契約者達と将軍の昔話
砦に帰って来た私は、交渉結果を知りたそうな人々の対応と物資の事をバルクラント卿に任せ、足早に捕虜にした将軍の元に向かっていた。
「カリーナ、少し落ち着いてください。もう遅いですし明日にしませんか?」
「それは駄目よ、フレイ。出来る事は今の内にやっておくべきよ。特にあの真紅の剣は危険過ぎるわ」
「カリーナ、右腕を如何かしたの?」
タマミズキが怪訝そうに尋ねて来て、私は初めてあの時斬られた部分と同じ位置の右腕を擦っていた事に気づいた。今は現実なので傷一つない右腕を振ってから、何故かジッと様子を窺っているフレイとタマミズキに告げた。
「なんでも無いわ。心配しないで」
「カリーナ、・・・・・貴女、微かに雰囲気が変わっていますわよ。やはり共鳴の影響があるのではないですか?」
「うーん、自分では変わっていない心算なんだけどなあーー」
「いえ、フレイの言う通りよ。私は悪狐だから人の心の機微に敏感なの。男を誘惑したりする時の手練手管に必要だから、私の評価は厳しく確かなものだと思って良いわよ。ふふふふふ」
ピクリと口元を引きつらせた私は、全身から妖しい色気が漂ってきそうなタマミズキの雰囲気に気を取られて、其の時自分の右腕が微かに疼いた事に気付けなかった。
「タマミズキ、そうそう何度もからかわれたりしないわよ。それと私の様子は皆で見ていて頂戴。こういう時の自身の判断は役に立たないと決まっているもの」
「分かりましたわ。気を付けておきます。でもカリーナも違和感があったら些細な事でも話してくださいね」
真剣な顔のフレイが代表して告げて来たので私が神妙に頷くと、今まで黙っていたルードルが口を開いた。
「主よ、一つ尋ねたい。僕は外に居たので真紅の剣を見ていないのだが、其処まで危険な物なのか?」
「危険よ。直接的な攻撃力は分からないけど、倒れた身として精神的な攻撃力は尋常じゃないと言えるわ。あの剣は周囲の人々の精神にも影響を与えているし、クリーミア王女が持ち主な所為か、私に対する影響力が特に強い様に感じるの。それに加えてフレイやタマミズキの目を誤魔化して私に精神攻撃したのだから、五幻種にとっても十分以上の力を発揮すると考えるべきだわ」
「・・・・・それなりに長く生きているが、僕はそんな剣の話を聞いたことが無い。まさかとは思うが契約石の様に最近作られたものなのか?」
「それは分からないわ。でもギルドは蒼王国にもあるのだから注意はしておくべきでしょうね。後、皆に他言無用で聞いて欲しい事があるわ」
私が最後の言葉を囁くような声で告げると、皆は顔を真剣なものに変えてそっと頷いた。周囲に誰もいない事を確かめた私は、小さな小さな声で告げた。
「あの剣は、意思か其の類の物があるみたいなの。私はそう言う物を知らないけど、皆は如何かしら?」
剣に意思があると言う私の言葉に、皆はギョッとした顔をして視線で本当かと問いかけてきた。私が確りと頷いて肯定すると、皆は緊張に体を強張らせ、重苦しい雰囲気を発しながらそれぞれが深く考え込んでいた。
「・・・・・・・・・・・まさか・・・・・器・・・・・・いえ、あり得ないわね」
「タマミズキ、如何かしたの?」
「クス、なんでもないわ」
「・・・・・・・そう」
私の問いを笑って誤魔化すタマミズキの様子に腑に落ちないものを感じたけど、目的地に着いたので私達は会話を止めて扉を叩いて訪問を告げた。すると中からごそごそと音がした後、確りとした返事が返ってきた。
「此方は捕虜の身だ。気にせず入って来てくれ」
「失礼するわね」
扉を開けて部屋の中に入ると、身支度を整えてベットに腰かけていた将軍が私の顔を見て、あり得ない物を見たと言う様に目を見開いた。そしてガバッと立ちあがると、いきなり怒気を発して身構えていた。武器を持っていたら突き付けられていると思わせる態度に私が首を傾げると、将軍が重く鋭い声で詰問してきた。
「なんでお前が此処に居る。まさか敵と通じていたのか?」
「何を言っているの?」
私の不思議そうな声に将軍は幾分冷静になったのか、怪訝そうな顔になって尋ねてきた。
「お前は誰だ?」
「はあ?私はカリーナよ。自分を捕まえた私を覚えていないと言うの?」
「・・・・・何だと・・・ふざけるな。私を捕らえた女は声こそ似ていた様な気がしたが、断じてそんな姿では無かったぞ。お前は髪と瞳の色が違うだけであの女と同じ顔では無いか」
将軍に怒鳴られた私はハッとして、すぐに自身の髪をつまんでその黒い色に愕然としてしまった。
「・・・・・・・・うそ、今まで私は本来の姿で行動していたの?何で?」
「アッ、カリーナが倒れた時に本来の姿に戻ったのでしたわね。私は其方の姿も見慣れているので、指摘するのを忘れていましたわ」
