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劣等⑥

「これは……」


 宇沢さんのバッグから取り出されたものは、何の変哲もないUSBメモリだった。


「宇沢さん。情報は()()してありますね?」

「……ありますよ。定期更新は業務上の義務ですから。そこは抜かりありません」

「そうですか。流石です」


 田沼さんはそう言って、ニヤリと目を細める。

 対して宇沢さんは、そんな彼女に半ば呆れるように渋々とUSBを渡す。


「別にやるな、とは言いません。政府の方針でもありますから。ただ……」

「宇沢さんの懸念は存じておりますよ。もう、下手は打ちません」

「……やっぱり。全然分かってないじゃないですか」


 宇沢さんは、彼女の言葉にどこか不服そうに小声で溢す。

 そんな彼を見て、田沼さんは困ったように笑う。


「さて! 荻原さんに新井さん! いよいよここからが本題です。忙しくなりますよ〜」 

「いや、そう言われましても……。それは一体……」

「ふふ。これはですね……。全国民の『推定潜在境遇ポイント』が記された貴重なデータファイルなのです!」

「……推定、潜在、境遇、ポイント? 何すか、それ?」


 あまりに突拍子もない話に、俺は間の抜けた声で聞く。

 俺の反応に、彼女は得意げに笑う。


「荻原さん。弊社の社会的な役割については話しましたね?」


「はい。まぁざっくり言うと、一人当たりが被る不幸のバランスを取ることで、人々の()()()()幸福を保証する……、ですか?」


「はい、その通り。ですが当然、鑑定した『不幸』を手当たり次第、適当にばら撒くわけにはいきませんよね?」


「まぁそりゃそうですよね……。場合によっちゃあ、提供先の方が悲惨ってこともあるでしょうし」


「そうです。そうなってしまえば、『バランスの是正』という弊社の大義名分とは大きく外れてしまい、本末転倒。提供先は慎重に選ぶ必要があるんです。そ・こ・で! ()()()の出番なんです!」


 彼女はそう言って、手持ちのUSBメモリを得意げに指差す。


「確かにバランスを取ることは重要です。でもだからと言って、鑑定士自らが全国民一人ひとりを査定するというのは、現実的とは言えません。そんな課題を解決するのが、この『推定潜在境遇ポイント』。これは、全国民の性別・容姿・系譜・家族構成・職業・年収等々、シンプルで()()()()情報を元に幸福度の推定値を専用のAIに算出させ、数値化したもの。各個人番号とも紐付けて管理されている、言わば形を変えた信用スコアのようなものです」


「へっ!? じゃあアタシらのもあんの!? そんなん聞いてないし!」


 田沼さんの話に、新井はすぐさま反応する。


「はい。極秘に、ですから。それに飽くまで、役所が把握している限定的な情報をもとに、一方的に割り出しているだけなので、新井さんがご存知ないのも当然です。ご希望でしたら、社員特典としてお教えしましょうか?」


「アタシは別にいいかなぁ〜。何か、勝手に人生評価されてるみたいでムカつくし!」


「ふふ。新井さんらしいですね。荻原さんはどうされますか?」


 田沼さんは普段の調子で悪気なくそう聞くが、やはり不快感は拭えない。

 別に、自分の境遇を過小評価されているかどうかなど、どうでもいい。

 それこそ、新井が拒絶する理由とも少し違う。

 ()()は、そもそも俺一人の問題ではないのだ。


「心底、興味ないですね」


「そうですか」


 俺が率直に応えると、田沼さんは柄にもなく表情を沈ませる。

 彼女は、何故そんな顔をするのだろうか。


「……でも、そんな限定的な情報で判断して大丈夫なんですか?」


「もちろん、完璧ではありません。でも今のAIは存外、優秀なんですよ? 実際、今の今まで大きく想定を外したことはありません」


「じゃあ、そんな立派なモンがあるなら、そもそも鑑定士とかいらないんじゃないでしょうかね……」


「それは違います。言いましたよね? 完璧ではないと。事実、ココに記録された膨大なデータの中から、いくつか候補を抽出して提供先を決めるのは鑑定士の裁量なのですから」


「なるほど。じゃあ()()を今からやるわけですか……」

 

