あなたとわたくしの幸せな婚約
光リムを使ったシャンデリアと間接照明によって美しく華やいだ空間。
吹き抜けの天井を支える高い円柱に沿って流れ落ちる滝柱は、まるで聖水のようにキラキラと淡く光を放っている……というか、対魔物効果がある正真正銘の聖水である。
ユナちゃんの国では、農作物に生産者の肖像画をセットにするというビジネスがあったらしいけれど、この滝柱には私の画を貼っておいてほしい。「聖女が魔力を込めました!」みたいな。いや、やっぱり恥ずかしいからやめておこう。
光の流水はそのまま王宮内を小川のように走り、循環している。
三年前の魔王事変で半壊した王宮を再建するにあたって、いくつかの設計案の中から採用されたコンセプトは「光との調和」だった。
もちろん、分かりやすく裏コンセプトがある。「魔物に負けない建物」だ。
かつてこの王宮は、二年間で三度の魔物危機があった。
ソフィ会長による魔人襲撃未遂、当時のユリウス第三皇子を狙った魔人襲撃、私とエルミナによる魔獣との襲撃。
最後のはまあ置いておくとして、この王宮の魔物対策がイマイチだったのは間違いない。そして今にしてみれば、それは魔王がそうデザインしていたからなのだと分かる。
だから〈聖女〉としては、魔王の思想を抜きさるために、新しい魔物対策をやっておきたかったのだ。
結果、かなりいい感じの構造物ができあがってしまった。
魔物に強いだけでなく、視覚的にも光鮮やかで楽しい。
機能を求めた結果、そこに美しさが宿った。
まるでエルミナみたいだな、なんて思う。
高い天井を見上げれば、巡る聖水と一定の間隔で打たれた光リムが、まるで降り注ぐ星々のように輝いている。
そんな新しいアルス王宮では、今宵、近隣諸国の人々を招いた大きな夜会が開かれていた。
簡単にいうと、このエレガントな建物を見せつけて、王国の再興をアピールするためのものだった。私が徹夜して作ったピカピカエレガント水も存分に使ってね。
魔王事変で王都が壊滅状態になってから、今日この日まで、アルスが他国に侵攻されずに平和を維持できたのは極めて驚嘆の事実だった。仮に私が野心を持つ周辺国の大臣だったなら、魔王で疲弊したこの王国を確実に攻めていただろう。土地としてはイマイチかもしれないけれど、低リスクで十分な資源を掻っ攫えると判断しそうな気がする。
なにせ国王と宰相夫妻が死亡し、王都は物理的にボロボロで、国境警備の統括であるグランス公爵家は(誰かさんのおかげで)借金まみれの状態だった。
侵略者にしたなら、まさにニホン語で言うところの「濡れ手に粟」状態だ。
実際のところ、その目論見は多分にあった。王宮には両手で数えられないくらいの数の諜報員が国内外の色々なところから放たれていた。
だから私たちは相当色々やった。
これは単なる想像だけど、対価で寝返らせたり、嘘の情報を流したり、丁重におもてなしをしたり、あるいは静かにご退場いただいたり……。
他国視点だと、うちのエルミナ宰相はかなり極悪非道冷血残虐無慈悲人間であるように見えていたことだろう。エルミナを貶めるためのひどい噂が、各所で飛び交っていた。
噂によると――エルミナ宰相の屋敷には地下牢があって、攫われた大勢のエルフたちが家畜のように扱われているらしい。
噂によると――王都の崩壊はエルミナ宰相による自作自演だったらしい。
噂によると――エルミナ宰相は家族を全員殺して今の地位についたらしい。
噂によると――ウォルツ公爵家令嬢ソフィ・フィリアの失踪にもエルミナ宰相が関わっているらしい。
噂によると――聖女様の身体にはエルミナ宰相から受けた闇魔法による数々の傷痕があるらしい。
