姉妹③
フリ姉が最後に語った願い。
俺自身、思い上がるわけでもないが、アレは明らかに里津華への『配慮』だった。
とは言えそれは、以前のような妹への『遠慮』なのではなく、姉としての『意地』なのだと思う。
願いを伝えるなり、別れの言葉すら言わず、笑顔のままゆっくりと俺の元を去っていく彼女の姿を見て、そう確信した。
そんな、どこか他人事染みた分析をしてしまうのは、俺自身が今まさに当事者となろうとしている現実からの逃避なのだろうか。
余計な思考に現を抜かしていても、夜は一層深まっていく。
応じて、人の気配も消えるかと思いきや、園内には終電を逃したであろうサラリーマンや、学生と思しき男女数名が屯するようになり、辺りは却って喧騒を取り戻す。
各々、盛大に吐き散らかした挙げ句ゴミ箱に顔を埋めていたり、恋人との逢瀬の頻度だの、最近発見した自らの性癖だのを大声で誇らしげに顕示し合っていたりと、俺たちのしみったれた話を気に留めている余裕はなさそうだ。
そんな中、ようやく公園の入り口の方から里津華が姿を現す。
別段、咎めるつもりもないが、遅れてきた身でありながらまるで急ぐ気配もなく、ゆっくりと太々しく闊歩するその姿を見ると、姉妹と言えど違いが大きいことをつくづく痛感する。
それにしても里津華には、分かりやすく華がある。
ナチュラルで、ふんわりと柔らかい、ブラウンのエアリーボブヘアは、遠目で暗闇に紛れていても良く映える。
加えて、原色に近い赤のカシュクールブラウスに、鮮やかなブルーのフレアデニム、ネイビー系のストラップパンプスという組み合わせは、彼女のアクティブさを裏付けているかのようにも思えた。
ただ、俺は知っている。
本当の彼女は、周りが思うよりもずっと素朴で、優しい性格であることを。
『努力』などという曖昧で無責任な言葉は死んでも使いたくはないが、今彼女がまとっている煌びやかさも、母親をはじめとする周りの人間の期待に応えてきた『副産物』であるのも確かなのだろう。
もっとも、その一連の『努力の賜物』こそが、彼女を雁字搦めにしてきたものの正体なのだが。
そうこう考えている間に、彼女は俺の座るベンチの前にまで辿り着く。
やって来るなり、予定調和的な挨拶もなく、その華美な出で立ちとはアンバランスな仏頂面で、何か物言いたげに俺を見下ろす。
「……座れよ」
俺が促すと、里津華は返事をするでもなく、ただ黙って隣りに腰を下ろし、自らの不機嫌さを前面にアピールするかの如く、ベンチの上でふんぞり返る。
そして、ようやく口を開き、何を言い出すかと思えば……。
「リッカはサトルのことが好き」
不意にそう言われた瞬間、心臓が握りつぶされるような感覚に襲われる。
俺は返答どころか、彼女の方を見ることすら忘れていた。
「何さ。知ってたっしょ?」
挙動不審極まる俺に構わず、里津華は圧の強い視線と核心を突くような質問を浴びせてくる。
彼女のその猛攻の前に、俺は屈するように首を縦に振ることしか出来なかった。
そんな俺を見て、彼女は溜息を交えながら、髪をかき上げる。
「マジ、最悪……。サトルのそういうトコ、ホント嫌い」
「どっちだよ……」
誤魔化すように俺が言うと、彼女は夜空を見上げる。
「そんで……、この公園選んだのも何かの嫌がらせ? ホント、イイ性格してるよね」
「んだよ、着いて早々ヅケヅケと……。この公園? なんかマズかったか?」
俺がそう応えると、里津華は何かの当てつけのように大きく息を吐く。
「……サトル、覚えてないの? ココ、サトルが初めてリッカを助けてくれた場所じゃん!」
里津華は俺に向き合い、憤慨しながら言う。
寝耳に冷水を浴びせるような話を聞かされ、朧げな記憶を辿るが、一切心当たりがない。
一向に思い出せないまま時間だけが過ぎ、それにつれて里津華が俺を睨む視線も鋭くなっていく。
そんな中、やっとの思いで一つの手がかりに辿り着く。
「……お前、まさかあのこと言ってんのか?」
俺がそう問いかけると、里津華は不服そうに首を大きく縦に振る。
「アレを助けたとか……。それは勝手にお前がそう捉えただけだろ」
「はぁ!? 何ソレ!? コッチは、アレで人生救われたってのに!」
「大げさなんだよ、色々と……」
十余年前。
まだ親父が生きていた頃の話だ。
