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懺悔

「本当は、僕なんです。咎められるべきなのは……。結果として、僕も彼女を誘導した一人なんですから……」

「チサさんを誘導したって……。それってどういうこと、ですか?」


 新井が問いかけると、宇沢さんはワナワナと身体を震わせながら、ゆっくりと話を始める。


 きっかけは、雨宮の出向が決まった当日だと言う。

 その日、宇沢さんは生活保護受給者の自立支援に関する省令作成で、夜遅くまで残業していた。

 作業に目途が付き、帰り支度をしていたところで、誰もいないはずの会議室に明かりが点いていることに気付く。

 消し忘れかと思い、中を覗き込むと、見覚えのある人物が神妙そうに数枚の書類を眺めていた。


 成美 朝洸(なるみ ともひろ)

 田沼さんに目を掛けていた、社会・援護局担当の審議官だった。

 医療から福祉まで幅広く管轄する厚労省は、霞が関の中でも特に激務で知られていて、この時間までの残業も特段珍しくはない。

 ましてや、彼は局次長級である審議官だ。

 彼がこの場にいること自体、何ら不思議なことではない。


 しかしこの時、宇沢さんは妙な胸騒ぎを覚える。

 ただでさえ、()()()()()()が決まった直後だ。

 宇沢さんはほとんど衝動的に、成美がトイレに向かった隙を見計らい、会議室へ忍び込んでいたと言う。

 楕円形のテーブルの上に乱雑に置かれた書類に目を通すと、鑑定士候補者一覧、試験運用の際の事務所予定地、制度実装により期待できる効果、国民への告知予定時期などといった事項が記されていたらしい。


「あ、あの! それってまさか……」


 新井が恐る恐る問いかけると、彼は無言で頷く。


「……はい。『不幸の再分配』に関する企画書でした。しかし、本題はその先にあります」

「ほ、本題?」

「……その企画書には、例の事件に関しても記述されていました」

「へ!? で、でもまだその時って、事件は起きてないですよね?」


「はい。ですから飽くまで、()()()()()()()リスクの一例として挙げられていたのです。『FAD』が実現すれば、こういったケースも未然に防げる、といった具合に……。無論、直接的な表現はされていませんでしたが、今にして思えば、あの企画書にかかれていた事例は、荻原さんたちが巻き込まれた例の一件と極めて酷似していました。恐らく、この時点でどういった道筋で計画を遂行していくかも決まっていたのでしょう。要するに……、計画のお膳立てとして利用されたのです。雨宮も。荻原さんのお母様も」


「何ソレ、酷いっ! 人のことなんだと思ってんだし!」


 なるほど……。

 ようやく、ココも話が繋がったか。

 新井はまるで自分のことのように憤慨しているが、田沼さんから『誘導された』だの、『仕組まれていた』だの散々聞かされた手前、正直なところ『さもありなん』程度にしか思えなかった。

 俺やお袋がゴミのように扱われてきたことなど、今更の話だ。

 それよりも、問題はその先にある。


「……一つ、聞いてもいいですか?」


「嗣武のこと、ですか?」


 俺が聞くと、宇沢さんは待っていましたとばかりに先回りして応える。


「……話が早くて助かります。まぁ、もはや真犯人を見つけてどうこうって話でもないことは分かってますが、念の為」


「残念ながら、それ以上のことは分かりかねます。その後、すぐに成美は会議室に戻ってきてしまい、僕がその続きを読むことはありませんでしたから。荻原さんたちが自力で嗣武の存在まで辿り着いた以上、僕の方から話せることは何もありません。大変申し訳ないのですが……」


 やはりか。

 そうなると、時間も逼迫している以上、もはや神取さんとの()()()()()()()は、現実的な選択肢とは言えなくなった。

 やはり田沼さんの言うように、全て根本的にひっくり返す必要があるのだろうか。

 いや、あるいは……。


「……そうですか。分かりました。まぁそれについては、一先ずいいです。それで……、偶然とは言え、それだけの事前情報を手に入れておいて、あなたが何もしなかった理由を教えてもらってもいいですかね?」


 やや乱暴に俺が聞くと、宇沢さんは居心地悪そうに視線を逸らす。


「魔が、差したんです……。僕は甘言に負け、彼らの暴挙をみすみす許してしまった」


 宇沢さんは、そこに記されていたあまりの内容に、気付けばその場に立ち尽くしていたと言う。

 すっかり書類に釘付けになってしまい、彼のページを捲る手が止まることはなかった。

 そして、遂に『FAD』の詳細が書かれた箇所に差し掛かった、その時だった。


 『なにをしている』


 突如鳴り響いた、冷たく野太い声に、それを制止される。

 振り向くと、背後にはトイレから戻った成美が立っていた。

 宇沢さんは、咄嗟に声を出すことが出来ず、あわあわと成美を見つめることしか出来なかったと言う。


 成美は大きく溜息を吐いた後、ツカツカと宇沢さんに近寄り、耳元で一言こう漏らした。


 『キミの()()()()は、聞いている』と。


 宇沢さんには、歳の離れた妹がいた。

 彼女は、胚細胞腫瘍を患っていた。

 病状は芳しくなく、彼が入省した時点で、既にステージⅣにまで進行していたらしい。

 成美はそこに目を付け、彼に交渉を持ち掛ける。

 『私に協力してくれるならば、キミの妹のことは決して悪いようにはしない。()()()はいくらでもある』と。

  