噂によると――聖女様がエルミナ宰相に従っているのは家族を人質に取られているかららしい。
などなど……。
半分くらい合っているところが面白い。うちの宰相様が普通に〝悪い〟から、「根も葉もないところから立てた悪意に塗れた噂」と「事実」が偶然重なってしまうのだ。みなさんも日頃の行いには気を付けましょう。
せっかくエルミナが〝王国の闇〟を担ってくれていたから、私は光側に立つことにした。
ピンと張られたロープが安定であるのと同じように、先んじて対立する二者が存在するときがもっとも第三者をコントロールしやすくなる、というのが学園時代からのエルミナの持論だった。
結果論だけど、これは割と上手く行っていたと思う。私にアルス王国を裏切らせて、内政に干渉しようと試みた人たちが少なからず炙り出された。
舞踏会でエルミナと仲良く踊っているように見えて、その実ちょくちょく私が膝蹴りを叩きこまれていたのも良かったと思う。不仲説を信じたい人たちの有力な根拠の一つになっていた。人生なにが幸いするか分かったものではない。
結局のところ、今の私とエルミナの関係は、魔法学園一年目の関係に近かった。
仲が悪そうに見えて本当は仲良しかと思いきやそれは上辺だけで実は支配されているように見えるんだけど意外と仲が良さそうな面もありながらそれも強要させられた演技かもしれない……みたいな。
ユナちゃんが言うところの「魔法みたい」だ。
その人がそうであってほしいと願う関係性が、私とエルミナの間に見えてしまう。私たちはただ仲良くお茶を飲んでいるだけなのに、見る側はそこに十も百もの意味を見出してしまう。一方的に情報処理のコストを掛けさせられている。この極めて「グルナート家的な」やり口を、エルミナは自身と聖女関連以外にもありとあらゆるところに大量に仕込んでいた。
なんなら、仲が悪いと思って私がかなり気を遣っていた王宮メイドの二人が、実はめちゃくちゃ仲良しだったことに一年以上も気付かなかったことすらあった。
要するに、ミクロからマクロまで様々なレイヤーでこの仕組みがあって、ただの事実ですら疑わしくなっていた。これが周辺国の対アルス処理に大きな誤解と混乱をもたらしていた。
他にも色々あったけれど、現に今まで私たちは他国に攻め込まれていない。そして王都は完全な復興を遂げた。
今日のこの夜会は、アルスの現在の体力を貴族や周辺国に示し、反対勢力を牽制する意味合いを持つ大事なものだった。
複数の国からたくさんのゲストが来ている。その中でも、キサキ王妃に一番近いところに席が用意されていたのは、スレイ皇国のミヤ第一皇女だ。
外に睨みを利かせるという意味では、私たちはスレイの皇女さま二人にかなり助けてもらっていたから、今日はそれに対する公式的なお礼表明も兼ねていた。
「やほー、ステラー」
挨拶周りが一段落して、楽器演奏が始まった頃に声を掛けられる。
スレイ皇国剣聖一位、イオリだった。
「でた、イオリだ。ごきげんよう。お久しぶり」
「ステラがスレイに来てくれないから、お久しぶりになるわけ」
「理由もなく他国に行くのって結構難しいんだから。それよりもまさか刀を持ち込んでいないよね?」
イオリのスカートの下に目を向ける。……持ってそう。
「おお、情熱的じゃん」
「懐疑的、ね」
「てかさ、ウチのこのドレスかわいくない? だいぶイケてると思うんだけど」
「似合ってますよ。特に眼帯のアクセントが、全体にメリハリをつけていて良いですね」
イオリの左眼の眼帯の下には、私が闇魔法で削り取った空洞がある。
