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網膜

作者: やぎ

 「好きな人が出来たみたいだ。」

 春風が香る夕方。その一文だけが書かれたメールが俺の携帯に届いた。イタズラメールかその類いのメールかと思い削除しようとした。だが、その宛名を見た途端ボタンを押すのをやめた。

 彼だ。

 大学の友人である彼からだ。一番、色恋沙汰に縁がなさそうな彼からそういう内容のメールが来たのだ。

 彼の趣味は引きこもり。そう言っても過言ではない。学校へ行く以外、この扉から彼が顔を見せるのは気分が良いときだけ。他の時は固く固く閉ざされている。

 はっきり言うが、彼に好きな人が出来るなんてあり得ないことだと思っている。年がら年中部屋に篭ってる奴にそんなことが起こるはずがない。出来たとしても、電子の海に漂ってる画像などだろう。

 その恋を笑ってやろう。そんな不純な動機が沸いた。彼が嫌いだから、とかそんなのではない。

 俺は気になる成分を多く含ませた文面で返信をした。そうしたら、カップラーメンが出来上がるよりも早く携帯が振動した。

 「じゃあ直ぐに直ぐに来て欲しい。見せたいよ」

 ならば、早速行かせて貰いますか。口の端に歪んだ笑みを浮かべながら、扉を開け放った。



 俺は今、彼の部屋に来ている。来客用に焚いたであろう線香の匂いが妙に主張してくる。やっぱり相変わらずの部屋の中。アニメのポスターが部屋一杯に貼られている。それに、趣味である天体観測用の望遠鏡が窓側にぽつんと置いてある。

 対面するように彼は俺の前に座り込んだ。脂ぎった髪と生えきった髭、伸びきったTシャツ。相変わらず趣味は継続中みたいだ。それに彼の方から独特の酸っぱい臭いが漂ってきた。なるほど。それでお香なわけだ。多少は他人に気が使えるようだな。

 「……悪いね。わざわざ来て貰って」

 「良いって。っでどんな人なんだ?」

 世間と隔絶しているお前と世間話はしたくない。俺は俺の目的だけを完遂させて、直ぐに帰宅させて貰いたい。頬を染めながら彼は口を開いた。

 「綺麗な人だよ。俺の理想を体現している」

 お前の理想の体現か。二次元の海から探し当てたのなら、理想通りの存在なのだろう。

 「話とか……してるのか?」

 「いや、声なんてかけられないし」

 ますます俺の中で彼の恋する人は現実にいる女ではなくなってきている。もう少しどんな感じなのか詮索をかけてみるか。

 「で、その子の名前は?」

 「知らない」

 期待通り過ぎて欠伸が出かける。しかし、彼の手前それを腹の底へと押し込めた。それはそうだ。真顔で言えるわけがないだろう。二次元の存在への恋など。

 「じゃあ、じゃあさ見てくれよ。彼女を」

 彼はすっと立ち上がり、俺に背を向けた。やっと、パソコンでも持ち出すのか。

 だが、俺の予想は華麗に裏切られた。彼が向かった先は本棚やパソコンラックではなく、窓際に設置された望遠鏡であった。それは何なんだ。一体何をするつもりなんだ。俺に見せるのは、パソコンではないのか。そんな俺の疑問をよそに、彼はいとおしそうに望遠鏡を撫でながら、レンズを外側に設置していく。

 「この先にいるんだ。見てくれ」

 まさか、盗撮か。おいおい、それは流石にマズイだろう。だが、名前を知らないなどの理由も現実的に理解出来た。彼の趣味の天体観測中にふと相手の部屋を見つけて、そこで一目惚れ。彼らしいと言えば彼らしい。

 「……じゃあ、見させて貰おうかな……」

 少しの罪悪感と好奇心が混ざった複雑な感情と共に、彼が調整したレンズを覗き込む。

 「なぁ…きれいだろ 彼女」 レンズ越しには、少し古ぼけたアパートの一室。

 「あの流れるような長髪とか俺の理想」

 窓は全開で、部屋は如何にも寒そうな印象を受ける。

 「少しイヤらしいかもだが……あの慎ましい胸も俺好みなんだよ」

 しかし、それだけ。その部屋には家具すらない。まして、女性なんてモノは一切存在していない。なんだこれは。冗談で煽っているのか?

 レンズから目を離し、彼の方へ二つの眼を向ける。彼は嬉々として俺の反応を待っていた。

 「えっと……どこ?」

 「嘘っ うつってない?」

 想像しなかった反応といった感じに動揺している。場所を強制的に奪われ、彼はレンズを覗き込む。……そうだよな。一つ上の部屋とかに間違って焦点を合わしてしまっただけだろう。 

 「なんだ。写ってるじゃないか。嘘なんかつくなよ。」

 背筋から汗が一気に引いた。写ってるだって。いやだって、さっき写ってたのはただの空き部屋。女の人なんて存在していなかった。では、なんで彼は居るなんて、写っているなんて嘘をついたのだろう。

 もしかして、嘘ではない? もしかして、彼には写っているのか。彼の網膜にはちゃんと写っているのか。

 そうすれば納得がいく。彼女というのは彼の妄想の産物であり、現実にはいない。だから、見えなかったし、居なかった。とてもじゃないが、俺にはそれを嘲笑する気はなくなったていた。

 これ以上言葉を発さないのはマズイ。彼が怪訝な顔で見ている。なんとか、何か言葉を紡がないと。

 「……すまない……」

 何謝ってるんだ。違うだろ。

 「さっきのは冗談だ……ちょっとふざけて言ってやろうと思ったんだ……。……綺麗な人だったな彼女……」

 かなり無理のある説明。だが、今これ以上の説明は出来ないし、自信もない。

 「だろ」

 しかし彼は満足そうな顔で見ていた。そのままレンズを覗き始める。理想の彼女に会うために。

 彼はそれを嘘だと、妄想だと認識しているのか。俺には分からない。ただ、彼は理想の世界に居れるのだから幸せなのだろう。



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