33.二人の小芝居
「誰か!助けてください!!」
細い階段を駆け下りながら叫ぶ。
私が吐血した時の血が服にべったり付いていたお陰か、こちらを見た人々がギョッとした顔で騒ぎ出す。
騙しているようで申し訳ないけど、ごめんなさい。
「何事だ!」
豪勢な扉が開いて、アルベルトの父親であるヨハンと祖父、つまり司教が顔を覗かせた。ヨハンは私の姿を確認してその顔に嫌悪を滲ませる。
「ヴァンパイア風情が何の騒ぎだ!」
「アルベルトが…アルベルトが毒を…!」
「………何だと!?」
次々と集まってくる観衆の中に、シシリアを見つけた。慌てて来たのか白いエプロンを付けたままだ。
「ニーナ!どうしたの?」
「シシリア、アルベルトが倒れてしまったの!葡萄酒に誰かが毒を混ぜたみたいで…」
「そんな……!販売所へ行って担当者をみんな呼んでくるわ。塔の上に行けば良いのね?」
「ええ!なるべく早く来て!」
「アルベルトは今どこに…!?」
「上の階です。早くしないと…!」
こんなので本当に大丈夫なのだろうか。
ドキドキしながらアルベルトが待つ部屋へ向かう。
私の後ろにはヨハンや司教、シシリアに加えて、彼女が連れてきた葡萄酒の販売担当たちが列を成している。大名行列ばりに多くの人間が押し寄せているけれど、本当にあの小さな部屋にこんなに人が入るの?
「こちらです!」
「……アルベルト!」
我先にと部屋へ飛び込んだのはヨハン。
壁に持たれて座り込むアルベルトの姿を見て、その場で泣き崩れる。良心が痛んだので、慌ててヨハンの元へ走り寄った。
「大丈夫です、まだ息はありますから!」
「完全治癒をするんだ!司教の力は使えるか?」
「………その必要はない」
司教は静かにその皺が寄った手を上げた。
老いた顔は穏やかだが、怒っているようにも見える。
「あの血は偽物だ。アルベルト、一体どういうつもりだ?」
「………偽物?」
「あ、いや、それはですね…」
慌てふためいてオロオロする私の後ろで、アルベルトが立ち上がった。呆然とするヨハンの横を通り抜けて司教の前で頭を下げる。
「お許しください、司教様」
「酸味がすごいな。私はトマトが嫌いなんだ」
「僕の大切な番が毒殺されそうになったのです。すぐに治癒の力で治しましたが、犯人はまた彼女を襲うかもしれない」
「……なんだと、」
「確かめるためにこのような小芝居を打ちました。まあ、どうやら司教様のご指摘で失敗したようですが」
「それは本当か?アルベルト」
「はい。ニーナは確かに毒にやられて吐血しましたから」
「このような日に…いったい誰が!」
「君なら分かるんじゃないか、シシリア?」
アルベルトは冷ややかな笑顔で入り口を振り返った。
みんなの目が一斉にシシリアの方へ向けられる。
偉大な聖女はその美しい目に涙を溜めてアルベルトを睨んだ。
「酷いわ、アルベルト!仮にも元恋人を疑うだなんて。神聖なる司教様に誓って、そんなことはしていない」
「そうか。でも、ニーナは君から葡萄酒を受け取ったと…」
「どうして私を疑うの?彼女が勝手に割れたグラスを選んだのよ。私はただその場にあるものを渡しただけで、」
「グラスのヒビを目印にしたのか?」
「……え?」
シシリアが驚いた顔で動きを止める。
「僕はどちらのグラスに毒が入っていたかなんて明確な供述はしていない。毒が入っていた方のグラスはここに落ちているけれど、君の場所から見えるほど大きな欠損ではない」
「…違うの、私じゃないわ、信じて!」
「とても小さなヒビだ。シシリア、どうして君がそんなことを知っている?」
「捕えろ!!!」
ヨハンの一声で、シシリアは両腕を拘束された。
