まさかあれが真実の愛だったとは
朝の一階食堂は貸し切り状態だった。
正確には一般人を装ったユリアナの護衛たちで席が埋められていたために実質的には貸し切り状態だった。
極めて〝普通〟を装っていたけれど、エルミナのところのメイドたちと似たような雰囲気があったからたぶん護衛であっていると思う。
一見したら朝からめちゃくちゃ繁盛している食堂に見えるだろう。
強そうな人たちがこんなに集まって、普通の客を装ってミリンとショウユ味のご飯を食べているというのが愉快だ。この人たちはいきなり現れて皇女様と同じベッドで寝ている私のことをどう思っているのだろうと考えてみたけれど、きっと「何も思わない」が正解なのだろう。なぜならこの人たちは〝刀〟だから。……と自分に言い聞かせて気持ちを強く持ちながら、朝食を美味しくいただいた。
「ユリアナは食べないんですか?」
「わたくしはこれで十分よ」
彼女が熱いお茶をゆっくりと啜る。
そういえば昨晩ここでお茶を頼もうとしたことで怒涛の死の四連戦が始まったのだ。一周して戻ってきた感じがする。
食べ終わったころにシェイリが皇女たちの馬を連れてきてくれて、皇都に向けて出発した。
てっきり馬車に乗ってその周りに護衛が付くものと思っていたけれど、皇女様は当たり前のように騎乗だった。
朝の護衛の人たちも、少なくとも私に認識できる範囲では着いてきていない。
まあ考えてみたらキリヱがいる時点で戦力としては十分なのかもしれない。
ユリアナ、キリヱ、エルミナ、シェイリ、私の五頭立てで山と野を交互に駆ける。
シェイリの先導だった。
昨晩のシェイリはものすごい労力をかけて見つけた刀を奪われたことに一瞬遠い目をしていたけれど、皇族と剣聖が近距離にいることで完全にそれどころではなくなっていた。アルスでいうなら、平民がいきなり貴族の魔法学園に放り込まれて、公爵令嬢に絡まれているみたいなものだろう。
加えて、シェイリの所属する皇都公共安全保障局はミヤ第一皇女を長とする組織であるらしい。つまり、①目前の皇族に対し不敬があってはならない、②第一皇女の不利益となる言動を第二皇女に取ってはならない
の板挟みにあっていた。
あらゆる配慮を試みた結果として、道中のシェイリはエルミナとばかり話していた。そういうのってあるよね。
その分、私はユリアナとたくさん話した。
特に皇位継承について、当事者から話を聞けたから結構詳しくなった。
1.皇帝がその資格を失った際に、その時点での皇位継承権第一位が皇帝になる
2.皇帝の資格喪失とは皇帝の死亡、または皇帝付きの剣聖〈冠位〉の死亡を指す
3.皇位継承権第一位が皇帝となった際、その時点における他の継承候補者は死亡する
捕捉:
皇位継承権は、生得的に神の血を宿す者が剣聖を獲得することで発生する
皇位継承者に一度なったなら自らその権利を手放すことはできない
自身の死、または剣聖の死によってのみ継承戦から脱落する
握り手の皇族が死ぬときその剣聖は死ぬ
「興味深いですね」
他国の人間がどうこういうものではないかもしれないけれど、中々に血生臭いルールだ。シチューに浮かんだパセリくらい死が散りばめられている。
「逆にいうと、継承権を持っているユリアナが今日ミヤ様と現皇帝を殺したなら、合法的? に今すぐ皇帝になれるということ?」
「そういうこと」
「面白いな。ルールがぐちゃぐちゃしてるんですね。例えばミヤ様よりも先に皇帝を殺しちゃうと、ルール3でユリアナが死んじゃう。だから殺すときは絶対にミヤ、皇帝の順じゃないと駄目なんだ」
「理解が早いわね」
「でもこのルールでそもそも、婚約破棄とか糾弾とか意味あります?」
「追い風と向かい風、貴女はどちらが走りやすいの?」
「そういうものか。このルールでいう『死亡する』っていうのは処刑されるということですか?」
