契約者達と交渉の影響
「香織、此方の手紙は情報が古いから役に立ちそうにない。そっちは如何だ?」
「・・・・・・・・お祖母ちゃんが私に会いたいと書いてある。しかもお兄ちゃん抜きで。お父さんとお母さんの死について話したいだって・・・・」
直哉の部屋のベットに座りながら回収した手紙を見ていた俺達だったが、香織の言葉に俺は舌打ちしそうになった。シグルトとフレイも平静を装おうとして失敗していた。
「へえ、俺を抜きとは警戒されているのかな?香織、出来れば・・・・・」
「お兄ちゃん抜きでは会わないから安心して良いよ。後お兄ちゃんが隠している事も今は聞かない。もっとも狙撃銃なんて言葉が、交渉で平然と出てくるのを考えれば、嫌な話しか思い浮かばないけど」
「・・・・・・・・・・・・・・」
無言になって顔を顰めながら、どう話そうか悩んでいると、香織が俺を労わる様な微笑みを向けてきた。
「そんなに悩まなくても良いわ。別れる前のお母さんにも言われているから、本当に我慢できなくなった時は、私の方から尋ねるわ。それにお母さんから何年もかけて、お兄ちゃん専用の嘘の見分け方と交渉術などを教わっているから、いざと言う時はね・・・・・・・」
香織の微笑みは何も変わらなかったが、最後の言葉に黒い気配を感じずにはいられなかった。先程母さんにケーキを買う事を約束させられた父さんの姿が、俺の脳裏に浮かんで消えなかった。
「其れより、お兄ちゃんも分かっているよね。帰った時もだけど、ここ最近のお父さんとお母さんは、明らかに私達に気を使っているわ」
「ああ、分かっている。向こうから帰って来てからだから、確実に俺達が人を殺した事が原因だろうな。香織の方はあれから何か心身に変調があったか?」
「・・・・・・・お兄ちゃんに嘘を言いたくないから言うけど、お父さんとお母さんと別れてから、夜に部屋で寝ていると思い出してしまうわ。心にじわじわと沁み込んでくる様な感じがして、フレイが居なかったら、うなされているかも知れないわ」
「そうか・・・我慢出来なくなる前に俺を頼ってくれよ。香織の話を聞く時間ぐらいは何時でも確保しているから」
「心配してくれてありがとう、お兄ちゃん。でもフレイもいるから大丈夫よ」
「そうですわ。香織には私が傍に居ますし、本当に危険だと判断したらすぐに伝えますわ。寧ろ今は直哉の方が色々あって大変でしょう。直哉の方こそ如何なのです?」
「・・・俺の方は武俊さんと会った時の対応を考えるのに精一杯で、ずっと気を張っていたからか、ふとした瞬間に思い出しただけだったよ。でも其れも今日終わって気が抜けたのか、今一気にドッと疲れが出てきているみたいだ。それと武俊さんの暗い視線を見て、向こうの戦場で恨まれた時の事を思い出した。その所為で情けない話だが今頃、手が震えている所だ」
香織に見せた俺の手は微かに震えていた。その手を香織がそっと握った事で、すぐに震えは止まったが、その結果には我が事ながら苦笑が漏れた。自分から見せて置きながら、震えが伝わる事を良しとせず、見栄を張っているのだ。俺が其のまま時が流れるに任せていると、香織が何かを思いついたらしく尋ねて来た。
「ねえ、お兄ちゃん。ふと気になったんだけど、伯父さんに水無月家の事を誤解させているのは、如何言う心算なの。何時ものお兄ちゃんなら私に力が無いように見せて、危険から遠ざけようとするでしょう」
「・・・・・確かに危険は考えたんだが、理由を聞かれたら許嫁の事を話さないといけなくなる。でもまだ許嫁の事だけは教えたくなかったんだ。其れは今後の集まりの場で、香織を結婚して手に入れようとする奴等に対しての、切り札にしようと考えているんだ。それに他にも相手の行動に合わせて対抗手段を色々考えている所なんだ。今回の交渉で予想外だったのは、他の始名家の干渉が異常なくらい早い上に、タイミングが良すぎるんだ」
「タイミングは私の事だよね。私が初めて表に出るから混乱が起きる・・・・。でも早いと言う意味が分からないわ。前から水面下で話していたんじゃないの?」
「いや、前からなら名家を嫌っている武俊さんが気付けないはずがない。実際に一日で方々から情報を集めたと言っていただろう。となると気づけない程の短時間で全てが仕組まれた事になる」
「・・・・・・・・お兄ちゃんはまさか・・・・・」
