二人の訓練
今日の学校は、昨日の失態を教訓にして無難にすごした俺だが、今度は香織がやらかしたそうだ。明人の妹に明人が聞いた所では、なんと短距離走で現役の陸上部員を超える走りを見せたそうだ。その上絵がお世辞にも上手くない香織が、美術ですごいとしか言えない絵を描いたそうだ。俺は香織の手を引き、学校から逃げ帰る破目になったが、聞いた時に即座に対処したので大丈夫だと思いたかった。
「お兄ちゃん、ごめんね。如何しよう」
香織が沈んだ声を出してきた。昨日慰められた手前強く言えない俺は、対処した事を伝えるだけにした。
「短距離走の方は、魔法でタイムを計測する道具に細工した。どうやったかは聞くなよ。次に絵の方は、俺が描いた劣化コピーの絵と、すり替えて置いた。正直言って、二度とやりたくない」
「お兄ちゃん何時絵を描いたの。時間無かったと思うけど?」
「異世界を転移する時に、時間がある程度戻れるのは知っているだろ。異世界とまで言わないが、世界と切り離した空間に転移して、其処で描いて戻ってきたんだよ。言って置くが、もう一度やれと言われても、出来るか如何か分からない荒業だから、次の期待はするなよ」
「ありがとう、お兄ちゃん」
香織に笑顔でお礼を言われて、疲れたが吹っ飛んで満足してしまう自分に、苦笑を禁じ得なかった。
「さて、使っていない客間を使って、空間拡張と空間隔離と空間強度を強化した、特製の訓練室をシグルトに手伝って貰った。それなりに苦労して作ったから、今から其処へ行って訓練するぞ。力のコントロールが出来ないと危険すぎるからな」
「分かったよ、お兄ちゃん」
皆で訓練室に移り、まずシグルトとフレイに声をかけた。
「シグルトは空間の維持管理をして欲しい。フレイはドアの前に居て、其処を守って欲しい」
「ドアに何か問題でもあるのですか?」
「突然母さんや父さんが開けたら不味い事になるだろ」
フレイは理解するとドアの前に座り、風の障壁を張った。
「まず一通りの基本の魔法を使おう。俺も香織も知識だけだから、一度全て使っておいた方が良いだろう」
二人で魔法を試し撃ちしていると俺は時空、光、雷の順に得意な様だが、香織は火、風、時空が得意な様だ。
「時空魔法に比べると、明らかに光と雷は威力も制御も足りないな」
「私の方は火と風は問題無いけど、時空は程々の空間を作るので限界みたいね。転移や時間に干渉も殆ど出来ないわ。此れでは空間に物を入れて時間を止めたら、事実上使え無いわよ。しかも其れ以外の特に水魔法は悲惨よ。水道の蛇口程度の水しか出せないんだから」
俺は自分で水魔法を使って見たが、剣や鞭の様に使え、更に針の様な水の魔法を飛ばす事にも成功した。
「何でお兄ちゃんだけ使えるの?私は使えないのに・・・・・・」
香織があまりにも恨めしそうに見てくるので、指導してみたのだが、結局包丁程度の刃しか作れなかった。
「あの、香織は私の契約者だから、水とは相性が悪いので使えるだけでも凄いのですよ」
「何だ・・・フレイ、そう言う事は最初に言ってよ。無駄な努力をしたわ」
「僕達と契約した時に手に入れた知識の中にあるはずなんだ」
俺達がほんとかな?と思って調べて見ると、確かに求める知識がある事が分かった。
「うわーー、お兄ちゃん本当にあるわよ。実践の伴わない知識は辞書の様な物で、一部以外は考えないと思い出せないのは、大変だし使え無いわね」
「まあそう言うなよ。香織は火と風の二つの古代魔法を使えるんだしさ。俺の古代魔法は時空魔法だけだし、極めるのも凄まじく大変みたいだぞ。しかも結局出来る事は、基本的に転移と転移中の時間操作と、色々な条件の空間を作るだけだぞ。例外はないとは言わないが、攻撃力が無さすぎる。龍がブレスや爪などの、物理攻撃をするのも此れが理由だろう?」
