両親⑦
「『選択』と、『加害性』が、同居しない世界……」
彼女の言うそれが『真の最大幸福』なるものと、具体的に何が違うのかも釈然としない。
そうでなくとも、俺は親父のことをよく知らない。
なんせ、実の息子に対して、官僚であることすらも隠していたほどだ。
忙しさに感け、碌に家庭を顧みず、挙げ句その命を代償にしてまで成し得たかった『理想』とやらは、俺たちが失ったものと釣り合いが取れるものなのだろうか。
彼女の垂れ流した突拍子のない話は、状況整理も覚束ない俺の頭をそんな疑念で埋め尽くした。
「キミは紛いなりにも、これまでの人生で幾度の『選択』をしてきたワケだ。そして、その最たるものが『残された母親を支える』こと。それを選んだのは、キミ自身の意志だった。それが今のキミの認識だね?」
市村さんは、反応らしい反応も見せずにいた俺を、煽り立てるように聞いてくる。
「はい……」
「マスミンの判決が確定した当時、キミはまだ未成年だった。祖父母を頼ろうにも、母方とは結婚する時に一悶着あったこともあってほぼほぼ絶縁状態。父方に至っては事故で早世してるときたもんだ。となると……、必然的に後見人が必要になってくる。だからキミは」
「……神取さんにお願いしました。親戚からは軒並み縁を切られていたので」
暗に目で答えを催促する彼女に、俺は屈するように答える。
「傍から見ても、ホントにお人好しな弁護士だと思うよ。キミが信頼していたのも頷ける。つっても、キミが弁護士秘書の真似事を始めたのは流石に驚いたけどね!」
「……中坊でバイトも出来ませんでしたからね。生活の面倒を見てもらう代わりに、裏で事務仕事をチョロっと手伝ってたってだけですよ。役所には目を付けられてるだろうし、福祉に頼れそうな雰囲気でもなかったんでね。ていうか……、それは親父のシナリオじゃないんですか?」
そう聞くと、彼女は白々しく目を細め、無言で『肯定』してみせた。
わざわざ蒸し返したくもない過去を穿るからには、彼女なりの意図があるのだろうが、気分が良いものではない。
だが、自然と腑に落ちる話だ。
神取さんの手伝いをしていたのは、中学・高校の数年間だったが、思えば法律について学び始めたのもその時だった。
「そこで、だ。少し考えてみて欲しい。キミ自身の痛みの根源について。ただでさえ多感な時期だ。内心、複雑な想いを秘めていたのではないのかね?」
「……何に対して、ですか?」
「もちろん、マスミンにだ! たとえ、彼女が潔白であったとしても、結果的にキミを苦しめたことに違いはない。その気になれば、マスミンを切り捨てて、新しい人生を始めることだって出来たはずだ。だが、キミはそれをしなかった。足繁く面会に通い、事もなげにその健在振りを伝えた。まるで『帰る場所ならある』と言わんばかりに。それは何故だろう?」
「そんなん……、わざわざ聞かれる意味が分かりませんし、本気で聞いているのでしたら人間性を疑いますね。多少擦れた自覚はありますが、俺もそこまで人の心を失ってませんよ。それに……、俺はともかく、あの人は言葉には出さずとも、ずっと再審の準備をしていたんだ。ただでさえ、慈善事業同然の破格で担当になってくれたんです……。そんな人を放って、身内の俺がさっさとフェードアウトなんて、それこそ無礼でしょうが……。少なくともその時までは、無実だって確証があったわけですから」
「『少なくともその時までは』、ね……」
悪意すら感じさせる、彼女のその確信犯的な呟きは、傍らで聞いていたお袋の表情をより一層曇らせる。
俺自身、臆面もなく話す彼女に対して、怒りよりも恐怖に近い何かを覚えつつあった。
「キミが相も変わらず惚けているようだから、代わりに答えてあげよう。キミがどんなに社会から貶められようとも、『荻原 麻遥の息子』を辞めなかった理由……。それは無実の確証があったからとか、身内だからどうとか、恩人の弁護士がどうだとか、そんなんじゃない。他でもない、キミ自身が『不幸』であることを望んだから」
彼女にそう言われ、何故か心臓が跳ね上がったような感覚になる。
そんな俺のことを、彼女は決して見逃したりはしなかった。
「現状に甘んじてさえいれば、少なくとも今以上の『不幸』はない。キミはそんな意識を、知らず知らずのうちに刷り込まれていったのだろう。実際は違うのにも拘らず、ね」
いつか、石橋に対して感じていたことを、そのまま言われた気分だ。