香織が何かに気付いた様で、真っ蒼な顔になって動揺していた。
「気づいたか?先程の貴志さんと美夜さんへの指示は此れが理由だ。俺は須王家の現当主とその妹を疑っている。須王家と外狩家の当主同士で話がついているなら、この異常な早さの理由がつく」
「待ってください、直哉。外狩家は須王家を乗っ取る心算なのでしょう。なら須王の当主が其れを良しとするはずがありませんわ。其れは例えると、炎鳥の王が炎鳥を売り渡す様なものでしょう。もう一度言いますが、あり得ませんわ」
何時になく激しく否定するフレイの姿に、俺は王女として絶対に信じたくないと言う思いが痛い程感じられた。
「俺だって信じたくないが、そう考えるのが現状では一番可能性が高いんだ。そしてこの事態は如何転んでも香織が無関係で居られるはずが無い。だから俺はいざと言う時の為に、考えられる最悪の状況に対処出来る様に行動している」
「でも僕には動機が分からないんだ。直哉は何か思い当たる事があるのかな?」
「いや、今は情報が無さ過ぎる。認知症と言われているが、それすら本当か分からないんだぞ。兎に角、水無月家の情報待ちだ」
部屋に重苦しい沈黙が訪れた。そして暫く皆が其々の思考にとらわれていると、ガチャと音をたてて部屋のドアが開いた。皆が音に驚いて視線を向けると、タマミズキとルードルが入って来た。
「報告に来ましたわ。私の方は今日も何事も無く過ごしていますわ。あまりにも暇なので魔法陣の開発をしていたら、此方の世界のカードに似た機能になる魔法陣の開発に成功したわ」
「なに、本当か?本当ならその魔法陣を教えてくれ。国民に持たせる身分証明などに使うカードが作れるかも知れない」
「クスクス、欲しいですか?欲しいですわよね。なら対価が必要ですわ。新しい国の王宮が出来たら、私の住む部屋を作る許可が欲しいですわ」
タマミズキの笑い声は明らかにからかう時のもので、何かを企んでいるのが筒抜けだった。俺がその態度に躊躇していると、タマミズキは得意げに機能を説明し始めた。
「此の魔法陣を刻まれたカードは、個人情報の全てと此方の銀行の様にお金の出し入れが出来ます。しかも一度完成すると偽造も不可能です。更になんと魔力を込めると、身を守る障壁と登録した相手のカードの場所が分かる機能つきですわ」
「グッ、欲しい。だがあの顔は・・・・・・・・・・」
混沌獣の時に酷い目に遭った俺の中の警鐘が激しく鳴り響き、長い葛藤の末に残ったのは躊躇だった。その様子を見たタマミズキは、魔法陣を手の平の上に投影させて見せびらかすと、見た者の心が蕩ける様な笑みを浮かべて止めの言葉を告げた。
「人間の魔力を基準に作りましたけど、強化魔石を使えば機能を増やせますわ。そして直哉の力を使えば通信も可能かもしれませんわ」
「・・・・・・・・俺は許可するが、リグレス公爵達に話さないといけないから、本決まりじゃないぞ」
「構わないわ。直哉の許可さえ手に入れば、後は私が如何とでもして見せるわ。フフ、じゃあ先に渡して置くわ。直哉の場合は渡して置いた方が効果的だもの」
タマミズキは抵抗する暇すらない速度で、魔法を使って強引に知識を渡してきた。その素早い行動は前言を翻す事を恐れた様に感じたが、魔法をかけられた所為であの痛みを思い出した俺は、楽しそうなタマミズキに引きつった顔しか返せなかった。
「大丈夫よ。今のは改良した新魔法だから痛くならないわ。・・・もっとも本格的にかけるのは初めてだけど・・・・・・」
「おい待て、途中から聞こえないぞ。何を言った?」
後の言葉が小さくて聞こえなかった俺は、聞き返したのだが愛想笑いしか返ってこなかった。聞こえたらしいシグルトとフレイの視線が、俺を憐れんでいる様に感じられるのが不安を誘った。
「次は僕の報告だな。二日前から数名の直幸を窺う視線を感じていたが、敵意は感じられなかったので放置していた。そして今日一人の女性が直幸に接触して手紙を渡していた。受け取った直幸は激しく動揺していたが、女性は顔見知りの様だったので放置した」
「・・・・・・・そうか、危険がないなら其れで良い。必要があれば父さんから話すだろう」
「女性か・・・お母さんには話したの?ルードル」
「うむ、主よ。ちゃんと話して置いたぞ。如何やら心当たりがある様だった」
「そう。なら良いの」
