怠慢⑫
食品工場へ転職後も、彼女の傷は一向に癒えることはなかった。
彼女曰く『酒に逃げていた』ようだが、その言葉通り、非番の日は飲み歩いてばかりいたらしい。
しかし、ある日。
酔いに任せて迷い込んだ路地裏の一角で、とある男性から声を掛けられ、彼女の運命は一変する。
ホストクラブ『Luft』。
その店のキャストと称して近付いてきた男に、彼女は気付けば惹かれていたと言う。
「なるほど……。それが嗣武だった、と」
「そ。今思えばソレが運の尽きだったね。早い話が、色営(色恋営業)ってヤツ? ホント、あっちゅー間だったわ! いろんな意味で、さ」
二階堂さんはそう言って、自虐的に笑う。
経験則か、女性のこういった表情はどうにも苦手だ。
業界屈指の規模と格式を誇る、フェルベン。
そこでトップに上り詰め、独立する。
それは世のホストにとっての、代表的な成功モデルらしい。
だからこそ、まずはそこへ潜り込むことが、業界トップを目指す上での第一歩なのだと、彼女は話す。
そしてそれは、嗣武にとっても例外ではなかった。
系列店であるルフトでは、月次の他、半年に一度大きな査定があり、その間に一番売上をあげたキャストに対して、フェルベンへの異動の権利が与えられる。
当時、念願達成まであと一歩のところまで来ていた嗣武は、傷心の彼女にこう語りかける。
『No.1になって、フェルベンに異動出来たら、キミと一緒になりたい。そうしたら、二度とキミに惨めな思いはさせない』と。
何とも凡庸で見え透いた言葉にも思えるが、心を壊していた彼女には、それに抗う術はなかった。
彼女はみるみる内に、嗣武にのめり込んでいく。
3ヶ月も経つ頃には、名実ともに『エース』になっていた。
そこから先は、早かった。
カードのキャッシング枠を使い果たしてからというもの、売掛は凄まじい勢いで溜まっていき、負債総額は1000万に到達する。
そんな拗れるところまで拗れ切った中、嗣武はある仕事を斡旋し、彼女を更なる泥沼に引きずり込む。
「あの、一応聞いておきますが、それって……」
「そ。いわゆる泡ってヤツ? まぁ流石に、この流れなら分かるか! 王道の転落パターンだもんね。はは!」
二階堂さんは、半ばやけくそといった様子で笑う。
そこから彼女の貢献は、更に加速した。
結果、彼は瞬く間に店舗No.1の座を獲得し、フェルベンへの栄転を決める。
彼女も何かと思うところはあったようだが、この時ばかりは素直に喜んだようだ。
まさに最大の功労者とも言うべきは、彼女だ。
だが……。
あろうことか、彼は程なくして彼女を『NG客』に指定する。
露骨にも程があるが、色恋を仄めかしていただけに、これ以上の深入りは危険と判断したのだろう。
それを察した彼女は、意外にも冷静だったと言う。
「そこまでされてさ。やっと目が覚めたっていうかさ……。いや違う、かな。多分なんだけど、ホントはどっかの段階で薄っすらとは気付いてたんだと思う。騙されてるかもしれないって……。そっからは自分でも不思議なんだけど、サーって波が引いてくみたいに、興味がなくなったんだよね」
「……率直にお聞きしますが、被害届は出さないんですか? 話を聞く限り、かなり悪質な気はしますが」
俺が質問すると、彼女は不意にフゥと勢いよく煙りを吹き出した。
同時に彼女の煙草を持つ手は、小刻みに震え出す。
プカプカと、天井に浮かぶ煙りをしばらく眺めた後、彼女はようやく口を開く。
「……あんたの言う通り、そうしたら多少は何か変わるのかもしれないね。気持ちの整理だってつくのかもしれない。でもさ。裁判でも何でも、正直もうアイツとは関わりたくない、かな。怖いんだよ……。これ以上、アイツのこと考えたら、あたしどうなっちゃうか分からないんだ」
込み上げる何かを抑えつけるように、彼女は言った。
俺から視線を逸し、絞り出すように言葉を発する彼女を見ていると、否が応でも後ろめたい気分になってしまう。
「シンは確かに酷いヤツだよ? でもさ。ぶっちゃけ、皆そんなモンなんだよ……。コッチの事情なんか知ったこっちゃないだろうし。たかだが派遣社員が3ヶ月ちょいでエースだよ? 冷静に考えて、頭ぶっ飛んでるでしょ! そりゃあ地雷認定するよね。別にアイツのこと、かばうわけじゃないんだけどさ……」
言い聞かせている、ようには聞こえなかった。
かと言って、吹っ切れているようにも見えない。
トラウマの上塗り、という表現が適切かは分からないが、踏んだり蹴ったりの現状をどこか他人事のように客観視することで、その痛みを和らげているようにも思えてしまう。
「まぁ、百歩譲ってさ。そこまではいいんよ……。ヘラってたとは言え、アイツに貢ぐって決めたのはあたしだしね。でもさ。一個だけ、どうしても納得いかないってか、不思議なことがあるんよね」
「……というと?」
