姉妹②
「あ、サトルくん。久しぶり、でもないのかな? あはは」
新井と昂貴への説明を終えた後、俺は宣告通り、フリ姉と里津華を神取さんの事務所近くの公園に呼び出す。
神取さんに呼び出されてからというもの、今の今まで長話に耽っていたこともあって、俺が事務所を出る頃には、すっかり夜の空気が瀰漫していた。
初夏とは言え、梅雨の入り口ということもあってか、肌寒さと、まとわりつくような湿気が同居していて、何とも形容し難い不穏さがある。
それは、これから起こり得る凶事の予兆とでもいうのだろうか。
時刻は既に日を跨いでいて、公園周辺の人通りも疎らだ。
そんな中、彼女たちを呼びつけることに抵抗がないでもないが、事態は一刻を争う。
俺には、名実ともに政府の反逆分子になる前に、彼女たちに伝えなければならないことがある。
手向けなどと、思い上がったことを言うつもりはないが、一つの区切りとして俺たちには必要なのだ。
頭の中で独り、そんな問答を繰り広げていると、一足先にフリ姉がやって来る。
遠くの方から俺を見つけるなり、胸の辺りで小さく手を振り、はにかんだ笑みを浮かべる彼女を見ると、過去の非礼を許されたかのような感覚になる。
「……うっす。こんな夜中に悪いな」
「ううん、全然。里津華から大体の事情は聞いてるから、大丈夫だよ。里津華は少し遅れるって」
彼女はそう言いながら、俺の座るベンチの隣りにゆっくりと腰掛ける。
フリ姉とはあの『提供』の日以来、会っていない。
だからと言うわけでもないが、着の身着のまま会社にやって来たあの依頼の日と比べると、明らかに様子が違って見える。
重く野暮ったい印象だった黒髪は、セミロング程度の長さで切り揃えられ、ブラウン系グレージュのカラリーングもされている。
良く見ると、毛先にかけて束感のあるパーマも施されているようだ。
服装も、胸元にドレープの効いたタイトめなチャコールワンピースと、全体的に里津華のような派手さはないものの、贔屓目なしに一端の大人の女性に見える。
その、彼女のあまりの変貌振りに、率直に言って目を奪われてしまった。
「そんなに、まじまじと見ないでよ……」
これは、完全な粗相だ。
俺の変質的な視線によって、フリ姉の両頬は暗闇でも誤魔化せないほどに赤く染まる。
「……悪い。何か、新鮮だったもんでつい、な」
俺がそう言い逃れすると、フリ姉はクスリと愉快そうに微笑む。
「今更だけど、どう? 里津華が色々とアドバイスしてくれたんだ。イメチェンってヤツ?」
そう言いながら、得意げに両腕を広げる彼女には、かつての面影はなかった。
声のトーンも心なしか一つ高く、表情も柔らかい。
ココ数ヶ月の印象で論評するのも卑怯な気はするが、憑き物が落ちた今の姿こそが、本来の彼女なのかもしれない。
少なくとも、彼女の中で新しい何かが始まりつつあることだけは確かなのだろう。
それを裏付けるように、彼女は輪を掛けて屈託なく笑ってみせた。
「……いい感じ、なんじゃないか」
「そっか……。ありがとう。やっぱり、里津華ってすごいよね! 勉強だけじゃなくて、こういう女の子らしいことも欠かしてないっていうかさ。私、何にも勝てないや……。まぁ当たり前なんだけどね」
そう頭を掻きながら語る姿には、以前のような卑屈さは感じられなかった。
「別に……、フリ姉もそんな負けてねぇと思うけどな。オシャレ、つっても素材あってこそのモンだろ? 知らんけど」
俺がそう言うと、フリ姉は『ありがと』と小さく呟き、俯いてしまう。
そのまましばらく、互いに何を話すでもなく、沈黙が続く。
隣接した歩道を、自動車が横切る音。
近くの繁華街のクラブから、わずかに漏れ聞こえてくるEDM。
小さな敷地内に申し訳程度に設営された、すべり台越しに見える星のくずたち。
手持ち無沙汰で、一体何に神経を集中させれば良いのかも分からなかったが、不思議と居心地自体は悪くない。
しかし、その心地よさゆえに……。
本題を切り出すことを躊躇わずにはいられなかった。
「……でもまぁ何にせよ、安心したよ。元気そうなフリ姉の顔が見れて良かった」
少し、あからさま過ぎたか。
俺が苦し紛れに放った貧弱な言葉は、フリ姉が何かを察するには十分だったようで、彼女は一瞬顔を引き釣らせる。
「うん……。全部、サトルくんのおかげ」
「んなことねぇだろ……。フリ姉が自分で」
「そんなことあるよっ! 私が変われたのも、里津華が背伸びしなくて良くなったのも、サトルくんのおかげなの! 里津華だってそう思ってる!」