「おいおい、まるで父さんの素行調査の様な会話だな」
「うん、そうだよ。いい機会だからルードルに頼んでおいたの。お母さんにも好評だよ」
当たり前の様に話すその顔を、俺がまじまじと見て冷や汗を掻いていると、香織が微笑みながら目の前でわざとらしくシグルトを一瞥した。その動作で俺はシグルトが香織に報告している事を思い出してしまった。色々あって忘れていたのに思い出してしまった俺は、一気に脱力してベットに倒れ込んでしまった。
「はあーーー、思い出したくなかった。色々あって疲れていたのに止めを刺された気分だ。もう此のまま休みたい」
「其れじゃあ休もう、お兄ちゃん。今日は私も此処で休みたいな」
「はあ?なに言って・・・・・・・・・・香織・・・・・」
唐突に服を掴んで来た香織の手が小刻みに震えているのに気づいた俺は、心の中でまだまだ配慮が足りないなと自嘲していた。両親に会っていたおかげで暴走こそしなかったものの、今日得た情報から嫌な事を想像した以上、心を乱すのは当然だった。先程俺に聞かなかったのには、真実を知る事の恐怖もあったのだろう。俺が如何しようか迷って黙っていると、香織が小さな声で話し掛けて来た。
「お兄ちゃん、私の言う事を何でも聞いてくれると約束したよね」
「いや・・・でも・・・あれは・・・・・・・・・。分かったよ。今日だけだからな」
上目使いで見つめて来る香織に白旗をあげた俺は、周囲で様子を窺っている皆に目配せして、二人でベットに横になった。するとすぐにシグルトが飛んで行って明かりを消してくれた。流石のタマミズキも口を挟まずに、狐の姿になってルードルと共に大人しく床に丸くなった。
「昔を思い出すね、お兄ちゃん。お父さんとお母さんが死んだ時も、こうやって一緒に眠ってくれたよね」
「あの時の思い出は、力一杯しがみつかれて苦しかった事しか思い出せないな」
「ムッ、良いじゃない。あの時の私は、お兄ちゃんの温もりと香りに包まれていると、一人じゃないと思えて安心出来たんだから」
「この前臭うと言われたばかりだから、素直に喜べないな」
「大丈夫だよ。今も昔も変わらないよ。こうしているだけですごく安心出来るもの」
香織が昔の様にギュッとしがみついて来たので、俺はその感触に動揺してしまった。
「香織、苦しいから離れてくれ」
「ごめん、お兄ちゃん。安心したら眠くなって来た。お休み・・・・」
香織が其のまま寝てしまい、その安心しきった寝顔を見て俺は、心の中で深いため息と共に昔と今では違うんだぞと思っていた。そして其のまま香織を起こさない様にジッとしていた俺だったが、寝ようとしてから一時間経っても眠気が来なかった。
「なあ、眠気が来なくて寝れないんだが・・・・・・・」
「香織の為です。諦めてください」
「僕も今日は仕方ないと思うんだ」
「主の為に役立つのだ。大人しくしていろ」
「クスクス、まだまだお子様ね、直哉」
皆の返事は予想通りで、やっぱそう言うよなーと思いながら、俺の長い夜が始まった。
「おい直哉、大丈夫か?明らかにふらついているぞ」
「ああ、大丈夫だよ、父さん。良く寝れなかっただけだから・・・」
「ふふふ、香織の方は元気そうね」
「うん、昨日は久しぶりに心地良く眠れたわ。自分の居場所も再確認できたし」
「あらあら、それは良かったわね。でも何か困った事があったら隠さずに言うのよ。大人の女として色々教えてあげるから」
「あははは、お母さんまだそこまで進んでないわ」
「あらそうなの?残念だわ」
俺を見た母さんの視線が、駄目な子ねえーと言っている気がした。そしてタマミズキが微笑みながら、母さんの耳元で囁いているのが嫌な感じだった。
「香織、昨日の今日だから、騒ぎは収まってないのが目に見えている。今日は早く行くぞ」
「うん、そうだね。お兄ちゃん」
俺達は素早く朝食を食べると、恐る恐る学校に向かった。
学校は魔窟と化していた・・・としか言えない状況だった。今も俺を見てひそひそ話す声が其処ら中で聞こえて来ていた。不幸な事に契約者になった所為で聴力もあがったので、聞きたくなくても聞こえてくるのだ。
「直哉、大丈夫か?」
「今の俺が大丈夫に見えるなら眼科に行ってくるべきだな。明人」
「ククク、まあそうだろうな。最新の噂だと、沙月さんとあの美女と妹の三人に手を出して、修羅場になったそうだぞ。昨日は親まで出てきたので、ついに逃げられずに責任をとらされたそうだ」
