怠慢⑪
草木も、ぽつぽつと惰眠から目覚め始める、午前5時過ぎ。
人員交代を告げるチャイムの音を合図に、俺は持ち場を離れる。
植物相手に寝てない自慢を吹っ掛けるほど人間として仕上がってはいないが、この7時間に渡る拘束の解放感を、何かにぶつけたい気持ちは分からないでもない。
食品工場での単純労働とは言え、長時間同じ姿勢で作業をしていると、腰に肩に首にと、身体のあらゆる箇所にダメージが及ぶのだ。
派遣会社は紹介の際、『誰でも出来る! カンタンな軽作業!』などと宣っていたが、誇大広告も甚だしい。
淡々と精密機械のように、コンビニ向けボンゴレビアンコにアサリをばら撒き続けるその様は、もはや『労働』と言うより『修行』と言った方がしっくりくる。
寝惚け眼を擦りながら、作業場のクリーンルームを離れ、控え室へと向かうと、たった今持ち場を終えた『夜勤組』が、欠伸を噛み潰しながら帰り支度をしていたり、これから持ち場へと放り込まれる『早番組』が、表情のない顔で準備を整えていたりと、何とも殺伐としていて統一感のない風景が広がっていた。
『不夜城』などとやたらと仰々しく、中二病染みたことを言うつもりはないが、こうして俯瞰して見ると、人類にとって本当の意味での休日など一秒たりとも存在しないのだと痛感する。
さて。本来であればこのまま帰宅し、12時間ほど不貞寝を決め込みたいところだが、今日ばかりはそうも言っていられない。
それもそのはず、だ。
「んで話ってナニ? あたし、コレ吸ったらとっとと帰って寝たいんだけど。つかあんた、名前なんだっけ?」
彼女の後を追い、吸わない煙草の煙りを搔い潜りながら、この喫煙ルームに潜り込んだ、まではいい。
だが、目の前の彼女は不満の色を隠すことなく、夜勤明けの虚ろな目で俺を睨みつけてくる。
二階堂 郁莉。
俺と同じく『夜勤組』で、普段から同じ製造ラインに入ることが多い、フリーターと思われる女性だ。
しかし、こうしてクリーンスーツを脱いだ姿をじっくりと見るのは初めてだ。
セミロング程度のアッシュ系ハイライトの髪には、パーマなのか、くせ毛を活かしたスタイルなのか、くるりと内向きにカールが施されていて、それが絶妙な小顔効果を演出している……、のかは知らないし、どうでもいい。
だが、スーツのフード部分から前髪がチョロりとはみ出ていたことが一度や二度ではなかったので、こうして生身の姿を見て、妙に納得してしまうのも事実だ。
普段近くで作業する身としては、そのご自慢の髪が商品に混入してしまわぬか、内心ヒヤヒヤとしていたものである。
彼女と会話を交わすのも、ほぼ初めてと言っていい。
大学生の俺に対して、暗に優位性を主張するかのような遠慮のない態度を見る辺り、年齢は海保さんと同じか、やや上くらいなのだろう。
いずれにせよ、現状ネームプレートに書いてある情報以外は一切ないので、全ては俺の偏見……、もとい推測だ。
「……荻原 訓です。お疲れのところ申し訳ありません」
「ホントだっての……。んでナニ? 早くしてくんない?」
「……では手短に。ホストクラブ・フェルベンの『嗣武』というキャストについて、何か心当たりはありませんか?」
さて。
そもそも、何故こうして彼女に話しかけているのかと言えば、きっかけは約一年前に遡る。
ある日の居酒屋バイトの帰り道、駅前のとあるホスト店の前で嘔吐しながら、『シン、シン……』などと、お題目のようにぼやく彼女らしき人物を見かけたことがあったからだ。
そんな脳裏に焼き付いた、強烈な記憶。
新井の母親のソレと、同一人物かは不明だ。
ましてや店も違うし、『シン』などという源氏名が特段珍しいとも思えない。
だが、どこか形容し難い違和感、そこはかとない不吉さが俺の背中を押してくる。
それこそ、お得意の邪推というものなのだろう。
「……何? 急に。 あんた、シンとどういう関係なん? つか何であたしがホス狂だって知ってんの?」
どうやら、俺の違和感は仕事をしてくれたらしい。
早速の収穫の気配に、俺はやや興奮気味になるが、あまり浮かれてばかりはいられなさそうだ。
二階堂さんは、その草臥れた両目を更に細め、敵意を孕んだ視線で睨んでくる。