 成美の誘いに乗り、妹を救うか。

 もしくは、官僚としての義を貫くか。

 彼はこの時、選択を迫られた。


「なるほど……。それで今に至る、と」


 俺がそう言うと、彼は力なく頷いた。


「……成美は随分と暈した言い方をしましたが、僕はその時点でピンときていました。これは『マイナス提供』のことだと……。当然です。ポイントのマイナス概念については、企画書の『不幸の再分配』の注意事項で語られていましたから。恐らく成美はそれを承知の上で、話を持ち掛けてきたのでしょう」


「そう、だったんですか……」


「妹の病気はその後間もなく、完治しました。信じられますか? もうその頃には体中に転移していて、余命半年と宣告されていたウチの妹が、ですよ? 皮肉にもこの時、僕の中で彼らの計画の信憑性が証明されました。同時に、僕は政府に大きな弱みを握られてしまった……」


「まぁ……、ポイントについて理解していたのなら、そうなりますね」


「……荻原さんのおっしゃる通り、当時の僕は何かを決定出来る立場にはありませんでした。事実、雨宮の出向を決めたのは、当時の幹部と内閣人事局の人間です。しかし……、そこからだってきっと出来ることはあった。あの時、僕が誘いを振り払っていれば、こんなことにはっ!」 


 宇沢さんはそう言うと、ダンッと強く、地団駄を踏む音を響かせる。


「そこから先は、非常に分かりやすいものでした……。政府は、完全に僕のことを取り込みに動いたのです。当てつけとばかりの昇進に次ぐ、昇進……。そのペースは彼女を上回るほどでした。今では、部局は違えど歴代最年少総務課長。彼女を踏み台にして眺めた()()の景色は、それはそれは酷く薄汚れていました。僕も、彼らに負けず劣らずの醜悪な人間です……」


 これ、か……。

 彼が異様なまでに、田沼さんの身を案じる理由は。

 恐らく彼女も、宇沢さんのその想いに気付いている。

 だからこそ彼女は、彼が動く前に全てのケリをつけようとしていたのだろう。


「……しかし、それも今日で終わりです。荻原さんのおかげで、決意が固まりました。率直に感謝致します。そしてその恩を、ある種『仇』で返さざるを得ないことは、心苦しい限りです」


「別に……。背中を押したつもりなんてないですけどね。それに、『仇』かどうかも俺次第なんでしょ?」


「そう、ですね……。おっしゃる通りです」


 宇沢さんはそう言って、悲痛の表情を浮かべる。

 

「……さて。今一度、整理しましょう。荻原さんの取り得る選択肢は、大きく3つ。一つは政府に白旗を挙げ、彼らの方針に従うこと。服従の姿勢さえ見せれば、お母様も含め、決して悪いようには扱われないはずです。僕がそうだったように」


 確かに宇沢さんの言うことは、もっともだろう。

 『不幸の再分配』に一度でも関わった以上、俺たちはある種共犯だ。

 政府としても、抵抗の芽を摘む意味でも、味方に抱き込むというのも一つの手だろう。

 良くも悪くも制度や計画に理解がある分、一定の戦力としても見込めるはずだ。

 

「そして二つ目は、このまま田沼 茅冴の()()()()に動くこと。なおその場合、荻原さんとは『敵対関係』ということになります。鑑定士登録についても、僕の方では致しかねますので、そこから先の道はご自身で開拓なさって下さい。もっとも……、USBも手元になく、鑑定士登録もままならない中で、何が出来るのかは分かりませんが」


 『FAD』にも『AGH』にも否定的な立場である以上、宇沢さんとしては当然の判断だろう。

 現状俺としても、そんな手足をもがれた状態で何が出来るかなど、想像もし得ない。

 この場合、実質的には何もしないのと同義だ。


「最後に。もし、僕に協力していただけるのであれば、荻原さんにはお母様の()()を用意させていただくつもりです」


「……代償?」


「はい。計画が滞りなく遂行された暁には、ビッグデータとUSBを破壊する直前に、僕を実行者として荻原さんを対象に『マイナス提供』を行いたいと思います」


 淀みなくそう言い切る宇沢さんを前に、俺は咄嗟に二の句が継げなかった。


「何でも構いません。『生涯、不自由しない金が舞い込む』でも、『世に二人といない美女とお近付きになる』でも。どうぞ、お好きなものをお選び下さい」


 意味が分からなかった。

 同時に、身体の内側から沸々と怒りが込み上げてくることが分かる。


「……何すか、それ。フザけてるんですか?」


「いえ。至って真剣に言っておりますが」


「話が違うじゃないですか!? 立場上、『マイナス提供』は行えないって言ったでしょ!?」


「……確かに言いました。ですから、全てが終わった後、あなたは僕を吊るしあげるのです」


「はぁっ!?」


 思わず、部屋いっぱいに声を響かせてしまう。

 たじろぐ俺に、宇沢さんは躊躇することなく、一方的に言葉を浴びせ続ける。


「そうですね……。例えば、こんなのはいかがでしょうか? 『国民にはもっともらしい理屈で結束を訴えておきながら、その実態は私欲に塗れた俗人だった』などと吹聴して回り、僕を悪人に仕立て上げる。そうすれば、後々あなたに批判の目が及ぶことはありません」