「あらあら、自分では冷静な心算だったけど、カリーナが倒れた事で、やはり皆動揺していたみたいね」
「不味かったのか?僕は大天幕から出てきた時に気づいていたが、あまりにも堂々としていたので何か考えがあるのだろうと思っていた」
ルードルの言葉に私は一つの事に気づいて手で顔を覆ってしまった。姿を変えるのが普通だったはずなのに、今の今まで欠片もおかしいと思わず、むしろ皆に見せ付ける様に行動して居た様な気がしていた。此れは確実にクリーミア王女の影響だった。あの王女は常に注目を浴びていて、見られるのが当たり前なので、自分を見る人の視線を気にしない様にして、見たければ見ろと開き直っていたのだ。
「・・・・・・参ったわね。確かに影響されているわ」
私はすぐにフレイ達に伝えて気を付けて貰うと、将軍に向き直って落ち着いた声で話し掛けた。
「騙す心算は無かったのですが、私は契約者なので普段は姿を変えています。今の此の姿が本来の姿です」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「一応付け足すと、クリーミア王女と血が繋がっている可能性は全く無く、私も先程出向いた時に初めて対面して驚いたのです。今此処に来たのも、対面したクリーミア王女の事で聞きたい事が出来たからです」
「・・・・・・・・・ふう、聞きたい事は何だ。出来れば手短に頼む」
長い葛藤の末に感情を押し殺した声を出して座り直した将軍に頷くと、私は単刀直入に告げた。
「貴男がクリーミア王女を嫌うのは、あの真紅の剣の所為ですか?」
一瞬で将軍の雰囲気が凍り付く様な冷たい物に変わり、瞳の中に暗いものを宿して歯を食い縛り、私の顔を鋭く射殺しそうな視線で睨み付けて来た。私の背筋にゾクリと冷たい物が走ったが、すぐに何処か遠くを見る様な将軍の瞳に気づき、自分を通して同じ顔のクリーミア王女を睨んでいる事に気づかされた。
「何の事を言っているのか分からないな。真紅の剣?其れは何だ?」
誰の目にも明らかな嘘に、タマミズキが横から口を挟んで来た。
「カリーナ、五幻種にすら影響する剣の事を、ただの人間の将軍に聞いても無駄ですわ。あの剣は周囲の者の精神に影響を与えますから、将軍も影響されて真面では無い可能性が高いですわ」
わざとらしく口元を歪めて一瞥したタマミズキの姿に、将軍の全身からどす黒い殺気が放たれた。タマミズキは殺気を向けられても平然としていて、むしろ将軍を見定める様な視線を向けていた。将軍もすぐにその事に気づいて、舌打ちしそうな表情をしながら殺気を収めていた。
「将軍、今の殺気の半分は自身に向けられている様に感じました。その訳を話す気はありませんか?敵に言われても信じられないかも知れませんが、将軍の悪い様にはならない様に配慮します」
眉間に皺を寄せて悩む将軍に、私は金の炎について説明し、其れを使って説得した。将軍は其れでも長い時間葛藤していたが、自身の中で結論が出たのかゆっくりと口を開いた。
「まず私の名前はジェスター・ブリンガーで、ブリンガー子爵家の現当主だ。もっとも妻からは拒絶され、娘からは恨まれ、領民の村人からは憎悪される状態だがな」
「・・・・・・何でそんな事に?」
自嘲の笑みを浮かべたジェスター将軍は、私の疑問に気持ちを押し殺した声で答えてくれた。
「もう五年になるな・・・・五年前蒼王国は大討伐に失敗した。その結果魔獣達が不確定領域から溢れて王国の一地方に侵攻した。足の速い魔獣と遅い魔獣の二つの集団に分かれた魔獣達は二か所に侵攻した。足の速い魔獣はその地方の中心の町に、足の遅い魔獣は近くの村々に向かっていた。当時クリーミア王女の副将の一人だった私は中心の町に駐留していて、話し合いの結果決まった決定を支持した。そうだ、私は何の疑念も不満も抱かずに支持してしまったんだ」
言葉を切って歯を食い縛ったジェスター将軍は、心底忌々しそうに言い放った。
「当時は大討伐に失敗して残された予備戦力は満足な物では無かった。だから失う訳にはいかない中心の町を全力で守る事にしたんだ」
「エッ、ちょっと待って、それじゃあ村はどうなるの?まさか・・・・・」
「想像の通りだ。見捨てたんだよ。ククク、足の速い魔獣の方が早く着くから其れを迎撃するのが先だ、遅い魔獣はその後向かっても何とかなると言っていた者もいたな」
「馬鹿な。足が遅いと言っても不確定領域の魔獣だぞ。我ら魔狼ならいざ知らず、人間の行軍速度よりは速いはずだ。すぐに行動しなければ間に合うはずが・・・・」
「ああ、その通りだ。実際に私が町を防衛した後に行った時には、不確定領域に近い処から順に襲われていて、殆どの村が壊滅的な被害を受けていた」
「そんな・・・・酷い・・・・・・」
「フッ、酷いか・・・・・。強い力を持つカリーナ殿が如何思っているのか知らないが、あの判断はある意味では正しかったのだ」