嬉しそうなイオリが指を一本立てて、挑発的にすーっと私の首をなぞる。
かつて私が彼女に首を切断された際の太刀筋。
お互いに、いつかリベンチマッチをしたいね、と思っている。
イオリの視線が私の背後に動いたので振り返ってみると、特別臨時警備のセイラがいた。
「こういった場で斬りかかってくるのは行儀が悪いですよ、イオリ」
食べかけのフォークを持つセイラの指先が微かに動いている。おそらく頭の中では斬り合っているのだろう。楽しそうでなにより。それはそうと、キサキ王妃の横に立つカトレア卿がこちらを睨んでいるから、この剣聖一位はカトレア卿にも想像上の刀を向けたのだろう。私は知りませーん。無関係でーす。
「なにやら盛り上がっていますわね」
空のグラスを片手にエルミナもやってきた。
ちょっと疲れているように見える。小休憩で抜けてきたというところだろう。
「お疲れ様です、エルミナ」
新しいグラスを渡すと見せかけて、私も二人みたいに視線と指先で魔法杖を抜くジェスチャをやろうとしたけれど、普通にパシンと手を払われてしまった。
「あら、あなたはまだまだお元気なようですわね」
「げげ」
エルミナの視線が、そんなに元気ならお前があっちの来賓を相手してこいと訴えている。
「寝た竜を起こす」というやつだ。ユナちゃん世界では、「藪をつついて蛇を出す」と表現されるらしい。同じサイズだったなら、私は魔竜よりも魔蛇の方が戦いにくい気がする。
「ハァ、やれやれ。仕方がないですね。エルミナは休憩してていいですよ。行ってきてあげます」
恩着せがましく行こうとしたけれど、むしろ向こうからこちらに歩いてきた。エルミナを巻き込めるので、私的には負担が減って好都合だ。ごきげんよ――
「エルミナ・ファスタ・セレーネ・ツー・グルナート殿、お話があるのですがよろしいですかな」
エルミナをご指名だった。
「ごきげんよう、シレンシア聖国教会省次官ミレニア卿」
エルミナが挨拶を返しながら、私にこの人の情報を伝えてくれる。
「グルナート殿、貴殿の数々の悪事はすべて聞き及んでおります。我が国は貴殿のような穢れた指先が聖女様に触れてよいものでは決してないと考えます。我々シレンシア聖国は、我が国の信条に則り、女神様と関わりのあるお方を蔑ろにするような行為を決して看過しません。……嗚呼、聖女ステラ様」
「あ、はい……」
「我々はあなたをお救いしたいのです。どうか我が手を取り、聖国へお越しいただけないだろうか。私とッ……結婚していただきたいッ!」
急にトーンの変わった男が跪き、私の手を取ろうとする。
「なに?」という目でエルミナを見たけれど、「知りませんわ~」という視線が帰ってきただけだった。
「………………………………」
「………………………………」
え、本当に知らないの?
えっと、今シレンシア聖国と言ったはずだ。女神信仰の国で、〈教会〉の本部がある。アルスとはほんの少しだけ国境が接している。国力は向こうの方がかなり上。
「私はこの手を振り払って大丈夫?」という目でエルミナを見たら、「考えているから待ちなさい」という表情をされた。
そもそもこの男は誰の何のどういうあれなんだ。計画的? どういう目的? なにが狙い? 頭が策謀モードに入っていないからか、うまく思いつかない。ただこのままだとロクでもルートに入ってしまいそうだということだけは分かる。
なんたって王宮で婚約を申し込まれた際の私の一年後生存率はおよそ十六パーセント――今生以外は斬首、餓死、焼死、斬首、溺死。カード遊びだったなら手札を一枚交換して「斬首」を引けるとかなり強そうだ。
……じゃなくって!