「でも直哉には強化能力があるから大丈夫なんだ。其れに直哉だけの最後の手段があるんだ」
「強化能力については分かりますわ。龍は私達と違って、苦手な属性が無いのが特徴ですから、全ての上級魔法を強化して使えば、古代魔法と同等になるでしょう。それに物理攻撃も魔狼の長を殴り倒していたのを見ましたから分かります。でも最後の手段とは何ですか?此れから一緒に行動するのですから、勿論教えて貰えるのですわよね」
其の言葉に顔を顰めた俺とシグルトは、さり気無くフレイとの距離を開いてコソコソと言葉を交わした。
「なあ、話して良いのかな?前に話した時、明らかに様子がおかしかったもんなシグルトは」
「普通は不可能な事だから、初めて聞いた時は命を共有しているはずの僕でも、恐怖に身が竦んだんだ。フレイは香織と契約しているから、大丈夫だと思いたいんだけど・・・・・」
「何をコソコソと話していますの?私達に話せない事があるのですか?」
フレイが目を細めて此方を窺い、香織が不審そうな顔をして見つめていた。ため息を吐いた俺達は仕方ないなと思って口を開いた。
「はあーーー、最後の手段とは心臓や頭だけを転移して殺す事だ」
香織はギョッとした顔をしたが、フレイは理解不能の言葉を聞いた様な顔をしてポカンと口を開いていた。
「あれ?お兄ちゃん、私の知識だと生物に直接魔法をかける時は、生命を脅かさない魔法しか、かけられない事になっているよ?」
「そうですわ。生命に危険を及ぼす魔法をかけると、無意識で拒絶して、生命力から対抗魔力が発生して、全て打ち消されるはずですわよ」
「強化は対抗魔力を超えるんだ」
「馬鹿な事を言わないでください。対抗魔力は命を守る最後にして最大の防壁ですのよ。其れが破られるのでは、生かすも殺すも思いのままに出来る事になって・・・・・・・」
途中から声を出さなくなったフレイに、シグルトが神妙に頷いて答えた。
「直哉は蘇生出来るんだ。不可能を可能にして、生命に直接干渉出来る直哉に、対抗魔力なんて無いも同然なんだ」
「エッと、つまりお兄ちゃんは問答無用で殺せると・・・・・」
うわーー、とんでもない事聞いちゃった・・・と言う顔をしている香織を見て、俺は真剣な顔で即座に言葉を発した。
「認識した存在全てに使えるが、寿命を削らずに使えるのは龍なら二百、炎鳥なら五百が限度だし、何よりまだ俺は殺す覚悟が出来ていない。情けない事だがな・・・・」
俺の言葉に香織達は安堵のため息を吐いて苦笑した。
「あはははは、そりゃそうよね。いきなりお兄ちゃんがサクサク人を殺せる様になったら、明日から人間不信になって生きて行けないわ」
「直哉、貴男は覚悟を決めないでくださいね。普通に人を殺せる様になったら、本当に危険生物じゃ済まなくなりますわよ」
「直哉は今のままが一番良いと言う事なんだ」
皆の言葉に肩を竦めると話を変えた。
「さて、話は此処までにして、少し体を動かさないか?ファーレノールは襲われたり、戦いを挑まれたりする世界だから、模擬戦闘をしてなれて置いた方が良い」
「お兄ちゃんがそう言うのならやるよ」
俺と香織は適度に距離を置いて向かい合った。
「まずは水の矢で様子を見てみるかな?」
水の矢を数十本飛ばすと、即座に香織は火の矢で応戦してきた。ぶつかり合う水と火が中間で蒸気になった。香織が如何動くのか待っていると、蒸気が此方に向かってきた。
「うあ、あちーーーなもう。まさか風で蒸気を飛ばしてくるとは思わなかったな。だが龍人の俺には熱いだけで大した事ないな」
