契約者達と別宅への移動と伯父との前哨戦
「二人には明日、直哉様と香織様の護衛について貰うが、本当の役目は水無月家が付いたと示して牽制する事だ。合流場所は校門で、車が来て時間になったら、すぐに移動するみたいだから遅れるでないぞ。さて、まさかとは思うが、二人とも異議は無いだろうな」
「ねえよ。はあーー、美夜と二人がかりで負けたんだ。大人しく従うさ」
「はい、従わせてもらいます。・・・・・ですが・・・・直哉・・様は何者なのです。矢嶋と名乗っていましたが、まさかとは思いますが矢張り八嶋財閥に関わりがあるのでは?其れなら香織様の許嫁でも納得はできますが、最悪の場合は八嶋に乗っ取られるのではありませんか?」
私の懸念にお父様は真剣な顔をして考え込んでいたが、お兄様は心底愉快だと言いたそうな表情で笑い始めた。
「ははははは、美夜は彼奴が誰かの手駒だと思っているのか?だとしたら見当違いも甚だしいぞ」
「お兄様は何故そう思うのです。私は知っています。香織様が事件に遭われた時、お父様が本気で調べたのにあの家の情報は、ある程度の所で辿れなくなったのですよ。私が八嶋財閥とのつながりを疑っているのも、其の所為ですわよ」
私の発言にお父様が苦い笑みを浮かべていたが、お兄様は気にする様子も見せずに、私に向かって重く冷たい声を出した。
「お前は戦って何も感じなかったのか?あれは猫では無く獅子だぞ。あれを手駒にしようとして首輪を付けようとしたら、喉を噛み千切られて死ぬのが落ちだ。武俊さんはあれが自分の手におえる者だと、本気で思っているのかねえ?其れが八嶋だろうと何だろうと、あれの意思の邪魔になったら、容赦なく排除されると思うぞ」
「其れは確かに強かったですが・・・・・・・・」
「はあ、まだ気づいていないのか?良いか、彼奴は真剣を突き付けられても平然としていたんだぞ。更に苦無の薬にも気づき、殺気にも動じず、挙句の果てに俺の頭を掴んで容赦なく引きずり倒した。其の時の俺は、顔面を床に強打したあげく、髪も掴まれた所為で抜けたんだぞ」
痛みを思い出したのか、頻りに顔や頭をさするお兄様に私は何も言えなかった。そんな私の耳にお兄様の何らかの感情を押し殺した低い声が聞こえた。
「俺は倒れて降伏を迫られても、意識がある以上は何時もの様に一矢報いる心算だった。だが彼奴は視線が合ったと思った瞬間に、俺の抵抗の意思を感じて、躊躇なく止めを刺しやがった。良いか、どれ一つ取っても普通じゃないだろが」
お兄様の言葉に私は言葉に出来ない寒気を感じていた。確かに私達の様な幼い頃から訓練をしている者でないと、どれ一つでも出来ない事ばかりだった。
「更に言うとだな、どんな過去があるのか知らないが、彼奴は確実に実戦経験を積んでいる。しかも止めを刺された俺の感覚が確かなら、人を殺した経験すらありそうだ。それも一人二人じゃ済まないと思うぜ。俺はあんなのと敵対するのは御免だな」
お父様は思い当たる所があるのか頷いていたが、私はお兄様の言葉にゾッとして叫んでいた。
「冗談じゃありませんわ。香織様の相手が人殺しの犯罪者だと言うのですか。今すぐ排除するべきです。香織様にまで何かあっては、大問題ですわよ」
「待て美夜、犯罪者と決めつけるのはやめておけ。彼奴に犯罪者の様な雰囲気は無かった。それに香織様ねえ・・・・会って見た感じでは、俺達が守る必要を感じなかったけどな」
「お兄様、何を言っているのです。香織様の事は和希様と香澄様の事があってから、お父様にとっても水無月家にとっても、最重要事項ですわよ」
叫んだ私に向かって肩を竦めたお兄様は、お父様を見ろと目配せしてきた。私が視線を向けると、其処には予想に反して、お兄様の発言を肯定する様な顔のお父様がいた。
