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SIDE/ユリアナ②

 もしかしたら、初恋だった。

「初」なのは確実。「恋」かどうかは極めて微妙。


 他がどうかは知らないけれど、私の育ちの家は神の血を産み増やすラインと、皇族を育成するラインを完全に分けていた。当然のことだろう。勝手に子を宿されては、「神の血」を管理できなくなってしまうから。神の血に対する寡占状態を華族が手放す理由はなにもない。


 私は育成される側だったから、子供を産めないように幼少期に体内をぐちゃぐちゃに破壊されている。摘出された内臓のうち半分は嗜好品として高値で売られ、残りの半分は私に立場を理解させるためだけに目の前で踏みつぶされた。

 キリヱに斬らせる前にあいつらに同じことをやってみたけれど、私にはその汚らわしい血に触れることの方がおぞましく感じられた。

 首を落とす前にどういう気持ちでやっていたのかを訊いてみると、その女は「私だってあんなことやりたくなかった」と答えた。

 なんだかもう復讐とか急にどうでもよくなっちゃって、単にこの国を終わらせようと思った。

 国とは土地に由来するものであるから、私のゴールはこの国の土地の所有権をこの国の外に持ち出すことだ。竜だの剣聖だのエルフだの言って長年必死に奪い合っているこの土地を、上からひょいと摘まんで隣国のゴミ箱に投げ捨てる。そんなことができたなら一体どれだけ気持ちがいいことだろう。


 初めて彼女を認知したのは、まだ皇女に成る前だった。

 それまでの私はまだ慎重だった。

 消えた方がマシだと思える人間を少しずつ斬っていた。どこか良識的だった。傍から見て違和感がないよう、五華族を中心に分け隔てなく斬っていた。

 だけどどうだろう。

 ミヤ第五皇女は皇女に成った途端、その出自を皆殺しに()()()という。

 違和感とか、等しさとか関係なく、明確な殺意をもって一つの集団を滅していた。

 一体どれだけ酷いことをされていたらそこまで振り切れるのだろう。

 火で炙られたのだろうか。水に沈められた? それとももっと安直に辱められた?

 夜な夜な顔も知らない皇女殿下サマが苦痛を与えられているところを想像すると元気をもらえた。

 もしかしたら、初恋だった。


***


 初めてミヤ第五皇女を見たのは下町の茶屋だった。

 身を包む汚れたボロ布の変装に不釣り合いなお上品な所作で、彼女は私の働く店にやってきた。


 一目見て心底がっかりした。

 彼女は想像していたような特別な存在では全くなかった。

 生い立ちに疲れて、苦痛を受け入れた、諦めた人間の目だった。

 つまらない人生を受け入れながら、無気力に一輪の花を請うありふれた人間の目だった。

 下手な変装で、下々の民の見て回る、ごく平凡な皇族サマだった。

 こんなつまらない人間に感情を抱き、時間を浪費していた己を深く恥じた。

 この茶屋の名物団子のように串に貫かれ、ぽたぽたと血を搾取される様がお似合いだと思った。


 今ここで斬ってしまおうか。

 キリヱは呼べば必ず来る。

 そうしたら枠が一つ空いて、私の皇族成りが早まるかもしれない。


「ねえ、そこのあなた」

「…………あたし?」


 ふいに皇女に声を駆けられて、思わず思考が止まってしまう。

 いや、私が皇女だと気付いていることを彼女は知らないはずだ。


「あーい、注文うかがいまーす。なにになさいますか?」

「お団子をもう一つ頼んだら、あなた食べてくれる?」

「あー、飲み物しか歩合になんなくってー」

「そなんだ。じゃあお茶を頼むわね。お茶二つー!」


 彼女が自分で厨房に注文を入れる。

 すぐにお茶が出てきて、卓につかされる。


「いただきマス……。なんであたし?」

「特に理由はないんだけどね。退屈そうにしていたし、いいかなと思って」

「ここはそういう茶屋ではないですよ」


 この辺りには店の奥で宿屋と繋がっている茶屋もたくさんあって、時おりそっち目当ての客が迷い込むことがあるのだった。


「なら仕事ではなく、個人的にあなたを誘えばいいのかしら」

「華族様のお忍びも大概にしておかないと悪趣味だよ。なにが目的で?」

「右の手首のないお客さんがよく通っていたでしょう。さっき斬ってきたのだけど、このお店の名前を出したら事切れる前に色々喋ってくれたから、どれだけ素敵なお店なのだろうと思ってね」