蒸気で視界の悪い俺は、風で蒸気を吹き飛ばすと、香織に向けて再度水の矢を放とうとした。しかし香織はすでに俺の右に三歩の距離にいて、手に水の包丁を持って切りつけてきた。ギョッとして咄嗟に後ろに跳んでかわすと、目の前をブンと音を響かせて水の包丁が通り過ぎた。
「ななななななな・・・・・・・・・」
形が包丁なのが嫌になる程現実的で、自分が刺されるのを脳裏に想像させ、背筋が寒くなり動揺が声となった。動揺する俺にチャンスと思ったのか、香織が次々と切りつけてきた。香織の動きは想像以上に早く、動揺して体の動きが悪かった俺は、とうとうかわし損ねて腕から血が飛び散った。傷はすぐ治ったが、今度は香織が血に動揺して動きが止まっていた。其の姿を見て少々卑怯かと思ったが、俺は即座に風の砲弾を作り、立ち止まった香織の腹に叩き込んだ。
「いたたたた。ちょっとお兄ちゃん、今のはずるいよ」
「今は模擬戦闘中なんだ隙を作るのが悪い。悔しかったらやり返すんだな。ファーレノールではそんな事言ってると、皆の足を引っ張る事になるぞ」
吹っ飛んで行った香織に、窘める様に答えたら目つきが変わった。
「ふーん、お兄ちゃん、私にそんな事言う以上、覚悟は出来ているよね。後で謝っても許さないんだから・・・。ふふふふふふ・・・・」
不気味に笑いながら香織は、いきなり百を超える火の矢を飛ばしてきた。慌てて地の魔法で壁を作って受け止めると、壁に火の矢がぶつかって爆音が響いた。爆音に顔を顰めながら油断なく、右か左か上の何所からくるかと考えて身構えた。
「・・・・・・・・どうした?なぜ来ない?・・・・来ないなら俺から行きべきか?」
中々現れない香織にじれ始め、俺が動こうとした時、突然真後ろから風の刃が飛んできた。身構えていたおかげで気づけた俺は、慌てて右に飛んでかわし、周囲を見回した。しかし香織の姿は何所にも見当たらなかった。最後に上を見ようとして一瞬だが、何かが落ちてくる様な音を聞き、ヒヤリとした俺はその場を飛び退いた。ザクッと床に水の包丁が深く突き刺さり、音が耳に寒々しく響いた。
「おおおお、おい当たってたら如何なると思っている」
水の包丁を床から抜いて立ち上がった香織が、とてもいい笑顔で言った。
「ちゃんと大丈夫だって、お兄ちゃんを信じているよ」
良い笑顔で言う香織に、俺は背中に冷や汗を書いて恐怖していた。妹でなかったら裸足で逃げ出していただろう。
「あのな香織、少し落ち着こうじゃないか」
「私は冷静だよ?如何すればお兄ちゃんを追い詰められるか、今も考えているもの」
言葉と同時に風の矢が次々に飛んでくるのを、かわしたりそらしたりして対処していた俺は、自分が誘導されている事に気が付いていなかった。そして足元の床がいきなり燃え上がり、俺は一瞬で火に包まれていた。
「ぎゃああああ、もももも、燃えている。なななな、何て事をする」
体は軽く赤くなる程度だが、身に着けている物は無事な訳が無い。水の魔法で消火したが、服は焼け焦げぼろ布一歩手前だし、ズボンは膝下から無くなってしまった。
「俺を罠にはめるとは・・・酷いじゃないか香織」
「ふふふ、悔しかったからやり返したのよ」
ムッとした俺は、服の借りは服で返す事を心に決め、香織に猛然と攻撃をしかけた。火の矢、水の矢、風の矢、地の矢を数十本ずつ放ち続け、周囲の空間はすべて矢に覆い尽くされていた。
「ちょっと、お兄ちゃん何時まで続ける心算よ。いいかげんにしなさいよ」
防戦一方の香織が叫んでいるが、今の俺はそれどころではないのだ。光の魔法をレーザーの様にして、なおかつ香織の肌を傷つけずに服だけを切っているのだ。矢を目くらましにして、慎重に時間をかけてした攻撃は、見事に成功し、ついに其の時がやってきた。香織の服が胸の下から落ちてお腹は丸出しになり、更にスカートが半分に切れてミニスカートになっていた。
