お二人には今後奴隷としてローゼリア王国の最下層で暮らしていただきます。永遠に私が王妃となるはずだったこの場所の最も卑しい使用人として
マリー・スペランハという名はローゼリア王国で最も気高く、最も美しい公爵令嬢の代名詞だった。
銀色の髪に空色の瞳を持つ彼女は幼い頃から国王と王妃に愛され、第一王子アルベールの婚約者として将来の王妃となる運命を背負っていた。全てが変わったのは公爵家と王家が主催した、盛大な夏の夜会。
「マリー。お前との婚約を破棄する」
音楽が鳴り響き、人々が優雅に踊る円舞曲の最中にアルベールは耳元で冷徹な言葉を囁いた。
「アルベール様?」
一瞬、全てを理解できなかった。前に立つアルベールの隣には可憐な白い百合のように、無垢な笑顔を浮かべた平民出身の令嬢であるケイシーが寄り添っている。
「彼女こそが真実の愛。ケイシーは誰にも染まらない、ありのままの私を受け入れてくれる。お前のような古臭い格式と権力に縛られた女ではない」
周囲の貴族たちのざわめきが大きくなる。十年にわたる婚約者としての務め、王妃教育、愛情がこの一瞬で粉々に砕け散るのを感じた。
「そう。結構でございます、アルベール様」
感情を完全に凍らせた表情で、深く優雅なカーテシーをした。心に咲いていたのは純粋な愛の薔薇ではなく、血のように赤い復讐の薔薇だ。
「しかし、ご忠告申し上げます。ローゼリアの王位とはあなた様がお考えになるほど、ロマンチックな場所ではございませんことよ」
言い残し、王子の前から、夜会の場から影のように消え去った。
公爵邸に戻ると父である公爵は、激怒のあまり顔を真っ赤にしていた。
「マリー! 何という失態だ! 王子に恥をかかされて、公爵家の面子はどうなる!」
「父上」
父の言葉を冷ややかに遮った。
「公爵家はローゼリア王国において、代々軍事と財務を握ってきました。王家の傀儡となるためではございません」
父の書斎の隠し扉を開け、秘密の地下室へと降りていった。長年、王妃教育の傍らで築き上げてきたもう一つの顔。
世界有数の闇市場ネットワークの帳簿だ。ローゼリアの全資産の八十パーセントを握る秘密銀行の鍵。隣国、敵国との極秘の軍事同盟の文書。
「私さアルベール様が裏切った瞬間から、ローゼリア王国を亡国にすると決めました」
公爵は愕然として娘を見つめた。知っていたのは優雅な令嬢だけではない。娘は冷静沈着な天才的戦略家であり、頭脳は国政を牛耳る宰相をも凌駕していた。
「公爵家が持つ全ての資金と物資を、私が握る秘密ルートを通じて国外へ移します。隣国イシュタル帝国の皇帝に同盟書を送りましょう」
マリーの計画は完璧だった。公爵家の資金流出により、ローゼリアの国庫は即座に空になる。
公爵家が秘密裏に築いていた同盟関係が崩壊し、ローゼリアは全ての国から孤立。貴族たちが資金不足と権力闘争で分裂するよう、巧妙な偽情報を流布すること。
計画開始からわずか三ヶ月後、ローゼリア王国の経済は完全に破綻した。国中に飢餓が蔓延し、国境では隣国イシュタル帝国の軍隊が侵攻の準備を整えていた。
国王は事態の深刻さに青ざめ、公爵家を召喚した。しかし、応じたのはすでに公爵家の全権を掌握したマリ一人。
「マリー嬢! 国難の時になぜお前は協力しないのだ!?」
国王は謁見の間で怒鳴りつけた。
「協力、でございますか?」
マリーは美しい笑みを浮かべたまま国王に近づいた。手に握られていたのは華奢な扇子ではなく、特注の重厚な鉄のステッキ。
「陛下。あなたはご自分のお可愛らしい息子が、この国の富を背負っていた令嬢を、愛人ごときのために破棄することを許した」
マリーの瞳の奥には氷のような怒りが燃えている。
「あなたは私の十年間の努力と、公爵家の忠誠心を塵のように扱った。代償をこれから払っていただくの」
ステッキを力強く振り上げた。
「裏切りの罪!」
ドゴンッ!
ステッキは国王の傲慢な額に、直接叩きつけられた。国王はよろめきながら床に崩れ落ちる。
「無能の罪!」
バキッ!
ステッキは次に王妃の華美なティアラを砕き、頭上から容赦なく打ち下ろされた。王妃は悲鳴を上げる間もなく意識を失う。
「ローゼリア亡国の罪!」
マリーは床にうずくまる国王の横顔を、憎悪を込めた目で踏みつけた。
「私がローゼリア王国を潰したのではありません。あなた方王家が、愛という名の傲慢で国を自滅させたのです」
その時、謁見の間の扉が開く。アルベール王子とケイシーが駆け込んできた。彼らは血を流し倒れる両親の姿に、言葉を失う。
アルベール王子は震える声で叫んだ。
「マリー! 正気か! 私の愛を得られなかった女の末路か?嫉妬か!?」
マリーはステッキを優雅に持ち替え、王子へと向ける。
「末路ではございません。これは始まりです、アルベール様」
地下室で準備していた毒薬を倒れた国王と王妃に飲ませた。彼らは苦しみながらも、すぐに静かになる。
「ローゼリア王国は崩壊いたしました。国の全てを知っている。財務、軍事の全てを」
アルベール王子とケイシーに一つの選択肢を与えた。
「お二人には今後、奴隷として、ローゼリアの最下層で暮らしていただきます。永遠に、私が王妃となるはずだったこの場所の最も卑しい使用人として」
王子は絶望の表情で膝をついた。ケイシーは美しい顔を涙でぐしゃぐしゃにしながら、マリーの足元にすがる。
「マリー様、どうかお慈悲を」
「お慈悲? あなた方に死よりも過酷な罰を与えます。永遠の屈辱を」
夕方、イシュタル帝国の軍隊が無抵抗のローゼリア王国に入城した。抵抗する者はおらず、一人の女性が玉座に座っているのを見た。
マリー・ローゼリア。ローゼリア王国の最後の支配者となり、イシュタル帝国の新たな傀儡国家の管理者となった。
顔には王子の愛を求めた少女の面影は、微塵も残っていなかった。あるのは、冷徹な戦略家と復讐を成し遂げた女王の威厳だけ。
「愛? そんなものはこの世界で最も価値のない、陳腐な感情」
玉座に深く腰掛け、窓から見える燃える王城を見つめた。復讐は国を潰し、王族を打ちのめし、自身の心を永遠に凍らせることで完了したのである。
数年後。マリーはイシュタル帝国の皇帝に最も信頼される総督として、旧ローゼリア領を完全に支配していた。
ある雪の降る日、城の裏庭を通りかかったそこには、凍える寒さの中、枯れ葉を掃除する一組の男女がいた。
アルベールとケイシー。王子と愛人はみすぼらしい衣服をまとい、痩せ細ってお互いを憎悪の目で見つめ合っていた。
彼らが幸福を奪った元凶であることは明らかだ。マリーは彼らの前を通り過ぎる際、ただ一言、冷たい声で呟いた。
「お掃除が足りておりませんわ。王族の血が流れるあなた方にしては随分と不潔な仕事ぶりね」
振り返らず、豪華な毛皮を羽織り、次の政務へと向かった。
復讐は全てを焼き尽くす炎である。炎を点火した者だけが灰の上で、新たな王国を築くことができるのだろう。
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