両親①
振り返れば、田沼さんの身柄が拘束されてからというもの、怒涛の勢いで時間は過ぎていた。
得体の知れない計画やら、直属の上司の過去やら、俺とお袋を追い詰めた元凶の正体やら、一方的に押し付けられた現状の整理一つとっても、疲労感と焦燥感で脳を支配された俺の手には余る。
そう思い、俺は石橋を説得した後、仮眠を提案する。
……が、そう易々と寝付けるわけもない。
リクライニングチェアに腰を下ろし、楕円テーブルにぐったりと顔を埋めてみたりと試してはみたが、狸寝入りが関の山だ。
俺は熟睡を早々に諦め、窓際に設置されたコンパクトソファーまで移動する。
背もたれに身を預け、窓越しに広がる夜闇と朝焼けの混じったほの暗い空をぼんやりと眺めたまま、日が昇るのを待った。
「ありゃ? オギワラ、寝てない感じ? ダメじゃん。ちゃんと寝とかないと」
疲労を持ち越したまま、午前6時を迎えた。
神取さんの事務所へやって来てから、半日が過ぎようとしていたその頃、テーブル前のソファーで雑魚寝していた新井が、音もなくのそっと起き上がる。
あざとく瞼を擦りながら、まるで小学生の子供に諭すかの如く説いてくるが、俺は彼女がこの数時間、寝息の一つも立てていなかったことを知っている。
「……お前もだろうが」
「あっ。バレてた? やっぱ目ェ冴えちゃうよねー」
彼女は締りのない声でそう言うと、両手を上げて伸びをする。
『いよっ!』と、軽快な掛け声とともに立ち上がると、ゆっくりと俺の居る窓際まで近付いてくる。
「あっ! ねぇ、オギワラ! あそこあそこ!」
新井は俺の隣りに陣取るなり、正面に見えるブリティッシュパブ前の路傍の辺りをちょこちょこと指差す。
見ると、30代くらいの男性が頭を垂れて蹲っていた。
「ん? なんだ?」
「吐いてる!」
今まさに。
男性が豪快に放出した『昨夜の思い出』は、既に薄緑に濁っていて、体内デトックスは最終盤であることが窺える。
よく見れば、昨晩里津華たちと話した公園に居合わせたサラリーマンだった。
酒に頼らざるを得ない、止むに止まれぬ事情があったのか。
はたまた、時代錯誤のアルハラの餌食となったのかは定かではないが、いずれにせよ今の彼の姿は社会病理の一端と言っていいのだろう。
ほとんど嫌がらせに等しい新井の誘導のまま、首を振り向けてしまったことを深く後悔した。
「朝からなんつーモン見せんだよ……」
「あはは。ごめんごめん。なんか見つけちゃったからつい、ね」
新井は『反省』を微塵も感じさせない笑みを浮かべ、頭を掻く。
その実、どこか内底に燻る緊張を誤魔化すかのようにも思えた。
「荻原くんと新井さん、おはよう」
「キミたち……、朝から元気だね」
そんな新井の声に急き立てられるように、テーブルに突っ伏していた石橋と昂貴もぞろぞろと起き始める。
「あぁ、おはよう。お前ら、今日は頼むぞ」
「……分かってるって。ボクだって、そこまで往生際は悪くないよ。じゃなきゃ仕事ほっぽり出してまで、ココに残ってないっての」
昂貴は顔を背け、不機嫌そうに応える。
「でも、まさかアレがチサさんの部屋のカギとはねー。またあの豪邸行けると思うと、なんかワクワクしてくるね!」
「まだ確定じゃねぇけどな……。あとくれぐれも、調査の一貫だからな? 間違っても、ピザ頼んで映画とか観始めるんじゃねぇぞ?」
「わーってるって! 信用ないなぁ〜」
俺が念を押すと、新井は不服そうにむくれて言う。
宇沢さんが、残したカードキー。
よくよく思い返してみると、どこかで既視感がある。
それもそのはずで、フリ姉の依頼の件で田沼さんの自宅に案内された際に、彼女が使用していたものと、心なしかデザインが似ていた。
宇沢さんが、何故ソレを俺たちに託したのかまでは分からない。
置き手紙には『餞別』などと記されていたが、そもそも宇沢さんは俺たちを引き込もうとしているわけだ。
『官僚は言葉の定義に敏感』などと聞いていた手前、どうにもらしくないように思える。
俺たちが独自の道へ進むことを見越していたとでも言うのか。
だとしてもこの非常時に、半ばゲーム感覚でハンデを与えてくるような人とも思えないし、その理由も見当たらない。
差し当たっては、新井と昂貴にその真意を確かめてもらうことにした。
「石橋も昨日言った通りに頼む。何かあったら、すぐに連絡くれ」
「うん、分かったよ。荻原くんは、お母さんに会いにいくんだよね?」
「あぁ……、そうだな」
俺は、これからお袋に会いに行く。
昨日の今日で話せる状況なのかは怪しいところだが、今を逃せば機会はない。
場合によっては、これが『今生の別れ』になる可能性すらあるのだ。
「あのさ、荻原くん」
石橋は俺を覗き込み、呼びかけてくる。
その神妙な顔つきを見るに、俺の感情の機微を幾分ばかりは見透かしているようだ。
「……なんだ?」
「お母さんに何か言いたいことがあるなら、全部終わってからにした方がいいかもね。あんまり無責任なことは言いたくないけど、そういうのってホラ……、悪い方に引っ張られるしさ……」
「アンタが何考えてんのかは知んないけど、成功させればいいだけの話じゃん? 何か思い残すことがあった方が、アンタの決意も鈍らないだろうしね」
「まぁ……、そうだね。キミのお母さんにしてみても、一方的に別れを押し付けられるようなもんだからね。ま、ボクが言えたことじゃないけど……」
石橋たちは、どこかで聞いたことのあるような一般論やらジンクスを、好き勝手に押し売りしてくる。
だが、そんな安っぽい言葉でも、迷走しかけた俺のスタンスを軌道修正させるには十分だったようだ。
「お前ら……、何か盛大な勘違いをしているようだが、俺は飽くまで計画に必要な情報をヒアリングしにいくだけだ。言ってみりゃ、親じゃなく、取材対象者に会いに行くんだ」
そう言うと、皆それぞれ何かを悟ったかのように目を細め、生温い視線を俺に浴びせてくる。
「はいはい。そういうことにしておこうかね! じゃあどうする? 円陣でも組んどく?」
「いや、ボクたちそういう関係性でもないでしょ……」
「うーん、流石にそんな感じじゃないのかなぁ……」
「イイからイイからっ! こういうのはノリと勢いが大事なのっ! ほら! オギワラも!」
新井の呼びかけのまま、俺たちは半ば強制的に円陣を組まされる。
何を号令すればいいのかも釈然とせず、終始グダグダな雰囲気のまま、俺たちは今日、この日。
『持たざる者』が仕掛ける、『抵抗』の第一歩を踏みしめた。




