両親⑥
「ほれほれ〜い! 久方振りの親子の再会なんだから、何か言うことあんじゃないの〜? 『お母さん。コチラの清楚系お姉様と生涯を共にします』、とかさっ!」
親子間に流れる微妙な空気を知ってか知らずか、市村さんはここぞとばかりにその酩酊状態を加速させて言う。
『どうして訓がいる』
如何様とも取れるが、合間を縫ってやって来た愛息に開口一番で浴びせる言葉としては、些か淡白なようにも思える。
だが、ココ数ヶ月のことを思えば無理もない。
かくいう俺自身も、どの面下げてお袋と会えばいいかよく分からなかった。
しかし、こうして刑務官以外の人間を交えて話すのは久しぶりだ。
お袋は俺の存在に気付くなり、偉く不機嫌そうに睨みつけてくるが、彼女が俺の前で気丈に振る舞うのは、いつものことである。
面会へ行けば、『イモばかりのこの女子刑務所では私が一番美人』だの、『男性看守から性的な目で見られている』だの、自身の女っぷりをクドいほどにアピールしてきたものだ。
……が、そうは言っても、流石に今日ばかりは少し草臥れて見える。
自慢の黒髪にはところどころ白髪も入り混り、目元の小皺もいよいよ隠せずにいる辺り、病云々だけでなく、7年という歳月の重さを思い知らされる。
無論、それを面と向かって伝えるほど、命知らずではないが。
だが、思ったよりは元気そうで良かった。
最後に会った時に比べれば、多少痩せて見えるものの、思いの外血色も良く、言われなければ余命幾ばくもないとまでは思えない。
角谷さんの処置も良かったのだろう。
兎にも角にも、現時点においての最悪の事態は免れそうだ。
もっともお袋はお袋で、俺に言いたいことの一つや二つはあるのだろうが……。
「……少なくともこの部屋に該当の人物は存在しないので、もしそういった類の何かが見えるのでしたら、アルコール幻覚症を疑うべきですね。ちょうど、コチラに凄腕の内科医もいらっしゃるようなので、一度診てもらってはいかがでしょうか?」
「現役の医者に向かってその減らず口は見上げた根性だが、良く見てみぃ? どう見たって、『立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花』って感じのお手本のような大和撫子だろうに」
市村さんはそう言って、悩ましげに身体をくねくねと揺らして見せる。
「……あぁ。ソレ、本来は生薬の使い方の話でしたっけ? お袋の治療のことでしたら、あなたでなく角谷さんにお任せしているので、どうぞお構いなく」
「あはは! キミのその無駄な博識っぷりには頭が下がるよ! それで……、そろそろマスミンの質問に答えてあげたらどうだい?」
彼女はそう言うと、嬉しそうにお袋の方を向く。
それにつられ、視線を向けると、お袋は睨むように目を凝らして俺を見ていた。
「ま、まぁアレだ! 一昨日、お袋が倒れたって聞いてな。今日は、ソレに関してちょっと、な。だからまぁ……、見舞い兼ねてって感じだ」
「ふーん」
奥歯に物が挟まったような俺の答えに、お袋の視線はますます訝しげになる。
……この先どう言葉を繋げれば良いのか、見当もつかない。
謝る、のも何か違う気がする。
かと言って、いきなり本題を切り出すのも、それはそれでやはり違う。
「ぷっ」
二の句に躊躇していると、お袋は口に軽く手を当て、吹き出す。
その、何の含みもない子どものように無邪気な笑みは、ココ数年見覚えがないものだった。
「……んだよ」
「別にぃ。ただそういう、しょうもないことで気ぃ遣ったりするの、お父さんにソックリだなって思ってさ。良く言えばノミの心臓、悪く言ったらチキン野郎、みたいな?」
「どの道ディスってんじゃねぇかよ……。大体、その比喩はノミと鶏に失礼だろうが。ヴィーガンやら動物愛護団体やらに訴えられちまえ!」
「いやいや! 『ディスられてる』って思ってる時点で、息子くんも大概だよ?」
市村さんの揚げ足取りに、お袋はまたクスリと息を漏らすように笑う。
「訓。悪かったね……。あんたの気持ちも考えずに、勝手なこと言って。あんな言い方で、あんたがやってくれてたこと否定するの、やっぱり良くなかった。泣いたりするのも卑怯だったし」