違うと言ってほしくて、否定してほしくて、シシリアの目を見る。しかし、彼女の顔はもはや聖女とは程遠い憎しみに染まっていた。
「消えて欲しかったのはニーナじゃないわ。貴方の方よ、アルベルト!!」
吠えるように、シシリアは叫ぶ。
綺麗な金髪が乱れて顔に掛かった。
「私の方が素質があった。昔から貴方より努力だってしていた。それが何?完全治癒?そんな能力を持っていなければ司教にはなれないの!?」
「………シシリア、」
「愛してなんかないわ。ずっと邪魔だった、隙あらば消してやりたかった!能力がものを言うこの世界じゃ、貴方が居る限り私は司教になれないのよ!!」
部屋が震えるような声量で、シシリアはアルベルトへの憎しみを吐き出し続ける。あんなに彼女を想っていたアルベルトはどんな心境で聞いているのか。
私は、それだけが気掛かりだった。
「貴方が番に選ばれて、内心喜んだわ。これで私の時代が来ると思った。それがどうよ?貴方は番と結ばれずに私と関係を維持しようとした。誰がそんなの望むものですか!」
「……全部、嘘だったんだな」
「貴方との関係なんて、役職を得るための足掛かりよ。司教を祖父に持ち、神父を父に持つワーグナー家の息子。最高のパートナーだったわ、どうもありがとう」
「…………、」
「それとニーナ!」
シシリアはくるりと私の方を向く。
「貴女は出来損ないだったわね。水溶性の抑制剤もまったく役に立たなかったし。貴女がヒート期間にアルベルトを襲ってくれたら、彼が淫行か何かで免職も有り得たのに」
「そんなことを考えていたの…?」
「賢くないと出世なんて出来ないわよ。ねえニーナ、聖女も聖人も人間よ。この世に神様なんて居ないんだから!」
壊れたようなシシリアの笑い声は部屋に響く。
ヨハンの命令で駆け付けた警備隊が彼女を連行して行った。
すべては一瞬の出来事で、小芝居どころかドロドロの昼ドラを一気見したような疲れを感じる。人々はそれぞれ好き勝手に事の経緯を話し合いながら、小さな部屋を去って行った。
「お前のトマトジュースもあまり役には立たなかったな」
ベタベタのシャツを鬱陶しそうに摘みながら、アルベルトが私の方へ歩いて来た。
「そうね、貴方のお祖父様の指摘が鋭かったから」
「伊達に長年生きてないってことだな」
「聞こえておるぞ、アルベルト!」
司教は小さく怒鳴り、アルベルトに向き直った。
父親のヨハンはシシリアの対応へ当たったのか、もう部屋を出て行ってしまって居ない。
「……彼女がヨハンの言っていた番か?」
「こんにちは司教様。ニーナです」
膝を折って頭を深く下げる。
「ヴァンパイアのオメガと聞いた。お前たちは番として厳しい道を歩むことになる。これは脅しではない」
「ええ、十分承知しております。私はアルベルトの人生を邪魔するつもりはありません。彼の意思を尊重して、」
「そのことですが、司教様…」
アルベルトが私の肩を抱き、司教の方へかがみ込む。
オンモードの彼にあるまじき大胆な行動に私は驚いた。
「僕の人生はニーナに捧げることにしました」
「………え?」
「彼女に責任を取ってもらいますから、大丈夫です」
「せ、責任って、何の…!?」
問いただす私を全無視するアルベルトを暫く見た後、司教は大きな溜息を吐いた。丸まった肩が小さく下がる。
「番に選ばれた時から、薄々恐れてはいたが…どうやらもう仕方がないようだな」
「心配しないでください。勉学には励みますよ」
「ヨハンも自分で説得するんだぞ」
司教はそれだけ言い残して部屋を出て行った。
再び二人だけになった小さな空間で、私はアルベルトを見上げる。この二重人格者はいったい何を言っているのか。




