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石橋②

「キ、キミは! 一体、何を言っているんだ!?」


 俺の話に、石橋は『ふざけたことを抜かしてくれるな』とばかりに目を釣り上げ、不快感を顕にする。


「そんな、おかしなこと言ったか? 簡単なことだよ。北信共立を、長野を拠点にしている大手流通グループに買収させるっつーことだ。全国展開はしているが、北信共立とは一応同郷だ。親和性自体はあると思うけどな」


「そ、そうじゃなくてっ! そんなこと、出来るはずが……」


「まぁ、聞け。お前の爺さんの元側近の土方ってオッサン居たろ? ほら。相銀との統合に反対して銀行を追い出されたっつーアレだ。何か調べてみたら、そこのグループの銀行の頭取やってるみたいなんだよな」


「……ひ、土方さんが?」


「そうだ。あんだけの事件が起きたんだ。相銀の権威は、相当に失墜したと言っていい。実際、ココ数日の株価なんて、そりゃあ悲惨なもんだ。だから企業価値がドン底まで落ちているこの間に、ソイツを焚き付けて相銀の傘下から、北信共立を引き剥がしてもらう」


「引き剥がすって……。か、簡単に言うなよっ!」


「出来ないと思うか? 元々、北信共立には統合反対派も多かった。田沼さんの話では、そもそも統合なんて必要なかったようだしな。北信共立側の意見を集約するくらい造作もないはずだ。それこそ、元頭取の孫のお前が扇動すればそりゃあ大層盛り上がるんじゃないか?」


 俺が間髪入れずに応えると、石橋は返す言葉を失い、呆けた顔になる。


「土方のオッサンにとっても悪い話じゃない。統合によって経営状況が大幅に改善した古巣の銀行を、()()お値打ち価格でお買い求め出来るんだからな。まぁ、流石に買収ともなると多少ハードルは上がるが、コッチには()()()なんていくらでもあることくらい、分かんだろ? だから俺は、お前がその気なら()()()になってやると言ってるんだ」


 石橋の大きく瞠目した顔を見るに、俺が話した計画以上にインパクトがあったのだろう。

 だがそれも、石橋という一人の人間の背景を思えば合点もいく。

 とは言え、この話。

 本質はもっと違う部分にある。


「それとな……、これはお前の母親の人生に意味を与えることにも繋がる。どういうことか分かるか?」


「……俺の、母さんの人生に?」


 俺は、少し思い違いをしていた。

 石橋の人生を縛っているのは、母親であると。

 確かにそれは、ある側面から見れば間違っていないのだろう。

 だが事実として、石橋は未だに解放されていない。

 父親と同じく、『石橋家』に囚われたまま、雁字搦めになっている。

 カタチだけの、物分りの良い、達観した、石橋家の息子であることを捨て切れずにいる。

 実際、こうして俺の話に対し、どこか疚しさ含みの表情で驚愕しているあたり、当人にはそもそもそんな発想すらなかったのだろう。

 それだけ石橋にとって、『相銀からの脱却』という言葉には、この世の全てを覆すにも等しい意味がある。

 

 しかし、それではダメだ。

 石橋家は、石橋珠羽という一人の人間を完全に否定した。

 体裁のためと、名義上の『石橋』の名と、最低限の生活保障を与えた切り、存在そのものを黙殺しようとしてきた。

 そんな場所に居たのでは、石橋はいつまでも自分の人生を始められない。


 母親の人生に意味を与え、石橋家を否定する。

 そのためには、一度()()を変える必要がある。


「……お前は母親が全ての元凶だと言ったよな? だが、それは飽くまでお前が()()()にいるからだ。逆に考えてみろ。北信共立側から見れば、結果的にお前の母親はライバル銀行に入り込み、内部から組織を崩壊させた功労者だ。すると、どうなる? お前の母親の『無念の横死』は、『企業スパイの殉職』に格上げされる。どうだ? これでもう、お前の母親のことを『不幸の元凶』だなんて言えなくなるはずだ」