フリ姉は俺の言葉を食い気味に遮り、憤慨する。
子どもの頃の朧げな記憶を辿っても、彼女からこんな圧を感じたことはなかった。
「やっぱり……。サトルくんはあの頃から何も変わってないよ……」
フリ姉はぼそりとそう呟くと、不意に俺の手を取り、優しく包み込むように握ってくる。
「ちょっ!? ……何のつもりだよ」
「いいから」
俺は急いで振り解こうとするが、彼女は構うことなく強引に握りこむ。
しばらくの間握ると、ゆっくりと俺の両手を開く。
そうして物色するようにじっくりと見つめた後、『やっぱり』と、小さく呟いた。
「サトルくん。まだクセ、直ってないんだね」
「……何のことだよ?」
「指の皮、毟るクセ。ボロボロじゃんっ!」
フリ姉にそう言われ、彼女の視線を辿ると、『敏感肌』の一言で言い逃れするには心許ないほどに、絆創膏だらけの荒れ果てた両手があった。
「これは……、バイトで」
「居酒屋? ホールって言ってなかったっけ?」
言った傍から、後悔する。
この期に及んで見苦しい。
嘘を吐くにしても、もう少し何かあったはずだ。
「別に怒ってるわけじゃないよ。たださ……。サトルくんって、何か隠してたり、難しそうなこと考えてたりする時、いつもそうしてたよね? あの時だって……。今もさ、何か言い辛いこと、言おうとしてるんでしょ?」
俺の心境を知ってか知らずか、フリ姉は困ったように微笑みながら聞いてくる。
確かに、彼女の言う通りなのかもしれない。
その場を上手く切り抜けるために。自分自身を騙すために。
心にぽっかりと空いた穴を無理やりにでも埋めるために。
そうして気付いた頃には、自分の中の習慣としてすっかり染み込んでしまっていた。
今更、自分自身の悪癖を馬鹿正直に分析するつもりもないが、概ねそんなところなのだろう。
彼女は、ずっと見ていたのだ。
俺が気付きたくない、俺自身のことを。
「言い辛いっつーか、なんつーかな……。あんだけ一方的に距離取った張本人が、『もう金輪際関わらない方がいい』なんて、無粋にも程があるだろ」
「そっか……。やっぱり、そうなんだ」
フリ姉はそう溢すと、両手で顔を覆い、ひくひくと身体を揺らし泣き始める。
仮りに、だ。
首尾よく計画を完遂し、俺にとっての満額回答に近い結果が出たとしよう。
だがそれは裏を返すと、俺の『理想』を世界全体に押し付けることにも繋がる。
当然それは、俺たちにとっての反逆分子が生まれる要因にもなり得る。
そうなれば、いずれフリ姉や里津華にまで悪意の矛先が向かいかねない。
無論、計画が破綻すれば、言わずもがなだ。
どちらに付くかなど、些末な問題でしかないのだろう。
だからこそ、俺と山片姉妹とはどこまでいっても無関係でなければならない。
ただでさえ、彼女たちは今、新しく人生を歩み始めたばかりなのだから。
端から俺には、彼女たちに覚悟を問う資格がないのだ。
「……ごめんね。泣かないって決めてたんだけどな。はは」
フリ姉は慌てた様子でワンピースの両裾を使って涙を拭い、笑顔をつくる。
「汚れんぞ、せっかくの服が」
咄嗟に、そう返すのがやっとだった。
その俺の言葉に、フリ姉はより一層表情を沈ませる。
「……分かってはいたんだ。サトルくんは、私たちにどうするか聞いてくれないってこと。サトルくんは、私たちのことを心配してくれてるんだよね?」
「……そんなんじゃねぇよ」
実際、そうだ。
これは差し伸べてくれた手を振り払ってしまった負い目なんかじゃない。
そもそも、俺自身がそれを望んでいない。
結局のところ、彼女たちにはいつまでも、俺の信じる『理想』の成功例でいて欲しいだけなのだろう。
俺の歯切れの悪さから何かを察知したのか、フリ姉は『そっか』と諦めるように小さく呟く。
「あーあ! 一度くらい、サトルくんにお姉さんらしい姿見せたかったなぁ」
フリ姉はそう言いながら、両腕を上げ、伸びをする。
「心配すんな。フリ姉はいつだって、俺たちのお姉さんだったよ」
「適当に言ってない? じゃあさ! 代わりにって言ったら何だけど、一つだけお願い聞いてくれる?」
「……何だ」
俺が聞くと、フリ姉は覚悟を決めるように深く息を吐く。
「里津華の話、ちゃんと最後まで聞いてあげてね……」
そう言って、フリ姉はフッと痩せた笑顔を見せる。
皮肉にも、その姿が今まで見てきた彼女の中で一番大人びて感じた。