「アイツさ……。フェルベンでは、あたしのことNGにしてないみたいなんよね」
「へ? そう、なんですか?」
「うん。アイツが異動した後にさ。一回だけフェルベンに行ってみたんだ。そんで怖いものみたさってワケじゃないけど、試しに担当指名できるか聞いてみたんよ。したら、普通に通されそうになっちゃってさ! まぁ結局、ビビってソッコーで店出てきちゃったんだけど」
「それは……、確かに不思議ですね」
「でしょ!? 普通あんなことしたら、徹底的に遠ざけるじゃん? シンプルに舐められてるだけなのかもしれないけど。ホント……、あたしじゃなかったら殺されててもオカしくないっての!」
確かに、不自然な話だ。
あのタイミングでの『NG』指定といい、あそこまで露骨な対応をしておきながら、彼女に再び接触する余地を残すというのは、危機管理の観点で見ても。
むしろ、敢えて誘い込んでいるようにも感じてしまう。
……別に確たる証拠などない。ただの直感だ。
二階堂さんはああ言っていたが、彼女にしろ、新井の母親の件のしろ、嗣武が単独で事に及んでいるようには、どうしても思えない。
いずれにせよ、この辺りは要検証だ。
「まぁそんなワケだから、フェルベンのことはあんまり知らない。悪いね」
「いえ……、お気になさらず。こちらこそお辛い話をさせてしまい、申し訳ありませんでした」
「別に……、謝んなっての。あたしはぶっちゃけ、もうどうでもいいし。ただ何? こうやって話すと、つくづくサイテーな奴だったな、とは思うけど」
二階堂さんはそう言いながら、気怠げな目を更に細める。
『憎悪』というよりは、『狼狽』だろう。
彼女は今、心の置きどころに困っている。
あったとて、それも薄氷の上のような、極めてアンバランスな場所だ。
だとしたら、少しの弾みで足場は崩れ、あっという間に飲み込まれてしまう。
その時、彼女を支えられる人間は、どれだけいるのだろうか。
「……余計なお世話かもしれませんが、その後はどうされたんですか?」
「……本当に余計なお世話だね。フツーに破産したよ! つか、もうそれしかなくない? 派遣と風俗でどうこうできるレベルじゃなかったしね」
自嘲気味に鼻で笑う彼女を見て、俺は思わず少し後悔する。
「ホントはさ。親には全部、隠しておきたかったんだ。でもやっぱり、何処からかバレちゃって……。電話越しで泣かれちゃった! 『頼むから、普通に生きてくれ』って。カンタンに言ってくれっちゃってさ……。『普通』に生きてた結果、こうなったんだっての! 軽はずみに言わないで欲しいし……」
横領の汚名を着せられ、追われるように会社を退職。
ホストに救済を求めるも、多額の負債を背負い、挙げ句の果てには風俗に沈められる。
その先に待っていたのは、泣き寝入りとばかりの破産宣告だ。
彼女も、新井の母親とはまた違うカタチで付け込まれたのだ。
「まぁさ! そんなことがあったから、しばらくは田舎に帰って、親の監視の下で生活することになったんだよね。だから、ココともあと一ヶ月ちょいでお別れ、かな!」
「そう、でしたか……。それは寂しくなりますね」
「ココロにもないこと言うなっての! コッチはそういうの嫌だから、工場選んだってのに」
「まぁ、それは俺も同じですね。工場って、仕事自体は怠いですけど、人間関係はサッパリしてて楽と言っちゃ楽ですから」
「そうソレ! やっぱあんたもそんな感じ? ぶっちゃけ、薄々感じてたんだよね! ワケあり物件的なオーラっつーの?」
「失礼ですね……。でもまぁ実際、そういう人が多いのは事実でしょうね」
「だね! 変な話さ……。今日、あんたと話してちょっと楽になれたかも。ホス狂なんて言うと、自業自得の一言で片付けられちゃうしね。別に今更、被害者ぶるつもりもないんだけどさ。話くらいは聞いて欲しいじゃん?」
彼女はそう言ってクスリと笑った。
「つーことで、しばらく大自然の中で頭冷やしてきますわ! ……つって、何ヶ月か経ったら、また風俗で働いてたりしてね。そうなったら、せいぜい笑ってよ」
「多分、そんなことにはなりませんよ」
「はぁ?」
彼女は顔をしかめる。
これから言うことは間違いなく、黒歴史になる。
だが、ここまで思うところを押し殺し、有益な情報をくれた彼女に対して、短くも同じ職場で辛酸を嘗めてきた同志の一人として、手向けの言葉の一つもくれてやるとしよう。
「俺が世界を変えるから、ですよ。俺やあなたのような人間が、多少なりとも生きやすい世界に、ね」
俺がそう言うと、彼女はしばらくの間、ぽかんとした顔で絶句する。
そして、思い出したかのように抱腹した。
「あはははは! いきなり何言い出すかと思ったら、あんたヤバいね! 何? あんた政治家にでもなるの? それともタダの中二病ってヤツ?」