 手首のない剣客というのは、おそらく厨房にいる子の父親だ。

 親であることを隠してお茶をしに来ていて、時おり()()()が相談に乗ってあげていた。「親子」という形態を観察する初めての機会だったから、私はその時間が結構好きだった。


「なんで斬ったんすか」

「この国で人を斬るのに、刀を差していた以外になにか理由が必要?」

「さあ。あたしは刀を差さないんで」

「……そ。じゃあねかわいい給仕さん。お茶がぬるくなったわ」


 それだけ言うと、彼女は自分の注文に口を付けることなく帰っていった。


「……………………」


 すごいと思った。

 こんな数言で意味もなく一方的に相手をイラつかせることは私にはできない。

 少し話しただけなのに、陰険で性悪なやつだということが真底理解できた。

 やっぱり歴史と伝統のある華族を斬りまくっている女はこうでないといけない。

 無為の言葉で無用に他者の神経を逆なでするような無益な人間でなければならない。

 万象に対して――茶屋の給仕にさえ――敵意の滲み出た生きづらそうな皇族でなければならない。


 家に帰っても、湯浴みをしていても、寝床に入っていても、あの「お茶がぬるくなったわ」という質感のない声が頭の中にこだまし続けた。

 あれは私が好きになっても――どんなに惨たらしい最期を迎えても問題のない存在だ。

 やっぱり恋かもしれなかった。


***


 皇族に成り、第五皇女の立場から見ても、ミヤ皇女は不思議な存在だった。

 苛烈なまでに華族を根絶やしにしているかと思えば、皇民のことを深く想っている。

 そこには〈華族〉のみに対する明確な敵意があった。

 わたくしは華族も皇民も、人間もエルフも、もちろん皇族も、どうしようもない存在だと感じる。

 二足歩行で道具を使い、言葉を解する時点で等しく野蛮なのだ。〈皇国〉というフレームの一要素である時点で、全ての存在がどうしようもなくどうしようもない。そこに優劣はなく、あとは犬派か猫派かみたいな差異だけだろう。

 わたくしのために出された食事を一人でもりもり食べるキリヱを眺めながら、自分は皇帝になりたいだろうかと考える。


 なりたいやつっているの……?


 皇帝に成って得られるものといえば、おそらくは地位、権力、支配力、富、冠位、余命、名声あたりのものだろう。惹かれる要素が一つもない。あるいはこれらは結局のところ子孫繁栄のために有利なステータスであり、わたくしは単に幼少期に生殖機能を破壊されているからそれらに魅力を感じないだけかもしれないけれど。


「ねえ、キサキは子供がいるわよね? 王妃という位にステータスを感じている?」

「とてとて感じますよ。貴女のいうそれらの要素を持っているということは、純粋にやれることが増えるということですからね。手段は多い方が楽しいでしょう」


 彼女が湯飲みで紅茶を飲んでから答えた。

 小さな隣国――アルス王国を皇国が属地にしないのは、ひとえにキサキ王妃のおかげだといえるだろう。アルスを支配するメリットと、彼女という茶飲み友達を失くすデメリットを考えて、おそらくは近代の有力者全員が後者を選んでいる。これだけずぶずぶに皇国の中枢と関わって、未だ彼女の身体機能が生来から一つも損なわれていないということがどれだけ驚嘆に値することだろう。その事実だけで彼女を強く尊敬できる。この人ならば傾国を企むエルフとだって悠々と次の茶会の約束を交わすだろう。