「・・・・・・明人・・・お前は知っているだろが」
俺の怒気を感じた明人は真面目な顔になって告げてきた。
「安心しろ。明美と共に香織ちゃんに頼まれて動いているから。来週には少しずつ落ち着くはずだ」
「だと良いんだがな。はあーーー」
俺があまり期待しないで返事をすると、明人が肩を竦めて小声で話し掛けて来た。
「噂の方は兎も角、沙月さんがピリピリしている理由に心当たりはあるか?なんでも今日は朝から機嫌が悪くて、誰も話し掛けられないそうだぜ」
「噂の所為じゃないのか?」
「其れなら良いんだが、俺が遠目に見た様子だと周囲を警戒しているみたいに感じた」
「・・・・・・・昨日俺達が帰った後に、何かあったのかも知れないな。分かった気を付けておく」
俺がそう言った時に教師が入ってきて皆に声を掛けた。ようやく次の授業が始まり、シーンと静かになった教室を見て、俺はホッと一息ついて授業に感謝していた。
学校から出て駅まで歩く道で、俺は言葉に出来ない解放感に包まれていた。
「フゥ、此処までくれば安心だな。やっと魔窟から解放された」
「ふふふ、今日のお兄ちゃんは素早かったよね。私の手を掴んで一気に校門まで走り去ったし」
「仕方ないだろ。あんな状況の学校では気が休まらないんだ」
俺は心底うんざりして疲弊しているのに、香織の方は余裕が感じられ、更に何所となく楽しそうだった。
「ふふふ、皆お兄ちゃんの行動に唖然としていたわ。あれじゃあ、また新しい噂が生まれるわよ」
「今更一つ二つ生まれた所で変わらないだろ」
憮然とする俺の顔を見て香織が可笑しそうに笑っていた。シグルト達も笑っていたのだが、フレイが最初に表情を一変させて、静かだが重たい響きの警告の声を出した。
「直哉、分かっていますわね」
「ああ、シグルト、何人か分かるか?」
「人数は十数人ぐらいだと思うんだ。つけられているのは何時もの事だけど、今日は害意を感じるんだ」
「そうみたいだな・・・・今俺が感じているピリピリした雰囲気は、襲う機会を窺っている証拠だろうし・・・・はあー、仕方ない・・・無関係の人を巻き込めないから、近くの小さな空き地に向かうぞ。全員が入ったら隔離して戦闘だな」
「分かったわ。ねえ、お兄ちゃん。何所の手の者だと思う?昨日の今日だからやっぱり伯父さんかな?」
「関係が変化したのは確かだが、武俊さんはいきなりこんな行動に出る様な性格じゃないし、何より直接襲うのは失敗した時のリスクが高い。まだ追いつめられてもいない内から、そんな危険な賭けは出来ないだろ」
俺と香織は話しながら道を突然変更して右に曲がった。するとやはり数人の人間が足早に右に曲がって来た。
「尾行は得意じゃなさそうだな。フレイ、他の奴らは如何している」
「駅に行くと思っていたのが外れて、慌てて先回りしようと走っていますわ。それと直哉、問題発生ですわ。沙月さんが必死の形相で走って、此方に近づいて来ています」
「はあ?マジで?・・・・それじゃ隔離出来ないだろ。俺達を守ろうとしているんだろうが・・・困ったな」
「ねえ、お兄ちゃん。敵の可能性は無いの?伯父さんとは敵対関係になったでしょう」
「其れは絶対に無い。沙月さんの性格なら、明確に敵対する事になったら、俺達に一言言ってから行動する」
「ムッ、前から思っていたけど、お兄ちゃんの信頼が高い。敵としてこの機会に排除・・・いた、いた、ごめんなさい」
香織がおかしな事を口走ろうとしたので、頭を小突いて黙らせると、ようやく見えてきた空き地に足早に移動した。そして空き地で立ち止まって待ち構えていると、十一人の男が現れて俺達を見て話しかけてきた。
「わざわざ自分からこんな人気のない所に来るとはな。待ち構えて居た所を見ると、気づいて無かった訳じゃないんだろ」
「気づいてたよ。此処に来たのは他の人を巻き込まない為だ。それより人の後をこそこそ付け回すストーカーさんの目的と、誰に頼まれたのかを教えて貰いたいな」
「ハハ、ガキのくせに落ち着いているじゃないか。だが此れを聞いても落ち着いていられるかな?何故か知らないが、お前らを守っていた奴らは今日はいないんだぜ。つまり時間を稼いでもお前らが待っている助けは来ないんだよ」
「へえ、それは初耳で以外だったな。でも俺達なら問題無いよ」