「・・・・・・・ええええええええ何で?如何して?」
香織は自分の身におきた事が理解出来ず、顔を真っ赤にして混乱していた。
「はははっははははは、服を燃やされて悔しかったからやり返してみた。はははははは」
笑う俺の姿と言葉を聞いて理解した香織は、どす黒い雰囲気を全身から発して、凶悪な目つきで睨んできた。
「お兄ちゃん、妹の服を脱がして笑うとは、如何やら本当に変態になりかけているわね。此れは私のお兄ちゃんに相応しい様に、教育し直さないと駄目だわ」
「香織こそ俺の着替えを見ようとしただろ。しかも今も兄を罠にかけて、服を燃やすとは其れが妹のする事か」
お互いにあつくなって冷静さを失った俺達は睨み合った。
「あのさ、二人とも冷静に・・・・・・・・・」
シグルトが話しかけてきたが、俺達と視線を合わせると即座に黙り込んだ。
「香織、覚悟は良いだろうな」
「お兄ちゃんこそ逃げないでよね」
其処から先は喧嘩で、ただの泥仕合の消耗戦に移行した。
何時間が経っただろうかも分からないが、俺達はいまだに戦い続けていた。此処までの戦いの結果、下はかろうじて守り抜いたが、俺の上半身は完全に裸で、風の刃と水の包丁で切られた所為で血まみれだ。対する香織は服の所々に穴が開いているが、肌には傷一つなかった。俺はこの状況でも香織を傷つけられない自分に、苦笑しながらも満足していた。ちなみに香織も怪我をさせる心算はない様だが、俺が血まみれなのは魔法の習熟度の所為で、手加減が難しい為だろう。
「いい加減にして降参したら如何なの?お兄ちゃん」
「其れは俺のセリフだな、香織。此のままだと考え付いたが封印した、禁断の魔法を使う事になるぞ。謝るなら今が最後のチャンスだぞ」
「禁断の魔法とか言って脅そうとしても無駄よ。空間が持たない所為で、強い魔法を使えない事が分からないとでも思っているの?だいたいお兄ちゃんが、私を傷つけられないのは分かっているのよ」
息を整えながら勝ち誇る香織を見て、俺は覚悟を決める事にした。
「勘違いしている様だが、禁断の魔法は危険は危険でも、別の意味で危険なんだよ。今から見せてやるから、負けを認めなかった事を後悔すると良い」
闇の魔法を使い、闇を数百の手の形にしてウネウネと動かした。
「うそ・・・・・・・・・・・・」
香織は絶句して身の危険を感じた様に後ずさった。フレイは動揺して、シグルトは何やってるんだという非難の視線を向けて来た。其の視線に気づかないふりをした俺は、香織に話しかけた。
「さて香織、大人しく降参するだろう?」
俺とて鬼ではないし、妹に対して本当に使う心算は無論ない。この魔法は俺だって使う様な相手が目の前に現れたら、逃げてしまいそうな気持ち悪い魔法だ。お化けなどが嫌いな香織に耐えられるはずがないのだ。勝利を確信した俺は調子に乗って声をだした。
「香織の事は誰よりも知っている心算だ。此れは耐えられないだろ」
顔を歪めたのを見た俺は勝ったと思ったが、香織は一度目を瞑ると覚悟を決めた目をした。
「私だってお兄ちゃんの事は誰よりも知っている心算だよ。其の魔法は私には使えないよね。お兄ちゃんこそハッタリはやめて、負けを認めたら良いのよ」
勝利を確信していた俺は、香織の言葉にアッサリと動揺を晒してしまい、其の姿に今度は香織が勝利を確信した様だ。
「さあお兄ちゃん、もう化けの皮ははがれたわ、此れで終わりよ」
香織の言葉に俺は我慢比べをする事にして、闇の手を少しずつ香織に向かって進めた。
「ななななな・・・・・・・」
近づいてくる闇の手に驚いていたが、此方の考えを理解した香織は、俺の顔を見つめて動かなかった。
「ヒィ・・・・・・」
小さな悲鳴に俺が咄嗟に魔法を止めてしまうと、香織は怯えていたのが嘘の様に笑顔を見せた。