「わたくしたちは剣聖を得た際に〈誓約〉と呼ばれる契りを結んでいるわ。アルスで魔王を倒した貴女なら、どういうものだか分かるでしょう?」
「…………」
想像できた。
かつてアルスにいた魔王は〈契約〉という力を使っていた。〈契約〉の拘束力は絶対だ。命よりも重い。仮に「魔王の死から七日後に首が落ちる」と契約したなら、理屈ではなく七日後に首は落ちる。
これは絶対に表には出ることのない情報だけど、二年前に私たちが魔王を倒した七日後、アルス王宮で何人かが同時に急死した。まさかキサキ王妃以外にもそんな契約を結んでいた人がいたなんて思いもしなかったから、随分と焦ったものである。
おそらくはスレイで結ばれる〈誓約〉にもそのような拘束力があるのだろう。
「継承候補者って今は何人いるんですか?」
「基本的には常に五人よ。この国の建国神話を聞いた? 七振りの神刀があるから、冠位と天位を合わせて剣聖が七人。もちろん、皇子女や剣聖の死によって一時的に減ることはあるけれどね」
「さっきのルールと合わせると面白いですね。継承権一位は皇帝殺しを自分の好きなタイミングで狙えるけど、二位以下の人たちは一位が皇帝を殺した瞬間に死亡が確定しちゃうから、なりふり構っていられないんだ」
「貴女って目の付け所が皇族向きね。そこが本質だとわたくしも思う。見えざる死と同居しながら、それでもなりふりを構えるか。礼節を保ち、優雅に生きられるか、そういう資質を問われているのではないかしらね」
彼女がいたずらっぽく、優雅に髪を撫でてみせた。
「それはそれとして、ミヤが嫌がることならわたくしはなんでもやるけどね」
「私に結婚を申し込んだりね」
「我ながら、礼節を保った優雅で素敵なプロポーズでしたね」
***
夕方ごろに皇都に到着した。
結局、剣技大会のあとに馬を得てから三日だったから、かなり頑張った方だろう。
ユリアナは皇族とは思えないほど馬の扱いが上手だった。馬が好きな人の乗り方だった。
「ようこそ、わたくしの街へ」
「うわぁ……」
皇都を目前に、思わず馬鹿みたいな感嘆の声が漏れる。
見上げるほどに高い外壁が、両端が見えないほどに長く続いている。
壁すぎて、近づくまで逆に壁として認識できなかったほどだ。
スレイ皇国がアルスなんかよりもよっぽどの大国であったことを思い出す。
少なくとも、来訪者にそれを思い出させるという点で、この壁は十全に機能を果たしているといえた。
「あれって全部入門待ちの人ですか?」
「そうね。例祭が近いから、普段よりもずっと多いけれど」
入場門には長蛇の列ができていた。今日中の皇都入りを諦めて、テントを張っている人たちもいる。それに対して飲食物を売っている人や見世物をやっている人もいて、壁の外ですら生活が成立していた。
皇族関係者なしで皇都入りしようとしていたら、確実にここで足止めを喰らっていただろう。
裏手に貴人専用の出入り門と隠し門が別にあり、私たちは隠し門の方から皇都に入場した。
門はそのまま地下のトンネルに繋がっていた。
かつてソフィ会長がアルス王都を破壊するために張り巡らせていた地下トンネルを思い出す。
断面を見るに、魔法ではなくてしっかりと手作業で掘られたものらしい。
「こういうの他国の人間に見せちゃっていいんですか?」
「喧伝してもいいわよ。ここから攻めてきてくれたら出口から火を放つだけで済むから一番楽なのよ」
「そうですか」
この都はアルスとは違って、皇宮を中心に完全な円状に広がっているそうだ。内側から順に皇族施設、内壁帯、城下町、外隔壁、という層になっているらしい。
ミヤやユリアナがそれぞれに住む皇女宮も皇宮エリアにあるという。そういわれると近所なのかなという気がするけれど、実際は何千馬身も離れているそうだ。つまりは皇宮エリア――そもそも皇都そのものがめちゃくちゃ広いということである。