「お父様・・・・・・」
「フゥ、・・・二人が気を失っている時に、直哉様と話した。其の時に香織様も二人に倒される事は無いと言っていた。ハァ、それに戦っていた二人は気づかなかっただろうが、香織様の戦いを見る視線は、真剣を使った戦いなのに冷静で、心配や不安は微塵も感じられなかった。更に倒れた美夜の怪我を確かめたのも香織様だが、手慣れた様子で診断していたし、私には一瞬看護兵に見えてしまった程だ」
「だよな、初めて会ったが、香織様は綺麗な花には棘があるを思わせる存在だな。美人だが安易に触れたりしたら破滅しそうだ。会うまでは色々あって傷付いた、美しい箱入り娘を想像していたんだがな」
お父様達の言葉に私は、此の部屋で香織様を怒らせて攻撃された事を思い出していた。あの時の動きに私は反応出来ず、まさに気づいた時には針が壁に刺さっていたとしか言えなかったのだ。頭を振ってその時の光景を脳裏から叩きだした私は、ふと壁を見て首を傾げた。
「お父様、壁の針は回収したのですか?今はお父様が持っているのですか?」
「何?」
不思議そうな顔をしたお父様が、勢いよく振り向いて驚愕の声をあげた。
「馬鹿な、此処には私達以外、誰も入っていないはずだ。・・・・・それに直哉様と香織様には回収する時間はなかったぞ。二人を倒した後は其のまま帰ったし、部屋を出る時には壁に近寄る機会はなかった」
私達は愕然として、其の意味を理解し、呑みこむのに時間がかかった。そして皆が理解した部屋の中の雰囲気は、自然と重苦しいものに変わっていた。私が言葉に出来ない寒気を感じて、緊張しながら周囲を見回して肌をさすっていると、お兄様の押し殺した声が重々しく響いた。
「影の護衛だな」
「水無月の家に入られて、我らが気付けないなどと言うのは、水無月の当主としては考えたくない事態だな。だが此処まで常識はずれの事をされれば、護衛の腕に疑念は挟めないか・・・」
「クッ、我が家でも護衛は完璧と言う事ですか?私はこんな事は認めたくありません」
私が悔しさを込めて震える声を出すと、お兄様の躊躇いの籠った声が放たれた。
「なあ、此れは俺の勘違いだと思っていたんだが、こんな事がある以上言って置く。俺の怪我はこの程度だったか?それに美夜の怪我は如何だった?」
顔をさすりながら言うお兄様に、私は何も答えられなかった。あの時の私は衝撃が走ったと同時に、気を失ってしまったのだ。
「二人が出て行った後に私が見た時は、今と変わらなかったぞ。もっと大怪我をしたかと思ったが、予想より酷くなくて安堵したくらいだ。直哉様が確りと手加減したのだろう」
「・・・・・・・負け惜しみの言葉に聞こえるかも知れないが、この程度の怪我なら踏まれる前に起き上がれたと思う。其れに止めの一撃は背骨が折れるかと思ったほどだ。今感じている痛みとは比べものにならない」
「・・・・お兄様は怪我を一瞬で治したと言いたいのですか?いくら何でもありえません。冗談にすらなりませんよ」
私の白い視線に顔を逸らしたお兄様は、両手を上げて一応降参を示したが、内心では納得していないのが雰囲気から感じられた。
「まあ、殺人や影の護衛など気になる事は沢山あるが、今話しても結論は出ないだろう。其れより今は言われた情報の収集と明日の護衛を無事に終える事だ。此れから私は交渉に役立ちそうな情報を纏めて置くから、明日会った時に直哉様に必ず手渡すのだ。良いな」
「そつが無い様に役目を果たすさ。じゃあ今日は休ませて貰う。一応怪我人なんでな」
「了解しました。確とお役目を果たして見せます」
私の声を合図に其々の部屋に向かって休む事になった。
