神取
「さ、訓くん。クーデターって……。キミは、何を言っているんだい? 昂貴と話していた国家プロジェクトの件といい、キミは一体、何を、どこまで……」
腹が据わった、という程大げさなことでもない。
ましてや、『新井に絆されたから』などとは口が裂けても言いたくはないし、事実としてそうまで言ってしまうのは少し誇張が過ぎる。
単に、気付いたというだけなのだろう。
もう『普通』には生きられないことに。
いや……。
気付いたというより、それこそもはや『自覚』というフェーズなのかもしれない。
俺も、新井も。
フリ姉に里津華、石橋も、連中の言う『普通』からあぶれたからこそ、田沼さんの元に辿り着いたのだ。
ただそうは言っても、俺が政府に大々的に喧嘩を売る正当性を担保出来たのかと言えば、それはない。
自分でも、突拍子もないことを言っている認識はある。
そんな俺を見かねたのか、神取さんは酷く動揺した様子で、会話に割って入って来る。
錯乱と悲痛が入り混じったかのような顔付きで、声も絶え絶えだ。
その明晰な頭脳をもってしても整理できないのは当然だろう。
かくいう俺自身も、この結論に至ったことを心底驚いているところだ。
「……すみません。さっきも言いましたが、別に黙っていたわけじゃないんです。俺自身、やっと腹括ったみたいなところあるんで」
「……訓くん。話せることだけでいい。聞かせてくれないか? キミたちがこれまで何を見てきたのかを」
そう俯き加減で話す神取さんを前に、俺はゆっくりと言葉を紡ぐ。
話が深まるにつれ、徐々に怒りを顕にする神取さんを見ていると、否が応でも後ろめたさに苛まれてしまう。
「『不幸の再分配』は、飽くまで前段の試験的なシステム。本命は、その先にの積極的安楽死の推進による、事実上の人口削減か……。なるほど。酷い酷いとは思ってはいたけど、流石にここまでとは思わなかったよ。まさに棄民じゃないか……。クソッ!」
神取さんは怒りのまま、テーブルを叩く。
バンっと鈍い音が響き渡った後、しばしの間、事務所内は静寂する。
「……まぁ概ねそんな感じっすね。言うて、俺も新井も又聞きなんで、現状そのくらいしか分かりませんし、今後もそれ以上の情報が得られる確証はありません。昂貴の話も考慮にると、連中はまだ何かしら不都合な情報を隠している公算は高いですね」
俺がそう補足すると、返事の代わりとばかりに、神取さんは悲哀に満ちた表情を浴びせてくる。
そしてしばらく沈黙した後、ゆっくりと口を開く。
「……一旦話をまとめよう。リミットは48時間って言ったかな? キミはその間に政府に白旗を上げるか、宇沢という男に協力するか、もしくは田沼茅冴の計画を引き継ぐか、考える。計画を引き継ぐ場合、このまま彼女の犠牲を受け入れることになる。そして、それは彼女自身の本意でもあり、ひいてはキミのお父さん……、荻原 汰維志の意志を受け継ぐことにも繋がる。それで……、訓くんはその二人とは違う、キミなりのやり方でクーデターを起こす道を選ぶ、と」
淡々と、現状を整理する神取さんに対して、俺は肯定も否定も出来なかった。
分かってはいた。
いよいよ、これから本当の意味で話し合いが始まるのだろう。
「……この際、キミが具体的にどんな方法を考えているのかは、問題じゃない。重要なのは、キミがそうすることの意味を理解しているかだと、俺は思ってる」
「はい」
俺や新井が彼らとは違う、第4の道を選ぶ意味。
複数、ある。
法の枠組みを飛び越え、ようやく確立の目処が立った『被害者』の立場をも擲ち、半ば実力行使で統治機構を転覆するともなれば、俺たちは名実ともに『国賊』だ。
その場合、どちらに大義があるかは、まず関係ない。
ただ一方的に、『国家反逆者』の誹りを受けるのみだ。
それだけなら、まだいい。
『政権の転覆』という一点に絞れば、田沼さんの計画を引き継ごうが、宇沢さんに協力しようが変わらないのかもしれない。
だが、そこには少なからず、彼らが着々と築いてきたレールがある。
事実、田沼さんにしろ宇沢さんにしろ、最終的には俺やお袋が傷付かない算段をつけていた。