「何ですって?」
「フゥ、先程防衛したといったが、その内容は、三割の死亡と二割の重傷者と一割の軽傷者を出しての防衛だ。戦いの後も真面に動けるのは四割以下だったんだよ。そして其処までして守った町も、無償だった訳では無い。町の外壁は壊され、建物も一割が壊され、更には守っていた人々にも犠牲が出たんだ。ハッキリ言おう、もし村に戦力を回していたら何も守れずに終わっていただろう。此れは大多数の民衆も認めている。もっとも見捨てられた者達からしてみれば、ふざけるなと叫ばずにはいられないだろうがな」
暗い表情で首を振るジェスター将軍を見て、私は魔獣が襲ってくるファーレノールの厳しい現実に息を呑んでいた。けれど私は村を見捨てるのが少しでも正しい判断だとは思いたくなかった。
「でも将軍は後悔しているのでしょう」
「たぶんカリーナ殿が考えている物とは違うと思うぞ。私があの時副将として後悔しているのは、援軍を送らないとしても危険を知らせる伝令を出し、複数の村の人間を一か所に纏めて抵抗させれば犠牲が少なくなっただろうと言う事だ。そして一個人として後悔しているのは、村の中には自分の領地の村もあり、そこに親も妻も子供も住んで居たと言うのに、見捨てると言う決定に不満を抱かずに支持した事だ」
私は一瞬ジェスター将軍の言っている事が理解出来なかった。しかし徐々に理解していくと、背筋がゾクリとして冷や汗が流れるのが止まらなかった。真っ蒼な顔でガクガク震えている私の姿に、ジェスター将軍は暗い微笑みを浮かべて告げた。
「顔は同じでも全然違うんだな。クリーミア王女は国を守る為には必要な犠牲だと言ったぞ。・・・もっともそれが本人の意思かは分からないがな」
「如何言う事ですの」
震えている私に代わってフレイが訪ねると、ジェスター将軍は重たい声で告げた。
「家族のあり様を見てから自身の行動の異常に気付いた私が、混乱して怒鳴る様に村と家族の話を報告して両親が死んだと告げた時、クリーミア王女は確かに一瞬別人の様な雰囲気になって、表情が無くなったんだ。其の時は気にしてなかったが、五年経った今では多少は冷静になって見えて来るものもある。ああ、それと其の時に初めて真紅の剣の存在に気付いたんだ」
そう言ったジェスター将軍は目を瞑って黙り込んだ。そしてジッと何かを押し殺す様な雰囲気を出した後、目を開いて話題を変えてきた。
「さて、聞きたがっていた、あの銀色に見える真紅の剣の事を話そう。私は此れでも家族を躊躇なく見捨てられる男じゃない。なのに防衛した後にボロボロになった村に行って、両親の死体と逃げる時に背中を傷つけられて歩けなくなった娘と、其れを守っていた妻の姿を見るまで、副将として国を守る使命感に浸ってその事に思い当たっていなかったんだ」
「・・・・家族に思い至らなかったと?」
「ああ、視野が狭くなった感じと言えば分かるか?私は父親から貴族として国に忠誠を誓って、国を守る使命感を持てと教育された。其の使命感だけが肥大化して他が見えなくなった感じだった。此れの怖い処は自身が元々持っている感情だから変化も少なく、自分も周囲の人も見ておかしいと気づけない所だ」
「・・・・・・話を聞いていると危険だとは思いますけど、明確に操られたとは言えない様な気がしますね」
「だろうな。単純に操られたのならクリーミア王女を恨んで被害者で居られるが、私の場合は家族より教育された使命感が勝った故の出来事だ。自分にも落ち度がある」
「家族を一番大事に思っていればと言う事ですね。ですがそれは・・・・」
「言わないでくれ。私自身がその事を許せないだけなんだ。もっともその時は命令違反と敵前逃亡になっても、村に行って家族を助けようとしただろうな。だがそんな事をすれば家族もろとも国に処刑されたはずだから、正直言って家族に拒絶され恨まれても、生きているだけ今の方がマシなのかも知れないな」
全身から諦めを漂わせて寂しそうに笑うジェスター将軍の姿は見ているだけで痛々しく、私は顔を背けたくなってしまった。
「・・・・・・・・それが真紅の剣の力なの?」
私が掠れそうな声を出すと、ジェスター将軍は頷いた後、眉を顰めて辛うじて聞こえるくらいの声で話し始めた。
「先程言った通り、家族の事があった後でクリーミア王女に会った時、銀色だったはずの剣が真紅に見える様になった。その事をクリーミア王女に尋ねると、不思議そうな顔で何を言っていると叱責されたよ。それからすぐに立案していないのに、町を守る作戦を立案した功績で将軍になる事が決まって、国境の砦に行く事になった。其の所為で家族を犠牲にして出世した男と言われ、ボロボロだった家族との関係は致命的になり、五年経った今も真面に会えない状況だ」
「其れは・・・・はめられているでしょう」