俺は今心の底から過去に戻ってやり直したいと思っていた。全身に痛い程突き刺さる好奇の視線に、俺はもはや意味が無いのに顔を引きつらせて、どこで選択を間違えたのか必死に考えていた。
「直哉様、如何かなさいましたか?お顔の色が優れませんが」
「うわーー、白々しさも此処まで行くと言葉も出ないわね。貴女の所為でしょう」
「私は直哉様のご命令に反する事は何一つしていませんが?それと出ないはずの言葉が出ていますよ」
周りを無視して睨み合う香織達から視線を逸らした俺に、沙月さんの口からご命令と言う言葉が出た所為で、周囲の野次馬の男から殺気混じりの視線と話声が飛んできた。
「おいおい、彼奴は何者だ?命令ってなんだよ」
「俺知ってるぜ。何時もあの横にいる美人の妹と手を繋いで学校に来ているんだ。確か・・・苗字は忘れたが直哉と呼ばれていたはずだ」
「うわ、まじかよ。シスコンでもそれは駄目だろ」
「いやいや、血は繋がっていないらしいとも聞いたぞ。だから自分好みに育てているとか」
「育ててねえよ」
俺が我慢できずに叫ぶと、辺りは一瞬静まってから数倍の喧騒に包まれた。
「抑々あのいかにも特注品の高級車は何なんだ?」
「さあ?でも噂が本当だったんじゃないか?」
「噂?」
「ああ、何でも大金を相続したとか、刺されたとか、色々騒がれていたらしいぜ。それで実際に女共が玉の輿を狙ったとか噂で聞いたな。それに噂の中には、まだ当時子供なのに大人の女が誘惑してきたと言うのもあったぜ」
「うわ、もしかして彼奴は既に・・・・・・・・」
「ふざけないで、お兄ちゃんが年増女を相手にするわけがないでしょう」
今度は香織が叫んでしまい、ついに辺りは混沌に包まれたとしか言えない状況になった。フレイに目配せして声を周囲にはかすれる様にして貰うと、俺は厳しい表情で詰問した。
「あの高級車は何の冗談だ。俺の明日からの学校生活を如何してくれる」
「あれは武俊様が普段乗っている車の一台で、私の父親が運転し慣れている物を選んだと聞いています。其れに学校の事は直哉様にも責任があるかと。私が言った時にご了承頂きましたので、此の状況も想定済みだと思っていました。この所の直哉様は色々とご活躍ですから」
にこやかに笑う沙月さんは、昨日までの不満を解消した様な雰囲気を全身から発していた。その様子に何を言っても無駄だと諦めた俺は、別方向から責める事にした。
「・・・・車の事は諦めます。でもこんなに人が沢山居る所で、俺を様付けで呼んだのは如何言う心算です」
「車が来た時点で仕事ですから。先輩として接する訳にはいかないのです。この所誰かの所為で仕事の評価が酷くて、此れ以上の失態は父親の前では出来ないんです」
沙月さんが指を指した場所には、がっしりとした男性が無言で俺達を見つめていた。
「・・・・・はあーー、分かりました。降参です。でも明日からの愉快な学校生活の事では、必ず手を貸して貰いますよ」
「直哉様の心掛け次第ですわ」
俺が白旗を振って降参したのに、満面の笑顔を浮かべて攻めてくる沙月さんに憮然としていると、一台のバイクが音を響かせて車の横に停止した。皆の視線が自然と集まる中で、男の背につかまっていた女が颯爽とバイクから飛び降りて、辺りに良く響く声を出した。
「あら、もう車が来てますわ。予定の時間は過ぎてませんわよね」
「ハッ、俺が遅れるかよ。時間前五分だ。其れより美夜は車に一緒に乗れ。俺は此のままバイクで付いて行く」
「分かりましたわ」
女がヘルメットをとると、様子を窺っていた野次馬からどよめきが起こった。美夜さんの容姿は一目見るとハッとする、大和撫子の様な美人なのだ。更に大人なので学生には無い成熟した魅力があり、まあ皆が騒ぐ気持ちは分からなくもないと言えた。そんな美夜さんは洗練された動きで俺と香織の前に来ると、当然の事の様に一礼してから話し掛けてきた。
