Q.52 光の中で微笑んで
前略、世界の魔女相手に隙をつき、勝利した。
そして、精神空間で対話を試みた。
「……ネメアの弟子」
「はい、世界の魔女、キリエ……貴女のことは我が師から何度か話を聞かされていましたが、こうして直接お話させていただくのは初めてのことになります」
「そうだね、それで? わざわざ出てきたって事はこの娘が私を言い負かしてくれるのかな?」
卑屈気味に皮肉を口にするキリエ。ここから先は俺が口を挟むことじゃなく、ユーラフェンが言いたいことを言うだけだ。
首を横に振り、ゆっくりと口を開くと、ユーラフェンは語り始める。
「私は……この世界が嫌いでした」
「………そう」
「生まれつき身体も弱く、この白い髪と肌は陽の光で焼かれるように痛む……」
「………」
「まともに陽の下を歩くこともできず、小さな家の中が……私の世界の全てでした」
身の上話、自分語りだと言ってしまえばそれで終わることだろう。けれど、ユーラフェンだからこそ、彼女と近しい境遇のユーラフェンが語るからこそ、キリエはそれを無碍にできない。
「私はこの世界が好きです」
「……え?」
「我が師と出会い、私は文字通り生まれ変わりました。この世界を歩けるようになって、共に旅をして、色々な事を知りました。美味しいお茶の淹れ方、様々な魔術や魔法、そして精一杯生きる人々」
穏やかに、僅かな表情の変化ではあるが、微笑みを浮かべてユーラフェンは語り続ける。
「私はあの世界が好きです。メグルという一人の人間を生んでくれたから。……私の大好きな世界を創ってくれた、貴女が生まれた世界だから」
「何が言いたいの……?」
「私は貴女に感謝したいのです。私の生まれた世界を創ってくれたことを、私達を生んでくれたということを」
「―――!」
ユーラフェンの心からの言葉。本音で語り合う事しかできないこの空間において、ユーラフェンは嘘をつくことができない。
それを疑うとして、感謝を伝える言葉ですら疑いにかかるのであれば、もはや打つ手はない。向けられた善意と好意すら否定してしまうのであれば、それは人間が嫌いだと断定できてしまうからだ。
「そして……私達を頼ってください。私も、我が師も……他の魔女の方々も、きっと力になってくださいます」
「頼る……?」
「えぇ、貴女一人で抱え込まないでください。私達は貴女から生まれたものなのかもしれない、彼らの模造品なのかもしれない、けれど……貴女は、貴女が私達を一人の人間だと……そう想ってくれているのであれば、私達はただ貴女に守られるだけのペットで居たくはありません」
「ペットだなんて、そんなこと……!」
「でしたら、頼ってください。人間というのは、頼り頼られ生きていくものだと、私は世界各地を我が師と、メグルと旅をして学びました。世界の魔女、いいえ……キリエ、貴女は神ではなく、人間であるのなら……より良い未来を一緒に掴もうと、私達に希望を預けてはくれませんか?」
キリエの手を握り、じっと瞳を見つめる。金色の瞳と赤い瞳が交わり、キリエはバツが悪そうに目を逸らしてしまう。
「……ダメだよ、私は許されない……」
「誰かに許さないと言われたんですか?」
「だって、ほとんどの魔女が私と敵対する道を選んだ! 天使が私の世界に現れるのも、私はあの世界を奪い取るために見て見ぬふりをして……そのために何人も、何人も死んだ……!」
「そうですね、貴女の力があればきっと救われた命はあったでしょう」
「私は自分の世界の子達よりも……復讐を優先することを選んだ、そんな私に――――」
キリエの本心、それは復讐を選んだ事に対する罪悪感と自罰心。キリエ自身も理解しているのだ、自分のやっている行動は自分の世界のためではなく、ただ単に自分の3000年の妄執に由来する独りよがりな復讐なのだと。
「であれば、ここで止めてしまっても構わないのではないのですか?」
「――え……?」
「復讐をやり遂げる事が、私達に報いるものではないと理解しているのであれば、まだ立ち止まれると私は思います。ここで尚も復讐を選び、我が師やメグルたちと対立してしまっては、それこそ誰にも許されなくなってしまいます」
「それ、は……そう、だけれど……」
歯切れの悪い言葉で、視線を泳がせる。彼女もやめる理由が欲しいのだろう。何せ自分が元の世界で生きてきた時間よりも、自分が創り出した世界で復讐のために生きてきた時間の方が長いのだ、止めろと言われてわかりましたとは、人間なら抵抗があるものだ。
それなら、俺が止める理由になってやればいい。
「キリエ、今本当にやるべきことはなんだ? あんたの世界を救う事じゃないのか?」
「そんなこと、わかってる」
「んで、あんたの世界を救うのに、復讐を果たす必要はあるのか?」
「………」
「あんた一人でどうにかできる問題だったのなら、あんた含めた12人の魔女と俺で、より平和にかつ確実に解決できるんじゃないのか?」
「……うん、できると思う」
「ならまずは世界を救おうぜ、眼前の問題を解決してから復讐の事を考えればいい。納得ができない、もやもやした気持ちが残るってんなら……全部終わった後に、俺が俺の世界の代表としてあんたの想いを受け止めてやるよ」
「……なんで、あなたが?」
「乗りかかった船って言うのか、それとも縁ができたからって言うべきか……俺は誰にも不幸になってほしくないだけだよ、全員幸せにハッピーエンドで良いじゃないか」
何もこうしなければならない、なんて話ではないのだ。復讐を遂げなければ世界を救えないわけじゃない。キリエを殺さなければ世界を救えないわけじゃない。
世界を救ってから、また喧嘩をしても良いはずだ。後顧の憂い無く、ただ納得をつけるためだけに殴り合えば良い。
その相手に相応しいのは、俺なんじゃないかと思ったから、俺は俺の意思で彼女を受け止めてやりたいと応えた。
「……ふふ、ふふふ……あははっ! はぁ、なにそれ、こんな魔女にそんな甘い綺麗事言っちゃってさ」
「俺だって今は魔女だぞ?」
「そういう意味じゃなくて……はぁ、馬鹿らしい」
キリエの顔にはこれまで見せていた飄々とした、皮肉めいた笑みとは違う、自然な笑みがこぼれる。おかしそうに、心の底から笑い声を吐き出すと、憑き物が落ちたような表情を浮かべる。
「いいよ、うん、そもそもこうやって精神に干渉されちゃった時点で私の負けなんだし。認めるよ、橘巡瑠くん、キミの……キミ達の勝ちだ」
「……ありがとう、キリエ」
「その代わり、私を生かしたんだ、私の世界を救うために力を貸してもらうよ?」
「それはもちろん、命を差し出せとか以外ならなんだってやるさ」
キリエが敗北を認めた。これで、長いようで短い、俺の戦いが終わりを告げた。
なら後はハッピーエンドにするための最後の工程に向かうだけだ。こうやって精神世界で語り合う必要も無くなった。
「それじゃあネメア達に説明しないとな、ユーラフェンもありがとう」
「いえ、こちらこそありがとうございます、メグル」
「はぁ、なんだかどっと疲れた感じ。精神世界なのに」
「本音で語り合うってのは疲れるもんさ、お疲れ様」
この空間を形成している魔法を解き、まるでガラスが割れていくかのように、周囲がひび割れ白い光が辺りを包みこんでいく。
ユーラフェンが光の中に消え、キリエも光に包まれていく中――――
「ごめんね、そして……ありがとう、橘巡瑠」
光に消える直前、無垢な少女のように微笑むキリエの姿が見えた、そんな気がした。