嗣武②
約10年前。
昂貴と嗣武は、ほぼ同時期にルフトのキャストとして入店する。
当時二人は、同期のライバルとして切磋琢磨していた。
月の売上でも常に競り合い、お互いを強く意識してはいたものの、決して関係自体は悪くなかったと言う。
だが、入店2年目を迎えて間もない頃、ある出来事をきっかけに二人の命運は大きく分かれることになる。
ある日の営業後の後片付けでの一幕だ。
グラスを回収していた嗣武が、酒で濡れた床に足を滑らせ、体勢を崩してしまう。
近くでモップがけをしていた昂貴は、それにいち早く気付き、咄嗟に持っていたモップを手放し、両手で受け止めようとする。
だが、結果としてそれが悪かった。
昂貴自身も床に足をとらわれ、二人はなだれ込むように倒れてしまう。
横転した昂貴の顔の辺りには、嗣武が放したトレイから飛び落ちたシャンパングラスの破片が散乱していた。
この一件で昂貴は、商売道具とも言える顔に傷を負ってしまった。
そこから昂貴は、分かりやすく停滞していく。
対して、嗣武はリーダー、幹部補佐、副主任、主任と順調にステップを遂げ、3年目の終わりを迎える頃には支配人にまで上り詰める。
他の同期のキャストも続々と昇格していく中、昂貴は一人追いていかれていくような感覚に陥ったと言う。
昂貴はそれでも何とか食らいつき、入店4年目の査定で副主任就任にまで漕ぎ着けるものの、既にその頃には嗣武との差は歴然としたものになっていた。
「そうか……。それは、ツイてなかったね」
「……そっすね。まぁ、でも『運も実力のうち』って言いますからね。オレにはそれが足りなかったんすよ。単純に嗣武のヤツが凄かったってのもあるとは思いますけど。はは」
そう言って昂貴は、投げやりに笑った。
「つっても、ね……。それは今だから言えるってだけで、ぶっちゃけそん時は嫉妬に狂ってましたよ。だってアイツ……、もうその時点でフェルベンへの異動の話が出てたんすよ? そりゃあ、何も思うなって方が無理な話でしょ!」
「まぁ……、それはそうかもね」
「アイツはアイツで、負い目に感じていたらしくてね。事あるごとに言ってくるんすよ。『俺が出世出来たのは、お前を踏み台にしたからだ』ってね……。それがまた、余計に憎らしくて憎らしくて……」
「なるほど……。その怨嗟が7年前の事件に繋がった、と」
神取さんが聞くと、昂貴はコクリと頷いて、苦笑する。
「まぁ……、ちょっとした行き違いがありやしてね。ちゃんと冷静に話し合えば、何のことはないはずだったんす。でも、無理だった。衝動を抑えることが出来なかった。そいで結局、取り返しのつかないところまで来ちまった……」
そして、悲劇は起こる。
きっかけは、嗣武に関して、ルフト内で流布されたある噂だった。
『昂貴のエース客と嗣武が、ホテルへ入っていくところを見た』
何でも、昂貴の同期のキャストが担当していた常連客の一人が、何気なく話していたらしい。
通常、担当の決まっている客に手を出すことは、『爆弾行為』として業界ではご法度中のご法度だ。
キャストたちの司令塔である支配人という立場にいる嗣武が、そのことを理解していないはずはない。
飽くまで、噂。
特段、写真のような証拠があるわけでもない。
嗣武は、やや言葉足らずでガサツな面もあるが、仕事に関しては実直そのもので、後輩に対しての面倒見も良く、仲間から慕われていた。
ましてや、当時の飛ぶ鳥を落とす勢いの嗣武にとって、わざわざ高いリスクを冒してまで、他から客を奪うメリットはどこにもない。
良くも悪くも、昂貴はそのことを誰よりも理解していたはずだった。
しかし……。
当時の昂貴は、それを冷静に受け止める余裕はなかった。
人伝で信憑性の薄い情報でも、彼を疑心暗鬼にするには十分だった。
昂貴は真偽を確かめるべく、嗣武を自宅のアパートに呼び出すことを決めたと言う。
「アイツがそんなことするワケないってのは、分かってたはずなんすよ……。でもそん時は何つーか、色々とギリギリだったっていうか……。弁護士さんだってそういう時期、あったでしょ?」