「ああ、私もすぐに気づいて、何故こんな事になったのか調べて一人の女に行きついた。ベルサーヌだ」
「あの人が?陣で会ったけど・・・・うーん、フレイ、タマミズキ、如何思う」
「剣にも気づいていない様だったと思うのですが・・・・」
「そうね、演技だったとしたら大したものね。悪狐になれるわよ」
「悪狐になれるかは知らないが、ベルサーヌがただ者じゃないのは本当だ。私は何度かクリーミア王女に剣を手放す様に言ったり、影響されてそうな言動を諌めたりしたのだが、何度も何度も邪魔された上、何時の間にか周囲には事実と異なる噂話が流れて、其れが事実にされていったんだ」
「成る程、それもあって周囲から嫌われているのね。ベルサーヌは伯爵の娘と言っていたし、宮廷で情報を制するだけの人脈と力は持っていると言う事なのでしょうね」
「いや、其れだけじゃない。私がベルサーヌの身辺を探る為に雇っていた、諜報や暗殺をする闇の者達を全員殺して、拷問に遭った事が分かる首を送りつけてきたんだ。しかも此れ以上探るのなら、次はお前の大切な者になると言う脅し文句の書かれた手紙付きでだ」
「首・・・・・・・」
私が動揺していると、タマミズキが目を細めてから額に手を当てた。
「貴男、私達に話したら無事には済まないんじゃないの?将軍の貴男に対して周りに隠れて其処までやれるのなら、明らかに一伯爵の力だけでやれる事じゃないわよ」
「だろうな。明らかに裏に何らかの勢力がいる。私には調べられなかったが、あんた等なら調べられるんじゃないか?それと家族に迷惑をかけたくないので、話が終わったら自決させてくれ。表向きには虜囚になった屈辱に耐えられずに、隙をついて自殺したとでも言っておいてくれ」
「却下よ却下。死なせたりしないわよ。全く悪い様にはしないと言ったでしょう。其れより今剣の力はどのくらいの影響があると思う。それと力の解除方法に心当たりはない?」
「王女の本隊は影響されていると思う。ただ先にも言ったが、あの剣の力は人に依って発現方法が違うから厳密には分からない。今ハッキリ分かっているのは、剣が銀色に見えている者は影響下にあって、真紅に見えてる者は影響から脱しているみたいだと言う事と、解除方法はとても勧められないが、私の時の様に心に大きな衝撃を与える事だ。此れは調べて見たら少数だが私と同じように剣の影響から脱した者達が居て、其の者達から情報を得て纏めた物だから間違いない。もっとも今は全員行方不明になっているが・・・・」
「全員行方不明って・・・・・・」
愕然とする私に代わってタマミズキが淡々と結論を口にした。
「口封じに消されたわね」
「ああ、そうだろうな。彼奴らも独自に調べていたからな」
「貴男は何で無事なのかしら?」
「警告があってから大人しくしている事と、・・・・・・多分クリーミア王女に影響が出るからだろう」
「如何言う事かしら?」
「此処からは確証が無いが、真紅の剣は確実に持ち主にも影響しているはずだ。だから精神的に安定していない可能性がある」
「貴男を殺すと問題があると?」
「ああ、私はクリーミア王女の副将として初期から居て、ベルサーヌより一緒に居た期間は長いんだ。それにベルサーヌに邪魔されたとはいえ、何度も剣や家族の事で面と向かって話したからな。そんな時の王女は感情が抜け落ちた様な表情になって、ジッと反論もせずに聞いていたよ」
「・・・・・・・・確証が無いと言うのは嘘ね。其れなりに確証はあるのでしょう。そして貴男は元からそう遠くない内に死ぬ心算だったわね」
「・・・・・如何してそう思う?」
「五年経ったら見えてくる物もあるのでしょう?」
「たったそれだけで分かるのか・・・・・・流石は天狐とでも言うべきか?」
苦笑を浮かべて肩を竦めるジェスター将軍を見て、私はムッとして叫んでいた。
「勝手に死のうとするんじゃないわよ。貴男は私が捕まえた捕虜なんだからね。生かすも殺すも私が決めるのよ」
「・・・・・・・・・・・・・とんでもない主張だな」
「何か言いたいの」
私がギロッと睨み付けると、ジェスター将軍は両手を挙げて降参してきた。私は其のまま真剣な顔になって、視線を合わせて尋ねた。
「クリーミア王女の為に死のうとするのは如何して?」
「・・・・・・王女の為では無い。私はあの様な剣を使って行われる企みを潰したいだけだよ。如何考えても国の為になりそうにないからな」
「そう、なら国と家族、今はどちらを取るの?」
「・・・・・・・あの時から五年、国にはもう十分尽くしたと思っている。だから今は求められていなくても家族を大事にしたいと考えている。だが私は生涯蒼王国に剣を向ける事も、不利益になる事も出来ない」
毅然とした態度で答えるジェスター将軍に、私はパタパタと手を振って答えた。