俺は余裕の態度を見せながら、小声でシグルトに話しかけた。
「此処に居るので全員か?」
「二人の男が遠くで様子を窺っていて、何所かと話しているみたいなんだ」
「・・・・・近寄って来る沙月さんを止めようとした様ですが、隙を突かれて突破されたと言っていますわ。一分もしないで此処に来るみたいですわ」
「それならフレイとシグルトは、遠くに居る二人と沙月さんが突破した奴らを倒してくれ。此処は俺と香織でやる」
「僕達の戦う姿は見せられないし、分かったんだ」
シグルトが返事をしてフレイと一緒に去ったのと入れ替わりに、沙月さんが肩で息をしながら駆け込んできた。
「直哉様、香織様、ご無事ですか」
「慌てないでもこの通り無事だから安心しろ」
「チィ、足止めに失敗したのか?あの馬鹿共が・・・・。お喋りは終わりだ。三人は向こうの相手をしろ。残りは二人を暫く動けない体にするんだ」
沙月さんが戦いに入ったのを横目に見ながら、俺は香織と共に敵を迎撃した。
「悪く思うなよ坊主」
言葉と共に拳が飛んで来たが、大振りで動きに無駄が多く、きちんとした訓練を受けている訳では無い事が良く分かった。当然そんな拳が当たるはずもなく、俺は軽やかにかわすと男の腹に拳を叩き込んだ。
「ガハッ・・・・・・・・・・」
「お前こそ、悪く思うなよ。襲ってきたのはお前だ」
拳を叩き込んだまま言葉を掛けたのだが、男はピクリとも反応しなかった。如何やら既に失神しているみたいで、俺が拳を引くと体が前に傾いて、ドサッと音がして男が地面に倒れ込んだ。そしてその時には香織の方も、襲って来た最初の男の鳩尾に蹴りを叩き込んで沈めていた。
「甘いわよ。私を倒したいのならもっと鍛えてから出直してきなさい」
俺と香織の反撃に男達の目の色が変わった。男達は一端距離を取って仕切り直すと、慎重に間合いを測りながら近づいてきた。
「小娘が一人倒したぐらいで調子に乗るなよ。大人しくやられていれば痛い思いをするだけで済んだんだ。消えない傷を負って鏡の前で後悔するんだな」
香織に向かった二人目の男が後ろに手をやると、警棒の様な物を取り出して顔に向かって振り下ろした。
「女の顔に向かって何をするの。地獄に落ちて反省しなさい」
香織は素早く後ろに跳んで警棒をかわすと、左足で振り下ろされた男の右手の甲を蹴り砕いた。
「ぎゃあああーーーーー」
男の叫び声が辺りに響く中で、香織は男の手からすっぽ抜けて地面に落ちようとしていた警棒を掴み取ると、下から上に勢いよく振り上げた。ブンと音をたてた警棒は男の足の間を上がっていき、当たってはいけない所に直撃した。そして哀れな男は白目をむいて悶絶すると地面に沈んだ。
「ふん、女の顔は命と同じなのよ。当然の報いね」
冷たい口調で告げる香織に冷や汗を掻きながらも、俺は自分を襲ってきた二人目の男の腕を冷静に掴んでいた。
「グッ、離しやがれ」
「離せと言われて離す馬鹿はいないんだよ」
俺は掴んでいた腕を力一杯引くと、重心を崩して倒れ込んで来た男の側頭に蹴りを叩き込んだ。
「ガッ・・・・舐めるなよ」
頭だったので手加減したのが裏目になったらしく、男はまだ意識がある様だ。必死の形相で組みついてきた男は、俺の腰を掴んで投げようとした。
「うおおおおおおおおお」
雄叫びを上げた男の力に逆らわずに自分からも跳ぶ事で、力を上手く利用した俺は四メートル程上に投げ飛ばされた。そして空中でクルリと一回転した俺は、下に居る男の頭上に踵落としを落とそうとした。
「馬鹿な・・・・・・」
男は驚愕の声を出しながらも必死にかわそうとした。しかし完全にはかわせずに右肩の肩甲骨を砕かれてのた打ち回る事になった。余程痛いのか悲鳴が酷く聞くに堪えず、眉を顰めた俺は容赦なく止めを刺し、気絶させて黙らせた。
「ガキを痛めつけるだけだと思ってたんだが、お前ら場数を踏んでいるな。チィ、おいあれを出せ。本気で潰すぞ」
男の言葉に残った奴らの雰囲気が変わり、全員が刃物を取り出した。其れを見て何だ刃物かと言う考えとは裏腹に、俺の心臓の鼓動が煩い程に速くなった。
「此の型の刃物は製造中止になっていて手に入れるのに苦労したんだぜ。ククク、だが苦労した甲斐はあったようだな。震えてる所を見ると、体は痛みを覚えている様だな」
男に指摘された俺は、自分の体が震えている事に初めて気付いた。そして俺は言葉の意味を理解すると、歯を食い縛って震えを止めた。
