改竄
「は? 死ぬって……。アンタ、言ったじゃん! 倒れただけって! 精密検査だってするんでしょ!? 病気だって治ってるんだよね!?」
わたわたと、動揺を隠そうともせずに、新井は質問を連打してくる。
その荒い息遣いからも、彼女の狼狽ぶりは窺える。
「……まぁ聞け。一つずつ話す。そもそも、だ。『提供』は、各個人の備考欄が更新された瞬間に履行される。俺は、確かに嗣武に『提供』した。だが、どういうわけか、嗣武ではなくお袋に『提供』がされたようだ。これが何を意味するか、分かるか?」
問いかけるが、新井は顔を真っ青にしたまま、何も応えない。
「考えられる理由としては、三つある。一つは単純な俺のミス、なんだが……。こう言っちゃなんだが、お袋のポイントは相当に低い。となると、『対になる境遇エリア』も、嗣武のソレとはかなり乖離があるはずだ。そう考えると、お袋のデータと取り違えること自体に無理がある」
「だ、だよね。ひと目で分かりそう……」
「だから、その線は薄い。……となると、もっと根本的な問題を抱えている可能性が高い。その一つが、データそのものが書き換えられている可能性だ」
「書き換えられてるって……。シンとオギワラのお母さんのデータがってこと!?」
「あぁ、そうだ。単純に、嗣武とお袋の名義が入れ替えられていたとすると、納得もいく。ただな……。これには一つ問題があってな」
「も、問題?」
「……今さっき確認したんだが、データの中で編集出来るのは、各個人のポイントと備考欄のセルだけだった。名前やら職業やら属性には、ロックが掛かっていて、パスワードを入れない限り、一切更新出来ない仕様になっている。パスについては、恐らく政府の方で元のビッグデータとセットで一元管理しているんだろう。少なくとも石橋の依頼があってからは、USBはずっと田沼さんの手元にあったわけだ。ということは……、名義をイジれる人間は実質的にいないと見た方がいい」
「そっか……。チサさんは政府の人じゃないもんね」
「ただな。それでも、やり様はある。例えば、だ。俺が今この場で、不特定多数のポイントを書き換えたとする。『お袋と嗣武のポイントを』、なんてレベルじゃない。それこそ数百万、数千万の規模で、だ! するとどうだ? 必然的に、各個人の相対的な評価が変わり、階級も大幅に入れ替わることになる。その前提があれば、不可能ではない」
俺の話に、新井は大きく仰け反り、言葉を失う。
彼女が驚くのも無理はない。
これはまさに……、田沼さんが目論んでいることだ。
我ながら荒唐無稽にも程がある。
彼女は今、俺を試している真っ最中なのだ。
そんな彼女が、今このタイミングで事に及ぶ理由が見当たらない。
何より、これでは……。
「で、でもさ! もしオギワラの言ってる通りだったら、だよ!? アタシらにも、何かしら影響があるはずだよね? 今んとこ、何ともないよ!」
新井は、至極当然の疑問を投げかけてくる。
「まさにそこだ。現状、俺たちに変化見られない以上、改ざんの線も薄いだろう。となると……」
「……と、なると?」
新井はゴクリと息を呑む。
「……今まで見ていたデータそのものが、ダミーの可能性がある」
「ダ、ダミーって……」
新井は、呆気に取られているようだ。
あまりにも突拍子のない話に、新井の疑念はいよいよ最高潮といったところか。
「……まぁダミーつっても、しっかりと『提供』はされているみたいだ。だからUSB自体が偽物ってよりは、デバイスを通してPCにバックドアが仕込まれて、中の情報に何らかのフィルターが掛かるように遠隔操作されていた、と考える方が辻褄が合う。少なくとも、石橋の依頼までは普通に使えていたわけだからな」
「なるほど……。てーことは、だよ? そのフィルターってのは、不特定多数の人間の情報がランダムに入れ替わって表示されるシステムだった。そんでもって、アンタがシンだと思って見ていたデータが、実はお母さんのヤツだった、てこと!?」
「あぁ、そうだな。ランダムかどうかは怪しいところだが……。恐らく、田沼さんとの一件の後、政府は何らかの方法で、俺たちが正規のデータにアクセス出来ないように制限しているんだと思う。そう考えると、納得もいく。ただそうなると……、このUSBはもう使いモンにならんな」
俺はそう言って、ノートPCからUSBを抜き取り、テーブルの上に雑に放り投げる。
USBはカタカタと虚しく音を立てて震えた後、ゆっくりと静止する。
新井は、その様子を心細そうに見つめていた。
「……話を戻すぞ。新井は、刑務所から連絡が入る前に、嗣武に何を『提供』したか聞いてきたよな?」
「う、うん」
「実は嗣武のデータには、基本的な属性の他にヤツの既往歴なんかも書いてあったんだ。何でも、通年性のアレルギー性鼻炎があるんだと。補足で治療中って注釈してあったから、今も定期的に通院はしているんだろう」
「そ、そうなんだ」