「……まぁ詳しくは企業秘密ってところですね。近い内に、全国ネットで名前が晒されるような事態も有り得るかと。最悪、名前の下に『容疑者』なんて、素敵なオマケもついてるかもしれませんね」
「マジであんた何するつもり? 犯行予告とかじゃないよね?」
彼女は心配そうに俺の顔を覗き込む。
「……まぁそれは言葉の綾ってヤツです。それに俺自身は飽くまで、正攻法にこだわってるんで」
「……そっか。まぁよく分かんないけど、了解! 詳しくは詮索しないでおくよ」
彼女は気が抜けたようにフッと笑った。
全てを受け止めているような、そんな笑顔に見えてしまった。
覚束ないながらも、悪い夢から覚めつつある過程なのかもしれない。
それにしても、だ
彼女を見ていると、少し前の自分の姿と重なってしまう。
別に炊きつけるつもりもないが、ここまで一方的に赤裸々に語らせるだけ語らせて『はい、さよなら』というのも、それはそれで寝覚めが悪い。
俺のスタンスも、随分と変わったものだ。
「それと……、これは今日のお礼です」
「なんコレ?」
彼女は目を丸くしながら、俺が渡した二枚の手のひら大の紙を眺める。
「一枚は、知り合いの弁護士事務所の名刺です。あともう一つは……、俺の連絡先です」
「は? 何? どさくさ紛れに口説いてんの?」
彼女の俺を見る目は、訝しげになる。
その警戒レベルは、こちらが目視で確認出来るほどに高かった。
「……この流れでソレが出来るメンタルがあったら、そりゃ大層楽しい人生だったでしょうね。そうじゃなくて、ですね! 二階堂さんは、本当にこのままでいいんですか?」
「っ!? このままってどういう意味だし……」
「そのままの意味、ですよ。このまま泣き寝入りでいいんですか? トラウマの元凶とこれ以上関わりたくないというのは、まぁ理解できますが」
「分かってんなら、わざわざ聞くなっての……。今のあたしじゃ、どうこう出来ないって分かるでしょ……」
「……そうですか。では一つ。現状分析をベースにした、客観的事実をお伝えします」
「はぁ?」
「嗣武の一件、あなたの他に被害者がいる以上、彼は間違いなく常習でしょう。これの意味することが分かりますか?」
「…………」
彼女は険しい表情を崩さず、言葉を詰まらせる。
「要するに……、あなたが何らかの動きを見せた時、それに同調する人間も必ずいる、ということ」
俺の言葉に、彼女はピクリと眉を動かした。
「……今から、反吐が出ることを言います。あなたは、一人じゃない。もっと露骨な言い方をすれば、あなたと同じ怨念を持つ同志は他にも沢山います」
「何それ……。すっごいムカつくんだけど。つかヒトのこと、生霊みたいに言うなし」
うまくは言えない。
だが、眉間に皺を寄せながらそう話す二階堂さんの姿を見ると、彼女の中で眠っていた怨恨が、再び息を吹き返したようにも思えた。
「あなたのトラウマを解消することは、俺には出来ません。ですが、あなたと一緒に立ち上がってくれる仲間を斡旋することは出来ます。……きっと、この言葉は正しくないし、出来れば使いたくもありません。でも敢えて言う。復讐、したくありませんか? あなたの『無抵抗』に付け込んで、『普通』を奪ってきた全ての連中に」
「復讐って……。馬っ鹿じゃないの? そんなことしたら、あたしが捕まるでしょ。でもまぁ……、一応受け取っとく」
二階堂さんはそう言うと、俺が手渡した謝礼を、上着のパーカーのポケット部分に粗雑にしまう。
そんな彼女を見て、俺は何故か心底安堵した。
「気が向いたら、いつでも連絡下さい。弁護士の方にも、俺からそれとなく伝えておきます」
過去を過去として、完全に昇華してしまうその前に。
こうして布石を打つことが出来て良かった。
これから先、彼女の後続が出てしまわぬためにも。
意図的な悪意を、『不幸』の一言で終わらせないためにも。
「……つか、あんた大学生だよね!? なんで弁護士と伝手あんのさ!? さっきの世界を変えるだの何だのもそうだけどさ! ガチでヤバい奴なん!?」
バツの悪さを誤魔化すように、彼女はまくし立てる。
心なしか活き活きとしているのは気のせいか。
「そうですね……。一から、説明するとものすごーーーく時間が掛かるので、追々でよろしいですかね? これ以上、二階堂さんの睡眠時間を奪うのも気が引けるので」
俺がそう言うと、彼女は何を言うでもなく頬を綻ばせる。
どうやら俺と彼女の悪縁は、もうしばらく続きそうだ。
「……そっか。了解。せいぜい頑張って世界変えてみなよ。まぁあんたの目論見が外れて、あたしが見事に出戻ってたらさ! そん時はたっぷりサービスしてやっから! 残念賞ってヤツ?」
「何で客として再会すること前提なんすか……」
俺の反応に、彼女はケラケラと楽しそうに笑った。
そして、気怠げに煙草の火を消すと、『煙草も止めなきゃね……』と小さく呟き、喫煙室を出ていった。