「直哉様、香織様、お約束通りに参りましたわ」
「・・・・・・ああ、良く来てくれた。香織の横にいてくれ」
何とか返事を返した俺は、引きつりそうになる顔を必死に取り繕っていた。
「おいおいおい、あの美人も彼奴の知り合いなのか?一体何が起きているんだ?」
「お前そんなことより、様付けで呼ばれている事の方がおかしいだろ」
「そうだな。其れに思い返してみると、会長も直哉様と言っていなかったか?」
「あ、私も聞いたわ。何時も毅然としている会長が、明らかに下手に出ていたわよ」
「そうね。妹さんを大事にしていると聞いていたけど、裏では会長とあの女性に直哉様と呼ばせて侍らせていたのね。ちょっと幻滅したかも」
周囲から聞こえてくる言葉は段々酷い物になっていき、容赦なく俺の精神をガリガリと削っていった。そんな俺が苛立ちと共に周囲を見回すと、明人の奴が愕然とした明美ちゃんを横に、愉快そうに笑いながら手を振ってきた。あの態度は明らかに俺の状況を分かった上で、わざとからかっていた。俺が覚えて居ろと思って歯軋りしていると、沙月さんの動揺してかすれた声が聞こえた。
「どど、如何して・・・・美夜さんが・・・・・・」
「お久しぶりね沙月さん。如何しても何も水無月である私が此の状況で、護衛以外に此処に来る用があるとでも?」
何故か俺の横に立って薄らと笑う美夜さんに、沙月さんは目を白黒させながら俺達の顔を見て、何度も何度も視線を行き来させていた。そして暫くしてようやく状況を理解したのか、沙月さんは射殺しそうな視線を俺に向けて来た。俺がその尋常じゃ無い視線に、背筋をゾクゾクさせて冷や汗を掻いていると、香織がわざとらしい程明るい声を出した。
「お兄ちゃん、時間みたいだよ。さあ私と一緒に行こう」
そう言った香織は自然な動作で俺の左腕を取ると、腕を組んで体をピッタリとくっ付けてきた。俺達の唯の兄妹とは言えない様子を見て、今まで以上に騒ぐ野次馬達のキャーキャー言う声を聞きながら、俺は呆然と香織に腕を引っ張られて車に向かった。そして車まで半分の距離になった時、俺はハッと我に返って慌てて小声で話し掛けた。
「おい、何を考えている」
「お兄ちゃんだって怪しげな噂が飛び交うのは嫌でしょう。此れで明日からの噂は、私とお兄ちゃんの物で決まりよ。それなら当事者の私が、後で如何とでも出来るもの。其れに・・・・・」
先程から聞こえてくる酷い言葉の数々に、既に心がボロボロだった俺は、香織の言葉が光明に思えて、唯一の救いであると思ってしまった。だからその後の微かな呟きを聞き逃して車に乗ってしまった。そして更に俺は、後から車に乗った沙月さんと美夜さんに気を取られて、後ろに居たシグルトとフレイの引きつった顔を見る事が出来なかった。もし見ていれば、俺の未来は変わっていたのかも知れないと、後に思う事になる。香織は『其れにお父さんとお母さんにも応援されたし、許嫁だし、私も行動あるのみよ。まずは此の噂を上手く使って周囲に認めさせる事から始めるわよ』と言ったのだった。未来の俺は此れも変化の一つだと考えたが、良い物か悪い物かは永遠に判断が付きそうになかった。
何故か沙月さんと美夜さんがお互いを牽制して、緊迫した雰囲気に包まれる車内で、俺は関わり合いになりたくないと思い、手渡された資料を一人で読んでいた。しかしお兄ちゃん何とかしてと言う視線に気づいた俺は、香織の顔を一瞥しながら重たい沈黙を破る声を出した。
「貴男は沙月さんのお父様で敏次さんで良いですか?」