「・・・・・・何故お前は刃物の種類まで知っている」
「ククク、教える訳無いだろ」
「まあ、そうだよな。だが其の刃物を出した以上は手加減は期待するなよ」
俺は男を険しい表情で睨み付けた。
私は向かって来た三人の男に道を阻まれ、戦いながら横目で直哉様と香織様が一撃で男を倒すのを見ていた。その鋭い一撃は見事としか言えない程で、此れなら私が目の前の男達を倒すまでは大丈夫だと思い、合流する事では無く倒す事に切り替えた。
「これ以上邪魔をするなら容赦はしません。道を開けなさい」
「開ける訳無いだろ。お嬢ちゃんこそ痛い思いする前に帰ったらどうだ?標的はあの二人だけなんだ」
「そんな言葉を聞けるはずが無いでしょう」
私は慎重に間合いを測りながら、一足飛びの距離まで近づいた。そして其処から一気に跳び込んで蹴りを繰り出した。
「やあーーーーー」
掛け声と共に右足を大男のわき腹に叩き込むと、すぐさま飛び退き様子を窺った。
「なかなかいい蹴りだが女だから軽いし、何より踏み込みが浅いぞ」
「・・・・・やはり貴男だけは何か武術をしていますね」
「まあ、かじった程度だ」
そう言う大男だがもし私が深く踏み込んでいたら、飛び退く前に攻撃をくらっていただろうと思えた。此の大男が居る所為で、最初の攻防では突破が出来なかったのだ。
「仕方ありません。こういう手段はあの女を思い出して嫌なのですが・・・・」
小声で呟いた私はポケットからつぶてを取り出すと男の顔に投げ付けて牽制した。そして素早く別の男に近づくと、膝を蹴り重心を崩して腕を取って投げ飛ばした。
「グワ・・・・・・・・」
呻き声を上げて地面に倒れ込んだ男の頭を蹴り飛ばして止めを刺すと、何時の間にか近づいて来て私に拳を振るう男に、後方に跳びながらポケットから取り出した香水の瓶を投げつけた。
「ふん、こんな物」
男が反射的に香水の瓶を手で払い落すと、瓶は音をたてて砕け散った。そして中に入っていた液体が気化して刺激物に変わった。
「ぎゃああああああーーーーー」
男が叫びをあげながら涙を零して目を擦っていた。此れで暫くは行動不能だと一息ついていると、つぶてで牽制していた大男が跳び蹴りを放ってきていた。ギョッとして慌ててしゃがみ込む私の頭上を大男の体が勢いよく通過して行った。
「危ないわね。・・・・実戦でプロレスの様な跳び蹴りを放つ奴は初めてよ。でも使わない理由は分かるわ」
「さてどうかな?体格を見れば分かるだろうが、小柄な奴には受け止められないから意外と有効なんだぜ。それに・・・・ハッ」
大男は着地しながら声を出し、背中に迫って攻撃しようとする私の前で、体を回転させて力を乗せた回し蹴りを放った。危険を察知した私が足を止めた目の前を、ブオンと風を切る音と共に大男の足が通り過ぎた。
「駄目だぜ。背中を見せると大抵の奴が隙だと思って攻撃してくるが、分かっていれば反撃手段はいくらでもある。まあ銃でも持っているなら別だがな。さて、つぶて程度なら顔にでも当たらない限り大した事はないし、もう瓶の攻撃も不意を付けないから無駄だぞ。まだ何か隠している手段はあるか?」
私が言葉に眉を顰めて歯噛みしてしまうと、その様子を見た大男が、まだ経験が足りないなと呟いてから苦笑して話し掛けてきた。
「その様子じゃ、何も無いみたいだな。そっちの男に投げた瓶すらもう無いんじゃないか?」
「さあどうでしょう?私に攻撃すれば分かりますよ」
「・・・何か手があるのかも知れないが、無駄に動いて危険を冒す必要は無いな。こっちは時間さえ稼げれば良いんだ。そこで提案だ。大人しくしていてくれないか?臨時の雇われの身で無駄な事はしたくないんだ。あっちもすぐに片が付くはずだ」
「聞ける訳が無いでしょう。貴男こそ雇われ者なら、其処で大人しくしてなさい」
私は残っていたつぶてを投げると、大男を迂回して直哉様と香織様の元に向かおうとした。しかし大男は慌てる事無く最小の動きでつぶてをかわすと、私と直哉様達の間に回り込んだ。
「悪いが行かせないぜ。かなり近づいた特等席で大人しく見ているんだな」
「・・・・・・・えっ・・・・嘘・・・・」
見た事が信じられずに言葉を零す私の前で、容赦のない攻撃を放った香織様に続いて、直哉様が投げられたと思ったのに空中で回転して反撃していた。その姿は余裕を感じさせ、明らかに此の状況を脅威とは思っていない態度だった。