うかうかしている間に、言われてしまった。
それは、お互いさまだ。
俺とて、一方的にエゴを押し付けていた。
追い詰められた先の結果とは言え、俺の行動がお袋の負担になっていたことは、紛れもない事実だろう。
だからと言って、どうするのが正解だったのかも分からないが、もっと他に冴えたやり方があったのかもしれない。
ただそれは……、宇沢さんから聞いていた前提があってこその話だ。
「別に……、それを言ったらこちらこそ、だろ。俺も、頼まれてもない重荷を勝手に背負い込んで、責任果たした気になってただけだからな。お袋からすりゃあ、これみよがしに息子の草臥れた姿を見せられてたようなモンだ。それとな……、俺に言わせりゃ大人なんて漏れなく全員卑怯だ。だからお袋だって、現在進行形でそんな目に遭ってんだろうが」
「ふっ。あんたのそういうトコも相変わらずだね。でも、確かにそうだね。訓の言う通り、みんな卑怯だ……」
お袋はうつむき加減で、意味深にそう溢した。
「お! するってーと、いよいよ本題に入る流れかね?」
お袋の態度から何かを察知したのか。
市村さんが言うと、お袋はバツが悪そうに視線を逸した。
傍らで見ていた角谷さんも、それに絆されるように顔を曇らせる。
「はてさて。キミに似て、ノミの心臓でチキン野郎のターくんが何故、破滅的な国家プロジェクト『FAD』を生み出す要因をつくったのか。その背景を紐解くことで、あたしら荻原チルドレンが目指すべきゴールも分かるってモンさ」
「……はぁ。そう、ですか」
「それじゃあ時間もないようなので、さっきの話の続きをするとしよう! その上でまず、あの事件について、現状のキミの認識を整理するよ!」
市村さんはそう前置きすると、ンンッと小さく咳払いする。
「事件の被害者である雨宮 寿澄は、政府の意向により厚労省から派遣された官僚だった。雨宮は、荻原 麻遥を陥れるための駒として、ホストクラブ・Luftのキャスト・昂貴扮する、『嗣武』の名のもとに行われた『提供』の対象者となり、死亡する。そして政府は検察や裁判所と結託し、荻原 麻遥を事件の真犯人に仕立て上げた……。これがキミの知る事件の真相、で間違いないね?」
「まぁ……、そうっすね」
「大まかな流れについては、概ねその通りだ。ただね……。コレは飽くまで表層的な話に過ぎない。というのも決定的に一つ、キミの認識とは違う点があるのだよ。なんせ、雨宮に『提供』をしたのは……」
市村さんはその溢すと、チラリとお袋に目配せをする。
彼女のその視線に気付いたお袋は、ハァと深くため息を吐いた。
「私……、だからね」
「……は?」
お袋の口から予想だにしない言葉が飛び出し、俺は気が抜けたような声でそう返すしかなかった。
「まぁまぁ、そんな怖い顔しないでさ。マスミンもソレだけじゃ、息子くんが困惑しちゃうよ? 全く! 荻原ファミリーってのは、どいつもこいつも口下手なんだから世話が焼けるねぇ」
市村さんはヤレヤレとばかりに両腕を広げ、呆れ顔で俺たち親子を往なす。
どうやら俺は、反射的にお袋を睨みつけてしまっていたようだ。
お袋はお袋で、俺の視線から逃げるように顔を背けていた。
市村さんはその仕草を見ると、これみよがしに溜息を吐き、俺に向き直る。
「……息子くん。これからマスミンに代わって説明していくよ。だがまずは今一度、冷静に考えてみてくれ。そもそもの話として、昂貴ちゃんを嗾けた『政府の人間』ってのは一体何モンなんだい?」
「いや、そう言われても……。昂貴本人から聞いた話なんですが……」
「『本人から聞いた話』、ね……。そう。確かに昂貴ちゃんは当事者だ。でもね。ソレを言うなら、昂貴を施術したあたしだって、間違いなく本人であり、当事者だろ? そんなあたしですら、ソイツのことを知らない。表向きは『FAD』の中枢を担っているあたしが、ね」
「……なんすか、ソレ。まるで昂貴に渡されたUSBも偽物だったとでも言いたげですね」