……何も見えない地下を通ってきたからスケールが全然分からないね。
「さて。わたくしは皇宮に戻るけれど、貴女たちはどうする? 愛しの婚約者様をみなに紹介してもいいけれど」
「勘弁してください。ミヤ皇女殿下との婚約破棄が先です」
「そういえばそういう話だったわね。忘れていたわ」
「おい」
「なら明日、大燈籠という料亭があるから、お昼の鐘にそこに来て。諸々準備しておくから、そこで詰めましょう」
「随分と準備が良いんですね」
「あら、貴女の国では行動が遅いことに何かメリットが生じるの?」
「ぐぬ~」
「あのっ、私はどうすればよろしいでしょうか……」
私たちが解散しそうになっている雰囲気を察して、シェイリがおずおずと尋ねた。
どうしてほしいですかの「どうすれば」だった。
普通に考えたら、上司である第一皇女に私たちのことを報告するのが筋だろうけれど、シェイリは私に命の恩義がある。セイラを見ていたら分かるように、この国の人の「恩」はアルスのものよりも重そうだ。その恩ある私が第二皇女と結託して、第一皇女を貶めそうな悪だくみをしているから困っているのだと思う。
板挟みにさせちゃってごめんね。
私が返答の仕方に悩んでいるのを引き継いで、
「好きにしたら?」
とユリアナが答えた。
確かに、私としても口封じのようなことはしたくない。
お詫びと言ってはなんだけど、残雪を素直に渡すことにした。事前の私の緻密でパーフェクトな計画ではこの場でゴネまくって、恩に訴えかけて、あわよくば自分のものにするつもりだったのだが、流石にそれはシェイリが可哀そうだった。
せめて刀の一振りくらいは今回の成果として持って行ってもらいたい。
ばいばい、残雪。
きみじゃなかったら、私は昨日で死んでいたと思う。一緒に戦えて楽しかったよ。
センチメンタルな私とは裏腹に、この子は相変わらず「……殺す?」といつもの殺気を放っている。
まあ、そういうところが可愛かったんだけど。
「ありがとう、ステラ」
シェイリが頭を下げた。
この国のジェスチャは感謝と謝罪の違いが分かりにくいけれど、今のはきっと両方だろう。
「また会える? 昔剣聖に割られたっていう刀を見るって約束まだ生きてるよね?」
「それは……ミヤ様次第だと思う」
「確かに」
「早く行ったら?」
「はい」
ユリアナに追い払われたその背中を見て、いつかきちんとセイラを紹介してあげようと思った。
***
「なんかどっと疲れましたね」
皇宮関係者たちと別れ、取ってもらった旅館で露天風呂に浸かった。
本当は皇都を観光をしたいところだったのだけど、一度ゆっくりお風呂に入ったら出たくなくなってしまった。思えばスレイに来てから、移動と死闘ばかりしている気がする。
エルミナが呆けた表情で湯に浮かんでいる。
ここのお風呂はとても広い。
加えて貸し切りだ。
建物の入口から客室ごとに動線が分かれて、客同士が顔を合わせることがないようになっていた。きっとお風呂も客室ごとに付いているのだろう。
なぜこんなにも予算が潤沢そうなのにわざわざお風呂を野外にするのだろうと疑問があるけれど、空が見えるのは大きな利点だ。アルスよりも夜の街が明るいためか、見える星数は少ない。冷たい外気が心地ちいい。
「ユリアナに会うの明後日にしてもらえば良かったな。明日も一日ゆっくりしたいですねえ」
「わたくしはもう、アルスに戻っても満足ですわ」
「私を残して帰る気満々じゃん」
「ユナがカロを連れてきてくれないかしら」
「竜に乗って空からサクッと快適に帰ろうとしないで。でもこの国はエルフの人が多いから、裏に隠れ騎竜部隊とかあっても驚かないですよね。さっき露店で、竜が巻き付いた剣の金細工が売ってましたよ。誰かに買って行ってあげようかな」
