんか今思いついたにしては手慣れている様に見えたわよ、お兄ちゃん」
「あーー、それは・・・だな・・・。王になると交渉などしないといけないだろ。その方法を色々とリグレス公爵から合間に教わっていた成果だ。決して女性を口説く事に手慣れている訳じゃ無いんだ」
「ふーん、それにしては頬を触ったり、手を握ったり、見つめたり、いろいろしていたわよね?あれもリグレス公爵に教わったの?」
「それは・・・だな・・・・・・・」
言葉に詰まる俺に向かって、ジトーーっと猜疑に包まれた視線を香織が向けて来た。俺は居心地が最悪だったけど、それについては詳しい事は口に出来なかった。何故ならそれは明人のやつが明美ちゃんにやる最終手段で、怒っている香織ちゃんもそうやれば誤魔化せるんじゃないか?と言った事のアレンジだったからだ。なんでも明人いわく、触れる事を許してくれる程親しい女性なら、大抵これで押し切って、誤魔化したり、要求を呑ましたり出来るそうだ。俺としては覚えていたので、つい後先考えずにやってしまったと言った所だった。
「・・・・・・・・怪しいけどまあ良いわ、お兄ちゃん。許してあげる」
「なに?許してくれるのか?てっきり・・・・・・いや、なんでもない」
「ふふふ、てっきりお仕置きされると思った?」
言いかけた俺の言葉の続きを香織が笑いながら口にした。その雰囲気はとても穏やかで、先程まで激怒などしていたとは思えない変わり様だった。俺は狐につままれた様に思い、何度も瞬きしてしまった。
「ふふふ、元々不満をぶつけて分かって貰う事が主目的だもの。全く、お兄ちゃんがきちんと自覚してくれていれば、こんな事は言わなくて良かったんだからね」
「あ、ああ、そうだな。良く分かったよ」
「ふふふ、分かってくれればいいのよ。私だって時と場所と状況は弁えて行動するんだからね。今日のお兄ちゃんは見えない所も本当に疲れているんだから・・・・・」
「香織・・・・・・・」
俺が緊張と警戒を解いてホッと一息ついていると、香織がそっと手を握ってきた。
「如何した香織?」
「うん?分からないの?お兄ちゃん」
そう言いながら香織は、俺の手を自分の頬に触れさせて、ジッと何かを期待する様に見つめてきた。俺が何をすれば良いのか分からずに戸惑いを隠せずにいると、周囲に居たシグルト、フレイ、そして美夜さんや克志さん達までに、盛大なため息を吐かれてしまった。
「なな、なんだよ・・・皆して・・・・・」
「直哉、この状況で香織の求めている事なんて一つしかないんだ」
「そうですわ、直哉。香織の話を聞いていたのなら分かるでしょうに・・・そんな事だから香織は先程の様に・・・・」
「直哉様、その態度はありませんわ。先程協力した身として、同じ女として、香織様に優しく御声をおかけくださる事を提案します」
「直哉様、先程似た事がおありだったでしょう」
「そうだぜ、早くしないと危ないぞ。あれとは違う、別のかける言葉があるんだろ?」
皆の声でハッと気づいた俺は、まさかと思いながら香織の顔をまじまじと見た。そこには期待感を増した香織が居て、俺の耳には「もう分かったでしょう、お兄ちゃん」と言う声が聞えた様な気がした。
「・・・・・・・・・・・・香織、せめて皆が見ていない場所では駄目か?」
「駄目」
短すぎる返答に香織の断固とした意志を感じた俺は、背中や額に暑くも無いのにジットリと汗を掻き始めた。
「お兄ちゃん、早く」
痺れを切らした香織に促された俺が、進退窮まって周囲を一瞥すると、皆はサッと示し合わせた様に視線を逸らして、見てもいないし聞いてもいませんよと態度で示してきた。まあ本当は興味ありありで擬態だろうが・・・・・。
「・・・・・さっきの様に俺を癒やせるのは未来永劫香織だけだよ。俺はずっと香織の傍に居たいし、居て欲しいと思っている。爺が来た時に私が帰る家はお兄ちゃんの居る家だよと言ってくれたよな。とても嬉しかったよ。それと俺にとっても帰る家は香織の居る家だよ、香織」
「お兄ちゃん」
嬉しそうに俺の胸に跳び込んで来た香織を俺が驚きながらも優しく受け止めると、微かに震える手でそのままギュッとしがみ付いてきた。その姿に俺は当たり前だが、ああ香織も色々な新事実で不安だったんだなと思った。そしてずっと今まで血筋について知った俺を支えてくれた香織の背を、ポンポンと叩いて落ち着くのを待った。その後俺は顔を近づけて他の誰にも聞かれない様に注意してから強い思いを込めて告げた。
「香織、俺は何を知っても矢嶋直哉だ。其処は絶対に変わらない。それに和希さんと話した時に、すでに覚悟は決めている。ふふ、香織が傍に居るから何があっても耐えられるんだぞ、俺は。だから此れからの関係は状況によって変わるけど、香織が拒絶しない限りずっとずっと一緒だ。居てくれるよな、香織」
「うん、お兄ちゃん。でも私達は許嫁なんだから、変わる関係は一択だよ」
上目使いで見つめてくる香織の、強く鋭いまるで獲物を狙う鷹の様な視線に、俺は顔を強張らせない様にする事に全力を注いだ。流石の俺も今此処で下手を打ったら楽に死ねないと理解していたのだ。俺は明人直伝の技を振るって家に帰るまでの小さなひと時の安らぎを得るのだった。
ちなみに後日シグルトと雑談していた時に「直哉はリグレス公爵に教わったと言うけど、本当は普段から香織にされているから効果を確信しているだけんだ」とポロリと零されて地味に傷つく事になるのだった。よくよく考えてみればあの時、初めに優しく心配して持ち上げて、次に怒りを見せて落とし、最後に優しく許すと言われたのだ。多少違うかも知れないが確かに似ていた。しかも香織はその後俺と違い、退路を断ってすぐに目的の言葉を言わせたのだから、如何考えても上を行っていた・・・・・。俺は此の時、こっちに来てくれた沙月さんにはなるべく優しくしようと、自然と心に誓っていた・・・・・。
明日は更新し難そうな事もあり、出来たので更新しました。次話の投稿は五日以降の予定です。次話もよろしくお願いします。
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