「違うわ、別に貴男になにかして貰おうと思っていないの。ただ貴男と家族の未来の選択肢を一つ提示したかったのよ」
「・・・・・・・・・」
「此のままだと貴男も家族も無事に済みそうには無いわ。だから此方に亡命しない?」
「亡命だと・・・・・・・・・」
国を捨てろと言われて顔を赤くするジェスター将軍に、私は冷静に頷いて答えた。
「ええ、そうよ。ベルサーヌさんの後ろに居るのが誰かは知らないけど、貴男一人ではどうにも出来ないでしょう。死ぬより亡命して安全の確保と機会を待つべきではないかしら?」
「機会だと?他国で機会があるとでも?」
「今度クリーミア王女が交渉でリラクトンに来るわ。其の時に私はまず真紅の剣の破壊を試みる心算よ」
「破壊だと?不可能だ。私も真っ先に考えたが、あの剣は認識し辛い上に、普段は異空間にしまわれている。しかも素材が何で出来ているのか分からず、その強度は神金並みに桁外れだ。更には根拠のない情報だが、破壊されても再生すると言うのを聞いた事がある」
「心配は分からなくもないけど、龍人のお兄ちゃんなら破壊出来ると思うわよ。其れに破壊出来なくてもお兄ちゃんが作った空間に封印する事は可能だと考えているの。どう?協力する心算はない?」
「・・・・・・・・・・私に何をさせる心算だ。お前達の力なら私の協力など必要ないだろう」
「私はクリーミア王女の傍にいた貴男の意見が聞きたいのよ。私達では気づけない事に気付けるかも知れないしね。それに他国の王女を襲うも同然だから失敗は許されないし、成功したとしても釈明の必要もあるでしょう。其の時真紅の剣を失ったクリーミア王女が協力的なら良いけど、そうじゃ無かったら貴男に動いて欲しいのもあるわ。無論その時は命懸けになるわよ」
「・・・・・・戦争を回避する為と思って良いのか?」
「そうよ」
「戦争が嫌なら真紅の剣には関わらずに放って置いても良いんじゃないのか?」
「・・・・・・・・まだ仲間でもない人には詳しい事は言えないけど、私にはあの真紅の剣を放って置く心算はないの。交渉に向かって対面した時に問題が起きたのよ」
ジェスター将軍は私の顔を見つめて顔を顰めると、下を向いて深く考え込んでしまった。そして其のままの状態で絞り出す様な声を出した。
「一日・・・・・・・一日時間をくれないか・・・・・」
「・・・分かったわ。此方もお兄ちゃんに許可を貰わないといけない事もあるから、それが終わったらまた此処に来るわ。それまでおかしな事はしないでよ」
「ああ、次に話す時まで大人しくしている事を誓おう」
ジェスター将軍は下を向いたままだったが、その声音が確りとした意思の籠った毅然としたものだったので、私は何も言わずに踵を返して皆と共に部屋を出た。
砦の自室のベットに跳び込んだ私に、フレイが心配そうな声を掛けてきた。
「カリーナ、大丈夫ですか?将軍の話を聞いた時震えていたでしょう」
「・・・・・・・・・まあ、あんな話を聞かされたらね」
「家族を大事に思うカリーナだから、話を聞いて真紅の剣の力を嫌悪するのは分かりますが、無茶はしないでくださいね」
「無茶はしないわ。でも私は家族の絆を壊す様な力は絶対に認められないし、将軍がされたようなはめられ方は許せないわ。だから私は大きなお世話だとしても、将軍の家族を何とかして必ず剣を破壊する事に決めたわ。それにクリーミア王女は私と同じ顔だし、どうも嫌な感じが全身に纏わり付く様に消えないのよ」
私の力強い断固とした言葉と腕などを擦る行動に、皆はそれぞれの表情を浮かべて頷いてくれた。私は皆の表情が否定的なものではないのを嬉しく思って見ていたのだが、タマミズキの表情の中に微かな懸念がある事に気付いた。そして部屋に入る前のタマミズキの様子を思い出した私は、率直に尋ねてみる事にした。
「タマミズキ、何か気になる事でもあるの?」
「・・・・・クスクス、カリーナに気取られる様では、私も悪狐としてまだまだですわね」
「あのね、タマミズキ・・・私は真剣な・・・・・」
「分かってますわ。でも答えられないのです。剣に意思があると言う言葉に気になる事はありますが、それは天狐の女王の許可なしに告げる事は出来ません。だからクリーミア王女との交渉をする前に天狐の里に向かう事を提案します」
「・・・・・それほどの事なの?」
「杞憂の可能性が高いとは思いますが、一つ該当しそうな物を天狐は知っています」
「そう・・・・・・・・ルードル悪いのだけど・・・・」
「皆まで言わなくていい。すぐにロベールに此処までの状況を伝えてこよう」
「いえ、明日になってからで良いわ。その代りバルクラント卿を乗せてリラクトンに行って。もうすぐ貴族を集めた会議があるでしょう」
「・・・主の命なら仕方ないな」