もう、最近こういうのなかったから、警戒心が薄れていた。
少なくとも、ここで男の手を取ることはあり得ない。
あり得ない……のだけど、適切な対処が分からない。
例えばだけど、これが私への求婚はただの布石で、私の拒否を口実に王国に踏み込もうとしている、みたいな意図を捨てきれない。うーーん。
よくよく考えたら私は婚約破棄を破棄されるのは死ぬほど得意だけど、婚約の申し出を拒否するのは別に上手じゃなかったな。
なんて振り返っている間にも、男の手が迫ってくる。
「あのぅ……」
と、とりあえず言葉を絞り出そうとしたところに――、
「あらあらあら。まあまあまあ! わたくしは悲しいです。まさかスレイ皇国第一皇女のわたくしの婚約者に手を出そうとされる方が聖国にいらっしゃるなんて。でも一方でとても心が躍っていますわ。この不届きに、あなたの聖国は一体どのように落とし前を付けてくださるのかしら」
ミヤ第一皇女が助け船を出しにきてくれた。
「えっ……――、え、え……。そ、そうなのですか、ス、テラ殿……」
男の声が震えている。
「ええ、まあ、はい」
「そ、それは失礼いたしました。誠に、誠にっ! 大変申し訳ございませんでした」と口にするやいなや、ミヤ皇女の二の矢を受けるよりも早く男はホールから逃げてしまった。
この豹変は、スレイ皇国とシレンシア聖国の力関係によるものだろう。スレイ皇国は、周辺の国々に結構恐れられている。
「……ミヤ殿下、助けていただいてありがとうございました」
「構いませんよ。わたくしは聖国への貸しを作れましたわ」
「あの方はどういう方だったのでしょう?」
「あなたを愛していたのではなくて?」
「まさか」
「女神信仰に立脚するシレンシア聖国にとって、『聖女』という肩書きは理を越えますからね。もしかしたらいくつかの噂を信じて、あなたをそこの宰相様から救おうと考えたのかもしれないわ。ふふ、蒔いた種に歪な花が咲きましたね」
「ぐぬぬ。エルミナ的にはどう思い――疲れてませんか? エルミナ大丈夫?」
「ええ、あまりの出来事に少し眩暈がしただけでさすわ」
「そんなすごい出来事ってありました?」
「ステラ、…………まさかとは思いますけれど……いえ、あなたほどの聡明な人間が、まさかそんな、考えなしに頷いたということは決してないとわたくしは信じますけれど――」
エルミナがぶつぶつ言っている。
「なに?」
尋ねながら、一連の会話を思い返す。
「……………………あっ」
そう?
あれ?
「…………あのー、私っていつの間にかミヤ皇女殿下と婚約してることになっていませんか?」
エルミナが大げさな溜息で答えてくれた。
「わたくしの感想はあなたに任せますわ」
「まんまとスレイ皇国のいざこざに引きずり込まれましたわね。……ふふ、エルミナが言いそう」
なんて冗談を言ってないと己の失敗に向き合えない。
扇子でその口元が見えないにも関わらず、ミヤ第一皇女殿下がそこに悪い笑みをたたえていることだけは分かった。
「ステラ様がご自分で認めていらっしゃいましたね。各国からいらっしゃった会場の皆さんもお聞きになったことでしょう。わたくしは存じ上げませんでしたが、今宵の夜会はアルス王国が主催となって各国の関係者を呼んだものだそうね。まさかその主催者様がゲストである聖国の大使を足蹴にするためだけに公然と嘘の言説をするということはありえませんわね。怖いわ……戦争に至ってしまうかもしれない……ねえ、あなたもそうは思わない?」
脳を直接揺らすような声。嗚呼、なんて悪い顔なのだろう。
「……まさかエルミナに関する悪い噂を流していたのって」
「ごめんなさい、お話がよく分からないわ。わたくしはあなたとわたくしの幸せな婚約について話しているのだけれど」
「……………………」
状況を整理すると、〝嘘を吐いてはいけない場〟で『ミヤ殿下との婚約』の肯定をしてしまった。今後のアルス王国の信用のためには、嘘を嘘でなくさなければならない。……逃げ道なし!
私がきちんと状況を理解したことに、皇女が笑みを浮かべる。
「というわけですから、どうぞよろしくね、私の愛しの婚約者様」
――こうして、私の楽しいスレイ皇国皇位継承戦への道程が始まった。
どうして………………。