「ヤッパリお兄ちゃんには無理なんだよ。昔から私が嫌がる事は出来ないもの」
本当の事だけに反論が出来ないが、此処まできたらもうお互いに引くに引けなくなっていた。そしてお互いに動けない時、突然ドアを開く音がした。
「直哉、香織ご飯が・・・・・・・・・・・・・きゃあああああああああ」
ドサリと母さんが気絶して倒れる音がした。母さんの悲鳴を聞いた父さんがドタドタと走ってやってきた。倒れた母さんを抱きかかえ、訓練室で凍り付いている俺達を見て、父さんが怒りを押し殺した声を出した。
「貴様等何をやっている?後で納得のいく説明をして貰うぞ。まずは上半身裸の上に、血まみれで変な手をだして、妹を襲っている様にしか見えないバカ息子は、シャワーを浴びて着替えてこい。次に何だその服は、恥じらいを忘れた娘を持った心算はないぞ。そして何よりその手の包丁みたいな物はなんだ。シグルト、フレイはまず沙耶を運ぶから手伝ってくれ。その後は説明して貰うぞ」
父さんに厳しい視線と言葉をぶつけられた俺達は、真っ青になって即座に行動した。押し殺した声を出す父さんは、大激怒しているから、これ以上怒らせたら地獄を見る事になるのは確定だ。俺と香織は十分もかけずにシャワーを浴び、血や汗を流し着替えると、皆がいる食卓に向かった。
俺達が椅子に座ると、目を覚ましていた母さんから鋭い視線で睨まれた。父さんは眉間にしわをよせて瞑目していた。
「シグルトとフレイから一通り聞いたが、何でも訓練していたそうだな?お互い服がボロボロになるまで戦うのも非常識だが、目にした光景に比べればまだましか?俺の目には半裸の息子が、妹を怪しげな魔法で襲っている様に見えたんだ。息子の教育を間違えたかと、今真剣に考えているところだ」
「香織も倒れる前に包丁を持っていた様な気がしたけど?血まみれの直哉を見て、香織が刺したと思って卒倒してしまったでしょう。ハッキリ説明なさい」
俺達は両親の言葉に顔を見合わせると、引きつった顔をしながら言葉を探した。
「俺が香織を襲うはずないだろ。なあ香織」
「そうよ、お兄ちゃんが私を襲う訳ないでしょう」
「なら何故ああなった?」
「いや、それはお互い模擬戦をしたら、何時の間にかああなったとしか言いようがないな」
「そうそう、それに私の水の包丁は、お兄ちゃんの方が近接戦闘は強いから、其れくらい持ってないと戦えないだけだし、何も問題は無いよね。何より私は勝利して、皆の足を引っ張らない事を証明しないといけなかったのよ」
「ああ、そうだったな。後はあの闇の手だが、香織を脅かして降伏させるのが目的で、おかしな事をする心算は勿論ない」
「あ、ヤッパリ脅しだったんだね。あのままだったら私の勝利だったのね」
「いや、香織が先に限界を超えていたはずだ」
お互いを見る俺達に、父さんは黙れの一言と厳しい視線を送ってきた。
「色々思う所はあるが、今回は初めてだから大目に見てやる。次に沙耶が倒れる様な事があったら許さんからな。シグルトとフレイも、二人が馬鹿な事をしたら止める様に」
ギロッと睨まれたシグルトとフレイは、蒼い顔で必死にコクコクと頷いていた。
「今更だけど直哉の怪我は大丈夫なの?血まみれだったのだから、其れなりの怪我だったのでしょう」
「あの程度なら怪我した瞬間にすぐ治るから大した事ない」
「はあ、龍人は凄いわね。でも此方の世界でもあちらの世界でも、気を付けておかないと駄目よ。見られたら騒ぎになるでしょう」
母さんの言葉にハッとした俺は、傷を負ったら不味い事に気づかされた。傷を負っても治るからと考えていたが、ファーレノールでも契約者と明かさないなら、町では気を付けなければいけないのだ。