自覚してはいた。
図らずも、俺は石橋を通して、自分自身に同じことを問いかけていたのだろう。
「だけどね。それはキミに限った話じゃない。生きていれば、多かれ少なかれ守るべきものは生まれてくる。それはどんなカタチであれ、だ。そして人は、それを蔑ろにしようとした者に、『加害性』を追及する。たとえ、一方的に、押し付けられたものであってもね。だから、キミは選ばされた。誰が何と言おうと、キミが何を思おうと。コレが現実だ。どうだい? 絶望的なほどに、雁字搦めだろ?」
確かに彼女の言う通りだ。
一丁前に、恩着せがましく、『お袋を支える』などと息巻いて。
その実、得体の知れない『幸福』よりも、今以上の『不幸』を恐れていただけだった。
そして『諦観』などと、連中にとっての都合の良い論理に乗っかり、自分自身を言い包めていただけのかもしれない。
だが、それは……。
俺にとってもはや、別段新鮮味のある話ではない。
細かな表現こそ違えど、似たことを既に田沼さんにも言われている。
そうだ。
生憎こちらは、その程度の気持ちの棚卸しなど、嫌と言うほど経験させられているのだ。
「キミはこれまでずっとそうして、与えられ続けてきた。消失も、敗北も、屈辱も、挫折も。何ならそこから派生した出会いまで、全部。それにも拘らず、自分で選んで決めてきたような気になって、納得した気になって……。そうして行きつくようにして、辿り着いた緩やかな停滞……。そんなものはキミ自身の『選択』と呼べるのだろうか」
「……何すか。何が言いたいんですかね? そんな当たり前のこと、今更言われずとも分かってますよ。大体、親父の計画の片棒担いできた、あんたらにだけは言われたくないっつーの。ここまで散々ディスっておいて、結局あんたも田沼さんと言ってること変わらないじゃないですか」
そう返答すると、彼女はジトリとした、訴えかけるような視線で射抜いてくる。
「あぁ、確かにその通りかもしれないな。だが、まさにそこなんだよ、根本の問題は。キミに限らず、世の全ての『選択』には、『加害性』が付き纏う。だから、ターくんはそれを取り除こうとしたんだよ」
市村さんはそう言うと、間髪入れずに口を開く。
「事件後、多くの人間はキミから離れていった。それこそ、あの山片姉妹ですら、世の大きな流れには逆らえなかった。たった一つの『不幸』をきっかけに、全てのアドバンテージを失ったキミの可能性は、大幅に狭まった。これは外的要因であって、キミ自身の瑕疵によるものではない。それにも拘らず、社会は色眼鏡でキミを見通し、事あるごとにソレを蒸し返そうとする。まるで一生底辺で這いつくばれと言わんばかりに……。『選ぶ』ことは、罪なんだ。特にキミのように、因縁を付けられた人間にとってはね。その身に貼られたレッテル通り、『加害者家族』として、贖罪のための人生を送る。それが唯一、社会から期待されているキミの役割だ。理不尽極まりない……。そしてそれは、きっかけ次第で誰にでも起こり得ることでもあるんだよ」
お得意の戯言の類にも聞こえるが、分からないでもない話だった。
お袋を切り捨て、新しい人生を歩む。
俺が選べなかった……、選ぶはずがなかった選択肢。
極論も極論だが、彼女の話を聞けば、わざわざソレを提示してきたのも納得がいく。
『選ぶ』ことは、罪。
なるほど……、言い得て妙だ。
『諦観』などと嘯き、知らず知らずのうちに刷り込まれていったものの正体こそ、彼女の言う『加害性』なのだろう。
長年、自分の中で靄ついていた得体の知れない感覚が、言語化されたようだった。
「別に……、それ自体はおかしな話じゃないでしょ。この国じゃ、冤罪だろうが何だろうが、ラベリングされた瞬間、終わりです。『コイツになら何やってもいい』って、お墨付きが与えられるようなモンですから。自分や身内に危害が及ぶ可能性があるなら、誰だって他人にソレを擦り付けますよ……」
「そう、その通り。だから荻原 汰維志は、その歪みを解消しようとした。民意も、階層も、思想も、信条も……。事実上、全部コントロールされているこの国では、『自由』なんてモンは砂上の楼閣だ。全ての人間が環境や境遇に左右されずに、逡巡なく自分の意志を貫ける、真の意味での平等な社会。それを築くためには、一度幸も不幸もないほどの混沌を齎して、目線を揃える必要がある。誰もが同じ前提なら、そこに『加害性』が介在する余地はない。『世界を平らに均す』とは、まさにこのことだね」