人生の割りと早い段階から、斜に構えた『マセガキ』の片鱗を覗かせていた自負はあるが、そんな俺でも一度だけ家出を試みたことがある。
詳しくは覚えていないが、出張だの残業だのを言い訳に頻繁に家族行事を反故にする親父に対してへそを曲げて……と、何ともまぁ模範解答のような子どもらしい動機だった気がする。
そんな一端の子ども盛りだった俺が、一大決心の果てに辿り着いた先が、この公園だったわけだ。
何の因果か、俺と里津華はそこで出会ったのだった。
「あの時のサトルさ! ふてくされた顔で、砂場で山崩しして遊んでてさ。何かスッゴイ変な子がいるって思って、話しかけたんだよね」
「……そんな強調しなくてもいいだろ。まぁわざわざ否定もしねぇけどよ」
俺がそう言うと、里津華は静かに微笑む。
「そんでさ! 話してみたら、やっぱりおかしな子でさ! 何か、リッカも楽しくなっちゃって、ついその場で話し込んじゃったんだよね。でもリッカがそんな調子だったからサトルを……、巻き込んだんだよね」
里津華はそう言うと、バツが悪そうに俯く。
彼女は『救われた』などと、やたらとオーバーな物言いだが、話としては至ってシンプルな流れだった。
二人で話していると突然、一人の中年の男が血相を変えて俺たちのもとへ駆け寄って来る。
何でも、里津華がこの公園に来る前に立ち寄ったというコンビニの店長らしく、話を聞くに彼女が店でガムを万引きしたと主張するのだ。
暇を持て余し、防犯カメラを眺めていたところ偶然それを発見し、この公園まで追いかけてきたのだと言う。
これは後から、本人に聞いた話だ。
里津華がガムの棚を物色していた時に、偶々店に来ていた友達に突然話しかけられたらしい。
その際に、そのまま手に取っていたガムを無意識的にポケットに入れてしまったらしく、そのことに気付かずにこの公園まで来てしまった、というのが事の顛末のようだった。
だが大の大人に急に詰め寄られ、気が動転したのか、里津華は何も弁明も出来ずに黙り込んでしまう。
里津華に悪気がないことなど、当時の俺でも分かっていた。
だが虫の居所が悪かったのか、日頃の鬱憤をコレ幸いにと晴らそうとしているのかは知らないが、店長の表情は大凡子どもに向けるソレではない厳しいものだった。
そして、俺は咄嗟に……。
「サトルが……、庇ってくれたんだよね。『俺が盗ってこいって命令しました』って。強引にリッカからガム奪い取ってさ……」
飽くまで、緊急措置的な対応だった。
里津華の話を聞いていて、母親が厳しい人間ということはガキの頭でも何となく察していたし、よそ者の俺が矢面に立てば後腐れなく事態を収拾出来ると、子どもながらに脳味噌をフル回転させた上での判断だ。
今にして思えば、正解だったとは思う。
その後、店頭に呼び出されやって来た俺のお袋が、地面が抉れる勢いで土下座したことで、何とか警察には通報されずに事なきを得た、というのが大まかな経緯だ。
「あの時、サトルが助けてくれなかったらリッカ、どうなってたか分からない。ただでさえ、あの頃のお母さん、お姉ちゃんの受験のことでピリピリしてたから……」
「……今更そんなこと蒸し返してどうすんだよ。そん時は、それが一番傷が浅い方法だって思っただけだ。別にそれでお前の弱みを握ったつもりもねぇから、安心しろ」
「サトルは絶対そういうこと言うと思ったよ……。でもさ。お礼くらいは言わせてよ……」
「……それを言うなら、こちらこそだよ。この件がきっかけで、お前やフリ姉とも繋がれたんだからな。結果オーライだろ」
「すぐそうやって誤魔化す! こんなところ、連れて来られたらさ……。そりゃ嫌でも、思い出しちゃうよ……。ホント、サイア、ク……」
憤慨しながらも、里津華から徐々に嗚咽が漏れ出てくる。
そんな彼女を見て、堪らずその場から逃げたしたい気持ちに襲われる。
「……あの頃からサトル、何にも変わってない。リッカたちの気持ちも考えずに、自分のことは全部後回しで……。でもそんなサトルだから、今回もそういう結論になったんだよね?」
「……全く違うな。話、聞いてたか? 俺は、自分と極一部の身内の勝手な都合で、全日本国民を巻き込もうとしてんだぞ?」
「同じだよ……。結局、サトルが悪者であることに変わりないじゃん。だから神取さんも反対したんでしょ? 違う?」
「それは……」
この期に及んで、何も言えまい。