「……まぁ、そりゃあね。それで、嗣武は呼び出しに応じたのかい?」
「えぇ。そういうところは律儀なヤツなんで……。そんでもって、どうやら噂はアイツの耳にも入ってたみたいでね。嗣武のヤツ、オレのアパートにノコノコやって来て、開口一番なんて言ったと思います?」
「……さぁ。なんて言ったのかな?」
「『噂は事実無根。その日は別の客のアフターだった。だがそれでも、誤解を招いた自分にも問題はある。すまなかった』、だそうですよ!」
昂貴はそう言って、ヘラっと、投げやりに口角を上げて見せた。
嗣武のその言動の背景には、昂貴への負い目があるのだろうが、そんなことを逐一分析していられるほどの精神的なゆとりは、当時の彼には残されていなかった。
神経を逆撫でされた昂貴は、ここぞとばかりに自身が凋落するきっかけをつくった一件を蒸し返し、嗣武を責め立てる。
そして……。
昂貴が、嗣武の胸ぐらに掴みかかった時だった。
襟元を強く握られた衝撃で、嗣武の着ていたMA-1の右ポケットから、20cm四方大のある小物が、はらりと溢れ落ちる。
それは昂貴が、同伴の際に件の女性に贈ったものと、全く同じブランド・型番のタオルハンカチだった。
昂貴がその正体に気付いた時には、手遅れだった。
抑制が効かなくなった昂貴は、気付けば嗣武に馬乗りになり、喉元を力一杯押さえつけていた。
我に返る頃には、嗣武は既に事切れていたと言う。
「……結局、嗣武の言っていたことは本当で、単純に常連客の見間違いだった。あのハンカチだってユニセックスだったし、別に被ること自体おかしくはなかった。でも……、オレはアイツを信じることが出来なかった。そんで、笑えてくるのはアイツ……、オレが首絞めてる時、一切抵抗しなかったんすよ? ホント、馬鹿でしょ? まぁそれを言うなら、オレが一番馬鹿なんすけどね!」
作り話には聞こえなかった。
これは間違いなく、昂貴が長年燻ぶらせ続けてきた等身大の悔恨なのだろう。
だからこそ、俺はここまでの昂貴の話を聞いて、心の置きどころに悩んでいた。
「そうかい……。キミの懺悔は分かったよ。でも、肝心なのはココからだ。俺たちが聞きたいのは、キミがどうしてこのUSBを手に入れたか。そして、その後どういった経緯で、『昂貴』の戸籍を捨て、『嗣武』に成り代わったかということだよ」
神取さんがそう聞くと、昂貴はにへらっと唇を歪める。
「……嗣武を殺してスグ、くらいっすかね? 非通知で電話があったんすよ。何かよく分からんけど、『至急、会いたい』ってね」
「名前も名乗らずに、かい? そりゃ随分と怪しいな。それで……、まさかキミは会ったのかな?」
「そりゃあ、普通だったら有り得ないっすよ? でもまぁ、あんなことがあった後っすから、気が動転してたんすかね! ほんで、言われるがまま、指定された場所にノコノコ行ってみたんすよ。そしたら、結構なお偉いさんみたいでしてね。なんか、地域経済活性化有識者会議? とかいう政府のご意見番のメンバーとか言ってたかな?」
「あ」
昂貴の話を聞いて、俺は気付くと声を上げてしまっていた。
地域経済活性化有識者会議と言えば、石橋の父親も所属している政府直属の諮問機関だ。
なるほど……。
何となくだが、腑に落ちた。
「訓くん。どうかしたのかな?」
神取さんは心配そうに、俺の顔を覗き込んでくる。
それに絆され、俺を見る昂貴の視線も、心なしか訝しげだった。
「い、いえ。何でも」
「……そうか。それで、その後はどうなったのかな?」
「なぁに。簡単なことっすよ! そのお偉いさんに、ちょいと提案されましてね。『嗣武』を実行者として、あの雨宮とか言うオッサン相手に提供? ってのをやれば、全部丸く収まるって言われたんすよ。まぁその人が、どこでオレがヤッたことを知ったのかは謎ですけど、背に腹は代えられないっていうか」
「……なるほど。実行者となる『嗣武』は、既にこの世にいない。だから、ほぼノーリスクで雨宮を処分できる、と」