「ごめんね、ルードル。それで着いたらお兄ちゃんに蒼王国の中に入って行動する許可を貰って来てくれるかな。ばれない様に侵入してジェスター将軍の家族を確保したいのよ」
「自分で忍び込む心算なのか?」
「ええ、其の心算よ。ふふふ、実は暗器の使い方と一緒に、こっそり部屋や屋敷の侵入方法も教わったのよ」
「悪狐として気持ちは分からなくもないけど、いやに嬉しそうね、カリーナ。ロベールが今の姿を見たら眉を顰めますわよ」
「ウッ、お兄ちゃんの事を出すのは卑怯よ、タマミズキ。私はただ教わったけど使う機会がなさそうだった技術が使えそうだと思っただけだもの」
「カリーナ、そんなにニマニマした笑顔で言っても説得力がありませんわ。それに私は傍に居たので怪盗の出る本を読んでいたのを知っていますわ」
「こらフレイ、それは内緒だと言ったでしょう」
「あらあらあら、何か楽しそうな隠し事の匂いがしますわね」
「なな、何もないわよ。其れよりジェスター将軍は全てを話してくれたと思う」
私が真剣な顔になって話題を変えると、皆は目を細めて頷き合った。
「真紅の剣の能力があれだけだとは思えませんし、その事に将軍が気づいていないとは思えませんわ。それに家族を気にしているのも本当でしょうけど、語った言葉とは裏腹に今も国に対する忠誠心や使命感の方が高そうですわ」
「私もそう思うわ。付け足すなら、死のうとしたのも家族の為では無く国の為だと思うわ。そして十中八九何かを掴んで焦っているわよ」
「だろうな。自ら死を選ぶなど尋常な事態とは思えない。かなり追いつめられているのだろうが、あの男は僕達を信用していないから助けを求めないだろう。そして一見すると大人しく聞きたい事を話した様に見えるが、重要な事は話していないはずだ。大人しくしていると言っていたが、やはり気づかれない様に監視して置くべきだろう」
「・・・ヤッパリそうよね・・・私としてはさっき聞いた話は、嘘ではないと思いたいんだけど・・・・」
厳しい意見を述べる、フレイ、タマミズキ、ルードルに私は何とも言えない微妙な表情で呟いていた。
「残念ですけど、将軍の話は要領が悪いものでしたわ。ハッキリ言って私には隠し事をする為にそうなったとしか思えませんわ」
「同情出来そうな部分もある話だったけど、それはそれ、これはこれよ。きちんと分けて考えないと真実は見えて来ないわよ」
「そうだな。それに抑々何で大討伐に失敗したんだ?不確定領域に詳しい僕としては其処が分からない。月に一度の大討伐は確かに危険だが、幾ら人間とは言え、軍隊を出して守れないものなのか?通常外に出てくるのは数が多いだけの小物のはずで、それにしては聞いた被害が大き過ぎるとは思わないか?」
「・・・・・・・・・そっか、毎月の事だと考えたら確かに被害が大き過ぎるわね。毎度毎度そんなに被害を出していたら、すぐに全滅してしまうわ。それにさっきの話にはランカーが出てこなかったわ。赤帝国ではランカーが大討伐の主力だったはず、蒼王国では違うのかも知れないけど、戦力が少なかったのなら補充の為に、ランカーや戦える人を集めるはずよね?」
「ええ、そうですわね。いくらギルドが怪しい組織とはいえ、町などの拠点を失うのを黙って見ているとは思えません」
フレイの言葉に皆が同意して頷いた。その後すぐにタマミズキが手をパンと叩いて納得顔で楽しそうな声を出した。
「ああ、それでさっき確保と言ったの。カリーナもロベールがいないと考えが殺伐としているわね。クスクスクス」
「ちょ、何が言いたいのよ、タマミズキ」
「もう、とぼけなくてもロベールに告げ口したりしませんわ。危険な状況にありそうなジェスター将軍の家族を助けるのではなく、五年前の真実を暴く為に確保するのでしょう。カリーナの本音が透けて見えますわ」
「ちょ、違うわよ」
「またまた、家族を確保した後ならジェスター将軍も喜んで真実を口にしてくれるかも知れませんし、まさに一石三鳥の良い手ですわ。悪狐の私が褒めてあげましょう」
「成る程、表向き家族を助けて恩を売り、その家族から真実を聞いて話しの裏をとり、更に裏では実質、家族を人質にして更なる情報を得ると言う事か。むう、主はなかなかのやり手だな」
「ななな、何言ってるのよ。私は其処まで考えて無いわよ」
「・・・・・・・カリーナ、語るに落ちていますわ。其処までじゃ無ければどこまで考えたのですか?」
「ナッ、フレイまで・・・・。私はジェスター将軍が前に浮かべた深い諦めの表情が、家族との絆の修復を諦めた様に感じて気に入らなかっただけよ。其れに早急にクリーミア王女の事を知らないと、今後の行動に差し障るんだからね。ほんとにもう、みんな知らないんだから。今日は色々あって疲れたからもう寝ます。お休みなさい」