それらを一切差し置いて、全く違う手段を選ぶともなれば、前途は多難だ。
そうだ。
俺や新井が進もうとしている道には、何一つ約束されたものがない。
しかし、たとえそうであったとしても、俺たちにはもう……。
どうやら、そんなある種の狂った覚悟というものは、顔に出て容易に伝わるらしい。
『はい』と応えた切り、説得も弁明もしない俺を見て、神取さんは例のごとくハァと大きく溜息を吐いた。
「……もう一つ、確認したい。お母さんの病気も……、本当、なんだね?」
「はい」
「そうか……」
神取さんはそう言って、壁に凭れかかり、天を仰いだ。
「……まずは一言、言わせてくれ。すまなかった。キミたちは今、そんな決断を迫られるまでに、追い詰められているんだね。俺は本当に……、何も出来ていなかったようだ」
すると神取さんは俺に頭を下げ、またしても見当違いの謝罪をする。
「そういうの、やめて下さい……。さっきも言いましたけど、俺はあなたに感謝しかしていません。それに、何も出来ていないなんてことはないはずです。あなたのおかげで新しい事実も知ることが出来た。たとえば、そのUSBのこととか、ね……」
「あぁ……。コレね。話を聞くに、恐らく訓くんが使っていたUSBは、最新の状態になっていない。キミが今まで見ていたデータは誰が管理しているのかまでは分からないけど、こうして俺とキミの間で齟齬が生じているわけだ。少なくとも、大もとのデータの管理者は二人以上いるのは間違いない。もちろん、キミたちの見ていたものが偽物かどうかは、断言できるものではないけど。まぁどの道、キミの話だと今日のコレも、彼らの思惑通りみたいのようだけどね!」
神取さんはそう言って、やたらと投げやりな笑みを浮かべる。
確かに彼の言う通りであれば、辻褄が合う。
宇沢さんは嗣武の存在を認識しながらも、その正体までは知らなかった。
であれば、データの中身については違和感を覚えないのも頷ける。
……いや。
彼は本当に知らなかったのか?
だとしたら、宇沢さんの本当の狙いは何なのだろうか。
言外に何かを伝えようとしていたのなら、俺は今、重大な何かを見落としていることになる。
いずれにせよ、その疑念に辿り着けただけでも収穫と考えるべきだろう。
「まぁ、それは別にいいんだよ! それにこれは、ただ弁護士だからってことじゃない。大人が子どもを守るのは当然だろう? いや……。少なくとも、俺自身はそれが当然であって欲しかったんだよ……」
「そう、ですか……」
どこか懐かしむような。
それでいて、無念さを滲ませたような眼差しで思いの丈を綴る神取さんを見て、彼がこれから何を言おうとしているか、本能的に分かってしまった。
「その上で、はっきりと言わせてもらうよ。俺はキミの方針に賛成出来ない」
「そう、ですか」
「アレ? そんなに驚かない感じかな?」
俺の淡白な返答に、神取さんは誂うような笑みで聞いてくる。
その、普段ながらの態度が却って、こちらの胸懐の奥底までを見透かされているかのようで、どうにも決まりが悪い。
新井は新井で、どこかでソレを予感していたかのように、痛々しい表情で彼を見つめていた。
「……えぇ。そりゃまぁ。伊達に何年も近くで、青臭い正義論聞かされてませんからね。追い詰められた結果とは言え、あなたがそういう短絡的な行動を良しとしないことは分かってました。ていうか……、どこの世界に勝訴の見込みがないからっつって、革命お勧めする弁護士がいるんすか。常識的に考えて」
「ふっ。なんか、キミらしい言い方だね。別に、俺はそういう意味で反対してるんじゃないんだけどなぁ……」
「分かってますよ、そんくらい……。わざわざ言われなくても」
俺が吐き捨てるように言うと、神取さんは『そっか』と、物悲しく呟いた。
わざわざ、言われなくても分かる。
わざわざ、言うまでもない。
それ故に、今更その理由を彼に言わせるわけにはいかない。
思えば、神取さんほど自ら率先して貧乏くじを引きたがる人も珍しい。