「分かった気を付ける。香織も分かったよな」
「うん、私も気を付けるよ」
俺達の返事にホッとした顔をした母さんが、父さんを一瞥して話題を変えた。
「さあ、ご飯を食べましょう。呼びに行って変な事になったから冷めたけど我慢しなさい」
苦笑いを浮かべて返事をしようとした時、俺はお土産を渡していなかった事に気が付いた。慌てて入れていた空間から出して皆に渡した。
「この果実はなんだ?どれも見た事が無い物だな」
「種類は三種類あってピチピの実、リトリの実、イカサの実と言って、順番に美容と元気になる、魔力が回復する、軽い病が治る効果があるんだ」
「美容ね、お兄ちゃん私も食べたいな」
「あのな香織、ピチピの実は大人専用なんだよ。子供には効果が無いから無駄なんだ。リトリの実が一番美味しいから、此れを食べると良い」
リトリの実を渡すと香織は素早く水の包丁を出し、皮をむいて切って皆に配った。
「見た目はリンゴに似ているが味は桃だな」
「そうね。此方の桃より美味しいけど、硬さはリンゴと変わらないのも違和感があるわね」
「美味しい物は美味しいで良いと思うわ。此れを料理に使ったら、きっと新しい料理が作れるわよ。ファーレノールの食材に興味が出てきたから、今度お兄ちゃんに色々作ってあげるね」
嬉しそうに話しかけてくる香織に楽しみにしていると告げると、何処かの料理人の様にやる気を見せていた。
「なあ、勿論食べれるのは直哉だけじゃないよな」
「勿論シグルトやフレイの分も作るわよ」
「いやそうじゃなくて・・・・・・・」
父さんは自分が食べれるのか聞きたい様だが、香織の鉄壁の笑顔を見て口に出せずに終わった。昔聞いた時の話だと、母さんから料理を習った者として、母さんから父さんに料理する楽しみを奪う訳にはいかないと言っていた。本当か如何かは知らないが、確かに母さんは料理が嫌いではないのだ。
「あっちで良さそうな食材があったら、父さん達の分も確保しておくから其れで我慢してくれ。シグルト達も協力してくれるだろ」
「全力でやらせて貰うんだ」
「勿論ですわ」
香織達のやり取りを聞いて居心地悪そうにしていたシグルトとフレイは、失敗の許されない命令を受けた者の様な雰囲気を全身からだしていた。
「ああそうだ香織、食べ終わったら試験勉強をするぞ。来週は試験があるからな」
「うわーー、お兄ちゃん嫌な事を思い出させるね」
「今俺達は世界を行き来する事になって、先がどうなるか分からないから、出来る事は早手回しにやるべきだ」
「はあーーー、お兄ちゃんは真面目過ぎるよ。今日の学校で分かったけど、私達はたぶん天才と呼ばれる人々を超えているよ」
「だからと言って、此方の基本的な日常生活を変える心算はない。此方では普通の学生生活を送るべきだ」
「ううう、分かったわよ。確かにいきなり生活態度が変わったら、皆に不審に思われるから我慢するわ」
表情に嫌々なのが隠せていない香織の頭を撫でて、やる気を出させる為の何時もの言葉を告げた。
「今度の試験で一番になったら一日香織の言う事を聞こう。だから俺の部屋で勉強するぞ」
毎回言っている言葉だが、香織が一番になった事はない。香織と同学年に一人、毎回ほぼ満点の天才と呼ばれている女の子が居て、一番は決まっていて無理なのだ。
「お兄ちゃん約束したからね」
香織は目を輝かせると、フレイとシグルトを連れて先に部屋に向かった。あまりの変わり様に俺があぜんとしていると、父さんの大きな笑い声が響いた。
「ふはははは、何て馬鹿な息子なんだ。確りしている様で抜けているな。何時もと同じ心算で言ったのだろうが、今の香織は契約者で天才を超えているのだろう?」
俺は聞いた瞬間に理解して真っ青になった。今の香織は一番になれる可能性の方が高いのだ。