「『まるで』も何も、ズバリそう言ってる。息子くん。さっきはああ言ったけど、『あの事件もターくんの思惑』ってのは少し大げさな比喩だ。だって、あたしは【雨宮の処分】なんて交換条件は出していないからね。だから少なくともその時には、雨宮 寿澄の排除なんて筋書きは存在しない。でもあの子の……、田沼 茅冴の介入によって、ソレを改めざるを得なくなった。だからなんだよ……、チーやんがずっと後悔しているのは。あの子はあの子で、袋小路に迷い込んでるんだ」
俺の動揺など気に留める様子も見せず、彼女は容赦なく食傷になるほどの『真相』を浴びせ続けてくる。
意味が分からなかった。
田沼さんは、政府に協力する体を装い、親父の計画を遂行しようとしている、という話だったはずだ。
一体、彼女の本懐はどこにあるのだろうか。
そして、お袋は……。
「大体なんだ? その、地域経済活性化有識者会議のメンバー、て言ったっけ? なるほど……。確かに石橋実鷹も在籍している内閣府の諮問機関だ。でもキミも知っての通り、石橋実鷹はたった一つのミソをもって、あっさりと切り捨てられた。いや……、より正確に言えば、石橋の排除は既定路線だった。石橋家ですら、そうなんだ。そんな、駒の一つとでしかない小物と面識がある程度のどこの馬の骨とも知れん輩に、政府は大事な大事なUSBを委ねると思うかね、フツー。全く! 元厚労省のエースだか何だか知らんけど、チーやんも肝心なところで詰めが甘いよね〜」
「そんなん……、知りませんよ。大体それを言うなら、切り捨てられたのはあなたの方かもしれないでしょ……。中枢だがなんだか知りませんけど、データの一元管理については時の政権の名の元で行われているはずだ。政府はそんなリスキーな大役を、闇医者のあんたに表立って任せるはずがない。首根っこを掴まれてるのはあんたも同じだろうが!」
「いや、ないね。事態が動き出した今だからこそ、こうしてこんな話をしているけど、こちとらワケあり政府案件を多数手掛けている面従腹背の身だ。自分で言うのもなんだが、連中からはそれなりに買われてると思ってるよ。実際、アチラとしてもあたしに飛ばれたら、計画どうこう言っていられなくなるはず。『FAD』に関して、あたしはそれだけの情報を持っている。それこそ、宇沢っちの比にならないレベルでね」
間髪を入れずに、淡々と、一つひとつ。
最後の抵抗とばかりに放った俺の疑問を潰していくその様は、彼女の話の信憑性を裏付ける証左のようにも思えた。
そしてそれは、お袋にとっても同じことなのだろう。
事実お袋は、市村さんの話をここまでタダの一つも否定せずにいる。
「流石にコレを見たら、キミとてあたしらのことを認めざるを得ないと思うよ」
市村さんは立て続けにそう言うと、纏った白衣の胸ポケットを弄る。
そうして、小指大の小物を取り出すと、静かに俺の前に突き出してきた。
「本物はココにあるからね」
ダメ押しとばかりに見せ付けられた、そのUSB。
それを差し出す彼女の、呆れるほどに曇りない瞳。
何より、今この場にこうしてお袋も同席していること。
……もはや疑うまでもない。
突き付けられた現実に、俺は何も言葉を返すことが出来なかった。
「キミのその顔を見れば聞くまでもないね。どうやら信用してくれたみたいだ。いや……、『信用』なんて小綺麗なモンでもないか」
呆ける俺を尻目に、市村さんは苦笑しながら一人合点する。
そして一息おくと、また口を開く。
「キミはさ。これまでの人生で、自分が決めてきたことってどれくらいあったと思う? バイトでも大学でも、何でもさ」
「……藪から棒に何ですか」
「キミの神経を逆撫でしている自覚はあるよ。コッチだって徒にキミを煽りたいわけじゃない。だから答えて欲しい。キミ自身が、自負できることだけで構わないからさ」
市村さんは居直りにも近い態度で、淡々と聞いてくる。
彼女は『人生』などと言ってはいるが、恐らく親父が死んだ後のことを言っているのだろう。
お袋の病気、生活保護の不承認、そして雨宮のあの事件……。
答えようにも、その後の『人生』などあってないようなものだった。