「はい。まぁいずれにせよ、このスコアによって、かなりの業務効率化を図れていることは事実です」


「あ、あのっ! もうその辺りで止めていただけませんか!? コレ、表沙汰になったら結構シャレにならないこと、知ってますよね!?」


 意気揚々と説明を続ける田沼さんは、宇沢さんは慌てた様子で注意する。


「これはこれは失礼しました。では、荻原さん、新井さん。よろしいですね?」


「は、はい……」


「了解です!」


「じゃあ僕はもう用済みということで……」


 宇沢さんはそう言うと、背を向け、敷地の外に向けて歩き出した。


「はい。お忙しい中ありがとうございました」


 田沼さんが応えると、彼は振り向くことなく、ひらひらと右手を上げて軽く合図する。

 俺と新井も軽く会釈しつつ、次第に小さくなる彼の背中を見送る。


 しかし、その途中。

 宇沢さんは歩みを止めた。


「あ、あの!」


「おや? どうされました? 宇沢さん」


「……もうそろそろ、いいんじゃないですか。()()()()何年経ったと思ってるんですか」


「はて? 何のことでしょう?」


「……そうやってまた誤魔化して」


「宇沢さん。あなたは何か勘違いされているようです。私がこの仕事にこだわる理由は、純粋なお金儲け。そして、その先にある()()()最大幸福社会の実現です」


「もう良いですよっ! ……でも忘れないで下さい。今度また何かあったら、僕は政府のこともあなたのことも、全力で潰しに掛かりますからっ!」


 彼はそう啖呵を切って、足早に去っていった。


「おー怖い」


 宇沢さんの背中を見つめながら、田沼さんはどこか他人事染みた雰囲気で呟く。


「……良いんですか? あのままで。タダ事ではなさそうですけど」


「いいんですよ。情緒不安定って、言うんですか? 彼、時折あぁなるんですよ」


「いや、そういうことじゃなくて」


 その時、彼女から『それ以上は踏み込ませない』とでも言うかのような無言の圧を感じ、俺は怯む。


「……まぁ、どうでもいいですけど。俺の知ったこっちゃないんで」


 俺が矛を収めたと見ると、彼女はまたニコリと笑う。


「さてさて。気を取り直していきますよ! ではお二人とも、私について来て下さい!」


 彼女はそう言って、エントランスホールの中へ入っていく。


「あっ。ちょっ! ったく……」

「ホント、変な人だよねー」


 新井は田沼さんの後ろ姿を眺めながら、呑気なことを呟く。


「……お前、良いのかよ? こんなよく分からんことに首突っ込んで」

「……アンタこそいいの?」

「俺は金に目が眩んだだけだ。稼ぐだけ稼いだら、こんな危ねぇ会社とっととトンズラするつもりだよ」

「『諦観、諦観』言ってる割に、アンタって結構ビビリだよね。人生どうでもいいって思ってんなら、もっと豪快にイケばいいのに。何? ホントはアンタも幸せになりたいって思ってたりして?」


 新井は冷やかし半分で、俺の全てを知り尽くしたかのような口を叩く。

 彼女の危機意識の希薄さに、思わず深いため息が漏れてしまった。


「お前は……。()()()()()があったってのに懲りねぇのな」

「何? 心配してくれてんの?」

「忠告してんだ。貪欲に幸せを追及するのはいいが、ちっとは警戒心持たねぇとまた付け込まれんぞ、ってことだ!」

「そっか。そっか! じゃあ、安心だね! 何かあったらアンタが守ってくれるみたいだし!」

「……今の話をそう解釈できる時点で、お前は相当幸せな頭してるな。良かったな。夢、叶って」


「またまた、そんなこと言っちゃって素直じゃないんだから! ……でも、そうかもね。アタシ今、結構ワクワクしてるかも。何ていうのかな……。上手く言えないんだけど、ちゃんと自分の人生、自分で選んでる感覚っていうのかな? だってこの仕事、どう考えても『普通の女子大生』とは、かけ離れてるじゃん?」


「まぁ、そりゃそうだが……」


「うん。だからアタシ思ったんだよね。『普通』が荷が重いなら、別に『普通』じゃなくてもいい。結果的に、それがアタシの幸せに繋がっていけば、てさ」


「……やっぱお前スゲェよ。いろんな意味で」


「はー? どういうコトだし!」


 新井の選択が正しいのかは分からない。

 ただ一つ事実として、新井は今を生きようとしている。

 それだけは、確かなのだろう。

 そんなことを思いながら、俺は田沼さんの後を追った。

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