「はい、武俊様の護衛組織のトップなどを務めています。何時も沙月がお世話になっています」
「いえ、学校でお世話になっているのは俺達の方ですし、組織には今も香織を拉致しようとする奴らを抑えて貰っていますから、御気になさらないでください」
「ほう、良く御知りで。やはり水無月家の方からの情報ですか?」
目を細めて此方の反応を窺う敏次さんに苦笑しながら、隠すまでも無い事なのでアッサリと話した。
「ええ、そうです。昨日沙月さんと話した後に水無月家に行って交渉した時に聞いたんです。さて敏次さん、俺は機会があったら貴男と話したいと思っていたんです。俺は沙月さんを優秀な人だと思っています。だから俺の仲間になってくれないかと誘っているんですが、良い返事が中々貰え無いんですよ。どうも親の事が気になっている様です」
ハッとした表情の沙月さんと、不満そうな顔をした美夜さんを視界の隅に入れながらも、俺はジッと視線を動かさずに敏次さんの横顔を見つめていた。其処には眉間に皺を寄せた厳しい顔の敏次さんがいた。
「・・・・・私の事が無ければ娘が簡単に立場を変えるとお思いですか?だとしたら我らの組織の結束を侮っていますよ。若いとはいえ娘も組織の一員です」
不快感が籠った声を出す敏次さんに、俺は真剣な顔で首を振って否定した。そして重々しいゆっくりした声で一言ずつ区切り、内容を想像できるように話した。
「違いますよ。俺が言いたいのは、沙月さんは若いから、此のままだと仕えるのは、武俊さんじゃなく、武人さんになるだろうと言う事です。父親としてその事を如何思います」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
眉間に深い皺を作って黙り込んだ敏次さんに、分かってはいる様だと思いながら淡々と告げた。
「この資料は良くできています。武人さんの事も色々書いてありますよ。まだ直接会った訳では無いので細かくは言いませんが、娘の未来の選択肢の一つとして、俺の言う事も考えて置いてください。俺の方は沙月さんなら、何時でも、どんな状況でも、常に歓迎します」
「・・・・・・・親として覚えては起きます」
「今はそれで十分です」
自分の事を勝手に話された沙月さんは厳しく睨んで来たが、俺が肩を竦めて笑いかけると憮然として黙り込んだ。そんな俺に美夜さんが何かを言おうとしたが、強い視線と資料を振って黙らせた。
「ねえ、お兄ちゃん。私が居る事を覚えているよね」
怒ってはいないが拗ねているらしい香織が、俺の脇を抓ってきて地味に痛かったが、既に頭の中は此れから会う人達にどう対応するかで一杯だった。
「此処が別宅です。武俊様はまだ御着きで無いので、香澄様がお暮しになっていた邸内をご覧になっていてください。この別宅は殆ど使われず、彩希様のご命令で香澄様のお部屋は未だに当時のままですよ」
「えええ、ほんとに?うわ、見たいかも」
「では私が案内致します。ついて来てください」
沙月さんい先導されて部屋に入ると、そこは十五畳ぐらいの綺麗な部屋だった。
「へえ、部屋の雰囲気や色彩が香織の部屋に似てるな」
俺が入って感想を言っていると、香織は何故か一直線に机に向かっていた。
「おい、どうしたんだ香織?」
「ちょっと、欲しい物があるのよ。お母さんの部屋がまだあるとは思って無かったから、嬉しい誤算だったわ」
そう言った香織は楽しそうに机の引き出しをあけると、中に入っていた物を外に出した。そして俺が驚いている間に、引き出しの底をごそごそと触って、何と底を外してしまった。
「おい、親の物とはいえ壊すのは不味いだろ」