「いるんですよ、わたくしのところにも。とてとてかわいいエルフの王様が」

「キサキの国は魔法が主流だものね。うちのエルフもあなたのところに移せば幸せになれるのかしら」

「そういうのが好きな領主がいますから、お試しに五百人くらいなら受け入れられますけど、当人たちが納得しないのではなくて。先日お話したこちらのエルフは、土地に発生した精霊の具象という自認をお持ちでしたから、そこから離れるのは耐え難いでしょうね」

「……あなたってすごいのね」


 わたくしがどれだけエルフと話しても得られなかった情報だった。


「次に来た時にエルフ語を教えてあげましょうか? 『人生』と『牢獄』が同じ単語だったりして、とてとて愉快ですよ」

「それまでに予習をしておくわ」

「良い心がけですよ」


***


 それからしばらくはエルフ政策に取り組んだ。

 しかしどれも上手くいかなかった。

 結局のところどれだけ交渉しても「譲歩の意志を示すならまず皇都の土地を明け渡せ」ということになってしまう。キサキの言うとおり、土地への執着が極めて強いのだ。

 そしてわたくしは段々イライラしてしまい、「そこまでうだうだ言うんだったら国ごとお前らの大嫌いな帝国に売り払ってやるよぉ」という気持ちを強くするだけだった。

 わたくしの内臓はこんなにもすかすかなのに、わたくしの器は極めて小さいらしい。何語であろうと、根本的に人語を話す存在が嫌いなのかもしれない。キサキみたいにはなれないなと思った。


 そんな中でも唯一愛おしいと思えたのは、同母弟のユリウスの存在だった。

 自分が子孫を残せないから、「直接的な血の繋がりがある」という情報に必要以上の価値を感じてしまうのかもしれない。

 元々彼は内々で神の血を再生産するためのラインとして育てられていたから、皇族に成る予定はなかった。

 だけれど生産者は身柄を狙われやすい。手中に収めておけば白金貨を産む鶏になるからだ。

 いくつか護るための策は打ったけれど、盗人は次から次に現れた。結局のところ皇族にして強い刀(剣聖)をつけるという方法が最適になってしまった。一度皇族にしてから、アルス王国に逃がす。それならわたくしが国を売っても被害を被らないだろうし、キサキならば悪いようにはしないだろう。あとは()()刀を引けるかどうかだけれど、何振りか心当たりがあったから、根回しをして剣聖のセレクションに出てもらった。


 果たして、わたくしの推薦した刀はいともたやすく折られ、選ばれたのは冠位の弟子を名乗る刀だった。

 セイラの振う太刀には意図があり、洗練されていて、実直で、美しかった。

 つまるところ最高の引きだった。

 キリヱの扱いが上手なのも好感が持てた。

 キリヱとユリウスとセイラと四人で卓を囲むのは楽しかった。

 わたくしの人生(ろうごく)に「家族」という形態があったのなら、このようなものだったかもしれない。

 わたくしからこんなにも素晴らしい可能性を奪ったこの国を、やはり一刻も早くゴミ箱に投げ捨てなければならない。

 しばらく皇女をやったからこそ、それが一人では為せないことが分かる。

 共犯が必要だ。

 しょうもない継承争いの輪の外にいる、殺意に満ち満ちたパートナーが必要だ。

 命を委ねられる相手が必要だ。

 思いつくのなんて当然一人しかいない。

 だからこれは恋だった。


***


 深夜、ミヤ第一皇女宮に単身赴いた。


「こんばんは、ミヤ」

「おはよう、ユリアナ」


 キサキ曰く、古典エルフ語において「交渉(ネゴシエイション)」とは「平静(オティウム)否定()」という語の成り立ちを持つという。口下手なエルフたちの言語とは思えないくらいに本質をついている。