ただただ、途方もない。
罰ゲーム同然の日々をやり過ごしていただけの俺などには、とても想像できない、荒唐無稽な世界だ。
しかし、どうにも聞き馴染みがある。
彼女が滔々と述べてきた親父の『理想』とは、まさに初めに田沼さんに持ちかけられた、あの計画そのものにも思える。
それ故に……、彼女の話には違和感が拭えなかった。
「……何だよ、それ。全然、話がチゲェじゃねぇかよ。俺の計画と矛盾しないって話はどこいったんすかね? ソッチのがよっぽど破滅的だし、政府の偽旗のソレと大差ねぇだろうが」
「まぁ、話は最後まで聞きたまえ。キミはこの十数年、地獄を見た。それこそ文字通りの、ね」
市村さんはそう言ってくるりと踵を返し、俺に背を向ける。
すると、肩越しにこれみよがしに手持ちのUSBを掲げ、見せつけてくる。
「一つ、重要な事実を言っておこう。こちらの本物には、全国民の推定潜在境遇ポイントに関するデータが収載されているが、ことキミに関しては、これまでの全ての歩みが事細かに記されている。無論、それは遡及的なものではなく、ある種の預言書のようなものだ。これがどういうことか、分かるだろ?」
「俺は……、親父の意向に沿って生きてきた、とでも?」
そう問いかけると、まるで禁忌にでも触れたかのように、彼女は振り向きざまにクスリと息を漏らし、不敵に笑いかけてくる。
「だって、考えてもみなよ。『生活保護の不承認の先に及んだ犯行』なんて、マスミンがクロだって前提があったにしても、もう少し世間から同情の目があっても良さそうなモンだろ? それに、だ。この国には前例主義の究極とも言える『永山基準』ってモンがある。キミも名前くらい聞いたことあるだろ? たかだが一人殺しただけのマスミンが死刑になることなんて、通例から言ってもほぼほぼ有り得ない。それどころか、無期刑ですらちょっと重いくらいだ。こんなの、裁判そのものが茶番ってことの裏付けでしかないでしょ!」
「そんな……、身も蓋もない」
「まぁ、つってもあの弁護士は、遺族感情を逆撫でしかねないソレを持ち出すことに、抵抗があったみたいだからね。キミがその辺りに、違和感を覚えなかったのは無理もないのかもしれない。でもぶっちゃけソレって、弁護士としてどうなん? とは思うけど。だからまぁ、ここまで概ねキミの想定している通りだ。ただ一つを除いては、ね」
ここまで聞いて、ようやく自分の立場というものを理解出来た気がする。
俺は、巻き込まれたんじゃない。
端から俺の人生は、親父の計画の一過程に過ぎなかったのだ。
概ね親父は俺に対して、計画のアジテーターとしての役割を押し付ける算段を付けていたのだろう。
そしてそれは少なくとも、あの事件までは順当にいっていたが、一つ誤算が生まれた。
それこそが……。
「……田沼さん、ですか?」
気付けば、ポッと声に出ていた。
すると彼女は、投げやりに口角を上げて見せる。
「まぁね。そもそもの事のズレは、あの子自身のエゴが発祥元だと言っていい。今まさに、あの子がやろうとしていることのようにね」
彼女からそう言われた時、俺の思考は一瞬滞る。
そんな俺の動揺をつぶさに感じ取ったのか、彼女は立て続けに言葉を紡ぐ。
「確かにターくんは、キミを計画に引き込むつもりではいたよ? ただ言うても、ターくんだって人の子だ。好き好んで自分の息子に『不幸』を……、ましてや『殺人犯の息子』なんて汚名を着せるつもりはなかった」
「じゃあ、なんで……」
そう呟くと、彼女は溜息混じりに、ぽつぽつと事の次第を話し出す。
話は、親父が市村さんたちが在籍していた国立大学の特任教授として、出向してきた頃にまで遡る。
親父の異動は、左遷同然のものではあったが、計画自体を諦めたわけではなかった。
しかし、一度は『危険人物』と烙印を押された身である。
政府の監視の目が、完全に解かれたわけではなかった。
だがその一方、政府は政府でジレンマも抱えていた。
というのも、連中は先々の悪用を視野に入れていたため、露骨な干渉によって、試作段階のシステムの存在が公になりかねない事態は避けたかったようだ。
そのことをよく理解していた親父は、そんな政府の思惑を利用する。
『ゼミ生との共同研究』という体で一般の学生を巻き込むカタチを取ることで、連中が安易に手出し出来ない状況を作り出すことに成功する。