「クスクス、私は壊してなんかいないわよ。此の引き出しは二重底なのよ。そして中にはお母さんの日記や若い時の重要書類が入っているのよ。ほら此れ、お父さんがお母さんに出した手紙よ。中身を娘の私に見られたら、お父さんが恥ずかしさのあまり逃げ出す物だよ」
「おいおい、中身を見るのは止めておけ。流石に同じ男として見過ごせない」
「もう、お兄ちゃんは頭が固いわよ。本当はお兄ちゃんも見たいでしょう」
そう言った香織が俺に近づいて耳元で囁いた。
「中には新しい重要な手紙もあるんだよ」
「何だと、それは見ないといけないな。まさかあの真面目そうな和希さんが、香澄さんにそんな内容の手紙を書くとは分からない物だな」
「うん、お母さんもとんでもない内容に真っ赤になったって聞いたわ。私が大きくなったら見せてくれると、約束していたの。一人で見るのはさびしいから、家に帰った後で一緒に見てね、お兄ちゃん」
「わかったよ。家に帰ったら俺の部屋で読もう」
此方の様子を窺っている沙月さんの視線を気にしながらも、俺達はさり気無く見られると不味い物を死角にして空間にしまった。
「香織、他にも何か聞いていないのか?」
「うーんと、此の家について聞いたのは・・・後はお風呂ぐらいかな。お祖母ちゃんに強請って作って貰った、広い檜風呂があるらしいわよ」
「おお、檜風呂か?そう言えば、言葉は聞いた事があるけど入った事は無いな」
「交渉して入ってみる?お兄ちゃんがその気なら、私がお背中を流してあげる」
「ははは、止めて置く。護衛されている身で、無防備になる風呂は流石に不味い」
「そっか、じゃあ今度の家族旅行は檜風呂のある旅館にしようか?」
「ふふ、護衛の身ですけど、御二人の会話に加わっても良いでしょうか。私はいい場所を知っていますわよ。ねえ、お兄様」
「ああ、あの旅館か・・・。香織様のご両親の護衛で水無月の者もよくついて行きました。今も私達は利用していますが、確かにあの旅館は良い処です」
「お父さんとお母さんが行っていた旅館か・・・・たぶん私が生まれる前だよね。私は知らないから詳しく教えて貰えるかしら」
「そうだな。まだ武俊さん達も来ないみたいだし、皆で話そうか。沙月さんもそんな所に立っていないで、こっちに来て一緒に話をしましょう」
俺はポツンと所在無げに立っている沙月さんに声を掛けて、今此処にいる五人で仲良くワイワイと雑談に耽った。
お互いの自己紹介もせずに、ピンと張りつめた雰囲気の中、俺達と武俊さん達は、向かい合わせにテーブルについて睨み合っていた。そしてお互いの後ろには二人の護衛が立って、何があっても良い様に気を張っていた。他に部屋に居るのは沙月さんだけで、皆にお茶を配ってから、両方の知り合いと言う事で部屋の隅に控えていた。
「・・・・・まさか水無月家と接触しているとは思わなかった。報告されていないんだが・・・如何言う事だ、直哉」
一見すると平静な表情をしている武俊さんだが、言葉の端々に怒りが感じられ、内容も口調も完全に詰問する様な感じだった。
「ははは、報告する義務なんて俺にはないはずですが、今回の事に限って言えば不可抗力ですよ。何と言っても水無月家に行ったのは、昨日の事ですから」
俺が笑いながら肩を竦めていると、武俊さんがジロリと睨み付けて来た。
「私が沙月から護衛が居ると報告を受けたのは、昨日ではないのだが?」
「俺は嘘は言っていませんよ。水無月家と接触したのは昨日が初めてです。武俊さんが言っている護衛はポケットに紙を入れた護衛の事でしょうが、あれは俺と香織の個人的な護衛で、俺達と生死を共にする者達です。そうだろ香織」
「うん、何時も傍にいる影の護衛は、私達が死んだら生きてはいないわ。確実に共に死ぬ事になる」