ベットに居た私は其のまま掛け布団の中に入って、ふて寝をする事にした。疲れの所為かすぐに眠ってしまった私の夢の中に、お兄ちゃんと赤黒い靄が出てきた様な気がしたが、朝起きた時にはどんなものだったか忘れてしまっていたのだった。
「クス、眠った様ですわ。・・・・・でも魘されてますし、起こした方がいいかしら」
「私がついていますから気にしなくて良いですわ。魘されているのはクリーミア王女との共鳴と、ジェスター将軍の家族の話で精神的に疲れている所為でしょう。だから起こしても同じ事になると思いますし、そのまま見守りましょう。酷くなって本当に不味い時は、私が力を使ってでも何とかしますから」
「忌々しいがロベールが此処にいない以上、それが無難だろうな。僕達ではまだ主のこういう時の支えと癒しにはなれない」
憮然とした表情のルードルが小声で言い放つと、目を細めたタマミズキが冷たい声で告げた。
「今日は失態ね。私達が付いていながらカリーナに精神攻撃を受けさせて、倒れるさせるなんてありえないわ」
「そうですわね。他にもクリーミア王女の顔や真紅の剣の事など色々ありましたし、気を引き締め直さないといけませんわ」
「ああ、ロベールがいない間に何かあったら合わせる顔が無いし、任せておけと言った僕は確実に殺されるぞ」
ブルッと体を震わすルードルの姿に私が苦笑していると、タマミズキが窓から外を見て薄らと笑った。
「フレイ、ちょっと出かけて来るわ。お客さんみたいなの。流石に今日は目障りだから警告してくるわ」
「待て、僕も行こう。明日バルクラント卿を乗せるのなら大きくならないといけないからな」
「食事ならカリーナが出してくれますわよ」
「いや、任せて置けと言っておきながら、守る事も出来ずにいる今は、主の世話になるのは止めて置く。空腹を抱えて獲物を狩るくらいの自分への罰は必要だ」
「・・・・・そうですか。では私はカリーナの傍に居ますのでよろしくお願いします」
タマミズキとルードルは私に一度頷くと、音も立てずに窓からヒラリと飛び出して行った。
「こんばんわ、良い月ですわね。でも私は無粋なお客さんの所為で気分が台無しですけど・・・」
「ナッ、何時の間に接近したのだ?」
「天狐の私が気配を消して近づいたのです。貴方達如きが気づける訳無いでしょうと言いたかったのですが、一人だけ勘の鋭い人に逃げられてしまいましたわ。クスクスクス、その分まで貴方達には此の苛立ちをぶつけさせて貰いますわ」
私は私達が砦から出た瞬間に、別の場所に一人だけでいた男が、踵を返して逃げ出した事を思い浮かべながら、水の魔法で無色透明な九つに分かれた鞭を作った。そして無雑作に右手を一閃すると、一番近くにいた男を細切れに切り刻んだ。
「ヒィィィィィ、何だ?何をした?クッ、撤退しろ。其々別の方向に逃げるのだ」
一人の男が自然と出た悲鳴を押し殺しながら、皆に指示と飛ばすと一斉に行動を始めた。しかし私は慌てる事無く手を返して鞭を素早く振るった。すると鋭く尖った鞭の先端が、逃げる男達の背中にブオンと音も立てて迫り、ドスっと突き刺さった。
「グァ・・・・・・」
「おのれ・・・此れは鞭か・・・・」
「まさか、私から逃げられると思っているのですか?だとしたら見縊っていますよ。其れと動かない方が良いですよ。動けば体に刺さった鞭が動いて、最初の男の様になります。さて理解したら目的を聞かせて貰いましょうか?大人しく言うのなら命だけは助けてあげますわ。クスクス」
私が動けない男達の前に移動して冷たく告げると、一人の男が嘲る様に言い放った。
「誰が言うか、我ら・・・・」
私が躊躇なく反抗的な男を細切れにすると、辺りは恐ろしい程の静寂に包まれた。そして体を刺されたままの男達は、誰もが私をマジマジと見つめて脂汗を流していた。
「今の私は不機嫌ですわ。だからくだらない言葉を聞く積りはありませんの。さて残りの人達は喋る気はありますか?」
「「・・・・・・・・・・・・・・・」」
無言で私を睨み付ける男達の顔をじっくり眺めた私は、一番喋りそうな一人の男を選んで、他の者達をその男の目の前で一人一人切り刻んでいった。断末魔が響く度に選ばれた男は顔色を変えて、自分以外の全てが息絶えた時には、冷静さを失って狂乱しかかっていた。そんな男の耳元に、私は優しく囁いた。
「さあ、もう他の者は見ていませんわ。今なら話しても分かりませんわよ」
お互いの視線がぶつかって暫くすると、狂乱しかかっていた男の瞳に理性の光が戻ってきた。そして残された男は視線を周囲に向けておどおどしながら口を開いた。
「俺は砦にいる女を探れと言われただけだ」
「女?名前は?」
「分からない」
「死にたい様ですわね」
「本当だ。俺は今回の仕事が二度目で、大した情報は知らないんだ」
「なら知っている事を話しなさい」