「……それで、だ。俺たちの目的は、飽くまで政府との関係を炙り出すことだ。つっても、あんまり派手なことをやると、すぐに足が付いて報復されるリスクがある。だから、俺たちが一枚噛んだかどうかすら怪しい、ちょうど良いラインの『不幸』で、ヤツらを揺さぶってやろうと考えてたんだよ」
俺がそこまで言うと、新井は何か察したのか、ハッとした表情をする。
そんな彼女に、俺は無言で頷いて応える。
「そうだ。俺が提供した『不幸』は、持病の悪化だ」
「持病の、悪化……。ね、ねぇてことはさ。オギワラのお母さんって今……」
点と点が繋がり、線になる。
思えば、政府はかなり前からこうなることを見越していたのかもしれない。
残念ながら……、ココまでは完敗と言わざるを得ない。
俺は新井の問いかけに、黙って頷く。
「お袋の癌は再発している、と考えるのが妥当だ。政府は、俺たちが嗣武の件でどう動くかも読んだ上で、その事実を隠蔽していたんだろう。いつから、どこまで、仕組まれていたのかは知らん。だが少なくとも、ヤツらがお袋を排除しようと目論んでいることは確かだ。口封じのために。俺たちを真実から遠ざけるために、な」
「そ、そんな」
新井はまるでこの世の終わりかのような表情を浮かべる。
今にも泣きそうな彼女を見ていると、事態は一刻を争うという現実を、改めて突きつけられるような感覚になる。
「……まぁ待て。まだそんな顔すんな。もしかしたら、まだリカバリー出来るかもしれん」
「へ?」
「新井。まずはコレを見てくれ」
俺はそう言いながら、テーブル越しの新井に、ノートPCを渡す。
新井は俺に言われるがまま受け取ると、そこに映された画面を見て、訝しげな顔をする。
「コレってシンの……、じゃなかった。オギワラのお母さんのデータだよね?」
「あぁ。で、だ。そこの『推定潜在境遇ポイント』の列のセルを見て欲しい」
「えっ、ああ、うん……。29点、て書いてあるけど、コレ、違うんだよね?」
「まぁ、そうだな。でも問題はそこじゃない。例えば、何だが……、その数字の前にー(マイナス)と入力したら、どうなると思う?」
「へ!? 分っかんないけど……、弾かれるんじゃないかな? それか別の文字に修正されるか」
「そう思うだろ? でもな……。試しに入力してみてくれ」
「え? 大丈夫なの? 勝手にいじっちゃって」
「上書きして更新しない限り、問題はない。それにUSBはもう外してある」
「わ、分かった」
俺の指示通り、新井はおずおずとキーボードを叩く。
「あれ?」
新井はエンターキーを打つと、拍子抜けしたような声を上げる。
「入力された文字に何か齟齬があった場合、カーソルを動かすと適切な語句に変換されるはずだ。だがマイナスは」
「……入ったままだ。マイナス29点になってる!」
これは、ココ数日。
新井の『鑑定』の事前調査も兼ね、推定潜在境遇ポイントについて色々と調べていた時に、偶然判明した事実だ。
それが何を意味するのか、までは分からない。
だが俺にはどうも、そこに一抹の闇というか、この『不幸の再分配』とやらの別の思惑があるように思えて、仕方なかった。
とは言え、何か確証があるわけではなく、元々新井にも話すつもりはなかったが、こうなってしまったからには事実として共有しておくべきだろう。
我ながら、こんな希望とも言えない不確かなものに縋らざるを得ないと思うと、惨めなことこの上ない。
「どうやらポイントには、『マイナス』という概念があるらしい。つーことはだな……。鑑定値についても同じことが言える、とは思わないか?」
俺が問いかけると、新井の気色はみるみる内に回復していく。
「……なるほど。つまり、お母さんにマイナスの『不幸』を提供出来るかもってことか!」
「そうだ。要はポイントと、提供する『不幸』の辻褄があってさえいればいいんだからな。それに必要な『鑑定』も、でっち上げればどうとでもなる」
「そっか! ちょっと希望見えてきたね!」
「……つっても、過度な期待は禁物だ。今んところ、俺の妄想でしかないからな。それにどの道、正規のデータがないことにはどうしようもねぇ。まぁまずはこの件も含めて、田沼さんに報告だ。あとは、一つ。お前に言っておくことがある」
「ん? 何?」
「発端は田沼さんとは言え、これは紛れもなく、政府による『制度の濫用』だ。それは分かるな?」
「う、うん。それはそうだね」
「それに加えて、だ。ここまでの露骨さは、嗣武と政府が繋がっていることの何よりの証拠と言っていい。どうやら嗣武は、政府にとって余程隠したい存在のようだ。だから俺はこの二つをネタに、ちょいと強請ってやろうと思っている」
「強請るって……。アンタ、具体的に誰に何をするつもり?」
「あぁ、それは、だな……」
それにしても、分からない。
田沼さんは、推定潜在境遇ポイントを操作し、手当たり次第に『不幸』をばら撒くカタチで、世の中のバランスを取るつもりなのかと思っていた。
だがこれを見ると、どうやらそんな単純な話ではないのだと、勘繰りたくなってくる。
そんな、僅かな邪推を頭に響かせながらも、俺は新井に今後のプランを説明した。




