怠慢③
「何かごめん。巻き込んじゃって……」
エレベーターを降りると、田沼さんは俺たちに生暖かい視線を送るなり、そそくさと社屋を出ていってしまった。
文字通り、取り付く島もないといった雰囲気で、もはや彼女の意図する通りに託された役割をこなす他ないのだろう。
俺たちがそうこうしている間にも、彼女が齎した『不幸』は、着実にその深度を増していた。
相銀本社ビルの前の路肩には、既に検察のものと思しき車が数台停車してあり、その周りにはダンボールを抱えた複数の捜査員が忙しく動き回っていて、今が非常事態であることを言外に激しく訴えかけてくる。
ニュース等で度々見かけるお馴染みの光景に、妙な感動を覚えるのと同時に、まるで止めを刺した俺たちへの当てつけのようにも感じてしまった。
……そうだ。
元凶は石橋の父親たちとは言え、これは間違いなく、俺たちが招いた事態なのだ。
末端の社員たちまで巻き込んでまで、一体何が変わるというのか。
ましてや、これで石橋が救われる保証など何処にもない。
そんな不毛で、取り留めのない疑問に頭が支配されそうになった時、新井は大凡心当たりのない謝罪をしてくる。
「……むしろ巻き込まれたのはお前の方だろ」
「いや、まぁそうっちゃそうなんだけどさ。あはは……」
新井は、いつになく決まりが悪そうだった。
やはり、彼女の中で今でも燻っているものがあるのだろう。
他人事ながらに、新井の事を知ったような口で評していたこと、ましてや、どこかそこらの貴族たちと同列視していたことを、俺は改めて深く悔いた。
「でもね。こんな事言っちゃなんだけどさ……。やっぱりアタシ、チサさんの言ってること分かるかも」
「……何だよ? お前も革命がお望みか?」
「違くてさっ! なんてーの? みんな良く『他人のせいにするな』って言うじゃん? 人の事情知らないクセにさ……」
「……そうだな。意識高い系を装ってな」
「そうそう! でもそういうヤツらに限ってさ。実は親とか偉い人の威光に頼ってたりでさ。アタシらなんかじゃ届かない安全地帯にいるから、そういう事が言えるのかなって……」
「そりゃそうだろ。『他人のせい』にされたら困る側だからな」
「そう、それっ! アタシらみたいなのってさ……、結局そういうヤツらに飼われるしかないのかな?」
そんなこと……、俺が一番聞きたい。
彼らは徒党を組んで、階層を固定してきた。
『持たざる者』が、二度と這い上がれないよう、頭を抑えつけてきた。
普遍的で都合の良い価値観を、金科玉条のように振りかざしてきた。
そんな、『勝負』が既に決まっている中では、俺たちが担える役割なんてたかが知れているだろう。
「アンタ、前に言ってたじゃん? 『生きる条件が違う』、みたいな話。何か、ホントにその通りだなって……。アタシだって、別に誰かと敵対したいワケじゃない。頑張った人が報われるのは当然だし、ある程度の格差はしょうがないって思ってる。でもさ……。そもそも、頑張るための土台がない人はどうしたらいいのかな……」
消え入るような声で、新井はそう溢した。
頑張るための土台、か……。
それは単純に、金や能力といった話じゃない。
予め用意された『現状』に、気力を削がれ、選択肢を削がれ、可能性を削がれ。
いつしか、抗うことを止めてしまう。
それを甘えだの、怠惰だの、赤の他人が知ったような口で評論していいものではないだろう。
「そんでさ……。さっきも言ったけど、ホントにごめん。アタシらのせいで、オギワラみたいな人たちが……」
涙交じりの声でそう懺悔する彼女を見て、つくづく思う。
俺と彼女は同類なのだと。
だからこそ、俺は彼女に言うべきことがある。
「……新井。お前やっぱ頭良いけど、バカだろ」
「へ?」
「俺と田沼さんの話、聞いてたか? 百歩譲って、お前に何か非があるとする。でもな……。ココで俺がお前を糾弾したところで、ヤツらの思うつぼだろうが。ただでさえ、お互い少ない手札で足掻いてんだ。そんな『持たざる者』同士がいがみ合ってる場合じゃねぇだろ。クーデター云々はともかく、一先ず団結? は、するべきなんじゃねぇの? 知らんけど。……って、何かそれこそ、共産革命みたいになってきたな。悪い……。忘れてくれ」
俺がそう言うと、新井は一瞬ぽかんと間の抜けた顔をする。
だがその後すぐに、普段の見飽きた屈託のない笑みに戻る。
「ぷ。何ソレ? やっぱアンタちょっと変だよね! それとも働きすぎて頭おかしくなったとか?」
「ここぞとばかりに遠慮ねぇな……。余計なことなんて言わなきゃ良かったよ……」
「うそうそ! ゴメンって! この前も言ったけど、アンタのそういうとこ結構好きだよ?」
「しょうもねぇフォローすんな!」
「あはは……。ね、ねぇ。そういや、オギワラ、さ」
新井はまた、居心地悪そうに呼びかけてくる。
弱々しく、それでいてどこか腹の底を探るようなその視線に、逃してはくれなさそうだと直感する。
彼女が切り出そうとしている話など、大凡想像がつく。
「……んだよ」
「そろそろさ! アンタん家のこと、教えて欲しいかな……なんて。ホ、ホラ! これから、アタシの鑑定するんでしょ? 何か、アタシだけイロイロ明かすのムカつくじゃん! どうしてもムリってならしょうがないけどさ……」
「何だよ、それ……。別に、何だ? 隠したかったわけじゃねぇよ。ただな……。ようやくほとぼりが冷めてきた頃だったからな。皆、俺のことなんて忘れてるだろうし」
「ほとぼり?」
もはやこれ以上、隠す意味はない、か。
田沼さんの件もある以上、ここで言わずともいつかは彼女にも知れ渡るはずだ。
それに、だ。
確かに新井の言う通り、彼女にだけ赤裸々に生い立ちを語らせるのもフェアじゃない。
話の流れとは言え、彼女は俺を信頼していると言ってくれた。
であれば、その誠意に多少なりとも応えるのが礼儀というヤツだろう。
「……お前さ。7年前にあった殺人事件、覚えてるか? ほら。市役所の福祉課長が殺されたってヤツ」
「あぁー……、薄っすらとは、って感じかな? でも、確か犯人ってもう捕まってんだよね?」
「そうだ。そんでもって、その犯人の動機は『生活保護を断られた腹いせに』、だそうだ」
「え? ね、ねぇ、ちょっと待って。それって……」
何かに気付いたのか、新井の表情はみるみる内に、青ざめていった。
あわあわと俺を指差しながら、惜しむこと無く涙を流すあたり、やはり新井は新井で優しい。
ここまで全力で同情してくれるのであれば、本望だろう。
「あぁ……。俺の母親だよ。今は東京の刑務所に服役中だ」