何のことはない。
里津華は今も昔も変わらず、俺のエゴに付き合わされるのだ。
「でもね! 決めたんだ! リッカはそんなサトルのこと、絶対に否定しないって。だって、それがサトルだから……。たぶん、あの新井って女もソレを分かった上で、サトルの背中押したんだと思う。自己犠牲の喜びってヤツ? まぁこんなこと、助けられた人間が本来言えることじゃないんだけどさ!」
「自己犠牲の喜び、ね……。お前はどうしても俺のことをド変態に仕立て上げたいみたいだな」
「確かにそうかも! ド変態だよ、サトル!」
「おい」
すると里津華は、ケタケタと笑い出す。
今日、彼女がココに来てから初めて見せた、笑顔らしい笑顔だった。
「……闇バイトのことだけじゃない。サトルはずっとリッカのヒーローだった。こうして今笑ってられるのも、サトルのおかげ。でも」
「……でも?」
「でもね……、怖い気持ちもあるんだ。リッカ、この先本当にやりたいこと見つけられるのかなって。ほら。今までずっと、お母さんの敷いたレールの上を歩いてきたでしょ? こんなのすごいワガママだし、助けてくれたサトルには悪いんだけどさ……」
やはりか。
薄々は感じていたことだ。
あの『提供』の日、奇しくもフリ姉も言っていた。
今でも、母親の期待に応えたい気持ちがある、と。
恐らく里津華も未だ、母親が示してきた価値観から完全には解放されていない。
あの時、誘導尋問的に『母親の束縛から逃れたい』と言わせてしまったが、彼女自身、今の自由を持て余している部分も多分にあるはずだ。
これは依存とはまた違う、ある種の彼女たちの宿命に近い。
フリ姉も里津華も、しばらくはその矛盾を抱えながら生きていく他ないのだろう。
「それでもね! この先どんなに苦しくても、頑張って見つけて行きたいとも思ってるんだ。何でか、分かる?」
「さぁな……」
「サトルが守ってくれた世界だから」
里津華は声を震わせて、そう言った。
「サトルはこの世の中のこと、クソだと思ってるのかもしれない。実際、リッカだってそう思う。でもね……。そう思うのと同じくらい、サトルが身体を張って守ってくれたこの世界を大切にしていきたいって思ってるんだ」
「そうか……」
「……サトルにはすっごい感謝してる。お母さんに言いたいこと言えるようになったのも、お姉ちゃんとの関係修復出来たのも、全部サトルがいたから。サトルのおかげでリッカ、やっと自分の人生始められそうなんだ」
「……そいつは何より、だな」
「だからさ……。大好きなサトルが守ってくれたもの、もう壊したくないんだよ。だ、だから、サトルが……」
里津華はそこまで言うと、言葉に詰まった。
「ゴ、ゴメンッ! リッカ、最低だ……。アレだけ、サトルに助けてもらったのに……」
本当に、この姉妹は厄介だ。
何が厄介かと言えば、彼女たちは『思うところ』を必死に押し殺し、俺の背中を押そうとしているのだろう。
そんなことをされれば、こちらまで柄にもなくセンチメンタルになってしまう。
「……ばーか。何でお前が謝るんだっての。端からお前もフリ姉も巻き込むつもりはねぇから、後のことは気にすんな」
「そういうこと言うなしっ! なんかリッカが恩知らずのクズみたいじゃん!」
里津華はそう言いながら、ブラウスの両袖で涙を拭う。
彼女のその様子を見ていると、今しがたのフリ姉の姿が頭にチラつき、不思議と和んでしまう。
「誰もンなこと思わねぇよ……。むしろコッチとしては、お前がそう言ってくれて心底安心してんだ。恩に報いるつもりがあんなら、大人しく俺の言うこと聞いとけ」
「……分かった。でも一つだけ言わせて!」
里津華はそう言うと、こほんと咳払いを交え、立ち上がる。
「……リッカだって、いつまでも子どもじゃない。社会に出て、自分に自信が持てるようになったら、今度こそサトルのこと迎えにいく。たとえこの先、どんな世界になってたとしても、ね。だからそれまではサトルのこと……、あの女に預けとく」
「……んだよソレ。新井は質屋か何かかよ。つーか、俺を物扱いすんじゃねーっての」
「うるさいっ! 迎えに行くっていったら、行くのっ! だから……、それまで生きてなきゃ許さないから……。ばーかっ!」
里津華はそう宣言すると、俺の肩を小さく小突き、足早に夜の公園を駆けて行った。