 先日同様、確証がない以上、俺の推測はどこまでいってもこじつけであり、詭弁だ。

 だが、それでもこのまま用意された停滞を受け入れるよりは、ずっといい。

 全ては、石橋自身が一歩踏み出すために。

 偶々、その場所に生まれたというだけで、価値観を歪められ、自分の存在すら否定するようになってしまった()()に、これ以上足を引っ張られることがないように。

 石橋には本当の意味で、『幸福』になる覚悟が必要なのだ。

 

「その後は、流れ次第ってところだな。腐っても、お前の母親の実家だ。仲違いして別れたわけでもねぇし、お前のこともぞんざいに扱わないとは思うぞ。普通に考えて、な。つってもお前が焚き付けたとなりゃあ、当然銀行側からは囲い込まれるだろうけどよ。だがそこはまぁ……、ちょっと早めの就活とでも思って受け入れて欲しい。どうだ?」


 俺がそこまで話すと、石橋はしばらくの間、口を噤んだままだった。


「……キミは、初めからそこまで考えていたのかな?」


「んなわきゃねぇだろ。ぶっちゃけ俺は、お前を言い包めるためにそれらしい理屈を話してるだけだ。ただそれでも……、全く見当違いの話でもない。それは分かんだろ?」


「そっか……。それは確かに、そうかもね」


 石橋はそう呟くと、そのまま力なくへたり込み、椅子に腰を下ろす。

 そうして頭を垂れたまま、しばらく黙り込むと、またゆっくりと口を開く。


「……一つ、聞きたいことがあるんだ」


 声をかすれさせながら放った石橋の言葉は、応接室に空虚に反響した。


「……なんだ」

 

「荻原くんから見て、母さんが生きていた意味は……、あったと思う? 相銀とか北信共立とか、関係なしにさ」


「……知らん。ソレを言うなら、俺やお前が生きている意味だってねぇだろ。俺に言わせりゃ、人生に意味なんて高尚なものを求める方が傲慢なんだよ」


「ふっ。何か、荻原くんらしい言い方だね」


 茶を濁すかのような俺の答えに、石橋は投げやりに笑って見せた。

 そんな草臥れたような笑顔から察するに、俺の言葉が正論紛いの()()に聞こえているのかもしれない。


「……つっても、ほとんどの人間はそう思ってねぇだろうな。生産性だとか、貢献度合いだとか、集合体の都合に合わせて勝手にボーダーラインが決まっていく。そこに届かなかった分子を『異質』だと決め打ちして、迫害の対象にする。分かるか? 生きる意味のないヤツらが、他人に生きる意味を問い質してんだ。自分の存在意義を問われる前にな。滑稽だろ?」


「だね……。それで、母さんは弾かれた」


「……結果だけ見ればそうかもな。だが結局、お前の母親の()()も、お家騒動の過程で一方的につけられた難癖でしかなかった。だから、『生きる意味』なんて考えた時点で負けなんだよ。言っておくが、これは経営統合が仕組まれたものかどうかに拘らずの話だからな」


「そっか……。なんか俺の悩み、全否定だね。それなのにキミは……、どうして俺たちに『意味』を与えようとしてくれるのかな?」


 俺が石橋の母親の人生に意味を与える理由。

 無論、俺の計画に引き込むためだが、石橋が聞きたいのはそういうことではないのだろう。

 俺たち二人が味わった屈辱は、カタチも違えば、そこに至るまでの背景、重さもまるで違う。

 更に言えば、俺には()()母親がいる。

 そんなことはわざわざ『鑑定』をするまでもなく、分かり切っている。

 

 だが、それでも。

 俺と石橋は間違いなく、周囲から存在を否定された『同族』だ。

 ともに数奇で不本意な運命を押し付けられた同志が、目の前で後ろ暗い事情と向き合い絶望しているのであれば、何かしらのカタチで背中を押したい。

 そんな人並みの人情が、俺にもあった。

 ただ、それだけのことなのだろう。

 とは言えそんな小っ恥ずかしいこと、口が裂けても言えるはずがない。


「……前にも言ったろ。『不幸』なんて、他人が採点していい代物じゃないって。お前が現状に息苦しさを感じているんなら、それは『不幸』以外の何物でもない。何より、こうして石橋家と連中が繋がっている以上、お前を追い込んだ奴らも俺にとっての『元凶』だ。だから、俺はお前から協力を引き出すためなら、いくらでも詭弁を吐く。俺自身の『幸福』のためにな」


