プロローグ
俺が実の妹に不信を抱き始めたのは中学二年の秋頃だ。
小学校では最高学年の六年生であった妹は第一次成長期の恩恵も相まって、身内の俺でも分かる程に豊潤な我が儘ボディーへと成長を遂げた。
同学年の男子はやつの携えた例のブツが揺れる様を目の当たりにしただけで鼻血を噴いて昏倒した、道行く男たちは自ずと前屈みになってゆく。運動会の日に、妹が百メートル走を走ったとき、観客席の父兄たちは目が血走っていた。
そんな妹は夏の初め頃から風呂上がりには下着のみという大変大らかな姿で過ごすようになった。
最初の頃は親父がビールを噴いている様をよく見ていたが、結局は身内。
俺だって暑い日の風呂上がりはパンイチで牛乳ばかりを飲んでいるんだ。性別が変わるだけでそのたがから外したモノの考え方をしているようではフェミニズムの精神に反してしまう、古い考え方をしていたのでは移ろいゆく歴史に取り残されてしまうのだ。
しかしだ。
茹だるような暑さを俺達に提供してくれた夏が過ぎ、冬の到来を予見させる肌寒い秋が訪れてなお、我が家の妹様は例の大らかスタイルを貫き続けていた。
この頃になるとパンイチで牛乳ライフの俺だって、服を着込んで自室に逃げ込み暖房を点けるべきか否かの問題に直面しているのだ。
暑くないのに何故、あいつはあの様な寒々しい格好をしているのだろう?
疑問に思った俺は風呂上がりの妹が例の状態で居間にいすわる約二時間、不埒な考えなど一切無しに凝視してその動向を探ってみる事にした。
風呂上がりであるやつの表情は上気しており、ほっぺたはほんのりと赤く染まっていた。
気のせいかもしれないが動機もおかしかったようだった。
何故か内股を摺り合わせているようにだってみえた。
やつは時折こちらをちらちらと伺ってきた。
俺が凝視しているのだから必然的にその視線は合ってしまう。その度にボッと火でもついたように赤面していた。
以上の観察結果から中学二年生の俺が推察できた答えとは…
“非常に居心地が悪い”
という事だけだった。
その日から俺は風呂上がりの妹が居間に居座る時間帯を自室で過ごすようになり、妹とはすれ違いの生活を送ったのだった。
それから幾何かの時が流れ。俺は中学三年生、妹は中学一年生に進学した。
初めての制服に身を包んだ妹は、まだまだ幼さが残る中に芯のような何かがあるように見えた。
きっと妹も心身ともに大人の階段を駆け上ったのだろう。
何よりも彼女に一端の羞恥心が生まれた事で、風呂上がりの凶行がなくなったのが、兄として幸いだ。
結局、妹が何を思ってあんな所業を働いたのか、真相は闇に葬られてしまった。
でも兄妹の絆が復興するのであれば何んだってかまわない。
深く考えることない。
その問題は俺の記憶から溶けていってしまったのだ。
今にして思う。
あの時なぜ面と向かって話をしなかったのか。
俺が安閑とした毎日をだらだらと過ごす傍らで、理性と欲望のハザマで翻弄され続けた彼女にはとある欲求が蓄積されていったのだった。