 舌戦において相手の動揺を誘うことは、論理にも勝る価値を持つ。

 例えば時間的な制約を設けると、人は容易な判断すらできなくなる。

 そこに実利的な損得を付帯させるとなおさらだ。

 あるいは暴力もまた動揺を与えるための一装置である。

 想像可能な喪失はたやすく人の思考を曇らせる。

 要するになんでもいいのだ。

 怒り、否認、焦燥、失望、どんな反応であろうと、相手の感情を揺らした時点でわたくしの交渉は有利になる。


 深夜に行くのも、手土産に雑草を摘んでいくのも、キリヱを連れずに一人でミヤ第一皇女の離宮を訪れるのも、全ては皇女をわたくしの共犯者にするための合理的な手段の一つだった。

 ……本音を言えば、動揺どころか泣かせたかった。

 自分は権力に興味がないつもりだったけれど、自分よりも順位が上の皇女を泣かせたらさぞ気持ちが良いだろうという直感はあった。

 しかしながらその直感が確かめられることはなかった。


「それが、生きる、ということだとわたくしは思う」


 言葉の一つ一つで、ミヤ皇女をわたくしにとって都合の良い形に調律していく。


「不思議……身体に火が、灯ったみたい。今、存在していることが、楽しい」

「……きっと貴女が解放してあげた皇子女たちも同じ感覚だったでしょうね」


 これにて()()のはずだった。

 あとは彼女が束縛からの解放を願って剣聖を斬った元皇族たちが実際には今どのような境遇にあるかを開示するだけでいい。

 捕えられ、手足を砕かれ、感覚を奪われ、血と糞尿を垂れ流すだけの家畜として農場に吊るされている。発話機能を奪われてなお死なせてくれと呻いている。

 自分をこの境遇に落とした第一皇女を心の底から呪い続けている。


 もっとも、ミヤだって入念に確かめてはいる。

 自分の組織(公安保)の人員を使って調べさせ、白銀等級の契約魔石を使ってそれが虚偽の報告ではないことも確かめている。

 しかし契約魔石で確かめられるのは「事実」ではなく「認識」だ。

 いくらでも裏道がある。

 契約魔石を握って問われたものが「幸せに暮らしているようだ」と認識したなら、仮にそれが身体を削ぎ落されて発話できない状態だとしても「幸せ」判定となる。

 どんなに緻密な判定ロジックであったとしても、入出力が人間を介する時点で脆弱なのだ。


 ――高揚のあとに与えるこの絶望は、ミヤの平静を容易に奪えるはずだった。

 そしたらあとはもう簡単だ。わたくしの要求はすべて通るだろう。


 (「ところで貴女が斬った皇族のその後を知っている?」)


 その一言で、ごく平凡なただのわたくしの勝ち試合になるはずだった。


「………………――――――――」


 ………………唇が動かない。


 ……言えない。

 声に出すことができない。

 どうして!!!?

 気付かないうちに私の方が調律(チューニング)を受けていた!?

 ……いや、違う。

 自分ではとっくに気が付いている。


 ――間近で彼女の瞳を覗いてしまったから。


 本質的に同類だと思っていた彼女の瞳の奥に、光への渇望を見つけてしまったから。

 暗闇で十分に目を慣らして初めて見えてくるものがあるように、それはおそらくわたくしにしか分からない針先よりも極めて小さいプロットだった。

 一度目を離したなら二度と見つけられない星のような薄さだった。

 だけど、だからこそ、それはあまりに眩しかった。

 この光を決して絶やしてはならないと直感した。

 彼女からこの最後の光を奪ってしまったなら、それはもう農場で元皇族を殺しつくす華族と同じだ。

 私にこれは奪えない。

 無垢な赤子を殺すことに一切の正当性が存在しないのと同じように、私はこの光を奪えない。

 この小さな星を殺していい道理など、この地平にも、()()にだって存在するはずがない。この光が消えてしまうような世界なら、全て滅びた方がマシなのだ。


 ――これが、生きるということ……。


 この弱く儚い、生命力に満ちた灯火を続けられるなら、自分はすべてを投げ打てると思った。

 動揺だった。

 だからこれは決して恋ではなかった。


「ただの口約束に……」

「「乾杯」」


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