「・・・・・・・・・・そそ、そうだ。確か、似た女の素性を探ると言っていた。俺は最初の仕事の時の様に、てっきり弱みを握るか身内をさらうかすると思っていた」
「・・・・・・・・・・そう、他には?」
私が湧きあがる怒気と殺意を隠して尋ねると、男は首を振りながら叫ぶ様に答えた。
「もう知らない。俺は下っ端なんだ。助けてくれ」
「誰に頼まれたのかも知らないのですか?」
「知らない。いや、他の奴が何時もの女と言ったのを聞いただけだ。本当だ、助けてくれ」
ジッと叫ぶ男を見つめた私は、もうこれ以上得る物は無いと悟って、隠していた怒気と殺気を解き放った。そしてピタリと凍り付いた様に動かなくなった男に、冷酷な微笑みを浮かべながら冷淡に告げた。
「クスクスクス、最後に面白い事を教えてあげるわ。貴男が言った似た女は私の仲間で友人なのよ」
状況を理解した男が真っ蒼になりながら叫んだ。
「待て、約束はどうなった。お前は天狐じゃないのか?」
「ごめんなさいね。私は天狐だけど悪狐なのよ。そして蒼王国の者ならミズキ姫と言えば分かるでしょう」
愕然と目を見開いて私の顔を見つめ、徐々に恐怖と嫌悪の感情を浮かべ始めた男に、蕩ける様な笑みを浮かべて囁いた。
「理解した様ね。それじゃあ、さようなら」
目を見開いたままの男を念入りに細切れにして周囲を見回していると、大きくなったルードルがやってきて沈んだ声で話しかけてきた。
「すまない、逃げた男を逃がしてしまった」
「・・・・・・何ですって?魔狼から逃げられる様な戦闘力を持っていたの?」
「いや、戦う事は出来なかった。まず逃げた先に男の仲間がいて、しかもどうやったのか知らないが、キルグス虎を数十匹従えていた」
「・・・・・キルグス虎は獰猛で肉食よ。そいつ等よく食われなかったわね」
「確かに・・。僕も目にした時は、一瞬目を疑ってしまった」
「しかし解せないわね。いくらキルグス虎でも魔狼の貴男の敵では無いでしょう」
「ああ、襲い掛かってきたキルグス虎は、大きくなって全て返り討ちにして一部は食糧になってもらった。そしてキルグス虎をけしかけてきた男達の処分を含めても、其処までにかかった時間は精々六半クーラが良い処だ」
「なら例え一時的に見失っても、魔狼の嗅覚なら十分追えるし、追いつけたでしょう。どうして逃がしたの」
「ああ、僕は大きくなったまま追跡したんだが、途中で何度も魔獣が障害として立ち塞がって煩わしかったので、真っ直ぐ追うよりも先回りした方が良いと考えてしまった。そして逃亡しようとしている方向に見当を付け、そちらに回り込んで水辺にまで追い込んだのだが、逃げた男は魔蟹を盾にして僕の目の前で川に飛び込んだんだ」
私はルードルの悔しそうな顔をマジマジと見つめて、其れが本当だと確信すると、流石に動揺を隠せなかった。川や湖や海などの水に飛び込むのが人間にとって自殺行為なのは、ファーレノールの常識と言って良かった。誰でも普通に考えれば、男は魔魚に食われて死んでいると判断するはずだった。
「ルードルは男が生きていると考えているの?」
「ああ、必ず生きていると思う。魔獣や魔蟹を障害や盾にするくらいだから、魔魚もどうにか出来ると考えている」
「考えたくない事態ね。水辺を警戒するなんて意味が無い上に、魔魚がいて危険すぎるから、今まで無警戒だったのよ。これじゃあ、龍を置いて閉鎖する心算だった、根本的な国境の防衛計画が破綻するわよ」
額に手を当ててため息を吐く私に、ルードルは淡々と告げた。
「それは仕方ないだろう。むしろ早く気付いてよかったと思うべきだ。封鎖した心算になって敵が悠々と移動していたのでは、笑い話にもならない」
「そうね。流石に今日はもう来ないだろうから、明日の朝一で対処しましょう」
「そうしてくれ。あの男は全く躊躇せずに川に飛び込んでいたし、あれは一か八かと言った雰囲気でもなかった。それに暗い上に一瞬だったので確証はないが、僕を見て嘲笑った様に見えた」
最後の言葉と同時に、ルードルの全身から獰猛な雰囲気が漂い始めたので、私は素早く次の言葉を口にした。
「そう、分かったわ。私は戻ってフレイに結果を伝えるけど、ルードルは如何するの?」
「僕は当初の予定通り食料を探しながら、残っているかも知れない魔獣の掃討をする。主が目覚める前には戻るから、そう伝えてくれ」
「分かったわ。それじゃあ、此処で」
私は獰猛な雰囲気をまき散らしながら狩りに行くルードルを見送ると、心の中でそれじゃあ獲物が逃げるわよと呟いた。そして一人夜空の月を見上げながら、ゆっくりと砦に向かって歩き始めた。過去に悪狐として活動していた時に呼ばれていた名前が今も通じる事に葛藤する私には、肌に当たる冷たい夜風が心地良く、今も昔も変わらない頭上の月が眩しく映っていた。
次話の投稿は2月2日までにする予定です。次話もよろしくお願いします。