『犯罪者の息子』のレッテルを貼られ、後ろ指を差され続けた中学・高校時代。
傍から見ても、灰色だったのだろう。
高校卒業後は、『大学くらいは出た方がいい』という神取さんのアドバイスに従い、限界まで奨学金を借りて進学を選んだが、案の定待っていたのはバイトに追われる日々だった。
田沼さんの言葉を借りるのも癪だが、確かに俺は少なからず『誘導』されてここまで来ているのだろう。
だがそれでも、だ。
選んだのは、俺自身だ。
学費や生活費、裁判費用を稼ぐため。
辛うじて残った、尊厳を守るため。
そしていつか、お袋が戻った時のため。
境遇や社会を呪いながらも、俺は俺自身のためにした選択を、一度たりとも後悔したことはない。
「……そんなの、全部に決まってるでしょ」
俺の返答に、市村さんはヒューと深く息を吐いた。
「キミがそう答えるのも、無理はない。これまで荻原家に振りかかった『不幸』が、偶発的なものでもなければ政府からの因縁でもなく、一家の大黒柱のマッチポンプだったって知ったらね。ましてや、それが母親も承知の上だった……、なんてまるでキミの人生全否定」
ほとんど反射的だった。
彼女の言葉が途切れるのを待たず、気付けば俺はその襟元に掴みかかっていた。
「……さっきから好き勝手言いやがって、このアル中が。百歩譲って、俺がずっと誘導されてきたとしても、だ。……何すか? 親父の『理想』ってのは、その気になりゃあ、誰でもサクッと現状をひっくり返せる世界とでも言いたいんすか?」
彼女の白衣の襟元を握りしめ、当の本人はソレに動じる気配は一切ない。
それどころか、彼女はこちらの腹の底の底まで見据えるかのような、温度のない視線を向けてくる。
「息子くん。それは発想の飛躍ってモンさ。言ったろ? ターくんが描いた『理想』は、そんな破滅的なモンじゃないって。だがまぁ、キミの主張は言い得て妙だ。確かに一つ一つの事実を紐解けば、『荻原 汰維志は実の息子に国家転覆を強いる毒親の極み』ってことになるね」
「……他人事だと思って、適当に言ってんのか?」
「他人事? そんなワケあるか! 言っただろ? あたしらは紛れもなく当事者だって」
抜け抜けとそう話す彼女の御し難さを前に、自然と腕の力も緩まった。
「ここまで来るのに、キミはある程度の決意をしてきたのかも知れない。だけど、それは飽くまで政府が嗾けたっていう大前提があったからだ。そういう意味で、キミはまだ『加害者』になる覚悟が出来ていない。だから、今日キミはココにやって来た。マスミンっていう最後の『迷い』を潰しにね。違う?」
「……違いますね。ココへ来たのは、田沼さんとの行き違いを防ぐためですから」
「おうおう、キミも大概諦めが悪いねぇ〜。じゃあその、チーやんと行き違う危険性を孕む『隠し玉』とやらはどこにあるのさ? 分かるでしょ? コレがココにある時点で、チーやんや宇沢っちに出来ることなんて何も無いって」
彼女はそう言って、USBを右手の人差し指と中指で挟み込み、これみよがしに掲げてくる。
往生際が悪い自覚はある。
彼女の言う通り、この期に及んで現実を否定しようとしているのは、他でもない俺だ。
「……なぁ、お袋も何か言えよ。神取さんが必死こいて弁護してたこと……、どう思ってたんだよ?」
「まぁ待ちたまえ、息子くん。さっきも言ったが、雨宮を処分せざるを得なくなったのは、チーやんの暴走が原因だ。それに、だ。ソレをキミに話してしまえば、計画そのものが台無しになる。そのことだけは理解していて欲しい」
市村さんはそう言って、心許なげにベッドに座るお袋に尋問しようとした俺を制する。
「……クソッ」
そうして俺が観念したと見るや否や、市村さんはフフンと不敵に微笑む。
「さぁて! 何はともあれ前段は済んだことだし、ターくんの真の狙いについて話すとするよ」
市村さんはそう言うと、仕切り直しとばかりに『ンンッ』と咳払いをした。
「時の政権により危険思想とみなされ、ひいては国家的自殺に等しい計画の発端となった、荻原 汰維志が描いた『理想』。それは、全ての人間にとって、『選択』と『加害性』が同居しない世界さ」