「おいおい、唯の学生相手に何やってやがる・・・・いや・・此れは・・・・」
「状況が変わりました。逃がしませんよ、雇われの大男さん」
強い意志を込めて睨み付けながら身構える私に、大男の顔は引きつっていた。
「うふふふふふふ、私の前でまた其の刃物を、お兄ちゃんに突き付けるなんて死にたいの?それにしても、なんでまだあるのかしら?私は事件の後、製造会社に製造停止と回収を命じたはずなんだけど・・・・半端な仕事をするなんて潰されたいのかしら、あの会社は・・・。帰ったらお父さんに言って置かないといけないわね」
俺の横にいた香織が、突然聞いた事の無い身の毛がよだつ笑い声をあげた。しかも続く言葉の意味を理解してしまった俺は、冷や汗なのか脂汗なのかも分からない、じっとりした汗を全身からにじませていた。
「香織・・・」
俺が名を呼んだのと同時に香織は行動に移っていた。髪から素早く針を取り出すと、一番近くにいた男の刃物を持った手に投擲した。
「ぎゃあああああああああーーーー痛い痛い痛いーーーーー」
弾丸の様な速度で飛んで行った針が、手の甲を貫通して突き刺さっているのが見えたが、俺にはああまで叫ぶほどの大怪我には見えなかった。しかし針を刺したままの男は、顔をぐしゃぐしゃに歪め、のたうち回り、喉が張り裂けんばかりの絶叫をあげ、更には手を切り落としてくれと頼み始めた。明らかに尋常な様子では無く、沙月さん達もピタリと戦いを止め、この場に重苦しい沈黙が訪れていた。
「・・・・・此奴に・・・何を・しやがった・・・」
「私はこの針で攻撃しただけよ」
香織が新しく取り出した針に皆の視線が集まった。皆と一緒に俺もジッとその針を見つめていると、濡れているのがわかった。
「クス、お兄ちゃんは気づいたみたいね。そう、この針には薬が塗られている。効果は単純明快で痛覚を数倍から十倍近くまで高めるの」
香織の言葉にゴクリと皆の喉が鳴る音が微かに聞こえた。
「・・・・・・なんで学生が・・そんな物を持って・・・・・」
「そんな事は如何でもいいでしょう。今重要なのは、私がもう二度と見て欲しくないと思っていた刃物を、お兄ちゃんに見せた馬鹿共がいると言う事よ。如何してそんな事をしたのか聞かせて貰うわ」
「喋ると思って・・・・・」
「大丈夫よ。倒した後で私がお願いすれば、皆素直に話してくれるわ」
手に持った針を振りながら話す姿に、皆は香織が如何する心算なのかを嫌でも悟っていた。何と言っても未だに絶叫している男が居るのだ。
「じょじょじょ、冗談じゃない。こんな奴らに付き合ってられるか」
「ううううわっわあーーーーーーー」
一人が恐怖に負けて踵を返すと、もう一人も奇声をあげてもたつきながら逃げ出した。
「此処までやっておいて逃げられると思わないで」
香織が素早く手を振るい、逃げる男達の背中に針を投擲した。針は狙い通りに飛んでいき、男達の背に当たる軌道だったが、もたついていた男が運よく転んで針の回避に成功していた。
「ぎゃああああああああああ・・・・・・・・・」
もう一人の男は当たり所が悪かったらしく、悲鳴の途中でばったりと倒れ込んで動かなくなった。転んだ男は其れを見て更に怖くなったらしく、這う這うの体で必死に足を動かし始めた。
「待ちなさい」
香織が叫んで一歩踏み出すと、此のタイミングを狙っていたかの様に、最後まで残っていた男が俺に向かって走り込んで来た。
「クッ・・・・・」
「追って捕らえろ。俺は大丈夫だ。この場は任せろ」
香織が一瞬躊躇した間に男は見えない所まで逃げる事に成功していた。
「お兄ちゃんに任せた。でもそいつは命令していた奴だから手加減しないでね」
香織が去って行くのを見届けていると、沙月さんの大きな悲鳴が聞えた。
「直哉、危ない、避けてーーーーー」
「もう遅い、よそ見をした迂闊さを恨むんだな」
「お前の攻撃なんて見る必要はないんだよ」
俺はよそ見をしたまま、刃物が振られる音から位置を推測して、ひらりと危なげなくかわした。そして其のまま見ないで何度も振られる刃物をかわし続けていると、無駄を悟った男が後ずさる様に離れて行った。
「何だと・・・・・・馬鹿な・・・・・」
「凄い・・・・・・・・」