俺やお袋とさえ出会わなければ、弁護士として今とは違うキャリアを築けていたのだろう。
そんな彼が、『持つ者』である道を捨ててまで、俺たちを支えてくれた理由。
仕事だから。性に合わない。そこまで含めて甲斐性。
そう、一言で片付けてしてしまうのはあまりに浅薄だし、ましてや今更彼のことを穿った目で見るつもりもない。
第一、彼に私欲がないことなど、声を震わせながら俺に頭を下げてきたその姿を見れば明々白々だ。
だからこそ、俺はいつまでも彼の足枷でいるつもりはない。
神取さんにはこれ以上、『貧乏くじ』を引かせるわけにはいかないのだ。
7年間、ともに戦ってくれた戦友として。
孤独だった俺に、寄り添ってくれた恩人として。
「……でもまぁこう言っちゃなんですが、安心しましたよ。たとえ神取さんが俺たちに協力してくれるつもりでも、コッチから願い下げでしたから」
「訓くん!? やっぱり、まだ俺のことポンコツ弁護士だと思ってる!? 確かに結局何も出来なかったけどさ!」
「だから……。そういうんじゃないって、分かるでしょ……。神取さんは、保険なんですよ。俺たちにとっての。世界にとっての」
「ほ、保険?」
神取さんは、目をぱちくりとさせる。
「……忘れたんすか? 今の状況。新井の母親はともかく、里津華の件もまだ片付いていない。それがキッチリ片付かない限り、フリ姉だって安心できないでしょう。二階堂さんの件だって、お願いしましたよね?」
「それは……。確かにそうかもしれないけど、さ……」
「……俺たちが選ぶ道は、言ってみりゃギャンブルみたいなもんです。失敗すりゃあ、すってんてんどころの騒ぎじゃない。俺自身について言えば、命そのものを奪われても何ら不思議じゃありません。ていうか、確実にそうなるでしょうね。社会だって、今なんかよりずっと殺伐としたものになる。このまま連中の思惑通りになれば、待っているのは文字通りの『ディストピア』です。そんな中で……、少なくとも神取さんだけは王道であって欲しいんです」
「訓くん……」
「別に恩人だからってわけじゃない。だけど、そんな腐った世の中だからこそ、ぐうの音も出ない暑苦しい正義振りかざす輩が一人ぐらい居てもいいって……、俺は思うんすけどね。だから言っちまえば、俺の私利私欲です」
俺の披瀝に、神取さんは口を半開きにしたまま、絶句する。
「ぷっ」
しばらく沈黙した後、神取さんは突如吹き出す。
「……何か?」
込み入った話の最中、場違いな笑みを浮かべる神取さんを不審に思いつつも、俺は問いかけた。
「ううん! 何でもないよ! ただ、ホントにキミらしいなって思ってね!」
「……はぁ。その、『俺らしさ』っつーのが何なのかは知りませんけど、一応ここまで分かっていただけた、という理解でよろしいんですかね?」
「分かるも何も、そもそも今日のコレは、訓くんたちが勝ち取った戦果だ。それをどう使おうが、キミたちの自由さ。端から俺がどうこう言う資格はないんだよ。だけどホラ! 一応立場ってモンがあるだろ?」
「何なんすか、それ……」
俺がぼやくと、神取さんは困ったように顔を綻ばせる。
「それと、もう一つ! これは俺の戯言だ。だから出来れば、聞き流して欲しい」
神取さんはそう言って、くるりと俺たちに背中を向ける。
『戯言』などと前置きしながらも、その声色は心なしか押し込もっているようにも感じた。
「……ホント言うとね。俺はこの先全てが片付いた後、冤罪被害者を救うための民間団体を立ち上げるつもりでいた。それで……、俺としてはキミにその先頭に立ってもらいたかったんだ」
「……初耳です」
咄嗟に、そう返すのがやっとだった。
事態が拗れに拗れ切った今、彼がどんな心境で吐露しているかを思えば、絞り出せる言葉も限られる。
「言ってないからね。でも、俺には確信があったんだよ。キミが協力してくれるっていうね」
「何を根拠に、そんな……」
すると神取さんはこちらに振り向き、フフンとあざとく鼻を鳴らし、不敵に微笑む。
「忘れた? 俺には7年間、キミのお母さんの弁護を格安で請け負った、という特大の貸しがあるってこと。どの道、キミに選択肢なんてないんだよ!」