「少し安心したぞ。強い力を手に入れても、直哉は直哉のままだと確信できた」
「あのな・・・俺も軽率だったが、このままだと不味くないか?」
「今更止められる訳ないだろ。自分の言った事に責任を取るんだな」
完全に他人事の父さんと、何も言わず微笑んでいる母さんを見て、協力は得られない事を悟ると、俺はなる様にしかならないと考え逃避した。だが笑った父さんには、少しお仕置きしようと思った。
「部屋に行く前に母さんに良い事を教えてあげるよ。ピチピの実は夜寝る前に食べると、効果が抜群に高まるらしいよ。父さんと一緒に食べて寝ると良いよ」
「あらそうなの?なら早速今日寝る前に直幸さんと一緒に食べる事にしましょう」
何故いきなりそんな話をしたのか分からず、俺に聞きたそうな父さんを一瞥して、尋ねられる前に素早くこの場を去った。
「なあ香織、試験の事だが程々にしとかないか。ヤッパリ注目を集めるのは得策じゃないだろ」
「やだ、一番を目指すわよ」
「其処を何とかなりませんか」
「ならないわ」
如何やら諦めるしかない様だ。諦めて教科書を開いたが、大半の事が理解出来てしまって、すぐにやる事がなくなってしまった。仕方ないので手に入れたファーレノールの知識を整理する事にした。
「なあシグルトとフレイは、最近の人間の町の生活について知っているか?」
「僕が知っているのは、ザインさんや父さんから聞いたものだけなんだ」
「私は十五年前に、里に来た天狐から聞いたのが最新の知識ですわ」
「十五年と言ったら私が生まれて一年だから、ほぼ一生と言っても良いくらいよ。其れが最新て・・・・・・」
「まあ良い。少し話して貰えないか」
「そうですわね。まず此れから私達に関係する事になりそうな、赤帝国について話しますわ。赤帝国は皇帝を頂点に、五大貴族と五大神官が権力を握っていますの。現皇帝はもうすぐ六十歳で、皇太子に帝位を譲位するはずですわ。ただ皇太子は皇帝と同じ穏健派ですが、第二皇子は武人で戦いをしたがっていると聞きましたわ。五大貴族は北のメルクラント家が筆頭で、北東のバルクラント家と共に、第二皇子の派閥だと聞いています。南西と南東を領地とするサザトラント家とガルトラント家は、皇太子の派閥だったはずですわ。残った北西のリラクラント家は皇妹の嫁いだ家で、現皇帝の派閥になりますわ」
「俺達が調査するとしたらリラクラントの領地になるけど、詳しい情報はあるか?」
「そうですわね。無魔力が結晶化した魔石が大量にあるので、魔道具が沢山作られているそうですわ。其の所為で商人が集まり商売が盛んな事と、皇妹が嫁いでから直属の騎士団がいるので、他に比べて治安が良い事ですわね」
「治安が良いのは嬉しいわね。初めて行く異世界だし、初めが無法地帯だったりしたらイメージが悪くなりそうだもの」
「俺が一緒だから安心しろ、香織にかすり傷でも付けた奴が居たら、死ぬほど後悔させてやるから」
「人間の町で里の時の様になったら、僕では如何にも出来ないんだ」
「そうですわ。気を付けないといけませんわ」
「ああ、無理はしないよ」
俺が軽く笑うと皆は安心した様だ。だが俺は地理的に考えて、シグルトを襲った奴らは此処からきたはずで、油断は出来ないと心の中で考えていた。
「学校は特に何かある訳じゃないし、今週は訓練に当てよう」
「お兄ちゃんが決めたのなら其れで良いよ」
「訓練するのは良いけど、今日みたいなのは駄目なんだ」
「怒られるのは嫌ですわよ」
顔を見合わせて皆で苦笑いを浮かべると、明日に備えて今日は解散した。そして早い時間に横になった俺は、翌日父さんに叩き起こされ、初めて助けを求められる事になって、苦労する破目になる事も知らずにのんびり熟睡していた。