俺達の断固とした重々しい発言に気圧された、武人さん以外の喉がごくりと鳴った。そして重苦しい雰囲気になった部屋の中で、一人だけ何も感じていない様な武人さんが笑い声をあげた。
「クッハッハハハハハ、何を真顔でおかしな事言ってんだよ。お前さいこーだわ。どんな妄想の世界に住んで居るんだよ。お前が死んだからって護衛が責任を感じて死ぬ訳がないだろ」
嘲笑を浮かべた武人さんは、俺達の言葉を馬鹿にして全く本気にしていなかった。そんな武人さんに俺は満面の笑みを浮かべて、反応を見る為に挑発した。
「笑うのは勝手ですが、俺達の発言に嘘は無いです。俺達には共に死んでくれる者達が居ますが、その様子だと武人さんにはいない様ですね。自分の人望や魅力が無いのがそんなに笑えますか?」
「お前・・・・・部外者のくせに俺に喧嘩売っているのか?今の状況を分かってないだろ。其処の香織は何の後ろ盾も無いから、集まりがある前に俺と父さんが後ろ盾になってやる為の話し合いだろ。死んだ和希達についていた奴らも、今では此方についているから、助けて貰えると思うなよ。ほら分かったら、お前は口を挟むなよ。もともと一族で無いお前に発言権なんて無いんだ」
発言から考え方を推測している俺が黙っているのを良い事に、調子に乗った武人さんが香織に馴れ馴れしく話し掛けた。
「まあ美人だし、此れなら良いだろ。あいつも黙ったし、お前も俺に言う事があるだろ」
「はい?何を?全然意味が分からないわ。私が何を貴男に言うと言うの?お兄ちゃん、この人、意味不明なんだけど・・・」
心底から不思議そうな香織の様子に、俺は必死に笑いを堪えていた。
「武人さん、そんな風に言っても無駄だよ。まあ単刀直入に言っても香織が受け入れるはずないけど。プププ」
言葉の最後に漏れてしまった笑い声に、真っ赤な顔をした武人さんが怒鳴る様に香織に告げた。
「お前は俺と結婚するしか、一族の中で生き残る手段がないだろ。それともお前は自分で、グループ企業を掌握出来るとでも思っているのか?子供の上に女で後ろ盾もないお前には、誰も手を貸してはくれないぞ」
「グループ企業に一族ですか?私には良く分かりません。でも貴男と結婚する事は絶対にありませんよ。好きでも無い男と結婚する事はあり得ないですし、私にはちゃんと好きな人がいますから」
「お前、自分の立場を分かって言ってんの?お前は此のままだと一族全てから爪弾きにされるんだぞ。其れに後ろ盾のないお前は良い獲物でしかないんだ。俺が結婚して守ってやると言っているのが分からない訳?」
「私の事はお兄ちゃんが守ってくれるので結構です」
「ははは、お前の兄ごときが守れる訳無いだろ。此奴は一族ではないから発言権がないんだぞ。それでどうやって守ると言うんだ?」
「さあ、お兄ちゃんなら如何にかしますよ。それと先程からお前お前と馴れ馴れしいですよ。貴男こそ自分の立場を理解していないのでは?」
「何だと?」
「私には難しい事は分かりませんけど、それでも何となく貴男の発言力が一番低いのは分かります。そうでしょう、お兄ちゃん」
真顔で答える香織の言葉に激怒した武人さんは、顔を赤くして俺を睨み付けてきた。
「まあ、そうだな。俺は香織から交渉を全て任されているけど、武人さんは違うからな。其れに親の株式を相続して持っている香織と違ってまだ持っていないし、名家の血も和希さんの娘の香織の方が格上だ。だから実際の所は香織の方が全てにおいて格上だよ。そして今は水無月家も味方になったし、もう一方的な要求は出来ないはずだ。そうですよね、武俊さん」