「あなたが何を言ってるのか、分かりません……」


「心配せずとも、実際には何が起こっていたかなど、一般庶民に知る術はありません。事件の究明が始まる頃には、唯一の物的証拠であるビッグデータやUSBは跡形もないですし、僕の()()()()は完了していますしね。そこから先は、あなたの自由です。こうして生まれた民衆のうねりを利用して、あなたの思う理想の世界をつくるもよし。『マイナス提供』によって得た財産で、終生穏やかに暮らすもよし。全ては荻原さんの『選択』次第」


「何なんすか……。そんなことして、俺が喜ぶとでも思ってるんですか!? それなら……、お袋を助けて下さいよっ!! そんな大胆なこと思いつくなら、そのくらいのこと出来るでしょ!?」


 違う……。

 こんなことが言いたいわけじゃない。

 だが、自身も駒の一つでも言うかのような彼の肝の据わり具合を見て、本意ではない言葉が、口を衝いて出てきてしまう。


「……荻原さんは少々勘違いされているようですので、訂正させていただきます。僕の目的は国家転覆などでなく、飽くまで彼女の身の安全の確保と、政府の悪道の周知。統治機関の占拠も、混乱が収束した後に解く予定です。無論、現政権には退いていただきますが、民主主義・法治国家という土台を覆すつもりは毛頭ありません。でなければ、わざわざ彼女の身柄を引き渡すはずがないでしょう?」


「そりゃあ……、そうかもしれませんけど……」


「それに、です。考えてもみて下さい。制度を大々的に公表する以上、必ずや賛成派も湧いて出てくるはず。現状でも、少数とは言え『不幸の再分配』の存在が認知され、一定の支持を得ているのですから。だからこそ、議論を喚起する必要がある」


「議論、ですか……」


「はい。たとえ、一時的に我々の息のかかった政治家を担ぎ上げ、現政権を下野させたとしても、民意の了解が得られなければ、必ず歪が生じる。そういった世論とのズレを放置しておけば、後々大きな禍根を残すことは荻原さんも良くご存知でしょう? 国民を啓発し、システム破壊のコンセンサスを得るまでには、ある程度の月日を要するでしょう。それこそ、2ヶ月では到底足りないほどに。僕はその間、騒動の発端となった人間として、反対派の理論的支柱を担わなければなりません」


「別に、俺は……、宇沢さんに犠牲になって欲しいと思ってるわけじゃ……」


 苦し紛れの弁明をする俺を見て、宇沢さんは困ったように目を細めた。

 よもや、彼のこんな表情を見る日が来るとは思わなかった。


「さて……。以上を踏まえて、お聞きします。荻原さんはこの先、どうされますか?」


「こんなのが……、『選択』って言えるんですか……。どうやら厚労省って組織は、矛盾と欺瞞の塊のような組織みたいですね!」


「否定はできません。実際、僕たちはこれまで散々真実を捻じ曲げてきました。そしてあなたは、そんな矛盾と欺瞞に蹂躙されてきた。たとえ全てが表沙汰になったとしても、それを咎める人間がどれだけいるでしょうか。確信を持てないようでしたら、僕が代わりに断言致します。荻原さん。あなたには、その資格がある」


 ()()()のではなく、()()()()()()

 俺の人生、ずっとそうだった。

 親父が死んだ時も。お袋が病気になった時も、そうだ。

 その、お世辞にも恵まれているとは言えない境遇によって、道を阻まれてきた。

 そんな俺に、生まれて初めて与えられた選択肢がコレか……。

 こんなことなら、いっそ家畜のように何も知らないまま、緩やかな停滞の中で生きていた方が、いくらかマシだったのかもしれない。


「……唐突なことを申し上げていることは、重々承知しております。僕としてもきちんと熟慮の上、判断していただきたいとは思っていますが、警察(かれら)にも立場があります。タイムリミットは、彼女の身柄が引き渡されるまでの48時間と思って下さい」


「2日、ですか……」


「はい。それまでじっくりと考えてみて下さい。ご自身にとって、お母様にとって。どういった身の振り方がベターなのかを」


 そう言うと、宇沢さんはくるりと背を向け、事務所の出口へ向かって歩き出した。

 コツコツと、革靴が床を叩く鈍い音は、たった今『特大の荷物』を押し付けられた俺を煽り立てるかのように聞こえた。

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