「何なんすか、それ……。この期に及んで茶化さないでくださいよ……。まぁ、借りがあるのは否定しませんけど。なんか、俺だけクソ真面目に小っ恥ずかしいこと言ったみたいで、アホらしくなってきましたよ」
俺がそうぼやくと、彼はその人を食ったような笑みを助長させる。
長年連れ添った相棒をやり込めた満足感なのかは知らないが、また一段と得意げに見えた。
「でもさ……。こんなこと言ったらアレだけど、俺がキミを誘う理由なんて、キミ自身が一番分かってるんじゃない?」
そして、続けざまにそう聞かれた時、俺は返す言葉を失う。
同時に、今になって彼がそれを打ち明けた意図に気付く。
ごく一部の人間の都合で歪められた『正義』によって、誰かが割りを食う世界を変える。
神取さんが提示したあり得たかもしれない可能性は、まさにそんな俺自身の『理想』を実現するための第一歩であり、本来俺が歩むべきだった『王道』そのものなのだろう。
何のことはない。
彼は最後の最後まで、俺の人生の責任を取ってくれるつもりでいたらしい。
だからこそ、この土壇場でそんな都合の良い絵空事を聞かされるのは、中々に堪えるというものだ。
「……ごめん。なんだか余計なこと、考えさせちゃったみたいだね。こんなタイミングで卑怯だとは思ったんだけどさ。なんか、ちょっと悔しくてね……。それは何となく、分かってくれるだろ?」
「そりゃ、まぁ。俺だって、悔しくはありますから……」
「……そっか。ねぇ訓くん。意地悪ついでに、改めて聞いてもいいかな? 俺がもし、本当に誘ってたら、キミは付いてきてくれた? 貸し借りとかは関係なしに、さ」
そう聞いてきた彼の表情には、これまでの茶化すような笑みはなく、神妙そのものだった。
それでいて、どこか縋り付くようにも見えて、俺はその場に縛り付けられてしまいそうになる。
だから俺は、苦し紛れにでも、こう答えるしかなかった。
「……仮定の話には答えられませんね。弁護士なんですから、ファクトに基づいて質問していただけると助かります」
「ふっ。確かに、そうだね……。キミの言う通りだ! 全部、正攻法で片が付いた先の青写真さ! だからまぁ、あんまり真に受けないでおくれ!」
答えを濁す俺に、神取さんはいつもの爽やかな笑顔で応える。
そんな底意地の悪さも、ある意味で彼の長所なのかもしれない。
どうやら、俺はまた。
彼に『貧乏くじ』を引かせてしまうようだ。
「さ! そうと決まれば、俺はもうお呼びじゃない感じかな。一足先に、お暇させていただくとするよ。余計なこと聞いて、キミたちの計画に支障が出ても困るしね。俺は一人寂しく、打ち上げでもしてくるよ!」
「そう、ですか……。あんまり飲み過ぎないでくださいよ。誰も介抱する人いないんすから」
「それは約束できないなぁ。あっ、急いでるんだったよね? 事務所はこのまま使ってていいからね。鍵は適当にポストにでも放り込んでくれれば問題ないよ!」
「……いいんすかね。弁護士がそんなガバガバセキュリティーで」
「構うもんか! 冷静に考えてみなよ。大層なリスク冒してまで、こんなオンボロ事務所に空き巣に入る見返りなんて、どこにあるんだい?」
「自分で言ってて悲しくないんすか? いや、そうじゃなくて顧客情報とか色々……、ってもういいですよ。信頼の証として受け取っておきます」
俺が呆れ気味に返すと、神取さんはニシシと、してやったりといった笑みを浮かべる。
そしてまた、くるりと旋回し、俺たちに背中を見せる。
「……じゃあね、訓くん。『頑張れ』とは俺の口からは言えないけど、キミらしくね。ただ、粛々と。キミの信じる、『理想』を目指すんだ」
「は、はい。あのっ! 今まで、ありがとうございました!」
俺がそう言うと、神取さんは一瞬振り向き、嬉しそうに目を細めて見せる。
その振り向きざま、彼の両頬に薄っすらと涙が伝っていたのを、俺は見て見ぬ振りをした。
恐らく、これが……。
父や兄同然に支えてくれた彼との最後なのだと、痛感した。