結果としてそれが功を奏し、政府に残してきたものとは別口で開発を進めていた予備システムを完成させるに至った。
その、形式上の共同研究者である『ゼミ生』の一人こそが、田沼さんだったと言う。
「なるほど……。それが親父と田沼さんとの関係性、ですか」
「そうそう! ターくんも抜け目ないっていうか、中々老獪なことするよね!」
市村さんはそう言うと、半ば呆れるように笑う。
「……にしても、形式上とは言えゼミ生の研究に託けて、とか形振り構わずにも程があるでしょ。どんだけ必死だったんすか」
「だね! 一応、荻原派のあたしも、ぶっちゃけソレにはかなり引いてるよ。でもまぁそんだけ、ターくんを突き動かす何かがあったってことは確かなんだと思うよ。まぁこればっかしは、あたしらには教えてくんなかったしな〜」
「そうですね……。市村先生については、この通りほとんど興味本位ですし、荻原課長が私達に対して、何か個人的な想いを吐露されるようなこともありませんでしたしね。荻原課長もそこは明確に線引きしていたのでしょう」
「いやいや、角ちゃん。『興味本位』って酷くない? あたしだって、組織の一員だよ!? まぁ要するに、あたしと角ちゃんはさ! 赤字続きの付属病院への補助金打ち切り話が出た時に、裏で根回しして阻止してくれたターくんに、大学として借りを返すために駆り出されたって感じだからさ! だからまぁ、あたしだって一組織人としてターくんには感謝してるんよ! 一応ね」
相も変わらず飄々とした様子で彼女は言うが、親父の行動は『独善的』の一言で済ませるには、あまりにも狂気染みている。
そんな度を超えた親父の執着の裏側には、一体何があるのか。
俺の疑問を置き去りに、彼女はその後も事実のみを提示し続ける。
『予備』とは言え、ゆくゆくは政府に残してきた本システムに取って代わることを想定していたため、より実用を意識した包括的な実証実験を行う必要があった。
よって運用テストに関しては、実際の鑑定プロセスに則り行われることとなる。
依頼人は、市村さん。担当鑑定士は、田沼さん。
そして提供先は、親父本人だった。
無論、本来であれば推定潜在境遇ポイントから逆算して、鑑定値を算出することはご法度だ。
しかしだからと言って、試験段階で第三者を巻き込むわけにもいかない。
これは、『不幸の再分配』によるリスクを、最小限に抑えるために配慮した上での人選だった。
だが、それでも一つ。
潜在的な問題が残っていた。
それは、当時の親父の立場にある。
というのも『特任教授』などと銘打ってはいたが、大学での位置付けは事実上の名誉職のようなものであった。
ましてや、左遷同然で追われるようにやって来ただけでなく、お上の意向に背き、大学の『お荷物部門』まで存続させてみせた親父は、言わばワケあり物件である。
そんな人間が研究室を新設するとなれば、大学側としては嫌でも及び腰になる。
実際、大学からのバックアップなどあってないようなもので、学生すら満足に集まらなかった。
市村さんを含む一部の医学部生や病院の人間が協力したことで、何とか規定の数を確保する。
……が、間に合わせの寄せ集めであることに変わりなかった。
「キミも実際に現場にいたのだから、分かるはずだ。提供する『不幸』と、推定潜在境遇ポイント。その双方は、いわゆる逆相関の関係にあることを」
鑑定値が上がるにつれ、提供できる不幸も大きくなる。
無論そうなれば、それを付与できる対象も狭まり、より上位の属性の人間に限定されていく。
田沼さんから最初に言われた、『バランスを取る』という建前に従うのであれば、あまりにも当然の前提だ。
それ自体は、分かるのだが……。
「自分で言うのもなんだが、あたしはそれなりに恵まれた人間だったよ。今でこそ、こうしてシノギ紛いに甘んじているが、その頃は曲がりなりにも医者の卵だからね。世間サマから見りゃあ、間違いなく『上級国民』さ。チーやんもその前提で査定したはずだ。だから、あたしの鑑定値が高いワケがない。コレの意味すること、キミなら分かるだろ?」
彼女のその問いに、俺は黙って頷いた。
「キミは理屈を知ってるから、納得できるのかもしれない。でもね……。ただでさえ、急ごしらえの組織だ。人員同士の意思疎通もままならない中、そんな煩雑なシステムの詳細なんざ共有出来ると思うかね?」
「……要は、『学生との共同研究』が仇となったとでも?」
そう聞くと、彼女はコクリと頷き、静かにまた話し出す。