それを見て、俺は思わず唾を呑む。
「はい。以前、二階堂さんが最寄り駅近くのホスト店の前にいらっしゃるのを見たことがありまして……。嗣武さんについては、俺ではないんですが、知人が彼のお得意様というか何と言うか……」
俺が歯切れ悪くもそう言うと、彼女は目を見開く。
そして、俺の顔を値踏みするかのようにジロジロと見回してくる。
「……ふーん、そう。じゃあ、ソイツもシンの被害者なんだ」
「というと、二階堂さんも?」
俺が問いかけると、彼女は頷いた。
「……そうなるね。つっても、前の店の話、だけどさ」
「前の店、ですか」
「そ。聞いてない? 一年くらい前、だったかな? アイツ、フェルベン行く前さ。別の系列店に居たんよ。名前変わってないのは、ソレじゃない? ま、今更どうでも良いんだけど……」
二階堂さんは投げやりにそう応えると、煙草の火を乱雑にねじり消し、二本目に手をつける。
彼女の言う通りだとすれば、新井の母親の浪費が激しくなったタイミングとも被るし、合点もいく。
「……んで、何が聞きたいのさ?」
「……ありがとうございます。では率直に。嗣武さんと何があったのか、聞かせていただけませんか。それとフェルベンについて、知っている限りでいいので教えて下さい」
すると、彼女はまた俺の顔を訝しげな視線で物色してくる。
しばらくすると、彼女は諦めるようにフゥと深く息を吐く。
「……フェルベンのことは、そんなに詳しく知らない。あたしはそこに行く前に、切り捨てられたから」
彼女はそう言って、ぽつりぽつりと事の次第を話し始めた。
全てのきっかけは、今から約2年前。
二階堂さんが以前在籍していた会社で、トラブルに巻き込まれたことにある。
というのも、彼女が入社して1年が経った頃、営業スタッフの一人が得意先の社員と共謀し、会社の売上の一部を着服して行方を晦ましてしまったのだ。
突如として起こったこの横領事件、当然ながら彼女にとっても寝耳に水だった。
しかし、当時営業事務として、共謀した得意先との窓口を担当していたことが災いし、彼女自身の関与も疑われてしまう。
幸い、身柄を拘束されるようなことはなかったが、警察から疑いの目を向けられているともなれば、必然的に周囲の当たりも強くなる。
全ての聴取が終わり、彼女の疑いが晴れる頃には、既に手遅れだった。
彼女は、社内での壮絶ないじめによりメンタルを壊し、出勤することすらままならなくなっていた。
その後程なくして、半ば追われるように会社を退職する。
「……そう、ですか」
俺は足りない頭をフル回転させ、言葉を捻り出そうとするが、出てきたのは何とも貧相で陳腐なものだった。
まだ話は序の口なのだろうが、正直なところ最後まで聞く自信がなくなりつつある。
これは飽くまで、『鑑定』の最後の1パーツを揃えるための仕上げ。
あの事件の真相に辿り着くための、ほんの一過程に過ぎない。
だが……。
『共感』などと、傲慢なことを抜かすつもりは毛頭ない。
が、突如として彼女の身に振りかかったこの不幸。
そこから生じた歪みが尾を引き、今の彼女に繋がっているとすれば、少なからず思うところはある。
「そ。んでもって、人間不信拗らせてこの工場に行き着いたってワケ。まぁ、そんな感じたからさ……、って何でそんな顔してるん!?」
「へっ!?」
無意識的だった。
抑えきれない何かがあったのかもしれない。
わざわざ確認したくもないが、さぞかし悍しい顔をしているのだろう。
「ひょっとして同情してくれてる感じ? 何? あんたって意外と情に脆いタイプ?」
彼女は俺を挑発するような半笑いで、そう言う。
「……まさか。そんなワケないでしょ。確かに今の話をすれば、大方の人があなたに『同情』するでしょうね。ですが、所詮は他人事。あなたと同じものを背負えるはずもなければ、わざわざ背負うメリットもない。だから皆、そうやって同情する振りをして、あなたを素通りしてきた。違いますか? でなきゃ、ホストになんか沼ってないでしょ」
「……よく分かってんじゃん。言い方ムカつくけど」
彼女はそう言って小さく笑うと、話を続ける。