「・・・・・・・・危険が金額と合わないぞ」
この場に残った三人が三者三様の驚きの声をあげて目を見開いていた。
「さて、如何したかかって来いよ。それともお前も逃げるか?」
「ハッ、此処までやって逃げるかよ。だがこれで終わったと思うなよ。仲間が結果を伝えて・・・・」
「其れは遠くで見ている二人の事か?其れなら今頃倒されているはずだ。其れに沙月さんが突破した奴らも今如何しているかな?」
「そう言えば私を追っていた奴らが現れませんね。まさか・・・・」
「そうだよ。沙月さんには前に言ったよな。俺達には見えない護衛がいると。俺達が戦っているのに護衛は今何をしていると思う」
「チィ、そう言う事か。護衛の奴らは、俺達程度ならお前らの身に危険が無いと判断して離れたと・・・。ふん、俺達は初めから相手にもされていない訳だ」
屈辱の表情を浮かべた男は視線を周囲に飛ばすと、刃物を力一杯握り締めて叫んだ。
「俺達を舐めて相手にしなかった事を後悔させてやる。うおおおおおおおお」
雄叫びを上げて男が一矢報いようと捨て身で突撃してきた。刃物を低く両手で構えて体ごと突っ込んでくる姿を見て、昔刺された時と似ている事に気付いた。昔の記憶に体が意思に反して自然と強張ったが、俺の向こうでの戦いの経験と訓練は確実に身についていた。
「うおおおおおおおおおおお」
口から自然に雄叫びが漏れ、体の強張りが軽くなると、俺の手足は意識するまでも無く最適な行動をとっていた。左に跳んで刃物をかわすと、男の腕を掴んで引っ張り、右足で男の両足を蹴り飛ばした。恐ろしい速度で蹴られた男の足はボキッと音をたてて折れてしまったが、更に悲惨なのは腕を掴まれた状態のまま回転してしまい、肩が音をたてて脱臼した上に頭が地面に向かって落下して激突した事だ。
「ぐあああ・・・・・・・・・・」
短い悲鳴を出した男はそれっきり沈黙し、其れを見ていた沙月さんは真っ蒼になってしまった。あまりの惨状に言葉が無いみたいだった。だが俺は沙月さんに構わずに一つの音を認識すると、素早く男から手を放して、飛んで来たものを両手でつかみ取った。
「ナッ・・・・・・・・」
跳び蹴りを放って来た大男の驚きの声を耳にしながら、俺は両手に掴んだ足を確りと握って自分の体を回転させた。
「ちょ・・・やめ・・・ろ・・・・・」
「諦めて吹っ飛びやがれ」
俺は勢いが付いた所で大男の足を容赦なく離した。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」
大男の叫び声がもの凄い速度で離れて行き、遠くの地面にズドーンと轟音をたてて体がぶつかった。轟音にハッとした俺は、自分がやった事を自覚してそろりと沙月さんを窺ったが、その顔は驚愕と混乱に支配されていた。何度も俺と大男を行き来する視線が、混乱の大きさを物語っていた。仕方なく俺は落ち着くまで待とうと思い、周囲を見回すと男が持っていた刃物が目に入った。
「昔これで刺されたんだよな・・・・・・・・・・」
刃物を拾いながら独り言を呟いた俺は、自分の心が不思議なくらい凪いでいる事に気付いた。そして俺は暫く手に取った刃物をジッと見続けて、痛みも恐怖も必要以上に感じなくなったのを確信し、ようやく過去を乗り越えられた事に気づいた。
「ふう、似た状況を越えてようやくか・・・・・。ははは、力を手に入れて変わっても、こんな部分だけは変わらないのか・・・。安心するべきか嘆くべきかは分からないが、俺の心は今も昔の俺の延長線でしかないらしい。きっとこうやって一歩一歩進んで行くのが、俺にはあっているんだろうな」
長い年月の間、俺の胸に刺さって抜けなかった何かが無くなったので、俺はこんな状況と場所だが晴れやかに笑う事が出来た。そして俺は昔の弱い自分と今の契約者になった自分を完全に重ね合わせる事に成功していた。如何やら俺は今まで自分の変化を完全には受け入れていなかったみたいだ。心の中がスッキリと整頓された俺の心は軽やかで、まだ何も知らなかった子供の時の様に何でも出来そうな気分だった。そんな俺の様子を沙月さんが怪訝そうに見ていたが、今はまだ暫くこの気持ちを噛み締めていたかった。
次話の投稿は23、24日が執筆出来ないため、28日の0時頃を予定しています。少々日にちがあきますが、次話もよろしくよろしくお願いします。




