03.ファム・ファタル
私は今、いったいどこに?
呆然と突っ立っていると、背後から追いかけて来たアルベルトに取り押さえられる。人からバックハグなんてされるのは人生経験上初めてなので、少しドキドキしても良い場面ではあったけれど、なにぶん状況が状況だ。
私の頭のCPUは今、処理速度が追い付いていない。
「ニーナ、いきなり飛び出すと危ないじゃないか!」
「……アルベルト…貴方のお家って随分郊外なのね?」
考えろ、考えろ。
新宿から行ける関東の田舎はどこか。
あ、奥多摩?
ここはもしかして、東京最後のオアシスと名高い奥多摩なのでは?もしくは少し足を伸ばして茨城あたりまで行った可能性もある。
「そうかな?この国じゃ、どこもこんなもんじゃない?」
「え!?」
新宿で飲んでたじゃん!というツッコミは驚きのあまり出て来ない。どういうこと?ドッキリ?これはもしかしてハードワークを行う社畜に幻想を見せて騙すという社畜ドッキリではないか。
落ち着いて、だてに連勤術師と呼ばれているわけではない。
「えっと、整理させて。まず、ここはどこ?」
「エーデルシュタインの3番目の都市、ドライだよ」
何を当たり前のことを、といった呆れた表情をアルベルトは浮かべる。
「待って!エーデルシュタインって何?」
「ニーナ、番が受け入れられないのかもしれないけれど、祝杯の儀までは我慢してくれないかな?」
「いや、我慢とかじゃなくて本当に地理的にどこにあるのか私にはさっぱり……」
ぐずぐずと泣き出す私を、アルベルトは引きずりながら部屋へ連れ戻した。
再び白い部屋のベッドの上で、様々な可能性を考える。
ここは新宿ではない。というか、日本ですらない。
流行りのVRか?とも一瞬思ったが、ここまでリアルな筈はないだろう。
「お母さんとお父さんに会いたい…っうう…」
「ニーナ、ご両親の事故の事は残念だったね。一人で辛い思いをしてきたのは話に聞いている」
「死んでないから~~!!」
まだ健在する両親が脳内で「勝手に殺すな」とリオのカーニバルの如く騒いでいる様子が浮かんで、尚更二人に会いたくなった。
それにしても、この話の食い違い具合はいったい何。
「泣かないで、ニーナ」
「………アルベルト」
大の大人が小さな子供のようにわんわんと泣き喚くという、かなり痛い状態なのにアルベルトは私を抱き締めて頭を撫でてくれる。
もう追加料金なんてどうでもよくて、その優しさに素直に甘えたい。
「僕はアルファの聖人、君の番で管理者でもある」
「……聖人?ごめん、うちは葬式仏教だからあまり宗教のことはちょっと…」
「とにかく、その時が来たら教えて」
「その時?」
「一応講習も受けたんだ。心の準備も出来てる」
何の話か分からない上に、大真面目なアルベルトの対応が怖すぎて再び目尻に涙が滲む。
誰か、誰か、ここに通訳を。
アルファとオメガについて真剣に語るなんて、いかに彼がイケメンだとしても変人認定せざるを得ない。
気の抜けたように脱力する私の身体を、アルベルトはまだ抱いたままだ。このまま気絶したフリでもしようかな。
「………あれ?」
その時、鼻先を芳醇な花の香りが掠めた。
くんくんと香りの先を辿ると、アルベルトの喉元に行き着く。
「いい匂い。なんて香水?」
「………っ、ニーナ!」
近くで話し過ぎたためか、アルベルトは慌てたように後ずさる。
香りの正体が知りたくて、引き寄せられるように私は彼に近付いた。木製のベッドが重みに軋む。
「アルベルト……」
「待って、ニーナ…やっぱり祝杯の時まで、」
私の唇がアルベルトの肌に触れる一歩手前で、頸部に手刀が飛んできた。部屋の景色がぐるりと回転して、私は再び意識を手放す。