 俺がそこまで言うと、石橋はぽかんと呆けた顔をする。

 そして少し経つと、クスクスと声を押し殺すようにして抱腹する。


「……んだよ」


「いいや、別に! ただキミが前に言ってたことを思い出してね。何だっけ? 『人は生まれてきた以上、幸せになる義務がある』、だっけ?」


 石橋は、いつぞや俺が投げかけた台詞を(なぞら)えると、これまでの報復とばかりに悪意丸出しの満足そうな笑みを浮かべる。

 誤魔化して答えたところで、意味はない。

 石橋は俺の言葉から、真意を汲み取っていたようだ。


「俺のオリジナルじゃねぇけどな……。でもまぁ、そうだな。協力つっても、お前が動くのは飽くまで()()()だ。俺との直接的な繋がりが明るみに出ないよう、根回しはするつもりだ。だから、そこは安心しろ」


「相変わらず抜かりないね。なんか、俺が信頼されてない裏返しにも聞こえるけど」


 石橋はそう言って、フッと、少し呆れるように笑った。

 俺はその様子を見て、少し安堵した。

 それは別に、必要不可欠な1ピースが揃いかけたと思ったからじゃない。


「……そのツラを見る限り、ちったぁ前向きな答えが聞けそうか?」


「うん、そうだね……。キミに協力するよ。でも一つだけ、訂正させてくれ」 


「……何だ?」


 俺が聞くと、石橋はお得意のつくり物くさい、清爽な笑みを浮かべた。

 何故か俺にはそれが、石橋にとっての会心の笑みに思えてしまった。


「キミが矢面に立つなら、俺も立つ。キミが全てを擲つ覚悟なら、俺だって全部捨てる。じゃなきゃ不公平だろ? やると決めたからには、俺と荻原くんは一蓮托生だ」


「いや、それじゃ意味ねぇだろ。お前には買収を煽った中心人物として、きっちり落とし前つけてもらうんだからな」


「分かってるよ。飽くまで、そのくらいの意気込みだってことを伝えたかっただけだよ。要は最終的に『正当性があるのは北信共立』、であればいいんだろ?」


「そうだけどよ……。あんまり無理すんなっての。こう言っちゃなんだが、お前は病み上がりみたいなモンだ。実際、今さっきだってあんだけ剥き出しのマザコン拗らせ発言したばっかじゃねぇか」


「ここぞとばかりに容赦ないね……。いいんだ。俺はもう、何かの影に隠れるように生きるのは嫌なんだ。今度は逆に俺がアイツらに意味を問い質してやるよ。たぶんコレが母さんの子として生まれた俺の存在意義、なのかな……」


 母親の分も、幸せになれ。

 俺は以前、それに近いことを石橋に投げかけた。

 しかし、それは結果として間違っていたのだと、今にして思う。


 石橋に今必要なのは、肯定でも否定でもなければ、前進でも後退でもなく、ましてや敵対でも友好でもない。

 20年間に及び苛まれてきた無力感と、歪められた価値観を見直すための、適切な場所への移動だ。

 存在そのもののソフトランディングを図るかのように、真綿で首を締められるかのように、周囲から徐々にその声をかき消されていった石橋にとって、『幸福』は文字通り荷が重かったのだ。

 そんな状況で『幸福』云々について問うたところで、当人にはその前段の準備すら出来ていない。

 石橋を計画に引き込む上で、俺はずっとその前提に立って考えていた。

 

 しかしこうして最終的に、俺の提案に輪を掛けた血の気の多い回答が返ってくるところを見る限り、それも少し違っていたようだ。

 少なくとも、石橋は自分自身の人生を歩む準備は始めている。

 どこか吹っ切れたような笑みで応える石橋の姿を見て、勝手ながらにもそう思ってしまった。

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