「自分がもらったとして、あれいりますぅ?」
「カッコいいのに……」
たぶんヨハン王子は喜んでくれると思う。喜びのあまり求婚されてしまうかもしれない。
「一応親しい者として言っておいて差し上げますけど、あなたの求婚観、終わっていますわよ」
「それは私じゃなくって求婚してくる人たちに言ってください。今回のユリアナ様はポイント制じゃなかったですし。最近思うんですけど、政治的な思惑なしに純粋な欲求で私に結婚を申し込んでくれたのって、たぶんエディング第二王子だけなんですよね。まさかあれがいわゆる『真実の愛』だったとは……。アルスに戻ったら逆に求婚してみようかな」
「あなたには普通に痛い目にあって欲しいですわ」
「ね。そういえばあの方ってエルミナの婚約者でもあったんですよね。もはや遠い昔の話のような気がします」
「わたくしの記憶が正しければ、あなたの根回しでわたくしの婚約は破棄されたと思うのですけれど」
「そうだっけ? あはは」
当時はエルミナが処刑されそうだったからてんやわんやだったけれど、あのときは、
①エルミナと第二王子の婚約破棄
②第二王子とステラの婚約
③第二王子とステラの婚約破棄
④エルミナと第一王子の婚約
が同時に行われたのだった。
あの時の成功体験があるからなんとなく、今回のダブル婚約もなんとかなるだろうと思ってしまうのだ。
「わたくしたちは完全に政略的な婚約でしたけど、エディング殿下は一体あなたのなにが良かったのかしら」
「当時だと、聖女の肩書とかもあったと思いますけど、今はそうでもないでしょうね。あとはコレですかね。……ごほん……いきますよ…………聖女すまーいる!」
かつて王族すらも落とし、先日は酒飲み相手に銅貨二枚を稼いだと言われる聖女スマイル。疲労のせいでただのへらへら顔になってしまった気がする。「うあ、やめっ」
エルミナが無言でお湯をばしゃばしゃかけてくる。
「あなたそれをユリアナ皇女にもやりましたの?」
「まさか」
「やらない方がいいと思いますわ」
「アルスに戻ったら、万全の状態の〝本物の〟聖女すまいるをご覧に入れますよ!」
「やっぱり、あなたを残して帰りますわ」
「そんな~」
やっぱり長湯をしながらエルミナと中身のないおしゃべりをだらだらするのが一番元気がでる。
***
翌日、昼の鐘の少し前に指定された料亭に向かう。
昨日の宿よりもさらに一段上の超高級の佇まいだった。
床、壁、天井、オブジェ、目に入るものすべてに統一的な技巧と意匠が感じられる。
もしかしたら石畳の足音の響き方まで設計に考慮されているかもしれない。
自分の着ている服が場違いに思えて隠れたくなる。
仮に自分が他国の使節だったとして、こんなところに通されてしまったらそれだけで委縮して何も要求できなくなってしまいそうだ。私はこれから婚約破棄の密談をするんだけど。
本館から長い廊下を渉り、人工的に作られた小川を横切り、独立した平屋のような建物に案内される。中庭の池には色鮮やかな魚が泳いでいた。
外からは想像できない堅牢な扉を二枚開け、さらに二部屋通過すると、ようやく食事スペースだった。
空腹時に来ていたらこの部屋にたどり着く前に餓死していたかもしれない。
部屋に通されてしばらく待っていると、ユリアナがやってきた。
「ごきげんよう、ステラ、エルミナ」
「ごきげんよう、ユリアナ」
「ごきげんよう、ユリアナ様」
「あのね、貴女に一つ謝りたいことがあって……」
「なんですか?」
「バレちゃった……えへ」
ユリアナ第二皇女の後ろから、ミヤ第一皇女が顔を出した。
「……来ちゃった」
エルミナと顔を見合わせる。
紹介するね。こちらがミヤ第一皇女。私の婚約者。
そしてこちらがユリアナ第二皇女。私の婚約者。
「………………」
「………………」
…………お、お前~~~~っ!