「・・・・・・・その通りだ。今まで何があっても動かなかった水無月家が動いたのには、其れだけの意味がある。私も含めて皆は突然の死だったので、子供の香織に継承出来なかったと考えていた。故に皆は継承者は存在せず、有効期限が切れるまでは動かない前提で考え、詳しい事は分からないが前例を考慮して、最低でも後五年は動かないと思っていた」
武俊さんの肯定の言葉に武人さんが不満の声を上げた。
「何を言っているんだ父さん。俺よりこんな小娘が上だと言うのか?ましてこんな関係ない奴が発言権を持つなんて冗談じゃない、俺達の力なら小娘達が抵抗した所で如何とでも出来るんだぞ」
今にも掴みかかって来そうな表情で不穏な事を言う武人さんに、後ろにいた二人が身構えていた。
「大丈夫よ、お兄ちゃんに任せておきなさい」
香織の声に従って構えを解いた二人を確認してから、落ち着いた声を意識して話し始めた。
「では香織の期待に応えるとしようか。武人さん、今香織に乱暴な手段をとったら、親の足を引っ張るだけじゃなく、自分の首を自分で絞める事になりますよ。それに俺と武人さんでは決定的な違いがあるんですよ」
「違いだと?当たり前だ。お前と俺が同じな訳があるか」
「全くです。香織、俺が交渉の為に株式が欲しいと言ったら如何する」
「お兄ちゃんにあげるわ」
一瞬の間も無くアッサリと言い放たれた香織の言葉に、皆はギョッと目を見張って驚愕と動揺のあまり、部屋の時が凍り付いてしまった。五分ぐらい経ち皆が我に返ると、すぐに武俊さんは俺を敵意の籠った視線で厳しく睨み付けてきた。一方、武人さんは理解不能の存在を前にして混乱しかかっている様だった。そして傍で聞いていた護衛も俺を見る目つきが変わっていた。
「さて武人さん、これで俺との違いが良く分かったでしょう。貴男に俺と同じ事が言えますか?勿論香織に対してではなく貴男の発言力の源に対してですよ」
俺の言葉に目を吊り上げて真っ赤な顔で歯を食い縛る武人さんの顔は、格下だと思っていた相手に手痛い反撃をくらった屈辱に歪んでいた。当たり前の事だが武俊さんは香織の様に株式を渡したりしないから、今回の事で武人さん自身の立場が浮き彫りになったのだ。俺達の力と言っていても本当は武俊さんの力で、武人さんは後継者ではあるものの、未だに何も受け継いでいないので、自身の力は香織どころか俺にすら劣るのだ。
「これで分かって貰えたと思いますが、交渉の全権は俺が持っていますし、香織と結婚しても貴方達が求めている物は、何一つ手に入らない事も理解出来たはずです。此方は意思と決定権の統一は済んでいて、完全な一枚岩です」
薄らと微笑んだ言外の『其方は?』と言う言葉に、今にも歯軋りしそうな顔をしている武俊さんを前にして、俺は気迫を込めて力強く宣言した。
「さあ、上から目線で政略結婚を押し付ける様な、くだらない前哨戦は終わりにして、本当の交渉戦を始めましょう。そして香織に関わる事だから、俺の手加減は一切無いと思って貰いましょうか」
俺と武俊さんの厳しい視線がぶつかり、盛大に火花を散らした。
次話の投稿は16日の19時から21時の間に投稿出来なければ、17日の21時以降になります。
読者の皆様へ
「、」が使われていないので、読みにくいと言われているのに修正が止まっています・・・・。やる気はあるのですが、今は修正の時間がありません。申し訳ありません。
それと新しく評価をくださった方と前からくださっている方に感謝します。ありがとうございます。評価してもらえるのは嬉しいものです。他の皆様もよろしければ評価や感想を貰えるとやる気につながります。すると更に必死になって早く投稿しようと頑張れると思います。・・・と言っても今は16日に必ず投稿しようと頑張ることしかできませんが・・・。
長々と書きましたが今後もよろしくお願いします。




